#97 SHIBUYA xyz
8月某日。
ライブハウス渋谷xyz。
キャパシティは200人。
ステージへ上がったユイは、まだ誰もいないフロアを見渡して両手を広げた。
「広ーい!」
声が少し響く。アリノスより明らかに広い。ステージも大きい。客席の奥行きも違う。まだリハーサルの段階だというのに、5人とも少し浮ついていた。
それも仕方ない。今日のチケットは、前売りの段階で200枚すべて完売。SOLD OUT。4ヶ月前に決めた勝負のワンマンは、開演前に最初の目標を達成していた。
「ホントに200人来るんだよね……」
ハルナが客席を見ながら呟く。まだ前売りの段階でノルマをクリアできているのを信じられない様子だった。
「ほぼ来るよ。200枚先に売ったんだから。先にお金はもらってるから来なくても払い戻しはないよ」
ステージの足元のモニタースピーカーから、音響卓の綾坂の声が返ってくる。
「ステージから見るとかなり広く見えますね」
ヒナもステージの端から客席を眺めていた。映画館のような階段状のフロアを見つめる。
ユイが嬉しそうに振り返る。
「前はリョウヘイがズルしたから、実質100人くらいだもんねー!」
「ゲストはズルじゃない」
ドラムセットの後ろからリョウヘイが即答した。
「ゲストいっぱい呼んだじゃん!」
「呼べる客を呼んだだけだろ」
「それをズルって言うの!」
「言わねぇよ、客は多い方がいいだろ」
ハルナが笑う。
「でも今回は本当に200人がチケット買ってくれたんだよね」
「そうですね。GREAT ROCKの宣伝協力もありましたし」
ヒナが頷いた。
今回、宣伝にはかなり金と時間を使った。普段のライブで告知するのは当然。ユイは毎月のFULL MOONでも宣伝。ヒナは配信や切り抜き動画。ハルナはSNSで、2年前のアルバム制作時の話や曲について投稿した。綾坂は昔のライブ映像やレコーディング時の素材を掘り返し、短い動画へ編集。
さらに今回は、GREAT ROCKにも宣伝を仕事として依頼した。
2年間lunatiを見てきた相手だからこそ、説明が早い。どの素材を押すか。どの投稿へ広告を乗せるか。反応が出始めた動画へ、どこまで追加で予算を入れるか。昔のアルバムをどう掘り起こすか。
lunati側でも投稿や素材作りを続けながら、広告運用やプロモーションの一部をGREAT ROCKへ任せた。反応の薄い投稿は止める。少し伸び始めたものへ追加で投資する。
この4ヶ月で、委託とSNS広告を合わせた宣伝費は12万円。昔なら絶対に使わなかった金額だった。
だが、その結果が目の前にある。200枚完売だ。
「じゃあ頭から確認するよ」
綾坂の声がモニターから聞こえる。リョウヘイがスティックを構えた。
「了解」
リョウヘイのカウント。一斉に音が鳴る。
広い空間へ、lunatiの音が抜けていく。アリノスとは違う。音が遠くまで飛ぶ。返ってくる響きも違う。
「うわ、楽しい!」
ユイが歌いながら笑う。
「まだリハだからね、喉を使いすぎないで」
綾坂が返す。それでもリョウヘイも笑っていた。本番前から、もう楽しい。
今日やるのは、2年前に出したフルアルバムの完全再現。1曲目から最後まで。曲順もそのまま。
ただし、演奏するのは2年前のlunatiではない。2年分上手くなった、今のlunatiだ。
ーーーーーーーーーーーーーーー
そして夕方になる。
ライブハウスxyzが開場。楽屋まで客席の声が聞こえてくる。
ユイが扉の隙間から何度もフロアを覗いていた。
「めっちゃいる……」
「だから200人来るって言ったでしょ?何度言えばわかるの?」
綾坂が機材を確認しながら言う。
「数字で見るのと実際に見るのは違うの!」
前から後ろまで人。lunatiのTシャツを着ている客も多い。2年前には存在しなかったグッズまで、客席のあちこちに見える。自分たちがこの2年間で作ってきたものが、目の前に並んでいた。
開演。照明が落ちる。大きな歓声。4人がステージへ出た。音響卓には綾坂。ユイがマイクを掴む。
「こんばんはー! lunatiです!」
歓声が返ってくる。
