#85 泥臭いフェス
GREAT ROCK前日
リビングでは最後の確認が行われていた。
リョウヘイはスマートフォンで会場までの経路を確認する。
「9時に茨城の日立中公園……東京からなら始発で出れば間に合うか……」
「いや、今回はレンタカー、ハイエースで行こう」
綾坂がすぐに否定した。
「フェスなら基本、車で搬入口まで行ってそのまま機材搬入できるはず。他のアーティストもそのはずだし。ヒナっちのアンプとかグッズも持っていくってなると、物量はそれなりだよ」
「ごめんなさい、今回はどうしてもオレンジを使いたくて…」
ヒナは申し訳なさそうにアンプに手を置いた。
綾坂はむしろヒナを注意した。
「音への投資はケチっちゃダメ。今回は映像も残るし、なるべく機材でも威圧した方がいい」
テーブルの横には、すでに明日持っていくものがまとめられていた。ヒナのギターとアンプ。ハルナの機材。綾坂のオペレーション周りの機材。物販用のTシャツやダウンロードカード。
更にそれぞれの着替えや荷物まで合わせれば、とても5人で電車に乗って運びたい量ではない。
「確かになぁ……」
リョウヘイは頷いてから、ふと顔を上げる。
「っていうか、俺と綾坂しか免許持ってないじゃん」
「男の子でしょ、頑張んなさい」
「男女関係ある?」
「自動運転がついてるから。高速は楽だよ?」
「それなら、まぁ」
ユイが元気よく手を上げた。
「アタシ応援頑張る!」
「応援はいらねぇよ」
「なんでよ!」
ヒナが申し訳なさそうにリョウヘイを見る。
「頑張ってください……お願いです……」
「ヒナにそんな顔されたら断れないじゃん」
「オレンジちゃんをお願いします」
「そっちかよ」
ハルナが苦笑する。
「私たちもそのうち免許取らないとね……」
「そうだね、お金に余裕ができたら取ってほしいね」
綾坂が即答した。
「これから遠征とか増えたら、リョウヘイと2人だけじゃ絶対キツいから」
結局、今回はリョウヘイと綾坂が交代で運転することになった。レンタカー予定通りハイエースを予約。
集合は朝5時半。6時には家を出る。
翌朝。眠そうな顔をした5人を乗せたハイエースは、予定通り東京を出発した。渋滞もそれほどなく、自動運転の車が高速を走る。
会場に近づくほど、バンドのステッカーを貼った車がチラホラと目立つようになった。
恐らく目的地は一緒、グレートロックフェスだ。
会場へ到着したのは朝8時半過ぎ。すでに周辺にはスタッフ車両や関係者らしき人間が行き交い、遠くでは巨大なステージの音響チェックが始まっている。
まずは関係者受付へ向かった。
「森ステージのlunatiです。OAで出演予定です」
綾坂が名前を伝えると、スタッフが確認を取り、人数分のパスを差し出した。
「こちら本日の出演者パスになります」
「ありがとうございます」
綾坂は受け取ったパスを4人へ配っていく。
「はい。みんな首からかけて、絶対無くさないで。ライブ中も外しちゃダメ。特にユイ」
「わかってる!」
ユイはさっそくパスを首から下げ、嬉しそうに眺める。
「おお……GREAT ROCK PASSって書いてある!」
「記念品じゃないからね」
その時、別のスタッフが綾坂へ声をかけた。
「すいませんが、OAのバンドさんはお客様用の駐車場を使ってください」
「……へ?」
綾坂の動きが止まる。
「き、機材は?」
「手で持って運んでください。必要なら台車を出します」
綾坂の表情が消えた。
「……あの、搬入口から入れないんですか?ハイエースで来たんですけど…」
丁度その隣では、他の出演者の機材車が受付を通り過ぎて搬入口に入って行った。
「OAの方は一般駐車場からの搬入でお願いしています。本部からもそう通達が来ていますので……」
綾坂がゆっくり駐車場の方向を見る、かなり遠い。
しかも今日持ってきているのは、ギター1本や小さなバッグだけではない。ヒナのアンプ。ハルナの機材。綾坂の周辺機器。リョウヘイの機材。物販、その他の荷物。ハイエースを借りた意味が半分消えた。
さらにスタッフが続ける。
「あと、ライブが終わったら先程お渡ししたパスを回収させていただきます。その後はバックステージには入れなくなるので、よろしくお願いします」
「……あ?」
綾坂が固まる。その場の空気が凍りついた。
綾坂がブチギレそうなのをハルナはすぐに察知した。
「綾坂さん…お、落ち着いて」
次の瞬間。
「はぁぁぁぁああ!?」
綾坂の怒声が響いた。かなりゲインが効いていた。
「ちょっと待ってくださいよ!!OAとはいえ出演者ですよね、ウチら!いくらなんでも待遇が違いすぎませんか!?」
「はい。ただOAの方は――」
「朝9時入りで機材持ってきて、一般駐車場から手運びして、ライブ終わったらパス回収!?ふざけてんの!?」
「そ、そういう規定になってまして……」
