#91 近況報告と弾き語り
ある日。
珍しく、月曜日じゃないのに5人全員の予定が空いた。
せっかくだから昼飯でも食べに行こうという話になり、向かった先は近所のファミレスだった。別に豪華な店じゃない。家で作った方が安いのも分かっている。
それでも今月は、家賃をlunatiが払ってくれた。
スタジオ代やライブの交通費も、決めた予算の範囲なら活動口座から出る。5人とも以前より少しだけ財布に余裕が出ていた。
何より、今日は飯を作らなくていい。5人分の料理を作って、食べ終わった皿を片付けて、洗い物をする。その手間が全部なくなる。外食代というより、家事をしなくていい時間を買っているようなものだった。
「今日何もしなくていいんだ……なんか贅沢だなぁ」
席についたハルナが、嬉しそうにメニューを開く。
貧乏が続くと、ファミレスで食事するだけで幸せを感じれる。良いんだか、悪いんだか。
「ハルナさん。いつも家事を率先してやってくださって、ありがとうございます」
ヒナが丁寧に頭を下げた。
「ヒナちゃんはちゃんと手伝ってくれるからいいよ」
ハルナとヒナは基本家にいるので、自然と2人は家事をやってくれる。おかげで家は細かいところまで、常に掃除が行き届いている。
「アタシも手伝ってるじゃんか!」
ユイがすぐに割り込む。
「つまみ食いと応援と皿洗いはしてくれるね」
「あと雰囲気を明るくしてるよ!大事じゃない?」
「はいはい。ユイちゃん、今日休みならお風呂掃除やってね」
それぞれ注文を決めたところで、リョウヘイはふとユイを見る。
「そういやユイ、この曜日っていつもバイトじゃなかった?」
「そうだけど、休みにしたよ?」
「えぇーっ!?」
ヒナが心配そうにユイを見る。
「だ、大丈夫なんですか?ユイさん、貯金ないのに……貧乏なのに……浪費家なのに……」
「言いすぎ!」
ユイがテーブルを軽く叩いた。
「なんでどんどん悪口増えてくの!?」
「すみません、でも心配で……」
「絶対ちょっと楽しんでたでしょ!」
「いやぁ…」
ヒナは静かに目を逸らした。
ユイは気を取り直すと、少し得意げに胸を張る。
「実はさ、作詞の印税が入ってきて……」
綾坂がすぐに気づいた。
「ああ、フルアルバムの」
「そう!」
フルアルバムには、ユイが歌詞を書いた曲も何曲か入っている。配信されてから少し時間が経ち、その分の収入がようやく入ってきたらしい。
「だから週5だったバイト、週4にしたの!その分、ベースと歌の練習やろうかなって!」
「おお、偉いぞ。ユイ」
「感想が親なんだよ、バカ」
リョウヘイの親バカ発言に綾坂は即ツッコんだ。
前にもこんなやりとりをしたような気がする。
「最近はlunatiにお金持ってかれないし、これからは貯金もできそう!」
綾坂がすぐに眉を寄せる。
「lunatiに持ってかれてたって言い方やめて」
「でもホントじゃん!前はバイトしててもスタジオ代とか電車代とかで結構なくなってたもん!」
「それはそうだけど」
今月は違う。家賃はlunatiが払い、スタジオ代とライブやリハに必要な交通費も予算内なら活動口座から出る。来月も続く保証はないが、少なくとも今月は違った。収入が急に増えたわけではなくても、毎月自分の財布から出ていく金が減った。それだけで生活はかなり変わる。
「だから今月はガチで貯金する!これからは貯金を趣味にします!」
「そういうのはできてから言って」
綾坂は片手で額を抑えた。
「これからするって!」
その横でハルナは少し申し訳なさそうに言った。
「私もフルアルバムの作曲印税、少し入ってきて……今月は単発バイト行かなくても良さそうなんだ」
ハルナは嬉しそうにしていたが、自分とユイだけ印税をもらえていることに少し気まずさを覚えていた。
リョウヘイ、ヒナ、綾坂も同じぐらい作曲に参加してくれているが、3人に入る印税は0円だ。
「印税……いいなぁ…」
ヒナがぽつりと呟いた。
リョウヘイはその声を聞いて、ヒナを見る。
「俺たちにはあんまり縁がないかもな……ヒナ」
「……はい」
2人で少し遠い目をする。
