#86 賞金100万円
後日。5人はGREAT ROCKを運営する会社との打ち合わせへ向かっていた。電車の中。いつもより少し真面目な服装をした5人が、並んで座っている。ハルナがスマートフォンを見ながら、少し嬉しそうに顔を上げた。
「ねえ見て、Instagramまた増えてるよ。グレートロック効果すごいね」
「どんくらい?」
ユイがすぐに覗き込む。
「GREAT ROCKの前と比べると、1000人増えた。まだ今日もフォロー来てる」
「マジ!?」
ハルナが画面を見せる。フェス当日の写真や、オープニングアクトを見た客からのコメントも増えていた。
『朝からめちゃくちゃ良かった』『初めて見たけどまたライブ行きたい』『オーディションから追ってます』そんな言葉が並んでいる。
「やっぱフェスってすごいね。15分しか演奏してないのに」
ユイが嬉しそうに言った。
「その15分を何百人が見たからね。グレートロックのライブ映像もガンガン回ってるよ」
綾坂も嬉しそうに答える。
期待していた以上の宣伝効果があったようだ。
「現地で見て、そのあとSNS探してくれた人も結構いるみたいです。配信も同接が一気に増えました」
ヒナも画面を覗き込む。
「フェスをキッカケに、ライブハウスにも来てくれるといいですね」
「それな!今イイ流れが来てるし!またお客さん掻っ攫うんだ!」
ユイが即答した。少しして、ハルナがスマートフォンをしまう。
「それで……今日は100万の話、だよね」
「そうだな」
リョウヘイが頷く。
フェス出演者に与えられる、100万円相当の制作支援。アルバム制作。プロモーション。そして、その支援を使って制作した音源の原盤権。
今日は、その具体的な内容を決めるための打ち合わせだった。
「交渉、うまくいくでしょうか」
ヒナが少し不安そうに聞く。
「そこは任せて。少なからず交渉の余地はあるはず」
綾坂はそう答えながらボイスレコーダーを胸元のポケットに忍ばせている。
隣でユイが手を挙げる。
「アタシ黙ってる!」
「偉いぞユイ、賢くなったなー」
リョウヘイが感心したように言う。
「でしょ?」
「前なら100万って聞いた瞬間に喋ってたもんな」
「もう分かってるから!100万もらえるわけじゃないんでしょ!」
「成長したな」
「なんかムカつく!」
綾坂が笑いながらスマートフォンを見る。
「今日はまず向こうが何を提案してくるか聞く。そのあとウチらの希望を出すから」
「アルバム制作はいらないんだもんね」
ハルナが確認する。
「うん。そこは自分たちでやれる」
「そして原盤権はlunatiですね」
ヒナが続けた。
「そこが一番大事だ。うちの作品を簡単に渡したりしない」
リョウヘイも頷く。
「100万はできるだけMVと宣伝に使ってもらいたい。レコーディング費用が浮いた分、俺たちにはできないことをやってもらいたい」
「あくまで、理想はね」
綾坂が答える。
「ただ、向こうにも向こうの事情があるから。全部通るとは思わない方がいい。向こうがどう出るか、そこ次第だね」
電車はそのまま渋谷へ向かった。
GREAT ROCKの運営会社が入っているのは、駅から少し離れた大きなオフィスビルだった。
5人はエントランスで見上げる。
「……でか」
ユイが呟く。
ビルの上層階。いくつかのフロアがGREAT ROCKの運営会社のオフィスだった。案内板を見ると、その下の階にも同じグループの会社名。さらにその下にも、また別の関連会社。音楽制作。イベント制作。広告。映像。マネジメント。いくつもの会社が、同じビルの中に並んでいる。
「こういうの見ると急に怖くなるね……企業って感じがする」
ハルナが言う。
「上層階は全部グレートロックの傘下の会社なんですね…。やっぱり大型フェスの事務所となるとすごい規模ですね」
ヒナも頷いた。
「大丈夫。2人はいつも通り、お淑やかに座ってて」
綾坂は平然とエレベーターへ乗り込む。
「相手が何階で待ってようが話す内容は一緒だから」
「綾坂さん、カッコいいなぁ」
ハルナは感心しながら苦笑いしていた。
最上階。受付を済ませると、5人は大きな応接室へ通された。窓の向こうには渋谷の街が広がっている。
アリノスの階段下にあるマキの事務所とは、何もかも違った。比べるまでもなかった。
「椅子ふかふか……さすが大企業…」
ユイが小声で言う。
「黙るんじゃなかったの?」
ハルナが囁く。
「これはまだセーフ」
戯れあっていると、担当者が入ってきた。
「お待たせしました」
全員で軽く頭を下げる。
「まずはGREAT ROCKへのご出演、お疲れ様でした。ご無沙汰しております」
その担当者はライブ撮影の時にお墨付きをくれた人だった。それなりに地位が高い役職だったようだ。
「ありがとうございました。lunatiのマネジメントを担当しています、綾坂です。よろしくお願いします」
綾坂が代表して返す。
「オープニングアクトの反響もかなり良かったです。SNS上でもlunatiさんの名前がかなり出ていました。ライブ撮影の時から、きっとこのバンドは残ると思っていました」
