#90 ハルナの仕事
ワンマンライブから数日後。月曜日。lunatiハウスのリビングでは、ユイがソファに寝転びながら先日のライブ写真を眺めていた。
「これいい! 見て! アタシめっちゃ楽しそう!」
「ライブ中ずっと楽しそうだったでしょ。どこ切り取っても笑顔なんだから」
ハルナが楽しそうに笑う。
ヒナも隣からスマートフォンを覗き込んでいた。その向かいでは、綾坂がノートパソコンを開いている。
「はいはい。余韻に浸るのもいいけど、今日はお金の話するよ」
「出た!ギャラだ!」
ユイが起き上がった。
「待ってました!」
「今回はかなり稼ぎましたからね」
ヒナも今回のギャラに期待している。物販を手伝っただけだが、達成感をヒナは感じている。
綾坂が画面を5人へ向ける。現在のlunatiの活動口座、約35万円。ワンマンを終え、物販やチケットバックを合わせても、今までならそのまま次の制作費やライブ代へ消えていた金だった。だが今回は違う。
「まず家賃ね」
綾坂が数字を入力する。20万円。残り、15万円。
「ガッツリ減った!」
ユイが叫ぶ。
「一瞬じゃん!家賃恐るべし!」
「そりゃ5人分の家賃だからね」
綾坂は冷静だった。
リョウヘイも画面を見る。
「でも、今月の家賃がほぼlunatiだけで払えたってことだろ」
「そう。本当は全部補助してあげたいところだけど、もう少し我慢ね」
綾坂が頷く。
「ただし今月だけ。来月も自動で家賃が出るわけじゃないよ。毎月の売上を見て、その都度決める」
「毎回払ってくれるわけじゃないの!?」
「1回のワンマンでどれだけ稼げるかわからないだろ?ギャラ分配はしつつも貯金も蓄えておかなきゃならない」
リョウヘイが補足した。
「で、ここからちょっと運用変えようと思う」
「運用?」
ハルナが聞き返す。綾坂は新しい項目を作った。スタジオ代。交通費。ライブに必要な消耗品。機材関連。
「今までこういうの、貯金がない時はその都度みんな自分の財布から出してたでしょ」
「出してた」
ユイが頷く。
「貯金がない時のスタジオはよく徴収されてましたね」
ヒナも頷く。
リョウヘイが頷く。
「特にスタジオ代な。一番大事な作業だから、どうしてもここはケチれない」
「リョウヘイの言う通り。これからlunatiの活動に必要な経費は、基本ここから出す。まずは月5万円まで」
綾坂が口座残高を指差す。
「これで追加徴収は基本なくなるんだね」
ハルナは一安心している。
「次のライブもあるし、物販も売れる。毎月入ってくるお金が0じゃなくなってきたから、そろそろ活動費を個人負担にするのは減らした方がいい。ただし、残高が10万円を割りそうなら全員で相談。常に10万ぐらいは持っておきたい」
ハルナも納得したように頷いた。
「確かに、その方が何かあった時も安心だよね。lunati貯金で一時的に誰かのピンチを救える可能性もある。本当の意味で活動資金だよね」
「そう。それとバンドの確定申告はウチが代表してやる。だから今後、lunatiで使ったものは基本全部領収書もらってきて」
「領収書……」
ユイが露骨に嫌そうな顔をする。
「絶対なくすなよ」
リョウヘイが言う。
「なくさないし!」
「この前レシート洗濯してたじゃん…。洗濯機の掃除大変だったんだからね」
ハルナは困った顔でユイに注意した。
「ポケットにいた方が悪い!」
「紙に責任押しつけるな」
綾坂は呆れながら続ける。
「帳簿はウチがまとめる。数字ちゃんと残しとけば、何にどれだけ使ってるかも見えるから。定期的にデータに起こすから、みんな確認してね」
綾坂は自分の名前が入った事業用口座の欄を開いた。lunatiの代表は綾坂。バンドの売上と経費は、個人の生活費と混ざらないように分けて記録している。
