三章 蒼鴛と芳子の想い一
芳子は白苑に視線を合わせた。
白苑も気づいたのかこちらを見返してきた。だが、白苑は睨み返した。
「…あんた。あたしを見てどうするつもり?」
「白苑。あなたは私に主上の正妃にふさわしくないと言ってたね。私もそう思う。主上の正妃をやめられるならやめたいよ」
芳子は大きな声で言った。苑莱と緋嚥が驚きのあまり唖然とする。
「ヨシコ?!」
苑莱が問うような視線を寄越してきたが。芳子は悲しげに笑った。「主上。ごめんなさい。私には後宮での生活は耐えられない。あんな所に閉じ込められて一生を過ごすのは真っ平ごめんよ。しかも今日みたいに命を狙う人達もいたわけだし。だから、私を廃皇后にしてください。主上、幽閉したって文句は言いません」
芳子が言い終えると真っ先に行動を起こしたのは蒼鴛だった。
『芳子様!』
朱国語ではなく日本語で呼びかけられる。懐かしさに芳子は胸が傷んだ。
『蒼鴛さん。私、もう疲れたよ。元の世界に帰りたい』
苑莱や他の人達にはお構い無しに蒼鴛は芳子の前に立ち、彼女の両肩に手を置く。
「ヨシコ様。考え直してください。俺は行き方は知っていますが。戻し方はわからないんです。知っているとすれば、守護神の鳳凰様くらいなのです!」
「蒼鴛さん。じゃあ、私は旅に出たい。一人で行くから皆に迷惑はかけないよ」
苦笑しながら言ったが蒼鴛も玉座に座る苑莱もそれには反対した。
「駄目だ。ヨシコ、そなた一人で旅ができるほどこの世界は治安がよくない」
「主上のおっしゃる通りですよ。ヨシコ様、せめて一人くらいは護衛を付けてください」
二人が言うと芳子は拗ねたような表情になる。緋嚥も近づいて諭した。
「ヨシコ様。皇后になられるのが嫌だったんですね。だったら旅にわたくしと出ませんか。護衛くらいにはなりますよ?」
妖艶に緋嚥は微笑んだ。だが、白苑と李兵部尚書の二人が苑莱や蒼鴛に怒鳴りつけた。
「主上!いい加減にしてください!」
「そうよ。あたしたちを放ったらかしにしないでよ!」
二人の言葉に苑莱はこほんと咳払いをした。
「…さて。痴話喧嘩はいいとして。兵部尚書、嘘ばかりを言うな。そなたが白苑と手を組んでヨシコを殺そうとしていたのは確かなんだ。観念しろ」
「…ほ、本当にわたしは知りません。妹は嘘を言って…」
「衛士達。李兵部尚書と白苑を牢獄に連れて行け。沙汰は追って出す」
李兵部尚書に手枷と足枷が填められた。白苑と一緒に連れていかれた。
芳子は複雑な思いでそれを見送ったのだった。
翌日、芳子は緋嚥に妹の蓮花と他の女官達を紹介された。
「皇后様。初めまして。あたくしは楊蒼鴛と緋嚥の妹で蓮花と申します」
蓮花は蒼鴛によく似たすらっと背の高いとても美しい女性だった。緋嚥が赤銅色の髪に緑色の瞳なのに対して蓮花は濃い藍色の髪と薄い紫の瞳で落ち着いた印象に見える。顔立ちも優美な感じだ。
「初めまして。私は藤皇后ー藤野芳子というの。よろしく」
「あら。ヨシコ様とおっしゃるのですね。漢字で書いたらどんな字になるか後で教えてくださいましね」
「ええ。わかったわ」
芳子が頷くと蓮花はにこりと微笑んだ。
「皇后様。怖がらなくてもよろしくてよ。あたくしは白苑さんみたいにあなたを憎んだりしていませんから」
「…本当?」
「ええ。あなたが蒼鴛兄上を恋慕っていられるのは聞いていますの。それなのに主上の正妃になられたのですから。お辛かったでしょうに。けどあたくしが来たからには大丈夫ですわよ」
蓮花はにんまりと笑った。
「ヨシコ様。兄上にあなたが下賜されるように協力します。あたくし、兄上が悲しげな表情をするのはもう嫌でしてね。だから、緋嚥や兄上にお願いして後宮に上がらせていただいたのですわ」
「あの。蓮花さん、私は別に主上を嫌っているわけではないの。ただ、蒼鴛さんには迷惑を多大にかけたなと思っていて。だから、蒼鴛さんに対しての恋情はこれきりにするわ」
「ヨシコ様…」
「せっかく協力すると言ってくれたのにごめんなさい。ただ、私が本当に駄目になった時はここから連れ出してくれるかな?」
芳子は上目遣いをして蓮花に頼んでみた。蓮花は少し考えた後で答える。
「…わかりましたわ。ヨシコ様が本当に駄目だと思われたら。その時はあたくしや緋嚥、兄上がご一緒します。旅に出てもいいですしあたくしの実家で過ごされてもいいですわ。でしたら、兄上と再婚なさいまし。蒼鴛兄上にはお願いしておきます」
「れ、蓮花さん…」
ふふと笑いながら蓮花は芳子を引き寄せた。
「ヨシコ様。あたくしはあなたをお守りします。何者からもです。兄上がお慕いしているのですもの。きっと優しい方だと思っていました」
蓮花は芳子をそっと抱き締めた。ほのかに香の薫りがして芳子はどきりとする。蒼鴛の焚き染めていた香とよく似たものだったからだ。
緋嚥が割って入るまで蓮花は芳子を放さなかった。芳子の廃皇后の案は苑莱により却下されていた。
蒼鴛もそれには同意している。芳子は少しがっくりしていた。やっぱり蒼鴛は自分の事など好きではないのだ。芳子は失恋を味わっていた。ふうとため息をついたのだった。