リョウヘイとヒナは、演奏ならかなりの自信がある。だが、0から曲や歌詞を生み出すとなると話は別だった。綾坂がそんな2人を見て笑う。
「2人は技術ばっかり磨いてきたからね。演奏は完璧。でも0から1を作るのはあんまり得意じゃない」
「否定できない」
リョウヘイが頷く。ヒナも素直に頷いた。
「その通りです」
2人とも『演奏は完璧』の部分は否定しなかった。
「どっちかっていうと職人タイプだね。1を10にする人」
「職人……ミュージシャンにもいろんなタイプがあるんですね。ポケモンみたいです」
ヒナは少し嬉しそうだった。職人という肩書きが気に入ったようだ。
ハルナも頷く。
「でも職人タイプはすごく大事だよ。私が作った曲も、リョウヘイくんとヒナちゃんが演奏したら全然変わるもん。2人の演奏が曲の可能性を一気に広げてくれる感じ」
「そうそう!」
ユイも乗っかる。
「ヒナのギターはいつも予想の斜め上をいくからね!それだけで全然違う曲になっちゃうもん!」
「褒めて…ないですよね?」
「褒めてるよ!ヒナのギター、イカれてて最高!」
「まぁ、いいでしょう…」
そこでユイが自分とハルナを指差す。
「じゃあアタシは?何タイプ?」
「純粋なアーティストタイプかな」
綾坂が答える。
「アーティスト!良い響き!」
ユイが嬉しそうに反応する。
「ユイは言葉とか歌詞を作るのが強い。自分の中に理想がしっかりあって、それを直感的に表現するタイプ」
ヒナは吹き出してしまった。笑いを堪えながらツッコむ。
「ぷふっ。ユイさん、ドンピシャですね」
「アーティストを笑うな!」
ハルナも興味津々で聞いてきた。
「綾坂さん、私は?何タイプ?」
「ハルナもアーティストタイプだけど、ユイとは違って計算して動くタイプ。自分の中の理想をどうすれば芸術に昇華できるか、深い所まで考えることができる」
「確かに、そうかも」
「この手のタイプの弱点は考えすぎちゃうところ。自覚あるでしょ?ハルナ」
「あるなぁ…」
ハルナもドンピシャ過ぎて笑ってしまった。
「やっぱり0から1を作るアーティストタイプが最強でしょ!?」
ユイは確信を持って聞いた。
「なんでマウント取ろうとするんだよ。上も下もねぇから」
アッサリとリョウヘイに否定された。
綾坂も呆れた顔で続ける。
「そうだよ、向き不向きの話。例えば、知らない人のバックで何十曲も覚えたりとか。リハなし、楽譜のみで本番やってくださいって仕事なら、リョウヘイとかヒナっちみたいなタイプの方が圧倒的に強い。ユイ、できる?」
「無理です!」
ユイが即答した。
「早いなぁ…」
ハルナも呆れて笑っている。
「知らない曲いっぱい覚えるとかアタシ絶対無理!楽譜もぶっちゃけテキトーに読んでるし!」
ユイは何故か胸を張った。
「でも、私もあんまり向いてないかも……」
ハルナも苦笑する。
「タイプによって、仕事の向き不向きがあるんだね」
「そうだ。音楽の仕事も幅がすごいからな」
曲を書く。歌詞を書く。演奏する。録音する。音を作る。教える。ライブをする。同じ音楽でも、仕事の形はいくらでもある。
その時、ユイが何か思い出したようにヒナを見る。
「ってか、ヒナはどうなのよ!散々アタシのこと貧乏呼ばわりしてくれたけど!そっちだってスパチャだけじゃギリギリなんでしょ!」
ユイは冗談半分でヒナに反撃した。
「……はい。ギリギリです」
予想以上にヒナの顔が曇った。
「実際どれくらい入ってるの?」
ハルナが心配そうに聞く。
今まで、あえて誰もヒナの収入にはあまり触れてこなかった。ヒナはユイのように浪費こそしないが、金の無さはユイと同等にみな感じていた。
ヒナは少し考える。
「月によりますけど……手数料とか引かれて、実際に残るのがだいたい平均5万円くらいです」
「5万!?」
ユイが目を丸くした。
「結構あるじゃん!」
「でも生活費としては全然足りません。毎月の家賃を納めたらほとんど残りません。今までは貯金も切り崩してました」
「やっぱギリギリじゃーん!よかったー!仲間がいて!」
「ユイ、お前最低だな」
綾坂が苦笑する。
