三章五
蒼鴛はその日の夜中、執務室にて書類の決済をしていた。
将軍としての仕事は王族の護衛や部下達の鍛錬時の指導の他にも多岐に渡る。
近衛隊や軍を統率するのも仕事の内の一つだ。大将軍もいるが実質的な事は蒼鴛が担っていた。
書類が半分ほど片付いた頃に執務室の扉が鳴らされた。返事をすると入ってきたのは女官姿の緋嚥だった。弟である彼がこちらに来るのは珍しい。何事かと目を見開く。
「どうした。こんな夜中に」
「…兄上。その。藤皇后様を知らないか?」
「皇后様を知らないかって。一体、何があったんだ」
蒼鴛が問いかけると緋嚥はふうとため息をついた。
「藤皇后様の姿が後宮の紫露宮にない。どこの部屋を探しても、も抜けの殻だ」
「な。それは本当か?!」
「ああ。皇后様の寝室にも蓮花と金圭に探させたが。姿はなかったと報告を受けた。もしかしたら、兄上の話していた伎炎か。あいつが連れ去ったのかもしれない」
緋嚥の言葉で蒼鴛は椅子から立ち上がる。慌てていたのでがたんと椅子が大きく音を立てた。
「伎炎か。確かにそろそろあいつが動き出す頃だろうと思っていたが。まさか、后妃を浚うとはな。大胆なのにも程がある」
「で。兄上、俺や蓮花に金圭はどうしたらいい。部下達にも指示を出さなければならないし」
「…そうだな。まずは皇后様ーヨシコ様を探すためにも兇手や近衛隊の者達を集めろ。情報収集をして手がかりを見つけなければならん」
緋嚥は頷くと執務室をすぐに出る。蒼鴛も兇手達にしか聞こえない笛を吹く。
それが合図であったらしく執務室に黒い衣に身を包んだ兇手達が続々と集まってきたのだった。
国王ー苑萊に藤皇后が攫われたという事柄が伝えられたのはこの日の未明の深夜だった。蒼鴛や緋嚥が取り急ぎ報告する。
「…主上。藤皇后様が何者かにより連れ去られた模様です。緋嚥が女官達と共に紫露宮を隈なく探したのですが。お姿はどこにもなかったと報告を受けました」
「な。それは本当か?」
蒼鴛が沈痛な面持ちで奏上した。苑萊は眉根を寄せながらも尋ねた。
「はい。その、失礼ながら寝室も探したのですが。も抜けの殻でして」
緋嚥が言うと苑萊は大きくため息をつく。
「…緋嚥がそこまで言うのなら本当だな。で、攫った奴の目星はついているのか?」
「ええ。おそらく、伎炎という者かと。私は三年前の汪太后様の暗殺事件の折にあやつと相見えております。伎炎は大鎌を巧みに使い、相当な手練れでした」
「そうだったな。蒼鴛が言うくらいだからかなり手強いぞ」
蒼鴛が頷くと緋嚥もだろうねと呟いた。苑萊は椅子から立ち上がると早速、上着を脱ぎ始める。
「主上。何をなさっておいでなのです」
「決まっているだろう。藤皇后を探しに行く」
そう言いながら苑萊は上着を脱ぎ捨てた。帯も解き、手際よく衣服を脱いでいく。緋嚥は仕方なく苑萊の脱いだ衣類を掻き集め、蒼鴛に目配せをする。
蒼鴛もため息をつきながら、苑萊の執務室に繋がる私室へと向かう。箪笥があってそこから外出用の外套や衣服、帯などを取り出した。
馬に乗ることを想定して動きやすい濃い藍色の無地のチャイナ服の上下を用意した。長靴ーブーツも持って執務室に戻る。
両手一杯で戻ると緋嚥に声をかけた。
「緋嚥。衣服や外套とか必要な物は持ってきた。着付けるから手伝ってくれ」
「あいよ。主上、着付けますから。じっとしていてくださいよ」
緋嚥に言われて苑萊は肩を竦めた。
「わかっている。言われるまでもない」
「じゃあ、失礼しますよ」
緋嚥は下着の状態になった苑萊に手際よく蒼鴛が渡してきたチャイナ服を着付けた。帯を結び、上着の襟元につく紐も結んだ。
髪もお団子状にして布と髪紐で纏めた。ブーツを履き、外套を羽織る。
身支度ができると苑萊は緋嚥と蒼鴛、蓮花と兇手の一人の五人で王宮を出た。
馬に乗り、兇手が調べて特定した森の中の小屋を目指したのだった。




