24-A
「……あくまで邪魔をするか」
アールは鼻で笑い、持っていた剣を地面に刺した。
「剣も持たずに私の前に立った勇気を称え、こちらも素手で相手をしてやる」
言って、拳を構える。
「倒れたら、剣でとどめを刺す。いつまで立っていられるか、見ものだな!」
「――!」
左頬に衝撃。首が右へ大きく揺れる。
「う……ぐ……」
口の中に鉄の味が広がる。脳が揺れたか、足がガクガクする。
でも私は、倒れない。
その後も、私はアールの固く大きな拳に殴られ続けた。
一撃食らうごとに、首が左右や上に振られ、足がふらつく。
腹に食らえば、衝撃と痛みで身体が折れる。
鼻や口からは血がとめどなく流れ、激痛のあまり涙も止まらない。
それでも、私は立っていた。
だけど、そこに私の意思は無い。
普通であれば、とっくに昏倒しているであろうボロボロの身体を支えているのは、私の意思ではない別の何かだ。
……これまでも、何度かこの感覚に助けられてきた。
その何かがまた、私に力を貸してくれている。
それが何なのかなんて、今はどうでもいい。
とにかく今は、その感覚に頼るしかなかった。
「くそっ! なぜ倒れん!」
「ぅげ……!」
強烈な一撃を私の顎にめり込ませながら、アールは叫ぶ。
「倒れろ!」
「ぅがっ」
「倒れろっ!」
「がぁっ……!」
「倒れろぉっ!」
「ごぅ……! がはっ……」
私の身体には、もう力は残っていないはずだ。
足なんか、ガクガクを通り越してぐにゃぐにゃだ。
でも、しっかりとした芯が通っている感覚が、確かにある。
視界は、ぼやけている上に赤色に染まっていた。
目の近くが切れて血が流れているんだろう。
顔中痛くて、どこが出血しているのかもわからない。
「このっ、いい加減に倒れろっ!」
「!」
苛立ち混じりの叫びと共に、アールは私に足払いを食らわせる。
そして、ぐらついた私の頭を掴み、投げた。
「うっ……がっ……」
どこに投げられたのかはわからない。
一瞬の後、背中から何かに衝突し、息が詰まる。
そのままズルズルと下に崩れていく私の身体。
……ぶつかったのは、建物の壁か。
「そこで寝ていろ。ハイディマリーを殺したら、すぐに後を追わせてやる」
地面から剣を抜き取ったアールが、建物の出入口へと向かっていく。
……行かせない。
動けっ、私の身体!
動かないはずの足が、私の身体を支えて立ち上がらせる。
歩けないはずの足が、一歩、二歩と動き、再びアールの前まで辿り着く。
「……いか……せ……ない……」
両手を左右いっぱいに広げる。
それに対してアールが狼狽したのは、一瞬だ。
「……ふん。余計な時間を食った。最初から斬り殺しておけば良かったのだ」
アールは冷たい眼光で私を射抜き、剣を構える。
「やはり、先にお前から片付けてやろう」
そして、振り下ろされる剣。
ここまでか……!
「やめてっ!」
「――!」
アールの動きが止まる。止まった刃は、目と鼻の先だ。
後方から聞こえたその声に、ぼやけた意識がわずかに目覚めた。
まさか、今の声……。
「……やはり、こちらにいらしたのですね、社長」
背後から近付いてきた足音は、私の横で止まった。
……どうして、出てきちゃったんだ。
「わざわざ出てきて下さるとは、足を運ぶ手間が省けましたよ」
剣を下ろし、談笑するかのように穏やかに喋るアール。
「あなたたちの狙いは、私でしょう? なら、私だけを殺しなさい。その子には、もう手を出さないで。……お願い」
何を、何を言ってるんだ。
早く逃げて! 殺されちゃうよ!
「それが、人にものを頼む態度ですかな? ん?」
勝ち誇ったように、余裕に満ちた口調のアール。
「……お願いします、アールさん。どうか、私以外は誰も殺さないで下さい」
やめて。そんなこと言わないで……!