「ヒナっち、無理させてごめんね。でも最近はだいぶ楽になったでしょ?」
「はい。今月は家賃がなくて、スタジオ代と交通費も出してもらえるので、かなり助かってます。使ってしまった貯金を回復させたいです」
リョウヘイが聞く。
「ヒナの腕前ならサポートでもやっていけそうだけどな。俺の知り合いに聞いてみようか?」
「ごめんなさい。lunati以外でギターを弾くお仕事は、あまり興味ないです」
「ヒナちゃんらしいね」
「私はlunatiでギターを弾きたいので」
少し顔は赤いが、ヒナに迷いは無かった。
すると今度は綾坂が口を開く。
「ウチも最近、外注でオペの仕事もらえるようになってきたからね。ANTSからも仕事もらってるよ」
「ANTSから!?」
ユイが反応する。
「この前の2マンとかでウチの仕事見てくれてたみたい。ライブのオペとか録音とか、アリノスのバイトとは別で直接頼まれるようになってきた」
ハルナはずっと気になっていた事を聞いてみた。
「綾坂さん、PAのオペの相場っていくらぐらいなの?私達はチームだから、いつも無償でやってもらえてるけど…」
「ウチの場合だけど、この前の外現場はオペ1本1万8000円と交通費。録音や後日の編集は別料金。相場はピンキリだからね、なんとも言えないけど」
「ほぼ2万!?めちゃくちゃイイ仕事じゃん!」
ユイが聞くと、綾坂は首を振る。
「でもそこから税金も払わなきゃならない。実際の手取りはそんなにないよ。フリーランスだから請求書を送って、月末で締めて、振り込みは翌月末。その日働いたお金で、翌月の家賃は払えないのも辛いとこ」
「音楽のお金、入ってくるの遅くない!?」
「だから入金日まで帳簿に書いて管理しなくちゃいけない。この手間や税金を考えるとバイトとかで雇われる方が楽な事もあるよね」
「でも綾坂さんもお仕事増えてるんですね。素晴らしいです」
ヒナが言う。
「まあね。lunatiでやってきたことが、そのまま実績になってる感じ」
綾坂は少し得意そうに笑った。
「ウチもそのうちバイト辞めて、フリーのオペレーターになる予定だよ。ま、ほとんどアリノスで仕事するから今とあんまり変わらないけどね」
「でも単価も上げられるし、仕事量も自分で決められるもんな」
リョウヘイが言う。
「そう。アリノス以外から仕事来たら受けられるし、lunatiの予定にも合わせやすい。人に雇われてないから全部自分次第」
綾坂は少しだけ笑った。
「マキさんは大好きだけど、ウチは自営業でやっていきたいから。そっちの方が性に合ってる」
ヒナが今度はリョウヘイを見る。
「リョウヘイさんは?講師業は今も?」
「ああ、今もドラムの先生やってるよ。最近は週4〜5ぐらいだな」
リョウヘイは迷わず答えた。
「バンドの収入って振り幅すごいからな。今月よくても来月どうなるか分かんない。安定した収入源が1個あるだけで、だいぶ安心だよ」
ユイが嬉しそうに手を挙げる。
「じゃ、アタシと同じ感じだね!」
「俺は何度もクビになってない」
「そこ言わなくてよくない!?」
「それに俺はドラムの仕事だからな。1ミリも興味ない仕事するよりかは全然楽しいよ」
「くっ……そこも違う……!」
ユイが悔しそうに唸る。ハルナが笑った。
「リョウヘイくんの場合、仕事は全部ドラム関係だもんね。講師業も自分の好きな仕事だから続けたいぐらいだよね」
「そう。だから無理に辞める理由もない。lunatiが忙しくなったら生徒数を減らせばいいしな」
綾坂も頷く。
「安定した音楽仕事持ってるのは強いよ」
そこでハルナが、ふと思ったようにユイを見る。
「っていうか、ユイちゃん以外はみんな音楽の仕事してるね」
「ぐっ!」
何気ないハルナの一言がユイにはブッ刺さりまくった。
リョウヘイはドラム講師。ヒナはギター配信。綾坂はPAと外注のオペレーター。ハルナは作曲。形は違っても、全員が音楽から金をもらっている。
そんな中、唯一工場でバイトしているユイはなんとか立場を守ろうと必死だ。
「ア、アタシだってlunatiで歌ってるし!」
「それはみんな一緒でしょ」
ハルナは追撃した。
