#98 勝手に決めないでよ!
xyzでのワンマンを終えて最初の月曜日。
いつものように家事をひと通り終えたあと、5人はリビングのテーブルを囲んでいた。
綾坂の前にはノートパソコン。画面に表示されているのは、先日のワンマンで残った82万5000円と、それまでの繰越を合わせた現在残高だった。約130万円。
「じゃ、まずこれ」
綾坂が金額を入力する。
「最初に17万円。税金と、決算後の調整用に避ける。これは利益が確定するまで使わない」
「はい」
ヒナが迷わず頷いた。ヒナも税金に対してはそれなりに知識がついてきたようだ。
昔のように驚くことはもうない。
「入った82万5000円が、そのまま全部手取りではないですもんね」
「そういうこと、もう分かるよね。足りなければ追加するし、余ったら決算後に戻す」
17万円を税金用の別口座へ移す。残りは113万円。
「次。53万円は2年後の更新月用。これも別にして寝かせる」
「またすぐに同じ額を稼げるとは限りませんし、払えなければゲームオーバーですもんね。ここはプール一択ですね」
ヒナが強く頷く。リョウヘイがソファにもたれながら呟く。
「発酵して熟成しないかな」
ハルナが笑う。
「そんなパンみたいに増えないよ」
「2年寝かせるんだから、ちょっとくらい増えてほしい」
「むしろ物価上がったら足りなくなるかもね」
綾坂が言う。
「やめて。怖いこと言わないで」
ユイは身震いしている。
53万円を別に確保した。
残りは60万円。そこでユイが身を乗り出した。
「残ったお金は?」
「まずは家賃」
「だよねー」
20万円が家賃として持って行かれた。
残りは40万円。みるみる売り上げは減っていく。
「で、20万はlunatiの運転資金として残す」
綾坂が続ける。
「急なスタジオ代とか、交通費とか、グッズの材料とかあるからね。口座をスッカラカンにはできない」
「じゃあ……」
ユイが指を折りながら計算する。
「残り20万?」
「そう」
一瞬全員が綾坂を見る。綾坂は少しだけ笑った。
「今回は演奏、制作、運営の仕事料を、5人に同額で出そっか」
「きたー!」
ユイが両手を上げる。
「5人だから……」
ハルナが計算する。
「1人4万円だね」
「おお!」
「4万も貰えるんですか!?」
ヒナも嬉しそうに声を上げた。リョウヘイも笑う。
「久しぶりにちゃんと分配するな」
現在残高、約130万円。そこから17万円を税金などの調整用に隔離。53万円を、2年後の更新月用として隔離。家賃に20万円。lunatiの運転資金として20万円。そして残った20万円を5人の作業手当として分ける。1人、40,000円。
「はい。じゃあ1人4万円。ご苦労様でした」
綾坂が一人一人労いながらギャラを渡していく。
「大事に使いなよ、ユイ」
「もちろん!」
ユイが即答する。
「何買うの?」
ハルナが聞く。
「服!」
「貯金しなさい!」
4人の声がほぼ同時に飛んだ。受け渡しは進む。
「はいリョウヘイ、ご苦労様でした」
「4万か…新しいスネア欲しいな。いやシンバルも…」
「はいハルナ、ご苦労様でした」
「わぁ…!私もシンセ買っちゃおうかな…!」
「はいヒナっち、ご苦労様でした」
「こ、これでHelix買います!」
「これはウチの分」
「綾坂さんもご苦労様。何か買うの?」
ハルナは綾坂のお金の使い道が気になっている。
「うーん、ウチは服かな」
「そっか!いいね!」
「なんかアタシと対応違くない!?」
ユイは当然怒った。
それから1ヶ月ほど、lunatiとしてのライブは休みにした。大きなイベントの直後に、すぐ次のライブを入れても同じように客が集まるとは限らない。客側の金も時間も有限だ。だから今月はライブを増やすより、次へ繋げるための充電期間にする。
「この1ヶ月、SNSの方を頑張ろ。バンドに派手な動きがない時こそ、SNSでなるべる接触機会を増やしていこう」
「客は忘れっぽいからな」
リョウヘイは皮肉混じりに答えた。
綾坂の方針で、xyzのライブ映像を短く切って投稿。アルバム再現ライブの裏側。物販を作っている様子。新しいEPの曲。ヒナの演奏動画。ハルナの制作風景。リョウヘイのドラム。ライブをしないからといって、lunatiが何もしないわけではない。