肩に、何かが触れる。
「ありがとう、ティナ。もういいわ」
それがハイディマリーの手だと理解した直後、私の身体を動かしていた何かがプツリと切れ、その場に崩れ落ちるように座り込む。
「そうですな。私の目的は殺戮ではない。あなたさえ殺すことができれば、それでいいのです」
今すぐにでも、2人の間に割って入りたい。
ハイディマリーを守らなきゃいけないという意思はある。
だけど、もうそれに、私の身体がついてきてはくれなかった。
「いいでしょう。あなたを殺したら、ほかは全て見逃し、私は姿を消しましょう。それでいいですな?」
「……はい」
動かない身体。
だけど、その場に倒れることもなく、ただぺたんと座り込んでいるだけの私。
その視線の先で、しかしアールは剣を鞘に戻した。
何のつもりかと不審に思った次の瞬間、奴の凶行が幕を開ける。
「うっ!」
「――!」
アールの拳が、ハイディマリーの顔面を直撃した。
「あ……ぅぁぁ……」
ふらつき、鼻を押さえるハイディマリー。遅れて、血が滴る。
「支社長に頼まれていたのですよ。一撃で終わらせるのではなく、原型を留めぬほどに痛めつけてから殺せとね」
「あっ」
ハイディマリーの髪を掴み、さらに一撃。鈍い音と苦鳴と共に、彼女は尻餅をついた。
やめて……! やめてよ……!
「支社長は、常日頃から仰っていました。あなたの存在が気に入らない。特に、その綺麗な顔や髪が気に入らないとね。血で真っ赤に染めて、最も醜い姿にしてから、殺してやりたいとね!」
「う……あ……」
アールはまた彼女の髪を掴み、首を掴んでさらに持ち上げる。
「あ……あぐ……」
片手で軽々と持ち上げられたハイディマリーは、苦しげに足をばたつかせる。
「このまま絞め殺すのもいいが、それでは支社長の心は晴れんだろう」
そして彼女の首を掴んだまま、振りかぶって地面に叩きつけた。
「がっ……」
頭部から地面に激突したハイディマリーは、倒れたまま動かなくなった。
やめてっ! もうそれ以上は……!
「はははは。いいですな、赤く染まってきましたよ。白いからよくわかる。もっと綺麗に染まるよう、血を出させて差し上げましょう」
そう言うと、アールは倒れたハイディマリーに馬乗りになり、彼女の頭を掴んで地面に何度も何度も叩きつけ始めた。
血が飛び散る。
叩きつけられるたびに、ハイディマリーの身体が痙攣する。
しかし彼女は、もう苦鳴すら漏らさなくなっていた。
「おやぁ? まだ死んでもらっては困りますよ。まだ髪は染まりきっていないし、顔も潰していないのだから」
やめろ、……やめろぉ!
動いて! 私の身体、動いてっ!
「ん?」
その時、アールの動きが止まった。ハイディマリーから視線を外し、別の方向を見ている。
「……?」
何か聞こえる。これは、……馬車の音?
! もしかして……!
「あの馬車は、……警察か?」
ハイディマリーの上で立ち上がり、剣を抜くアール。
警察……?
「イルマが呼んだのか? やれやれ、邪魔はしないでほしいものだな」
どうして警察が? サイラスたちはどうしたの?
馬車の音は1台分ではない。2台、3台、とにかく何重にも重なって聞こえる。
それらはこちらに近付いてきて、すぐに止まった。
次いで聞こえるのは、複数の足音だ。
「アール・ラドフォード! 武器を捨てろ!」
……プライス警部の声だ!
よく見ると、確かに彼のものと思しき姿が、複数の人影の中にある。
「お前たちこそ武器を捨てろ。この女の頭を刺し貫いてもいいのか?」
アールは、剣の切っ先をハイディマリーに向けた。
卑怯だけど、警察の動きを止めるのにこれほど有効な手段は無い。
「ふん。お前たちはそこで、この女の顔が潰れていくのを見ているがいい」
そう言って、アールはハイディマリーの腕を持って引っ張り上げる。
このままじゃ、ハイディマリーが……!
「……?」
視界の隅で何かが動いた気がして、視線をゆっくりとそちらへ動かす。
ぼやけていた視界が、わずかに晴れる。
「……――!」
それを見た途端、私は叫んでいた。
「誰かいるっ! あそこっ!」
声が出た。
動かなかったはずの身体が急に動くようになり、私はある方向を指差した。
「なっ!」
動揺の声を上げるアール。警官たちもどよめいた。
アールを包囲している警官隊の奥、そこに並ぶ廃墟の一つ、その影で、誰かがこちらを覗いたんだ。
それは、ヘルヘイムの制服を身につけ、フードを目深に被った人物。
コートから覗くスーツのスカート。同じ格好のハイディマリーはここにいる。
だとしたら、あれは……!
「ヘルミーネだっ! 捕まえてっ!」
叫び、立ち上がる。と同時に拾ったナイフを手に、アールへ肉薄。
「追え! 確保しろおおおおっ!」
警部の声が突き抜ける。警官たちが廃墟の影に向かって一斉に動き出す。
「やめろっ! 動くなああああっ!」
叫ぶアール。
その死角で、私は走る勢いを乗せてナイフを投げた。
「ぐああっ!」
ナイフは、アールの左脇腹を深々と抉って抜けていく。
そのわずかな隙を逃さず、私は全力でアールに飛びかかった。




