二章七
芳子が部屋の中に入ると金圭がすでに待ち構えていた。
「皇后様。どこで何をしていらしたんですか?」
「庭を散策していたんです。お花が綺麗に咲いていたから眺めていたの」
「そうですか。では、授業を始めます」
金圭の一言で芳子は背筋を伸ばした。厳しい授業が始まったのだった。
夕刻になり、夕餉が運ばれてきた。鶏の出汁がきいたお粥とワカメのスープ、水餃子が今夜の献立だ。割とあっさり系で食べやすい。側には白苑が控えている。彼女は穏やかに微笑んでいた。
内心では芳子を疑っていたが。暢気なものだと呆れていた。王も何故このような凡庸な女を正妃にしたのか。
冷めた目で見ていた。ヨシコは異世界から来たという事を除けば、平凡などこにでもいるような女でしかない。しかも、先々代の王妃の魂を引き継いだ人物にはとてもではないが見えるはずがなかった。
白苑は仕方ないとため息を小さくついた。まあ、いずれは大鎌を持ったあの男が現れるだろうから。
せいぜい、呑気にしておくといい。白苑はそうほくそ笑む。窓から蒼鴛の弟の緋嚥が覗いているとも知らずにいた。
緋嚥は外で夜のひんやりとした空気の中でなるほどと頷いた。これは兄に知らせる必要がある。白苑は後宮に入り込んだ間者だ。それに邪気を感じる。
(…皇后様に今のところは危害を加えてはいないけど。要注意人物になるな)
さてと登っていた木から静かに飛び降りる。空には満月がぽっかりと浮かんでいた。月光に照らされながら緋嚥は歩き出した。砂利を踏みしめながらも藤皇后が気付いてくれたらと思う。
とりあえず、陛下にも知らせて彼女に警告するのも一つの手だ。仕方ないと彼は思った。
蒼鴛が聞いたら激怒するだろう。何せ、蒼鴛はこの朱国でも三本の指に入るほどに武芸の達人だからだ。
将軍なのも見せかけではない。しかも、頭脳も優秀で切れ者ときた。武勇においては大将軍に負けない。
そんな兄と諜報員としては優秀な自分を敵に回すとは。白苑と手を組む男は運が悪い。緋嚥は無言でその場を立ち去った。
夜になり、芳子は寝室で手習いをしていた。手には筆が握られている。漢字の練習をしていた。
朱国では主に漢字が使われている。金圭に教わるようになってからそれを知った。さすがに中華風の国である。
扉が静かに開く音がする。後ろを振り返ると王の苑萊が佇んでいた。芳子は音がしなかったので驚きのあまり、固まってしまう。
「ヨシコ。こんな遅くまで手習いをしていたのか。風邪をひくぞ」
「…陛下。気付かなくてごめんなさい。夢中になっていて」
「かまわぬ。この国にそなたが馴染もうとしているのはわかっている。だが、無理は禁物だ」
苑萊は優しく微笑みながら言う。芳子は筆を置いて立ち上がった。手習いしていた半紙を片付ける。
硯にあった墨をどうしようかと悩む。すると、苑萊が貸しなさいと言った。
芳子は何の気なしに硯を渡した。苑莱は受けとると外へ出ていく。しばらくして戻ってきた苑莱はきれいになった硯を手に持っていた。
「とりあえずは水で洗ってきたが。これで良かったか?」
「えっ。はい、すみません。ありがとうございます!」
慌てて言うと芳子は硯を受けとる。傍らにあった布で水気を拭くと机に置いた。苑莱の手もよく見ると濡れていたので麻布で拭ってやる。苑莱は礼を言うと寝台に座った。着ていた衣装も少し濡れていたが彼は気にする様子もない。
仕方なく芳子は何も言わずに寝台に同じように座った。そうして眠りについたのだった。




