#92 ユイ、アコギ練習中
ユイがアコギをもらってからも、lunatiの活動が止まるわけではなかった。
むしろ、以前より忙しい。
週末になればライブへ出る。その合間にリハーサル。リョウヘイはドラム講師、ハルナは作曲、ヒナは配信、綾坂はアリノスと外注のオペレーター。そしてユイは工場のバイト。
5人とも、それぞれの仕事をしながらlunatiを続けていた。そこへユイだけ、新しくアコギの練習まで加わった。
どんな日でも、一日2時間は必ずギターを弾いた。バイトが休みなら昼間から。ユイは空いた時間を見つけるたびにアコギを触った。
最初は1つのコードを鳴らすだけで精一杯だった。
右手を意識すれば歌が止まり、歌えばストロークが崩れる。同じ弦楽器でも、ベースとはまるで勝手が違う。
唯一の救いは、ベースで鍛えられた指の皮が切れないことぐらいだった。しかし血は出なくても、痛いものは痛い。
指のあちこちが痛いと騒ぎ、アドバイスをくれるバンドメンバーには文句を垂れ、それでも翌日にはまたギターを抱えた。同じコードを何度も繰り返すうちに、潰れていた弦が1本ずつ鳴るようになっていった。
もちろん、アコギばかり弾いていたわけではない。ライブになればユイはいつものベースを持って、lunatiとしてステージへ立つ。ヒナのギター。ハルナの鍵盤。後ろにはリョウヘイのドラム。4人で鳴らせば、身体は勝手に動く。
何度も繰り返してきた音。何度も立ってきたステージ。今ではライブをすること自体に、ほとんど緊張はなかった。
「ありがとうございましたー!」
ライブを終え、汗だくのまま楽屋へ戻る。
「よーし、清算して打ち上げだー!」
ユイがベースをケースへ入れていると、綾坂が横から声をかけた。
「家に帰ったらまずギター練習ね」
「え、帰ったらまずお風呂…」
「じゃ、お風呂出たら練習ね」
「今日ぐらいは休ませてよ!」
「30分だけね、手が乾いたら練習ね」
「鬼!」
リョウヘイが何か違和感を覚えた。
「なんか詰め込み過ぎてないか?ゆっくりやらせとけばいいだろ」
「基礎は早めに作っといた方がいいよ。熱があるうちに習慣に馴染ませなきゃ…」
綾坂はそれだけ言った。何か焦っているようにも見えた。特別、期限なんてないのに、かなりハイペースでレッスンを進めている。
ユイはぶつぶつ文句を言いながらも、帰れば結局アコギを抱えた。
この日、ユイは初めて綺麗にFを弾けた。
1ヶ月。さらに数週間。
気づけば、アコギを始めてもうすぐ2ヶ月になる。最初とは比べものにならないほど、音はまともになっていた。簡単なコードならすぐ押さえられる。
コードチェンジも、曲を止めずに繋げられるようになった。歌いながら弾いても、以前ほど右手は止まらない。
もちろんまだ上手くはない。難しいコードは簡単な形へ逃げるし、ストロークも少し揺れる。それでも、何曲かは最初から最後まで通せるようになっていた。
ある日のlunatiのリハ後。帰宅したユイはいつものようにアコギを構えていた。1曲を通して歌いながら弾いてみる。
「うん、もう1回。やり直し」
綾坂が言う。
「えぇー!!よかったじゃん今の!!」
「サビ前で走って、コードもぐちゃぐちゃだったよ。すぐ熱くなるんだから」
「ちょっとくらいいいじゃん!」
「1人で弾いたら全部バレるよ。いつもみたいに周りが助けてくれるわけじゃないんだよ」
「確かに…ドラムもいないし誤魔化せない。バンドってこんなにも優しかったんだ……」
ユイが遠い目をする。
「後ろでリョウヘイが全部どうにかしてくれてたんだ……」
「ん?ああ」
ソファに座っていたリョウヘイがテキトーに返す。あまり話を聞いていなかった。
ヒナが首を傾げた。
「でも実際、リョウヘイさんかなり合わせてくれてますよね。メンバー全体のリズムのブレや違和感は全部無かったことにしてくれます」
「ドラマーってのはそういう仕事なんだよ。気にすんな」
ハルナはユイに優しく語りかけた。
「弾き語りだと、歌もギターもテンポも全部自分次第だもんね。私はさっきの演奏良かったと思うよ」
「弾き語りって孤独だね。アタシやっぱりバンドが好き、1人は寂しい」