「今日は2年前に出したフルアルバムを――」
一度止める。
「最初から最後まで、そのまんま全部やりまーす!」
拍手。
「2年前からlunati知ってる人ー!」
客席のあちこちで手が上がる。
「おお! 結構いる!」
ユイが嬉しそうに見る。
「じゃあ最近知った人ー!」
今度は、それ以上の手が上がった。
「多っ!」
客席から笑いが起きる。
「じゃあ今日は、昔から知ってる人は懐かしんで! 最近知った人は、こんな曲もあったんだって思って帰ってください!」
ハルナが横から声を飛ばす。
「普通にいいMCするね、ユイちゃん」
「でしょ?」
「2年前より成長してるよ」
「何それ!」
客席からまた笑いが起こる。
2年前。まだ小さなステージで必死だった頃と同じような掛け合い。でも目の前にいる人数は、まるで違う。
「それじゃ、みんな準備はいい!?」
ユイがベースを高く掲げて客を煽る。
歓声と拍手で答えるフロア。
リョウヘイがカウントを出した。1曲目。アルバムと同じ順番で、ライブが始まる。ユイが歌う。ヒナのギター。ハルナの鍵盤。リョウヘイのドラム。そして綾坂が、フロアへ音を届ける。
アルバムの中には、ユイだけがメインボーカルを取る曲ばかりではない。数曲進んだところで、ハルナがマイクの前へ出た。
「次、私が歌います!まだまだ楽しんでいってください!」
歓声。ハルナがメインボーカルを取る。ユイとハルナが交互に歌う曲もある。2人の声が重なる曲。ヒナのコーラスが入る曲。今ではライブであまりやらなくなった曲まで、次々に蘇っていく。
2年前は正直演奏するだけで必死だった。
難しいフレーズ。慣れない展開。音を外さない。テンポを崩さない。曲を成立させる。
それだけで精一杯だった部分もある。
でも今はたくさんの余裕がある。客席を見る余裕。音を楽しむ余裕。その場で少し遊ぶ余裕まである。ヒナがアルバムにはないフレーズを一瞬だけ差し込む。リョウヘイが即座に拾いフレーズを広げていく。ハルナもコードをギリギリのところまで攻める。その変化をユイが気付いて笑う。
2年前の再現ライブ。なのに、2年前とまったく同じにはならない。同じ曲を、2年後のlunatiが鳴らしている。それでよかった。むしろ、それが今日の意味だった。
最後の曲。リョウヘイが大きく振りかぶる。最後の一撃。音が切れた。
一瞬の静寂。そして大歓声が返ってくる。
「ありがとうございましたー!」
ユイが両手を上げる。200人。満員。2年前に作ったアルバムが、200人の前でもう1度大きく鳴った。
ライブが終われば、次は物販だった。
今回のために大量に準備した。Tシャツ。タオル。アクリルキーホルダー。旧グッズ。そして、新作EP。綾坂が考えた、小さなキャンバス型の音源グッズ。裏の個別コードから新作EPとパート別音源をダウンロードできる、本人曰く「現代版CD」だ。
正直、どれだけ需要があるのかは誰にも分からなかった。だが。
「綾坂!」
物販に立っていたユイが楽屋にキャンバスの最後を補充しに来た。
「キャンバスめっちゃ出てる!」
汗だくで叫ぶユイ。
「でしょ!?」
綾坂がすぐに反応する。
「だから言ったじゃん! 絶対売れるって!」
売り上げは予想以上だった。新しいEPを聴きたい客。楽器をコピーするためにパート別音源が欲しい客。そして、意外に多かったのがジャケットそのものを手元に置きたいという人だった。
配信では、ジャケットはスマートフォンの画面に表示されるだけ。CDを買わなくなっても、好きな作品のジャケットくらいは物として持っていたい。
小さなキャンバスなら、そのまま部屋にも飾れる。音はスマートフォンで出せてジャケットは手元で見れるのがウケるようだ。
Tシャツも売れた。タオルもアクキーも。旧グッズも少しずつ出ていく。
200人SOLD OUT。その人数が、そのまま物販の強さにも繋がった。
物販は全員で対応したことで一時間以上に及んだ。
物販を買い、そのままサインを書いたり話したり写真を撮ったり最大限サービスした。
「疲れた…ライブより疲れた」
物販でヘトヘトになったユイとハルナがソファでグッタリしていた。
「全員相手してたらキリがないね…」