「だったら最初から出演者用搬入口使えないって連絡に――」
「綾坂」
リョウヘイが肩を掴んだ。
「止めんなリョウヘイ!これはさすがに――」
「やめとけって」
「でも!」
リョウヘイは困ったように笑い、スタッフに聞こえるように言った。
「コイツらは昔っからこうなんだよ」
スタッフは帽子を深く被り直して視線を遮った。
その一言に綾坂が止まる、落ち着いたようだ。
ユイたちもリョウヘイを見る。
「……また前世?」
ユイが小声で聞く。
「まあな」
リョウヘイは遠くの巨大なステージを見上げた。オーディションで勝ち取った出演枠。ステージには立てる。ただし、待遇まで通常の出演アーティストと同じというわけではない。
「今日は喧嘩しに来たんじゃないだろ」
「……」
「ライブしに来たんだろ?」
綾坂はしばらく黙っていたが、大きく息を吐いた。
「……分かった。ごめんね」
「いいんだよ」
「でも納得はしてないから」
「それでいい」
綾坂は珍しく泣きそうになっていた。
表情には悔しさが滲み出ている。
結局、5人は台車を借りることになった。
一般駐車場へワゴンを移動させ、荷物を降ろす。アンプや物販を積んだ台車を押しながら、5人はステージへ向かって歩き始めた。
綾坂はまだ納得していない顔で、台車のハンドルを握っている。
「……ごめん。見誤った、ウチのせいだ。こんなことなら電車で行った方が安かった」
「綾坂のせいじゃない」
リョウヘイが隣から返す。
「そうです…私がオレンジちゃんを持ってきたから」
ヒナも申し訳なさそうに謝った。
いつしか綾坂には悔しさよりも怒りが勝るようになった。
「ってかマジムカつくんですけど! 2度と出ない、こんなクソフェス!」
「綾坂さん声大きいよ…!周りに聞こえるって…!」
ハルナが慌てて止める。
会場内を進んでいくと、ステージへ向かう道の周りには、すでにかなりの人が集まっていた。
テントを張っている客。キャンプチェアに座って朝食を食べている客。前日から泊まり込みで、フェスの開始を楽しみにしていたらしい。
まだ本格的なライブは始まっていないのに、会場には独特の浮ついた空気が流れている。
その横を、出演者パスを首から下げながら、大量の機材を台車で運ぶ5人。
目指す森ステージはキャンプゾーンとなっていて、地面は柔らかい土だ。
台車は上手く転がらない。リョウヘイ達にはそれがかなりのストレスだった。
ユイが周囲を見回した。
「……そだ! いいこと思いついた!」
何かを企んでニヤニヤしている。
次の瞬間、ユイは歩きながら大きく手を振った。
「みーなさーん!」
周囲の何人かが振り返る。
「この後あそこの森ステージでオープニングアクトやりまーす!lunatiでーす!みんな見ていってくださーい!」
突然の宣伝に、近くにいた客たちが笑う。
「頑張れー!」「見に行くよー!」
「ありがとー!」
ユイが嬉しそうに手を振り返した。
「ほら!いい宣伝できた!」
その横で、綾坂がニヤリと笑う。嫌な予感がした。
「主催のせいで大量の機材を手で運んでまーす!」
「お、おい」
「車で来たのにー!なめんなチクショー!」
周囲から一斉に笑いが起こった。
「頑張れー!」「負けんなー!」「台車押したろかー!」
さっきより声援が増えている。
「は、恥ずかしいです綾坂さん……!」
「や、やめてよもう…」
ヒナとハルナは恥ずかしそうに下を向いた。
「いいの!こんぐらいは言わせてもらわないとウチの気が済まないの!」
「完全に八つ当たりじゃん、その辺にしとけ」
リョウヘイが笑う。綾坂はまだ不満そうだったが、周囲から飛んでくる笑い声に少しだけ機嫌を直したようだった。
華やかな大型フェス初出演。
その始まりは、思っていたよりずっと泥臭かった。
そして、時計の針は10時を指そうとしている。
もうすぐフェスが始まる。
lunatiの出番は9:40から9:55。15分というOAらしい演奏時間だった。
ステージ袖。
4人のイヤモニに、音響卓にいる綾坂の声が入った。
『みんな聞こえてるね?』
リョウヘイたちは黙って頷く。
『確認した通り、リハはない。ぶっつけ本番。野外の開けた環境だと音周りが全然違うから注意して』
いつものライブハウスとは違う。壁も天井もない。音がどこまでも抜けていく野外ステージ。モニターから返ってくる感覚も、客席へ飛んでいく音も、普段とはまるで違う。
『でも、1曲目は様子見なくていい。15分、3曲で一気に畳み掛ける。頭はクールに、心はホットに。だよ』
4人がもう一度頷いた。
たった15分。だからこそ、最初から全部ぶつける。
駆け引きなんてない、全力勝負だ。
綾坂が時間を確認する。
『……時間だね。登場して』
4人はステージへ出た。
その瞬間、大きな歓声が飛んできた。
