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翌朝、リリーは実験棟の入り口でダイスとマクウェルに会った。
いつもどおり元気に挨拶したダイスの傍らで、マクウェルは心なしか元気がないように見える。
「やあ、リリーさん。……その、アモル怒ってた? 昨日は無神経なこと聞いちゃったみたいでごめん」
「いえ、大丈夫だと思いますよ。……こちらこそ、昨日は急に帰ってしまってすみませんでした」
「マクウェルの奴、あの後もうじうじ言ってて大変だった……って。リリー、それどうしたんだよ?」
リリーの荷物を見たダイスは顔色を変えた。
ロッカーに置いていた着替えが泥だらけになっているのを、リリーは慌てて隠した。
「な、なんでもないです。昨日、アモル様に付き合って森に出かけたので、それで汚しちゃって……」
とっさに嘘をついた。
本当は一人で寮に帰って仮眠をとっていたのだが。
「……うーん。それにしても、靴の中まで泥だらけなんだけど……?」
「……う。それは……」
言い淀むリリーの様子に、ダイスとマクウェルを顔を見合わせた。
「……しょうがねーな。じゃあ、俺の使っていーよ。サイズでかいけど、勘弁な」
「え? あの、ダイスさんは?」
「んー? 俺は別に実技やって制服汚れても気になんねーし。でも、リリーは困るだろ? 火炎魔法で焦げ付いたり、変な液体かかったりしたらさ」
リリーは別の意味で顔を赤らめた。
時と場合によっては、魔法の授業で服が使い物にならなくなったりすることも実際にありうる。
マクウェルもしみじみ言った。
「女の子だしねぇ……今から洗って乾かしても授業に間に合わないし。僕のも貸せればよかったんだけど、サイズがなぁ」
「あー! マクウェル、それ暗に俺のが背ちっちゃいって言ってんだろ。感じ悪いぞ、おまえ! 言っとくけどな、俺、アモルよりは身長あるからな」
「……うん。それはアモルに喧嘩売ってるね?」
「あの、私、別に……」
「あー、ほらほら。すぐ『別に』っていうのはリリーの悪い癖だぞ。リリーじゃなくて、俺らが目のやり場に困るっつーの。いいか、万が一にでもあんなとこやこんなとこがはだけたら俺らがアモルに顔向けできな……ぐはっ!」
「全校生徒が通る往来で何言ってんだ、このバカ!」
いつの間にか登校していたアモルがダイスをどつき倒した。
「朝っぱらからいったい何の騒ぎだよ。あと、僕はまだ成長途上なんだ。今にマクウェルも追い越すから覚悟しとけよ」
「うへぇ!? いやぁ、そりゃ無理だって。いくらなんでも想像できな……ぐほっ!」
「……リリーさん、そろそろ着替えないと授業遅れるよ。二人は無視して先に行こっか」
「え、えぇ……?」
リリーに気付かれないよう、マクウェルは気遣わしげに視線を走らせる。
朝から賑やかに騒ぐ四人組を、ロッカーの陰からいくつもの視線が冷ややかに見ていた……。
☆☆
結局、この日、魔法実技の授業で火炎魔法や怪しげな液体が飛び交うことはなく、午前中の授業を終えて平穏に迎えた昼休み──
窓際に一人分の着替えが洗って干してある教室に、第二学年の少女が訪ねてきた。
背中まで流れる金髪と碧眼、お人形のように小柄なティナ・ランドールである。
「こんにちは。アモルさん、いますかー?」
「アモルー、お客さんー」
「……んー?」
クラスメイトに呼ばれて、席で本を読んでいたアモルは顔をあげた。
訪ねてきたのが以前、不良に絡まれていた少女だとわかると、合点がいったように立ち上がる。
明らかに年下の少女という意外な来客に、ダイスとマクウェルが顔を見合わせた。
「……誰、あれ?」
「さぁ……」
「──アモル様の『いいひと』です」
「「えぇっ?!」」
「しー……っ! 二人とも、お静かに」
それは違うんじゃないかなぁ、というマクウェルの苦笑は、リリーには聞こえていなかった。ダイスとマクウェルの後ろに隠れるようにして、じっと様子を窺っている。
三人に見守られていることなど知らず、教室の入口に出向いたアモルは少女に話しかけた。
「久しぶりだな。あれから大丈夫だったか?」
「はい。アモルさんが追い払ってくれたのが相当、こたえたみたいですよ」
「そっか。そりゃよかった。……でも、こんなとこまで来てどうしたんだ?」
「えへへ……珍しいお菓子をもらったのでおすそ分けしようと思って」
「……お菓子?」
瓶の中に入ったそれはコロコロとした褐色の物体だった。丸いお菓子の表面に何かの粉がまぶしてあるらしい。
ティナには失礼だが……あまり美味しそうには見えない。
「? 何だこれ」
「カカオという植物の種を炒って、お砂糖や練乳と混ぜた『チョコレート』というお菓子です。アモルさん、好きそうだなって思って」