ユイが嬉しそうにする。
「ありがとうございます」
リョウヘイが答える。担当者は資料を広げた。
「それでは、今後のlunatiさんの賞金の活用についてなのですが――」
「それなんですが……まずは、そちらの案を聞かせてもらってもいいですか?」
綾坂が聞く。担当者は頷き、資料を1枚めくった。
「もちろんです。こちらで考えているのは、まずアルバムを制作していただくことです。それと、リリース後のプロモーションですね」
綾坂が資料へ目を落とす。
「100万円の内訳って、それでもう決まってるんですか?」
「はい。アルバム制作費として50万円。残りの50万円を広告やプロモーションに充てる想定です」
ユイが一瞬だけ反応したが、宣言通り黙っていた。
ハルナが横目で見ると、口を開きかけて必死に閉じている。
「それで、制作された音源の原盤については?」
綾坂が核心をつく。
「規約に記載している通り、弊社側で保有する形になります」
「期間は?」
「現状は特に設けていません」
綾坂の表情が少しだけ変わった。
「つまり、期限なしということですね?」
「はい。基本的にはそうなります」
リョウヘイと綾坂が一度だけ目を合わせる。
ここまでは想定通りだった。
「じゃあ、こっちから提案してもいいですか?」
「もちろんです」
綾坂は資料を自分たちの方へ寄せた。
「まず、アルバム制作費の50万円。これ、いりません」
担当者が少し驚く。
「必要ない?と、言いますと…?」
「はい。録音からミックス、マスタリングまで、自分たちでやってアルバムまで完成させられます」
「スタジオも?自主で完結するんですか?」
「ドラムだけ外を使うことはありますけど、それ以外は自宅の環境でできます。実際、今出してるEPもほぼ自分たちで作ってます」
担当者は手元の資料を見る。
「音源は聞かせていただきましたけど、あれを?」
「そうです。lunatiは音源も自主で作るスタイルでやっています。レックからマスタリングまで私がやっています」
「あれをマネージャーさんが!?」
担当者は驚いた。世間に出回っている音源とクオリティに差はない。これを1チームで作り上げるというのは前例のないことだった。
綾坂は少し得意げに胸を張った。
「ウチはlunatiの専属PAで、マネージャーで、エンジニアで――今はネゴシエーターです」
リョウヘイが横から笑う。担当者も思わず少し笑った。
「なるほど。かなり幅広くやられてるんですね」
「まあ、必要なことをやってたらこうなりました」
綾坂はそのまま話を戻す。
「なので、アルバム制作に使う予定だった50万円を、MV制作に回してほしいです」
「MVに…確かにレコーディングに費用がかからなければ可能ですね」
リョウヘイも口を開く。
「俺らが欲しいのは、自分たちじゃできない部分なんです」
「というと?」
「録音はできる、曲も作れる、ライブもできる。グッズも自分たちで作れる。でも、ちゃんとした規模のMVとか、大きい媒体への宣伝は俺らだけじゃ難しいんです」
担当者が頷く。
「MVとプロモーションに50万円ずつ使ってもらった方が、お互い意味あると思うんですよ」
綾坂が続ける。
「その代わり、原盤権はlunatiに残したいです」
担当者の表情が少し硬くなった。
「そこは……弊社としても、制作支援をする以上は回収の部分がありますので」
「それは分かってます。ここからは交渉です」
綾坂はすぐに答えた。
「原盤を永久に持っていかない代わりに、一定期間の独占利用権を出すのはどうですか?」
「独占利用権?」
「例えば2年」
担当者が少し考える。
「2年間は音源の収益はそちらが独占できる。ただし原盤権そのものの所有権はlunati。2年が終われば独占も終了するプランです」
ハルナが綾坂を見る。事前に家で話していた案そのものだった。
「2年の間は、そちらにも宣伝や営業を頑張ってもらう。その分、配信やYouTubeで回収もできるはずです。2年という縛りがあった方が、プロモーションも集中できる」
リョウヘイが言う。
「俺らも、その間にちゃんと宣伝してもらえるならメリットがある」
担当者は資料に何かを書き込む。
「ただ、弊社としては原盤を保有する前提でこの企画を組んでいます」
「もちろん、そこは分かってます」
綾坂は一歩も引かない。
「でも今回、そちらが負担するはずだったアルバム制作費をlunati側で持つことになりますよね。だったら、音源そのものをそちらが所有する必然性は少し下がると思うんです」
「……そうですね」
「その分、100万円はMVと宣伝に集中できる。そっちの方がGREAT ROCK側としても、選んだアーティストを売り出しやすくないですか?」
担当者が黙る。綾坂はさらに続けた。
「ウチらだって、原盤を守りたいだけで、そちらに何も渡したくないわけじゃないです」
リョウヘイもそれに続く。
「2年間は独占的に稼いでもらっていい。その代わり、ちゃんとlunatiを売ってほしい。それがこちらの条件だ」
綾坂とリョウヘイが交互に畳み掛けていく。