「あと、領収書があれば何でも経費になるわけじゃないからね。lunatiの活動に必要な分だけ。家賃だって、防音室や作業スペースとして使ってる割合しか事業経費にはできない」
「払った家賃20万円、全部経費じゃないの!?」
ユイが驚く。
「生活もしてる家でしょ。税金用の金も別に残す。売上を全部使ったら、あとで本当に翌年の税金で死ぬよ」
「税金…マジ怖い」
消費税から始まり、生きていくだけでも様々な税金を取られる。ユイもバンドマンになってようやく社会のシステムが、なんとなーくわかってきている。
「知らないまま使うから死ぬの。先にシステムを理解していれば大丈夫。特にバンドマンは税金を滞納しがちだから」
さらに綾坂は続ける。
「それと、スタジオなんだけど。もう毎回パック料金の狭い部屋選ぶのやめよっか」
「あー、いつものスタジオちょっと狭いもんね」
ユイが反応する。
「ちゃんと音作りしたいし、今後は広い部屋を取ろ。音への投資はケチらない方がいい」
リョウヘイも頷いた。
「狭い部屋だとドラムの音全部回るからな。広い方がよりライブを想定した練習がしやすい」
「そういうこと。節約するところと、使うところをしっかり分ける」
綾坂は画面を閉じた。
ハルナは綾坂に声をかけた。
「綾坂さん、いつもありがとう。経理も代表してくれてすごく助かるよ」
綾坂は恥ずかしそうに反応した。
いつも自信満々なクセに、正面から労われたり褒められると綾坂は途端にかわいくなる。
「う、ウチは演奏しないから……アンタ達がバンドを続けられるようにするのがウチの仕事なの」
リビングにほんわかした空気が流れた。
リョウヘイが笑った。
「ホント綾坂がいないとこの会社回らないよな。普通に外で音源作ってたら、今頃借金してるはずだもんな。綾坂マジ優秀」
「ね。もうチートだよ、綾坂さん」
ハルナも頷く。
ヒナが真面目な顔で続けた。
「チーターです、綾坂さん」
「それは意味変わってるから」
綾坂が即座に返す。
ユイが笑いながら指を差した。
「チーター社長綾坂だね」
「やめてよ、クソダサい…」
笑い声がリビングに響く。
そこから少しずつ、生活にも変化が出始めた。
決めた予算の範囲なら、スタジオ代を払わなくていい。ライブへ行く交通費もlunatiから出る。1回なら数千円。でも、それが毎月何度も重なれば大きい。
今までならバンド活動のために消えていた金が、それぞれの財布に数千円ずつ残る月が出てくるようになる。まだ余裕があるとは言えない。それでも、全員が少しだけ楽になった。
そんな日の夜。ハルナが自室から降りてきた。スマートフォンを握ったまま、階段の途中で止まる。
「……あっ」
4人が振り向く。ハルナは画面を見たまま動かない。
「どうした、ハルナ」
リョウヘイが聞く。
「……メール、来た」
「メール?なんの?」
ハルナがゆっくりスマートフォンを見せる。
件名。『楽曲コンペ 選考結果のご連絡』
ユイが一気に起き上がった。
「え!?作曲家の仕事の方!?」
ハルナは小さく息を吸う。
「……コンペの結果、来た」
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
5人がリビングへ集まる。
ハルナはソファへ座ったまま、スマートフォンの画面を見つめていた。
「開けないの?」
ユイが聞く。
「あ、開けるよ?でもまだ心の準備が…」
ハルナは胸に手を当てる。
しかし心臓は落ち着いてはくれない。
「早く!気になるじゃん!」
ユイが急かす。
ハルナは深呼吸した。
いろんなコンペに何度も送った。何度も落ちた。