「でも稼ぎたいんでしょ」
綾坂に言われ、ユイはアコギを抱え直す。
「……ギャラ総取り…!」
「バカ…」
もう1度、最初から弾く。
綾坂からのアドバイスを受けて、なるべくクールに弾いてみた。今度は止まらなかった、最後のコードを鳴らす。
綾坂が小さく頷いた。
「うん。やればできるじゃん!これなら間に合うね」
「なにが?」
ユイが聞き返す。
「ライブ」
「……ライブ?」
「うん」
綾坂はスマートフォンを取り出した。
「今月末の月曜日。アリノス」
ユイの動きが止まる。
「lunatiの!?き、聞いてないよ!?」
「違うわよ、アンタの初ライブ」
「……へ?」
ユイは画面を見せられる。イベントのフライヤーの画像があった。
月末の月曜。弾き語りイベント『FULL MOON』
出演者欄には、しっかりと『木下ユイ』が載っていた。
「えええええええええ!?」
防音室に絶叫が響いた。
「ちょちょちょ!!何勝手に決めてんの!?」
「そろそろ出てもいい頃かなって」
「事前に相談してよ!」
「事前に相談したらチキるでしょ」
「チキらせてよ!」
リョウヘイが爆笑しながら綾坂のスマートフォンを覗き込む。
「いつ?みんなでユイの晴れ姿見にいこうぜ」
「ライブは2週間後の月曜日」
「2週間!?」
ユイがさらに声を上げる。
「すぐじゃん!せめて1ヶ月前には言ってよ!」
「一ヶ月前のアンタじゃ、きっと断ってた」
「あ…」
ユイは過去を思い返した。確かに、その頃の自分はまだコードを覚えているところだった。出演どころではない。
綾坂は平然としている。
「待ち時間は15分。今まで練習してきた3曲でいいよ」
「3曲……」
ユイがアコギを見る。lunatiなら何度ライブをしても怖くない。でも、1人。ギター1本。間違えれば全部自分のせいだ。
「でも……無理かも」
ぽつりと漏れる。綾坂はすぐに答えた。
「無理なら入れてないよ」
ユイが顔を上げる。
「この2ヶ月ずっと見てたから決めたの。今は最低限しかできないけど、あと2週間ちゃんと練習していけば、ライブできるところまでバッチリ持っていけるよ」
「……ホント?」
「ウチが適当にユイの初ライブを決めると思う?」
少し考える。
「……思わない」
ユイは綾坂が誰よりもメンバー思いなのをよく知っている。
ハルナも頷く。
「2週間もあるならもっとよくなるよ。苦手な所を潰して行こう」
ヒナも真面目な顔で言った。
「本番が決まった方がユイさんは練習すると思います」
「ビビってたらなんも始まらねぇぞ、覚悟決めて練習しろ」
リョウヘイが喝を入れる。
綾坂がスマートフォンをしまう。
「ちなみに投げ銭もあるよ」
ユイの動きが止まった。
「……投げ銭?そんなんで儲かるの…?」
「これが意外とバカにできないのよ」
「ノルマある…?」
「ちょっとはある。でもウチも集客は協力するから、アンタも友達誘っといて」
「とりあえず4人はお客さん確定してるよ。SNSでも宣伝しておくね」
ハルナも協力態勢を取った。
ユイはモジモジしながら確認した。
「えっと…ギャラは全部アタシの?」
「そう、全部アンタのギャラ」
数秒。ユイがアコギを構え直した。
「あと2週間、猛練習します!」
「切り替え早っ」
リョウヘイが笑う。
綾坂は満足そうに頷いた。
「よろしい。じゃあ今から本番用の練習ね」
「よーし!え、今から?」
「血が出るまでやんなさい、本番決まったんだから休んでる場合じゃないでしょ」
「また血!?やめてよ、そういうの苦手なんだから!」
「弦楽器は流した血と汗の量に比例して……」
「それもわかったから!」
「ユイさん、あんまり血が出ませんね…」
ヒナは残念そうに呟く。
「ベースを弾いてたから、既に指の皮が厚いんだね。あとはギターに血を吸わせるだけなんだどね」
ハルナも残念そうに呟いた。
「コイツら怖いよぉ…」
ジャァァン。ユイはマイナーコードを弾いた。
セーハもしっかりできている。綺麗に鳴った。
月末の月曜日。アリノスの弾き語りイベント『FULL MOON』。lunatiの木下ユイではなく。1人の木下ユイとして立つ、初めてのステージ。
本番まで、あと2週間だった。