「ぐぬぬ……!」
綾坂が笑う。
「まあ、まとめるとヒナっちとユイがまだちょっと安定までは遠いかな」
ハルナがすぐに首を振る。
「私もまだまだだよ。作曲の仕事だって始まったばっかりだし、これからだし」
「でもハルナは方向見えてきてるじゃん。後はブレずに進むだけでしょ?」
ユイが言う。
「それは……そうかもだけど」
ヒナが少し考えてから、いつもより力強く口を開いた。
「私は大丈夫です!」
「お?」
リョウヘイが見る。
「lunatiが売れれば、私のスパチャも増えるので大丈夫です!」
「完全にlunati頼みじゃねぇーか」
「はい」
「否定しろよ?」
ヒナは真面目な顔のまま続ける。
「最近は余裕もできてきたので、切り抜き動画とかもやる予定です。配信を見ていない人にも、もっと見つけてもらえるようにしてlunatiに還元したいです」
「いいじゃん」
綾坂が頷く。
「配信だけで終わらせるより、短い動画にして出した方が入口増えるしね」
「はい。ギターを弾いている所のショートをいっぱい作ります」
「喋ってるところは?ヒナかわいいし面白いんだから、もっとキャラ出しなよー」
ユイが聞く。
「い、いらないです…そんなの」
「なんでよ!もったいない!」
「ギターの方が得意なので」
「そういとこだぞー、ヒナ」
笑いが起きる。そんな話をしているうちに、注文した料理も綺麗になくなった。会計では綾坂がlunatiのカードを出す。
「今日はミーティングも兼ねてるから経費ね」
「ファミレスも経費になるの!?」
ユイが驚く。
「仕事の話してたでしょ。会議費として経費で落ちるよ。あ、領収書ください」
綾坂は店員から受け取った領収書を確認し、財布へしまった。
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そのまま5人で家へ帰る。
リビングへ荷物を置き、みんなで食後のコーヒーを飲んでいると綾坂が何かを思い出したように顔を上げる。
「あ、そうだ」
そのまま自室へ向かっていった。リョウヘイが背中を見送る。
「なんだ?」
少しして。綾坂が大きなギターケースを持って戻ってきた。
「ん、しょ」
綾坂がケースを開く。中から出てきたのは、アコースティックギターだった。ヒナが真っ先に反応する。
「ヤイリギター!岐阜県可児市に拠点を置く、世界的にも有名な高級アコースティックギターメーカーですね!国内生産にこだわった職人さんの丁寧なお仕事がギターの細部に宿っています!見てるだけで音がいいのが伝わってきます!」
ヒナのギターオタクとしての知識が爆発している。
誰もそんなこと聞いていない。
「趣味と録音用。最近は忙しくて使ってないけどね」
綾坂は軽くEコードを鳴らしてから、そのままユイへ差し出した。
「ユイ、これあげる」
「え!?」
ユイは綾坂の意図がわからなかった。
「アタシ、ベーシストなんですけど」
ユイは自分がギターと間違えてベースを買ってしまった事を思い出してしまった。
「分かってる」
「じゃあなんでギター?」
「ギターも弾けるようになって」
「なんで?」
ユイは渡されたアコギと綾坂を交互に見る。
「例えば路上ライブとか配信。弾き語りできれば1人でも投げ銭で稼げるでしょ。アリノスでも弾き語りイベントやってるから、そこにも出られるよ」
「おお!!その手があったか!!」
ユイの目が一気に輝いた。ハルナも納得したように頷く。
「確かにベース弾き語りって、ちょっとマニアックだもんね。聞いた事ない。アコギの方がよさそう」
「弾き語りなら1人で出られるしな」
リョウヘイも頷いた。
「ギャラも総取りだ。ギターも綾坂からもらえたし、費用もほとんどかからない。よかったな」
ユイがアコギを抱えたまま固まる。数秒。
「……それだー!」
突然立ち上がった。
「アタシ弾き語りする!」
「まだコード1つ弾けないでしょ」
綾坂が冷静に返す。
「これから覚える!」
「Fで挫折しないでくださいね」
ヒナが真顔で言う。
「Fってなに!?」
「まずそこからですね……よく今までベース弾けてましたね」