「ふぅん。甘いのか?」
アモルは瓶の中の怪しげな物体をしげしげと眺めた。
「ええ。あ、でも一度に全部は食べないでくださいね。鼻血を出して倒れちゃうこともあるって聞いたから」
「……大丈夫なのか、それ……?」
にわかに不安になるアモルだったが、ティナは「心配ないですよー」と可憐に笑う。
遠巻きに見ていたリリーと仲間たちはひそひそと話し合った。
「……なんか、随分、親しげだねぇ」
「くそぉ。ちっちゃいけど、なかなかの美少女じゃねーか。アモル、いつの間に……!」
「それはそうなんですけど……うーん。あの人形……どこかで……?」
このとき、少女とアモルの親しそうな会話よりも、リリーは少女が腕に抱いているものに気を取られていた。
大きさは猫ぐらい。長い鼻と大くて平たい耳……そして、何よりも鮮やかなピンク色のぼてっとした形状。
「……? な、なんか視線を感じるような……」
アモルと話し込んでいたティナが傍目にもわかるぐらいに身震いして、音もなく背後にいたリリーを見つけたアモルもぎょっとした。
だが、別に後ろ暗いところもないことに気付いてすぐに気を取り直す。
「ティナ・ランドールだよ。第二学年の」
「リリーです。アモル様がお世話になってます」
リリーがぺこりとお辞儀すると、少女はにわかに活気付いた。
「リリーさんって……もしかして、あのリリーさんですか?!」
──どのリリーさんだ。
アモルとリリーは顔を見合わせた。
「魔法使いの家の出じゃないのに、いきなり第五学年に編入した十五歳の才女! うわぁぁ、本物ですか? あ、あ、あの、握手してください!」
「……はい?」
手を差し出すよりも早くティナに握り返され、遠心力も利用してぶんぶん振り回されたリリーは目を白黒させた。
「あ、あの、その、それよりですね。その人形……」
「え? あ、これですか? えへへ、ランちゃんです。かわいいでしょ?」
ランドール家に伝わる魔術人形だから、ランちゃん。
なんとも安直なネーミングだが、確かに愛嬌はある。
どこを見ているかわからない硝子玉の目とか、藁が詰まってそうで不格好なお尻とか。
「……あの、つかぬことを伺いますけど。この人形、一人で動いたりする……?」
──それも塀の鉄格子にお尻をつっかえたり、振り返ってお辞儀してみせたり。
リリーの質問に、ティナとアモルが揃ってきょとんとした。
だが──
「ぷっ……あははは! ご、ごめんなさい、笑って。でも、リリーさんって想像力豊かなんですね!」
「……想像力……」
ティナにお腹を抱えて笑われたリリーは、次いで、耳まで真っ赤になった。
(そ、そうよね。何をバカなこと言ってるの、おら)
大体、あのときは辺りも暗かった。
共通点といえばピンク色の色彩だったが、そんなもの、暗がりの中で確かに見えたとも思えない。
(やっぱり夢でも見たのかしら……)
それはそうだ、と思い直した。
いくら魔法の力でも、あんな風に人形が動くはずがない。
そもそも、そんな風に魔法を駆使する遣い手なら、アモルに負けず劣らず学院で名を馳せていることだろう。
毒気を抜かれたリリーを人形の無機質な目が見ていた。
☆☆
その夜──
例によって『幽霊館』にひょっこり顔を出したリリーは、厨房に立ちこめた甘ったるい匂いに顔をしかめた。
「な……何してるんですか、アモル様」
「ん? 何って、実験」
何食わぬ顔して、アモルが答える。
鍋の中では怪しげな茶褐色の液体がドロドロと煮立っていた。
「カカオって植物、調べてみたけど興味深いな。栽培地域は高温多湿。この地方じゃ滅多に手に入らないけど、昔は王侯貴族の不老不死の秘薬として──」
「……えっと、ちょっと待って、アモル様。まさかと思いますけど、あのお菓子を黒魔術の実験に……?」
「珍しい材料が手に入ったからな」
何の悪気もなく、しれっと、アモルが言う。
リリーは目の前がクラクラした。
多分、甘い香りと香辛料のせいではない。
「……アモル様。女の子が他のクラスの教室に押しかけて男の子にお菓子を渡す意味って、わかります……?」
「? そういえば、なんでだろうな。不良に絡まれてたのを助けたのって随分前なのに」
リリーはティナに激しく同情した。
心をこめた甘い気持ちがあぶくの浮いた鍋の中で溶けていく……。
鍋から目を離すことなく話していたアモルは、リリーがぷるぷる震え始めたのに気付かなかった。
仕上がりがいいのに満足して、我知らず口の端に笑みを浮かべる。
そして、トドメの一言を無造作に放った。
「──ほら、リリーも食べるか?」
「──っ!! けっこうです!!」
バチーン! と頬を張る派手な音が深夜の館に響き渡った。