「2人とも、お疲れ様。精算行こうか」
「いくー!」
綾坂の「精算」の言葉にユイは強く反応した。
そして終演後の精算タイム。今回は5人全員でxyzの事務所へ向かった。
テーブルを囲み、綾坂が精算表をノートパソコンへ打ち込んでいく。
「じゃ、今回の数字見よっか」
前売りチケット4,000円。
着券200枚。チケット売上。800,000円。
「80万……」
ユイが数字を見てポカンとしている。まだ理解が追いついていない。
「でも今回はプレイガイドに委託してるから、そこから8%の手数料が引かれるよ」
綾坂が経費を入力する。チケット販売手数料。64,000円。
「8%か。そこそこ持ってかれるな」
リョウヘイが悔しそうに言う。
「相場だよ。チケットだけの売り上げなら、ここで73万6000円。ここから更にホールレンタル代が引かれる」
さらに数字が追加される。xyzホールレンタル代は220,000円。
「……22万円!?」
ヒナが画面を二度見した。
「高いです!シェアハウスの家賃一ヶ月分じゃないですか!やりすぎです!」
「祝日の渋谷で200人キャパだからね。こればっかりは仕方がないよ、怒んないで」
綾坂はヒナをなだめた。
「でもアリノスでワンマンした時は、こんなの払ってませんでしたよね?」
「払ってないよ。アリノスはギャラを折半でやってくれてる」
綾坂は精算表を指差した。
「アリノスはホールレンタルじゃなくて、チケット売上を店と分ける条件だったから」
「違うんですか?」
「うん。アリノスはノルマを超えた分のチケット代を折半する形だったでしょ。だから客が少なければlunatiの取り分も少ないけど、最初から何十万って箱代を固定で払う必要はない」
ハルナが22万円の数字を見る。
「じゃxyzは、お客さんが多くても少なくても?」
「22万」
綾坂は目の前でダブルピースした。
「100人でも?」
「22万」
「10人でも?」
「22万!」
ユイが顔を引きつらせた。
「怖っ!」
「だから今回はチケット代も4,000円にしてるの」
綾坂が言う。
「固定で箱代がかかる分、いつもの対バンより高く設定してる」
リョウヘイが頷く。
「逆に200人埋められれば、その後は売った分がこっちに残りやすいってことだな」
「そういうこと。満員にできるなら、ホールレンタルの方が強い場合もある」
ヒナはようやく納得したように頷く。
そしてもう1度数字を見る。
「でも22万円は高いです。やりすぎです」
「それはそう。でも言っても仕方ないから。次は物販ね」
綾坂も苦笑いする。
続いて物販。Tシャツ。タオル。アクリルキーホルダー。キャンバスCD。その他のグッズ。
それぞれを集計していく。物販売上は655,000円。
「65万5000円!?」
ユイが身を乗り出す。
「物販だけで!?エグい!」
「キャンバスが予想以上だったね。150個は売れたもんね」
ハルナが物販で手渡しした回数を思い出している。
綾坂は得意げに胸を張る。
「ウチが欲しい物は売れる。ウチが一番lunatiのファンだし」
「確かに、その理論なら間違いないか」
リョウヘイが言う。確かに綾坂は身内でもあるが、ファン代表でもある。
「まとめると…」
今回の総売上。
チケットバック800,000円。
物販655,000円。
合計売り上げ1,455,000円。
「145万5000円……」
ユイがゆっくり読む。ヒナも目を丸くした。
「す、すごいです……」
「売上だけ見ればね、問題はここから」
綾坂が言う。
ハルナも何が起こるか、もう分かっている
「ここから経費を差し引くんだよね」
今回差し引く経費は3つ。
チケット販売手数料64,000円。xyzホールレンタル220,000円。そして宣伝費120,000円。
「宣伝だけで12万!?」
ユイが数字を見て驚く。
「今回はかなり使ったからね。おかげで200人呼べたようなもんだよ」
綾坂が答える。
「それに今回はSNSの広告費だけじゃなくて、GREAT ROCKにも宣伝を頼んでる」
「GREAT ROCK?」
ハルナが聞き返す。