オープニングアクト。まだフェス本編が始まる前の時間帯。それでも客席には、すでにかなりの人が集まっている。300人は軽く超えていそうだった。朝、機材を運んでいた時に声をかけた客の姿も見える。
オープニングアクトを見に来た客たちは、これから何が始まるのか期待した目でステージを見ている。
不思議と緊張はなかった。アリノスでも。オーディションでも。ずっとやってきた。今日も同じだ。いつもの得意な演奏をするだけ。
ヒナがギターを構える。ハルナが鍵盤へ手を置く。リョウヘイがスティックを握る。ユイがベースを肩にかけ、マイクの前へ立った。一度、大きく息を吸う。
「おはようございまーす!」
歓声が返ってくる。
「オープニングアクト!lunatiです!ここに!グレートロック森ステージ、演奏開始を宣言します!」
ユイが笑った。
「みんな準備はいい!?」
さらに大きな歓声が湧き上がった。ユイがベースを高く掲げる。そして、その腕を一気に振り下ろした。弦を思い切り引っ掻く。鋭いベースの一撃。その瞬間に合わせて、ギター、鍵盤、ドラム。全員が完璧なタイミングで音を鳴らした。4人の音が重なり、巨大な1つの轟音となって野外へ放たれる。
GREAT ROCK。lunatiにとって過去最大のステージ。そのライブが、始まった。
3曲を畳み掛けるように演奏した。15分なんて、本当にあっという間だった。
それでも一曲一曲に魂を注いでいく。曲が進むごとに、会場をlunatiの音が飲み込んでいくのがわかった。
最後の一音を叩き切る。ユイが大きく息を吸った。
「ありがとうございました!lunatiでした!」
ステージから降りる直前まで、大きな歓声が追いかけてくる。短い時間だった。それでも、その反応を聞けば分かる。ちゃんとブッ刺さった。
ステージ袖へ戻ったところで、リョウヘイが真っ先に口を開いた。
「ごめん!ちょっと走ってた!力んじゃった!」
音響卓から戻ってきた綾坂が、すぐに首を振る。
「いいんだよ、あれで!ヒリヒリしててカッコよかったよ!」
「はい!」
ヒナも珍しく勢いよく頷いた。
「リョウヘイさんも主催にムカついてるのが音に出てましたよ!」
「わかる!」
ハルナが興奮しながら笑う。
「音が怒ってたよね!」
「うんうん!」
ユイも大きく頷いた。
「アタシもいつもより声出さないと潰されそうだったもん!」
「ごめんなぁ……」
リョウヘイが申し訳なさそうに笑う。綾坂は呆れたように息を吐いた。
「アンタは小さいミス気にしすぎなんだよ」
「でも走ってたのは走ってたし」
「だから、それ込みでよかったって言ってんの」
綾坂はリョウヘイの肩を軽く叩く。
「もうそんなレベルじゃないんだから、堂々としてな!」
リョウヘイは一瞬だけ黙った。そして、まだ客席から聞こえてくる歓声に耳を傾ける。
「……そっか」
「そ」
綾坂が笑った。完璧ではなかった。
少し速かった。少し力みすぎた。それでも、今日のlunatiにしか出せない音だった。そして客席の反応が、それでよかったと答えてくれていた。
予定通り、ライブを終えると出演者パスはその場で回収された。首から下げていたパスがなくなる。これで、ここからは本当にただの一般客だ。
綾坂はパスを返した受付を振り返りながら、大きくため息をついた。
「はぁ……楽屋もない、ケータリングもない、演者同士で繋がりも作れない……」
「ケータリングだけでも欲しかった……」
ユイも心底残念そうに呟く。
「そこなんだ」
ハルナが笑った。
とはいえ、いつまでも文句を言っていても仕方がない。
朝と同じように台車へ機材を積み込み、一般駐車場まで運ぶ。ライブを終えた身体に、アンプや大量の荷物は朝より重く感じた。
「行きよりキツいですね……うっ!」
ヒナがアンプを押さえながら言う。
「ライブ後だからなぁ……んっ!」
リョウヘイも反対側からアンプを押さえて苦笑する。
ようやくレンタカーまで辿り着き、機材をすべて積み込んだ。これで今日の仕事は終わり。
その後は5人とも、本当にただの一般客として会場へ戻った。
フードを買い、気になるアーティストのステージを見て、人混みに揉まれながら別のステージへ移動する。さっきまで自分たちがこのフェスの出演者だったことを忘れそうになるくらい、普通にフェスを楽しんだ。
朝は一般駐車場から機材を手で運ばされ、15分だけステージに立ち、終われば即座にパスを回収された。
待遇だけを見れば散々だった。
それでも、何百人もの前でlunatiの音を鳴らした。知らない客から歓声をもらった。そして今は、その客たちと同じ場所で音楽を楽しんでいる。
初めての大型フェスは、思っていたより華やかではなかった。でも、悪くない1日だった。
あとは賞金の100万円をどうするか。
後日の主催との打ち合わせの日程を決めて、lunatiは帰路に着いた。




