三章二
芳子が朱国に来てから早くも二ヶ月が経った。
金圭や緋嚥、蓮花達の七人で仕えられながら守られる日々は穏やかなものだ。が、芳子は緋嚥からこっそりと護身術を学んでいた。特訓は厳しいものだったが芳子は懸命に取り組んだ。
今日も後宮の庭園にて緋嚥に暗器の扱い方や体術の基礎を教えてもらっていた。
「ヨシコ様。まずはこれを見てください」
緋嚥が懐から一本の簪を取り出した。それを芳子に手渡す。
「これ普通の簪だよね?」
「に見えますが。簪の真ん中辺りをよくご覧ください」
よく目を凝らすと簪の真ん中辺りに小さな突起があった。
「その部分を指で押してみてください」
芳子は突起を指で押してみる。すると簪の半分がしゅっと抜けて地面に落ちた。現れたのは鈍く光る刃先だった。
「えっ。これ、小太刀だったの?」
「そうです。これは簪に似せた暗器です。本物の簪も武器にはなりますが。こちらの方が何かと役立ちますよ」
へえと言いながら芳子は鞘を探した。銀色のそれを拾って刃先の部分に戻す。かちりと音が鳴って元の簪の状態になる。
「緋嚥君。これで今日は訓練をするの?」
「いいえ。ヨシコ様にはヒ首を使って訓練していただきます。これだったら女性でも扱いやすいですから」
はあと返事をするとまっすぐな刀身の小太刀を渡された。実用丸出しの装飾はないもので持ち手の部分が晒しのような布が巻いてあるだけで。芳子は受け取り晒しの布の部分を握りしめた。
「では、まずは俺がお手本を見せますから。真似をしてください」
緋嚥は深呼吸をすると芳子に手渡したものと同じヒ首で前に突き出したり横に薙いだりと型を演じてみせる。ひゅっひゅっと空を切る音が辺りに響いた。
緋嚥の動きは無駄がなく美しいといえるものだった。最後に動きを止めてヒ首の刀身を布で巻いて懐に入れた。それで終わりだった。
「…これがヒ首の俺が考えた型です。同じようにしてみてください」
「わかった」
芳子は頷くとヒ首を握りしめて緋嚥の動きを見よう見真似でやってみた。だが、うまくいかない。ヒ首は空を切る音さえ立てず、ぶんっと鈍く鳴るだけだ。
「…ヨシコ様。もっと速く腕を動かすように!」
「はい!」
芳子は先ほどよりも素早く腕を薙ぐように動かす。時折、緋嚥が指摘をする他は芳子のヒ首を振るう音が庭園に響いていたのだった。
一通りの訓練が終わり芳子は休憩をした。緋嚥が冷茶を淹れて持ってきてくれる。
「お疲れになったでしょう。俺が提案した事とはいえ、こんなに続くとは思いませんでした」
「だって蓮花さんや金圭さんも護身術は身に付けた方がいいと言うんだもの。だから、緋嚥君の特訓にも付いていけてるのよ」
「まあそうですね。金圭も蓮花もああ見えて武術の心得はありますから。皇后様の護衛としても雇われているんですよ」
「そうだったの。蓮花さんや金圭さんって武術ができたのね」
「ええ。他の女官達も武術の腕が確かですよ」
成る程と言いながら芳子は冷茶を口に含んだ。ほんのりと甘さが口内に広がる。
緋嚥から蒼鴛や苑莱も剣術や弓矢の腕はなかなかだと教わった。その後もヒ首の訓練は続けられたのだった。
夕方になりやっと食事の時間になった。緋嚥と金圭特製の鶏だしが効いたお粥と鶏肉の照り焼き、水餃子、胡椒入りの肉団子スープが用意された。
「ヨシコ様。全部、毒味をしましたから。召し上がってください」
蓮花がにこやかに言う。芳子は汗をお風呂で流した後、寝間着に着替えていた。もちろん、蓮花と金圭に手伝われてだが。
生傷や打ち身で体の節々が痛むが芳子はそれでも夕食を食べ始めた。みな、なかなかに美味しい。温かくもあるので体がほこほことなる。
「蓮花さん。今日は主上はいらっしゃるの?」
「えっと。今日も主上はお忙しいそうで。ゆっくりと休んでほしいと仰せでした」
「そう。わかった」
「ヨシコ様。夕食がお済みになったら怪我の手当てをしますね。今日も足や腕に打ち身や擦り傷ができていましたから」
「ごめん。お願いね」
「手当てくらいお任せください」
蓮花がそう言うと芳子は苦笑した。お粥を口に含みながらいつまで続くのかとため息をつくのだった。
夕食を終えてから蓮花は手際よく打ち身に湿布を貼り、包帯を巻く。擦り傷なども度数の高いお酒で消毒してから軟膏を刷り込んだ。しみて痛かったが文句は言わない。擦り傷や切り傷でひどい箇所も布を当てて包帯をまた巻いた。
「さっ。できました」
「ありがとう」
「どういたしまして。緋嚥にはもう少し手加減してくれるように言っておきますわ」
蓮花が言うが芳子は曖昧に笑うだけに留めた。
「まあまあ。緋嚥君もよかれと思ってやってくれてるんだから」
「わかりましたわ。ヨシコ様がそうおっしゃるのならあたくしからは言わないでおきます」
そうしてと言って立ち上がる。芳子はお休みなさいと挨拶をしてから寝室に入った。蓮花が心配そうに見ていたのには気づかなかったのだった。