「うん。リールの広告をどこに出すかとか、どの動画に追加で予算入れるかとか。昔のアルバムをどう掘り起こすかも含めて、まとめて手伝ってもらった」
ユイが首を傾げる。
「でもGREAT ROCKとの契約、もう終わるんでしょ?やってくれるんだ」
「もちろんタダでやってもらってるわけじゃないよ」
綾坂が笑う。
「今回は普通に仕事として頼んだの。2年間lunatiのこと見てるから、知らない会社に1から説明するより話が早いしね」
リョウヘイも頷く。
「契約切れたらサヨナラってわけじゃないもんな」
「そういうこと。それに今回のライブはまだ契約期間中だから、ここで昔のアルバムの再生が増えれば向こうにも利益あるし。かなり協力的だったよ」
「なるほど……」
ヒナが納得したように頷いた。
「前にもらった100万円から出してるわけではないんですか?」
「それはもう2年前に使い切ってるよ」
綾坂が答える。
「アルバムの制作自体はウチらでやったから、あの100万円はMV制作50万円とプロモーション50万円。撮影したり、告知回したりしてたら全部なくなった」
「じゃあ今回は完全に別。新規案件なんですね」
ヒナが頷く。
「そう。今回はlunatiのお金から、新しく宣伝費として12万円」
「自腹!」
ユイが言う。
「バンドのお金ね」
「ルナ腹!」
「変な言葉作らないで」
綾坂は続けて数字を入力する。
「でも、その12万使って200枚売り切れたなら、結果としては悪くないでしょ」
リョウヘイが笑う。
「昔なら宣伝に12万使うなんて絶対無理だったけどな」
「ね」
綾坂も少し笑った。
「今は金を使わないことより、使った金以上に戻せるかを考えられるようになったから」
さらに経費が続く。
Tシャツ、タオル、アクキー、キャンバスCDなどの制作原価。168,000円。
フライヤー、梱包材、消耗品。13,000円。
物販のキャッシュレス決済手数料。18,000円。
車両、交通費、追加スタッフ費。27,000円。
残りは825,000円。
「……82万5000円」
ハルナが呟いた。
「めっちゃ残った!」
ユイが叫ぶ。ヒナも嬉しそうに数字を見る。
「この前の53万円を引いても、まだ残りますね」
「一発で回収できるライブを作るまで、2年かかったけどな」
リョウヘイが笑う。綾坂は電卓を叩いた。
「売上145万5000円に対して、経費63万円だから……だいたい43%」
「半分近くは経費ですね。利率だけで言えばあまり良くありませんね」
ヒナが正直な感想を言う。
「うん。でも逆に約57%は残った。ただし、これは税金をよける前で、5人の作業料もまだ0円として見た数字」
リョウヘイが頷く。
「箱に22万。宣伝に12万。物販も大量に作った。それでも82万5000円残るなら十分だろ」
「かなりいいと思う」
綾坂も頷いた。
「今回はちゃんと金使って、ちゃんと回収できたね。バンドが成長して売上7、経費3ぐらいのバランスになればもっと良くなりそうだね」
昔は金を使わないことばかり考えていた。
安いスタジオ。少ない在庫。自分たちで作れる物は、自分たちで作る。少しでも支出を減らす。それが最優先だった。今は違う。宣伝に金を使い、大きな会場を借りる。
売れると思った物販を先に大量に用意して、金を使って、それ以上の金を戻す。
今回の売上145万5000円。約43%が経費。約57%。
税金や今後の分配を決める前の段階で、82万5000円がlunatiに残った。
さらに今日のライブをきっかけに、2年前のアルバムを聴く人が増えれば。その再生収益は、明日以降も続く。リョウヘイが笑う。
「ライブ終わっても、まだ稼いでくれるんだよな」
「うん」
綾坂も笑った。
「そっちは家賃の一部担当」
「頑張れアルバム!家賃の為に!」
ユイが拳を上げる。
2年前に出したアルバム。
それをもう1度売るために開いたライブ。
200人を集め、グッズを売り、新しいEPも届けた。そしてライブが終わった後も、昔の音源がこれからの生活を支えていく。
この日のライブをきっかけに、lunatiの生活はどんどん安定へと向かっていくのであった。