返事すら来なかったこともある。今回も同じかもしれない…それでも。
「……開くよ」
指で画面を押す。メールが開いた。
数秒、ハルナの目が止まった。
「……あ」
「その反応はどっち!?」
ユイが耐えきれず身を乗り出す。ハルナは何度も文章を読み返す。そして。
「……採用、された…。採用された…!採用された!」
段階を経るごとにハルナのテンションが上がっていく
一瞬遅れて。
「バンザーイ!!」
ユイがハルナへ飛びついた。
「ハルナ!もうプロの作曲家じゃん!」
「まだ1曲だけだよ!嬉しいけど」
「1曲でも仕事でしょ!お金もらえるんでしょ!」
ヒナも嬉しそうにハルナに抱きつく。
「おめでとうございます、ハルナさん」
「ヒナちゃん、ありがとう……!」
ヒナとハルナは家にいる事が多い。そのため自然とハルナの作曲にヒナも協力してギターを弾く事が多かった。
作曲家としての作業をずっと見ていたヒナにとっては自分の事のように嬉しいようだった。
ハルナを中心にユイとヒナがくっ付いて戯れあっている。
それを見た綾坂とリョウヘイは遠目で微笑んでいた。
「よかったじゃん、ハルナ。受かったのはどんなやつ?」
リョウヘイが詳細を聞いた。
「えっと、地下アイドルの曲みたい」
ハルナがメールを読み進める。
「報酬は……一曲3万円」
「3万!一曲作るだけで!?すごい!」
ユイが反応する。
綾坂が横から画面を見る。
「ふむふむ、これは買い切りだね」
「買い切り?」
「この3万円で曲を納品して終わり。今回の契約だと印税は付かない」
ユイが少し考える。
「じゃあ、そのアイドルが1億回再生されても?」
「3万円」
「10億回でも?」
「回数は関係ないよ、一律3万円」
綾坂は指を3本立てた。
「ハルナ、絶対10億回再生させないで!」
「なんでよ!」
ハルナは吹き出してしまった。
「悔しいじゃん!アイドルちゃんより、lunatiの曲を10億再生させなきゃ!」
リョウヘイが笑う。
「売れないように願う作曲家の仲間初めて見たわ」
ハルナも笑いながら、もう1度メールを見る。そこには納期と、修正についての案内も書かれていた。
「リテイクもあるみたい…」
ハルナは少し不安そうに言った。
「…まあ仕事だからね」
綾坂が言う。
このリテイクという作業は繰り返し行われる。その度に時間と神経はゴリゴリ擦り減っていく。ハルナは駆け出しだが、その辺りは綾坂からレクチャーを受けている。
「でも初めて自分の曲で3万円もらえるんだよ。すごい事じゃん」
それでも曲を作らなければ何も始まらない。そんな意味も綾坂の発言には込められていた。
「……うん」
ハルナは嬉しそうに頷いた。
この家へ引っ越してきた日。自分は、いつか他の人にも曲を書けるようになりたいとハルナは言っていた。
それが初めて、やっと仕事になった。金額の大小ではなかった。自分が作った曲に、誰かが金を払って買ってくれる。それだけでバイブスが上がるのが分かった。
「私、頑張る」
ハルナはスマートフォンを握り直した。
「ちゃんと完成させる」
それから2週間。
ハルナは単発のバイトもせず、作曲に集中した。
この時ばかりはユイや他のメンバーも家事を率先した。なるべくハルナには楽をさせてあげたかった。
ある日の夕方。2階から何かがフラフラと降りてきた。
「で……き……た……」
ハルナだった。
髪は少し乱れ、目の下にはうっすら影。階段を降りる姿には生気がない。どこかで見た光景だ。
ユイがソファから振り返る。
「うわゾンビかと思った」
「ちょっと前のウチはこんな感じだったのか。酷いな」
綾坂もハルナを見て過去の自分と比べる。
「確かにゾンビって言われても仕方ないかも」
「かみころすぅ……」
言い終わると同時にバタンと倒れて寝てしまった。