むしろ次のライブまで忘れられないように、SNSを動かし続ける。
そして。lunatiが休みでも、ユイだけはライブがあった。
月末月曜日。アリノスの『FULL MOON』。
「じゃ、今日も練習する!」
ユイは変わらずアコギを抱えていた。以前なら綾坂に言われなければ練習を始めなかったのに、今では自分からギターを持つ。コードも増えた。ストロークも安定してきた。まだ上手いとは言えない。それでも、初めてFULL MOONへ出た頃とは比べものにならなかった。
「ユイ、それ動画撮ろうよ」
綾坂がスマートフォンを構える。
「今?」
「今。練習してるところ」
「失敗するよ?」
「失敗するからいいんじゃん」
「えっ?いいの?」
「『本番まであと5日』とか付けて出せばいいよ。完成したところだけ見せるより、練習してる過程見せた方がFULL MOON行ってみようって思う人もいるから」
「なるほど!」
その日から、ユイのギター練習もSNSに載るようになった。コードを間違えて止まる動画。歌に集中しすぎてストロークがおかしくなる動画。新しく覚えたコードに喜ぶ動画。
そして本番。FULL MOONのステージ。少しずつ上手くなっていく過程そのものが、次の動員へ繋がっていった。
そうしているうちに。気づけば1ヶ月の充電期間も終わり、カレンダーは次の月へ変わっていた。
いつもの月曜日のリビング。
「わあ!」
突然、ユイが大きな声を出した。
「きゃん!」
綾坂が肩を跳ねさせる。
「なによ!ビックリした!」
「見て!」
ユイはスマートフォンを握ったまま、綾坂の前へ駆け寄る。
「アタシ……貯金できてる!」
「は?」
画面を見せる。預金残高。そこには、7万円ほどの金が残っていた。
「……7万円?」
「そう!」
ユイは信じられないものでも見るように、自分のスマートフォンを見つめる。
だからなに?と、綾坂は言いそうになった。ユイは嬉しそうに報告を続ける。
「7万もある!」
「自分のお金でしょ…」
「すごい安心感!」
「貯金ってそういうものだからね」
ハルナも画面を覗き込み、嬉しそうに笑った。
「頑張ったねユイちゃん!すごい!」
綾坂がハルナを見る。
「感想が親なんだよ……ハルナ」
「だって前のユイちゃん考えたらすごいことだよ!」
「そうだけど」
ユイは満足そうにスマートフォンを胸へ抱える。
「アタシ、生まれて初めてちゃんと貯金してるかも!」
「そ、それはそれで…怖い発言ですね」
ヒナが言う、そして。
「実は私も、今月は同じくらい残せましたよ!」
「ヒナも!?」
「はい!」
2人は勢いよくハイタッチして喜びを分かち合った。
ヒナの方には、今月の収入から税金用の金と生活費を分けたあと、約7万円が残っていた。
これまでの貯金とは別だ。配信収入が安定し始め、lunatiから活動費を出せるようになり、必要以上に金を使わなければ、少しずつ手元に残るようになっていた。リョウヘイは2人を見ながら笑う。
「おお。みんな安定してきたな」
2年前。生活費すら危なかった頃からすると考えられない。今は少しずつでも、金が残っていく。
そこでリョウヘイはユイを見る。
「ユイ」
「ん?」
「もうバイト、もう1日くらい減らせるんじゃないか?」
ユイはアリノスで週4で働いている。
更にはFULL MOONの収入。作詞印税。lunatiからの収入。そしてこれからは、アルバムの収益が家賃の一部を支えてくれる。以前より、生活に必要な金は確実に少なくなっている。
ユイは少し考えてから。
「それなんだけどさ」
スマートフォンをテーブルへ置いた。
「アタシも、リョウヘイと一緒でほぼ完成したと思う!」
リョウヘイは少しだけ目を細めた。ゆっくり笑う。
「詳しく聞かせてくれよ」
「えっとねぇ……」
ユイは少し照れたように頬を掻いた。
「この前リョウヘイが言ってたみたいにさ」
一度、言葉を選ぶ。
「アタシもライブハウスの仕事、好きだから続けたい」
「うん」
「マキさんにめっちゃこき使われるけど」