「そちらは2年間で回収したい。ウチらはその2年間でlunatiをもっと広げたい。そこは利害が一致してると思うんですよね」
「原盤権を永久に渡すのは無理です。でも2年間、本気で売ってくれるなら、その期間は一緒にやれる」
更にリョウヘイはトドメの一言を出した。
「別にこっちは100万なんてなくても十分やっていける」
少しだけ沈黙が流れた。ユイは本当に黙っている。ただ、何度も激しく頷いていた。ヒナがそんなユイを横目で見る。
「……よく我慢してますね」
小声だった。
「今めっちゃ喋りたい…!」
「分かります…!」
「でも黙るって決めたから……!」
ハルナが笑いを堪えた。担当者は資料を見ながら確認する。
「整理すると、lunatiさん側でアルバム制作を完結させる」
「はい」
「弊社の100万円相当の支援については、MV制作に50万円、広告・プロモーションに50万円」
「はい」
「原盤の所有権はlunatiさん。ただし弊社に2年間の独占利用権を付与する」
「そうです」
「2年後は?」
「自動延長はなし。そこで終了。待遇が良ければ更新も考えるところです」
綾坂が即答する。
「未回収の費用があっても延長はなしでお願いします」
担当者が苦笑した。
「そこまで…徹底していますね。よく勉強なさっている…」
綾坂の交渉術に担当者もタジタジだった。
汗を垂らしながら、相手がタダの若手バンドではないことを理解した。
担当者はしばらく資料を見つめた。GREAT ROCK側は支援したアーティストから利益を回収したい。lunatiは自分たちの権利を守りながら、大きな会社の宣伝力を借りたい。目的は違う。それでも、重なる部分はある。
「弊社側としては、2年後にも配信収益などから一定の取り分をいただきたいと思っております」
「そこも交渉させてください。割合については数字がある程度出てからの方がお互い決めやすいでしょう」
綾坂と担当者の間で、条件が1つずつ整理されていく。
一方的に要求を押しつけるのではなく、お互いに何が欲しいのかを確認し、その間に落としどころを作っていく。担当者は最後に資料を閉じた。
「……分かりました」
5人が担当者を見る。
「ただ、この条件は私の判断だけでは決められません。一度、上と相談させてください」
綾坂が頷く。
「もちろんです、お願いします。あ、もし条件を受けてもらえないなら100万円、いらないので」
綾坂も最後に強気にアピールした。
フェス当日の待遇の悪さをまだ根に持っているようだった。
担当者は焦っていた。
他のバンドはスイスイと打ち合わせが進み、短時間で仕事が終わった。しかしこのlunatiというバンドの交渉は1時間以上にも及んだ。
まさかここまで自走できるバンドが、アマチュアに埋もれてていたとは信じられなかった。
そこで、その日の打ち合わせはいったん終わった。
帰りのエレベーター。扉が閉まった瞬間、ユイが大きく息を吐いた。
「もう喋っていい!?」
「もういいよ。お疲れ様。ユイが黙っててくれたおかげで早く終わったよ」
綾坂が笑う。
「綾坂すごすぎ!」
「当たり前でしょ?ウチだよ?」
「アタシ途中から何言ってるか分かんなかった!」
「それでいいよ。こういう面倒くさいことはマネージャーに任せとけばいいの。アンタ達は音楽に集中しなさい、アーティストなんだから」
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数日後。綾坂のもとへGREAT ROCK側から連絡が入った。リビングに集まった4人の前で、綾坂がメールを開く。しばらく画面を読んでから、口元を緩めた。
「……通った!MV撮ってくれるって!」
「マジ!?」
ユイは飛び跳ねた。
「権利は?」
リョウヘイは綾坂に尋ねた。
「ほぼ交渉の時の条件をそのまま飲んでくれてる!向こうもメリットを感じてくれたみたい!」
メールの内容をザックリ言うとこうだ。
レコーディングはlunati側で行う。
100万円相当の支援は、MV制作50万円とプロモーション50万円に使用。原盤権はlunatiが保有。
GREAT ROCK側には2年間の独占利用権を与え、その期間終了後は自動延長なし。
細かい収益分配については、改めて双方で協議する。
リョウヘイも内容を確認した。
「かなり譲歩してもらえてるな…ありがたい」
「メールの最後の方見て」
綾坂が少し得意そうに笑う。
そこには担当者さんからのメッセージが込められていた。
「個人的にlunatiはとても推しています。幹部には無理を言って承認してもらいました。2年間、お互いに全力でlunatiを売っていきましょう」
「あの人、lunati好きだったんだ」
リョウヘイはその「全力で」という言葉を信用してみることにした。
企業の力を借りる。でも、全部を預けるわけではない。使えるものは使う。守るものは守る。お互いの欲しいものを理解した上で、両方に利益がある形を作る。lunatiにとって初めての、大きな企業との仕事。
その最初の交渉は、無事にまとまった。
交渉がまとまれば、次はアルバム制作だ。