「は、ハルナさん!しっかりしてください!」
ヒナが慌てて駆け寄る。
そのままハルナをソファへ寝かせ、水を飲ませた。しばらくして。少しだけ人間へ戻ったハルナが、クッションを抱えながら呟く。
「この2週間、リテイクの嵐でさ……」
ハルナの声は明らかに悲しげで、遠い目をしている。
綾坂が苦笑する。
「作曲家の洗礼を受けたね。大変だったね、ハルナ」
「最初に送ったら、もうちょっと明るくしてくださいって言われて……直したら今度は明るすぎますって……」
ポロポロと愚痴をこぼすハルナ。
ハルナは普段こういったマイナス方向の発言はしない。相当メンタルがやられている。
「あるある」
綾坂は頬杖をついてハルナの話を聞いてあげる。
「歌いやすいようにキー変えて、そのあとメロディも変わって……アレンジも直して……最後にまた最初の感じに少し戻してって……」
ユイが顔を引きつらせた。
「地獄じゃん……」
「時給で考えたら単発バイトしてた方がよかったかも……作業のストレスも半端なかった…」
ハルナが更に遠い目をする。
リョウヘイはハルナを見た。
ハルナは相当疲れているが、その疲れは喜びも孕んでいるのがリョウヘイにはわかる。
「でもクッソ面白いだろ?」
リョウヘイが笑った。
ハルナは一瞬黙る。そして、ぱっと顔を上げた。
「うん!楽しい!」
満面の笑み。数秒後。
「……でも下品な言葉、使わないで」
「すんません」
ヒナが少し考えながら言う。
「リテイクが何回来ても、報酬は3万円のままなんですよね。かなり可哀想です…」
「基本的にはそうみたい。交渉次第だけど、私は駆け出しだから…」
ハルナが困った顔で笑いながら答えた。
ユイはボケた。
「向こうからしたら定額使い放題だもんね」
「携帯料金みたいに言うな」
リョウヘイがツッコんだ。
リョウヘイは前世の記憶を思い出していた。昔から、作曲家の契約についても会社側に有利な事が多い。
「……これも昔っからそうなんだよな」
綾坂も頷く。
「音楽の仕事って、『好きならできるでしょ』で作業範囲が増えがちだからね。受ける側も条件を交渉できるようにならないと」
ハルナが苦笑する。
「初仕事から夢壊さないでよ」
「壊してない。次は報酬だけじゃなくて、修正回数、納品するデータ、クレジット表記、権利の範囲まで先に交渉してから作業しようねって話」
綾坂の発言は正しい。
契約書と一緒で、内容をそのまま鵜呑みにすると自分が不利になる。
「曲を作る前にやること多すぎない?」
ユイが嫌そうな顔をする。
「3万円で何をどこまでやるのか決めるのも、仕事のうちなの」
厳しい発言をしつつも、綾坂は笑顔でハルナを見る。
「でもハルナなら、ちゃんといい仕事するだろうし。そうやって信頼ができれば、次の仕事もきっともらえるよ」
「うん……次か……ちょっと不安だな」
「最初はキツいと思う。でも慣れて仕事が増えてきたら、ちゃんと交渉して単価も上げていけばいい」
ハルナが少し考える。
「そっか。ずっと3万円でやる必要はないもんね」
「そういうこと。実績作って価値を高めて、『ハルナに頼みたい』って言われるようになったら強いよ。そのための修行期間だと思って」
ハルナはクッションへ顔を埋める。少しだけ休んで。また顔を上げた。
「……次のコンペも出すよ。今度はもっと上手くやれると思う。大変だったけど……やっぱり楽しかった。自分の好きな事でお金がもらえるって、いいね」
リョウヘイが笑う。
「その気持ちがあれば、しばらくは大丈夫だ」
ハルナにとって初めての、曲を書いて稼いだ3万円。決して大きな金額ではない。それでも。ずっとやりたかったことで、初めて受け取った金だった。