「それは諦めろ」
「でもメチャクチャ楽しいんだよね」
ユイは楽しそうに笑った。
受付に立つ。ドリンクを作る。客と話す。出演者の物販を手伝う。転換を手伝う。ライブが始まれば、すぐ近くに音楽がある。以前のように、興味のない仕事を時間が過ぎるまで耐えているわけではない。
「それにさ」
ユイは続ける。
「安定した収入源があるの大事って、今は分かるし」
リョウヘイが少し驚いたようにユイを見る。
「収入も毎月絶対同じじゃないもん。FULL MOONだって投げ銭多い月と少ない月あるし、lunatiだってライブによって違うし」
「そうだな」
「でもバイト代は働けばちゃんと入る。これは凄いことなんだって、最近になって分かった」
ユイは自分の預金残高をもう1度見る。
「このまま今の生活回してけば、ちょっとずつだけど貯金もできる」
少し間を置いて笑った。
「アタシも、それで十分だって分かった。安心して音楽ができれば、それでいい!」
リョウヘイは何も言わず、ユイを見る。綾坂が穏やかに続けた。
「今後はアルバムも家賃の一部を払ってくれるからね。今までより固定費も減るし、ちゃんとやればさらに貯金できると思うよ」
「うん!」
ユイが大きく頷く。そして何でもないことのように笑った。
「だからいっぱい貯金して、lunatiに何かあったら今度はアタシが助けるんだ!」
「…………」
リョウヘイが黙った。ヒナが首を傾げる。
「リョウヘイさん?」
ハルナがリョウヘイの顔を見る。
「え! え! うそ! なんで!?」
「なに?」
ユイも見る。
リョウヘイは俯いていた。目元を手で押さえている。
「……泣かせるなよ」
声が少しだけ震える。
「おじさん……感動しちゃったよ……」
「えええ!?」
ユイが叫ぶ。
「なんで泣くの!?」
「だってお前……」
リョウヘイは笑いながら目元を拭う。
「2年前なんてバイトすぐクビになって、金ない金ないって騒いでたじゃん……」
「今その話しないでよ!?」
「貯金なんて絶対できないと思ってたのに……」
「失礼極まりない!」
「それが今、バンドに何かあったら自分が助けるとか……」
もう1度、目元を拭う。
「立派になったなぁ……」
「だから親なのよ!」
ユイまで少し恥ずかしそうになっていた。綾坂は珍しいものを見るようにリョウヘイを眺めている。
「リョウヘイが泣いてるところ、初めて見たかも……」
「見んなよ」
「いや見るでしょ」
ヒナもじっと見ている。
「本当に泣いてます」
「実況すんな」
ハルナは横で既に少し目を潤ませていた。
「私もなんか泣きそう……」
「ハルナまで!?」
ユイが慌てる。
「なんなの今日!」
「ユイちゃんがいいこと言うからだよぉ……」
「普通のこと言っただけじゃん!」
少ししてユイは笑いながらも、また真剣な顔になった。
「アタシさ」
4人を見る。
「もうビッグになりたいとか、メジャーとか、フェスとか……前ほど気にならなくなったんだよね」
誰も口を挟まなかった。ユイはゆっくり続ける。
「大事なのはlunatiを続けること。大切なものを、大切な人と守っていくことだって、分かった」
少しだけ視線を落とす。
「ビッグになろうとすると、きっと今ある何かを差し出さなきゃいけない。でもアタシ……今あるもので十分幸せなんだって、今なら分かる」
リョウヘイは静かに頷いた。
「そうだな。求めるなら、何かを差し出さなきゃいけない。でも今あるものを大きくしていくだけなら、きっと失うものも少ない」
ユイがすぐにリョウヘイを見る。
「そう、それ」
ハルナも静かに頷いた。
「うん。私も今ならよく分かるよ」
「音楽で生きていくって、言葉よりももっと複雑ですもんね」
ヒナも言う。
綾坂は少し笑った。
「みんな実体験に基づいたデータがあるからね」
「データって言い方すると急に冷たい!」
ユイが笑う。少しだけ空気が戻る。
「もちろん、上を目指す姿勢ではいるけどね!」
ユイは明るく続けた。
「でも急いでない。死ぬまでに間に合えば結果オーライだから!」
「長期計画すぎるだろ」
リョウヘイが笑う。
「でも、まあ……そうだな。なるべく売り上げは伸ばしたいな」