どうやら、新しい先生まで決まったらしい。
それからの日々。lunatiは普段のライブを続けながら、それぞれ自分の仕事もこなしていた。ハルナは曲を書く。ヒナは配信。綾坂はアリノスと外注のオペ。リョウヘイはドラムを教える。
そしてユイは、バイトの合間を使ってアコギを猛練習していた。バイトが終わった日の夜も、防音室から何度も同じコードが鳴っている。
「違う。そこ指寝てる」
綾坂がユイの左手を指差す。
「指を立てる!もっと指先で押さえて」
「やってるよぉ……!」
「できてないから音詰まってんの」
「綾坂厳しい!」
「弾き語りやりたいって言ったのアンタでしょ。乙女に二言はないでしょ?」
「男に二言はないでしょ!?」
ユイは顔をしかめながら、もう1度コードを押さえる。ジャァン。さっきよりは少しマシだった。
「お」
リョウヘイが横から反応する。
「鳴ったじゃん」
「でしょ!?自分の才能が恐ろしいよ!」
「Eは一番簡単なコードだからな」
「余計なこと言うな!」
ハルナはそんなユイの左手を見ながら、少し懐かしそうに笑った。
「懐かしいなぁ。私も学生の時、血だらけになりながら練習したなぁ」
「そうですね」
ヒナも頷く。
「テーピングまでして弾いてましたね」
ユイがゆっくり2人を見る。
「……え?」
「最初は痛かったよ」
ハルナが普通に答える。
「皮も剥けるし、血は出るし」
「怖い怖い怖い!」
ユイがすぐに自分の左手を見る。指先はもう赤くなっていた。
「もう指痛いよぉ……これ以上やったら血ぃ出るよぉ…」
「最初はとにかく血が必要なんですよ、ユイさん」
ヒナは笑顔でとんでもない事を言っている。
ハルナも容赦がない。
「弦楽器は流した血と汗の量に比例して上達するんだよ。ベース始めた時も指痛かったでしょ?」
ユイが左手とアコギの6本の弦を見比べる。
「ベースは1本ずつ押さえればよかったじゃん! ギター、同時に押さえさせすぎ!薬指酷使させすぎ!」
「コードってそういうものだから」
綾坂が即答する。リョウヘイが笑った。
「特にアコギは弦も硬いからなぁ……痛いぞぉ」
「なんで嬉しそうなの!?」
「みんなが通る弦楽器の洗礼だからな」
「ドラムにはないじゃん!」
「手の皮は剥けるぞ。血でスティックがだんだん赤くなっていくんだよ、オモロいぞ」
「音楽怖すぎ!」
ユイは半泣きになりながら、もう1度ギターを構えた。ゆっくりコードを押さえる。ジャァン……。さっきまでより妙に暗く、悲しげな音が鳴った。ユイはそのまま左手を見つめる。
「……ライブ出る前に左手なくなりそう……」
「マイナーコード鳴らしながら言うな」
リョウヘイが吹き出した。ハルナも笑いを堪えきれない。ヒナだけは真面目にユイの指を見る。
「なくなる前に皮が硬くなるので大丈夫ですよ」
「その説明も怖い!」
綾坂は笑いながら、ユイの手元をもう1度指差した。
「ほら。休憩したら続き。次はコードチェンジ」
「まだやるの!?」
「路上ライブするんでしょ?」
その一言で、ユイが黙る。
「ちなみにそのギターは中学生になった時に、ティア姉さんからプレゼントされたものなの」
「そ、そんな大事なギターだったの!?いいの…?アタシなんかが…」
「ユイだからこそ使って欲しいの。ウチと姉さんの気持ちも一緒に、その子を鳴らしてあげてほしい」
赤くなった指先を少しだけ見つめてから、もう1度アコギを抱え直した。
「……もうちょっとやる」
「よし、偉いよ。ユイ」
「でも今日はあと30分だけ!」
「血が出るまでやりましょう!血が出たら私にも弾かせてください!」
「マジでヒナが怖い…」
またギターの音が鳴り始める。
ライブをして、仕事をして。
同じ家に住み、同じバンドを続けていても、5人が音楽で生きる方法は少しずつ違う。
ユイもようやく、自分1人でも音楽で金を稼ぐための一歩を踏み出した。まだまともにコードすら鳴らせない。それでも、始めなければ何も変わらない。
結局はやるか、やらないか。その連続だ。
防音室にはその夜も、何度も失敗しながら鳴らされるアコギの音が響いていた。




