三章三
芳子が緋嚥に護身術を習うようになったのは一月前ー白苑と李晋央兵部尚書の事件後だった。
緋嚥が芳子も自分の身は自分で守れるようになった方がいいと考えての事であった。いざという時の為でもある。
蓮花や金圭達も賛成した。それに芳子が一人でも生き延びれるように苑萊や蒼炎も同意の上の事だった。
蓮花も身の回りの物で身を守る術を教えた。無理に相手を倒そうとしない事と相手の力を利用して攻撃をいなす事を芳子は緋嚥や蓮花から学んだ。
芳子は軽い女性用の剣を蒼鴛から贈られた。
この剣は双剣で柄の部分に赤い房が飾りとしてついている。可愛らしいと芳子は気に入りこれで稽古をつけてもらうようになった。
がきんと剣同士がかち合う音がした。緋嚥の繰り出す剣戟を芳子は双剣で受け止める。
この半月の間に芳子は双剣で吹っ飛ばされながらも緋嚥の剣戟を受けれる程には腕を上げた。といっても少しだが。
「ほらほら。ヨシコ様、攻撃はどうしましたか?!」
緋嚥の声に芳子は一生懸命に頭を働かせた。双剣でただ受け止めるだけでなく攻撃を繰り出した。
ぎいんと剣が一際高く鳴る。が、芳子の渾身の一撃は緋嚥の一薙ぎでいなされてしまう。そうして気を取られている間に双剣の一本が吹き飛ばされてくるくると宙を舞った。それはざくっと地面に刺さってしまった。
芳子はぜいぜいと息を荒げる。肩を大きく上下させて額から汗を流した。緋嚥は先ほどまでの殺気を纏わせていた空気を和ませると弟子に声をかける。
「…お疲れ様です。以前よりも構え方や踏み込み方に無駄な動きが少なくなりました。後は俺から一本を取ることを考えてください」
「ふう。お疲れ様、緋嚥君はやっぱり強いね」
「はは。あの鬼神のように強い蒼鴛兄上やバカ親父、大将軍にべらぼうに鍛えられましたから。そのせいだと思いますね」
へえと言うと緋嚥はにかっと笑う。
「ヨシコ様は筋がいいですね。この一月半の間に剣術の腕を少しずつですが。上げてきておられますよ」
「そうかな。けど、蓮花さんほどではないよ」
「蓮花を引き合いに出さない方がいいです。あいつは小さい頃から武術を叩き込まれましたから。だから、強いんですよ」
ふうんと芳子は頷いた。緋嚥は地面に突き刺さったままの双剣の一本を抜いた。それを芳子に手渡す。
「今日はここまでにしましょう。疲れたでしょう、冷茶を蓮花と金圭が用意してくれているはずです。たぶん、主上もいらしていると思います」
「わかった、行こう」
はいと言って緋嚥は芳子の後を追った。彼女が複雑そうにしていたのを見てため息をそっとついた緋嚥だった。
自室に戻ると赤髪と同じ色の瞳が目を引く主上こと苑萊と蓮花、金圭の三人が出迎えた。緋嚥は躍拝の姿勢を取る。
「ああ、ヨシコ。稽古は終わったようだな」
「はい。主上もお仕事は一段落したようですね」
頷くと苑萊は椅子から立ち上がった。そのまま、芳子に近づいた。くしゃりと頭を撫でてくる。
「すまぬな。緋嚥は手加減をせぬだろう」
「…いえ。私がまだまだ弱いですから。緋嚥さんは教え方が上手だと思います」
「ふうん。緋嚥がね。奴はわたしの時は嬉々として本気を出すがな」
そう言うと緋嚥がぎょっとしたような表情になった。
「主上。あなたが無駄に強いからでしょう。ヨシコ様と一緒にはできないですよ」
「そうか。緋嚥はよほどわたしに傷めつけられたいと見える。ならば、望み通りにしてやろう」
「…しゅ、主上?!」
苑萊はくつくつと笑いながら緋嚥に近づいた。芳子の側から離れる。
「さあ、どうする?」
「勘弁してくださいよ。ヨシコ様の前ですよ?」
「ふん。お前が余計な事を言うからだ。無駄にとは何だ。無駄にとは」
二度も繰り返されて緋嚥もげんなりする。なんでこんな面倒な事になるんだか。
「わかりました。主上の仰せのままに」
「緋嚥。これから稽古場に行くぞ。来い、鍛え直してやる」
緋嚥は仕方ないと腹を括る。この王は怒らせると厄介だ。それが芳子に向いたらまた彼女のために良くない。自分が犠牲になるしかないらしい。
苑萊と一緒に稽古場に行く。それを芳子は見送ったのだった。
その後、芳子は冷茶を飲みながら寛いだ。蓮花や金圭に腕や肩を揉んでもらう。なかなかに腕がいい。
「…くう。そこそこ」
「やはり凝ってますね。日々の稽古のせいで腕や足を使いますからね」
「本当よね。おかげで節々が痛くて」
蓮花がそうですねと言いながら芳子の二の腕を揉んでいく。しこりができているのでそこを中心的にほぐしてもらっている。
また、くうっと声が出た。金圭は脹脛を揉んでいた。二人がかりでマッサージしてもらってやっと毎日の鍛錬に耐えていた。でなかったら今頃、まともに動けもしなかっただろう。
二人に感謝しながらも冷茶をこくりと飲んだ。ひんやりとしたお茶が喉を潤した。蓮花はふうとため息をつく。
「…ヨシコ様。あたくし、主上に申し上げましょうか?」
「ん。何を?」
「この稽古についてです」
どうしてと訊くと蓮花は悲しげに目を伏せた。
「ヨシコ様はたおやかな女人です。なのに、こんなに厳しい鍛錬が必要なのでしょうか」
「ううんと。必要だと私は思うよ」
そうでしょうかと蓮花は言った。しばし、部屋に沈黙が降りたのだった。