少し考えて。何気なく続けた。
「俺もいつかはここ出て、1人暮らししたいし」
「えっ……」
ハルナの笑顔が止まった。
「……1人暮らし」
ヒナも固まる。リョウヘイだけが、その反応の意味を分かっていない。
「そう。いつまでもこの家ってわけにもいかないだろ?」
「こ、この家の何が不満なの!?」
ハルナが突然声を上げた。
「え?」
リョウヘイが驚く。笑いながら続ける。
「いや、不満とかじゃなくてさ。女の子4人いて男1人って生活、普通に考えたらおかしいじゃん?みんなも女同士の方がやりやすいだろ?」
「おかしくないです!」
ヒナが食い気味に否定する。
「全然おかしくないです!何を言っているんですか!意味分かんないです!」
「な、なんで怒ってんの……?」
「怒ってません!」
「怒ってるじゃん……」
ユイも眉を寄せる。
「っていうか1人暮らししたら、もっとお金かかるじゃん!ここならスタジオもあるのに!」
「いや、ドラムは叩けないし……」
「そういう話じゃない!」
「えぇ……」
リョウヘイは困ったように頭を掻く。
「金かかるのは分かってるけどさ。でも、みんな俺いない方が楽だろ?」
「「勝手に決めないでよ!」」
声が重なった。
綾坂とハルナ、2人とも同時だった。
2人は椅子を飛ばしながら立ち上がり、リョウヘイを睨みつけながら抗議している。
「……え?」
リョウヘイが目を丸くする。綾坂はブチギレていた。
「何言ってんのよ!むしろアンタがいないと!」
そこまで言って止まる。
「アンタが……いないと……」
言葉が続かない。さっきまで強かった声が、急に弱くなる。
「……困るじゃん。いろいろ……」
綾坂の目が少しずつ潤む。
「なんでそんなこと言うの……」
「綾坂…」
「う……うぅ……ぐず」
そのままリョウヘイへ近づき、胸元へ抱きついた。
「ご、ごめん綾坂」
綾坂は何も言わず、リョウヘイの肩を掴んでいた。
ハルナも悲しそうに眉を下げる。
「リョウヘイくん、気を使いすぎだよ……」
「ハルナ……でもさ」
「優しいのは嬉しいけど……そうやって私たちが楽になるようにって、勝手にいなくなられる方が……とっても悲しい」
リョウヘイは何も言えなかった。ヒナも真剣な顔で続ける。
「リョウヘイさんがいなくなったら、みんなで夜更かししてゲームできないじゃないですか……」
「そこかよ」
「大事な事です。私にとっては大事な時間なんです」
「そうか……」
最後にユイ。少し寂しそうに笑った。
「出ていきたいなら、アタシは止めないよ」
リョウヘイがユイを見る。
「でも……いてほしいよ」
短い言葉だった。でもそれだけで十分だった。
リョウヘイは、自分が根本的に勘違いしていたことにようやく気が付いた、
4人のために出ていく。そう思っていた。でも4人は、そんなことを望んでいなかった。
女4人と男1人。普通かどうかなんて、もうどうでもいい。
2年間。一緒に飯を食って、掃除をして。ゲームをして、練習して。ライブへ行って、金がなくて悩んで。少しずつ生活を作ってきた。
この5人で暮らすこと自体が、いつの間にか日常になっていた。リョウヘイは胸元で泣いている綾坂の頭を、困ったようにそっと撫でる。
「……分かった」
「ホント…?ホントに分かったの…?」
泣き止んだ綾坂が顔を上げる。
目元が赤くなっている。
「うん。少なくとも、勝手には決めないから」
「絶対だからね……」
綾坂は掠れた声で願った。
普段プライドの高い彼女がこんな姿を見せるとは、リョウヘイは思わなかった。
ハルナも念を押す。
「ちゃんとみんなと相談してね」
「ああ、分かったよ」
ヒナも頷いた。
「多数決にしましょう」
「それ俺絶対負けるじゃん」
「はい、負けてください。バンドの総意なので」
「八百長じゃん」
ユイが笑う。
「じゃあしばらく5人暮らし続行ね!」
「しばらくっていうか、出ていける気しなくなってきたな……」
「それでいいじゃん!」
また笑い声が戻る。
大切なものを、大切な人と守っていく。
ついさっきユイが言った言葉。それが何を意味するのか。リョウヘイも、少しだけ分かった気がした。




