#82 契約
次の月曜日。
元々月曜日はバンド活動の日として休みだったが、この日は本当に休みにして5人は遊園地のプールに来ていた。
「プールだぁ!!うひゃー!」
ユイが入口を抜けた瞬間に走り出す。
「走るな小学生!」
綾坂がすぐに止めた。ハルナはその2人を見ながら笑う。
「ホントにプール来ちゃったね」
「アイツがプールプールって言うから」
リョウヘイが笑いながらユイを指す。
前に活動資金を「プールする」と話した時から、ユイはずっとこの言葉で遊んでいた。結果、本当に来た。
「ねぇリョウヘイ、プール5人分の領収書って経費にできるかな…?」
綾坂は一応リョウヘイに聞いてみた。
「む、無理なんじゃないか…?バンドと全く関係ないし…」
「だよね…まぁ、たまには贅沢しようか」
ヒナは流れるプールを眺めながら言う。
「なんだか、みんなで海に行ったの思い出しますね」
「それ、ウチ行ってない……」
綾坂がぽつりと言った。
ヒナの顔が固まる。ハルナは慌ててフォローに入った。
「あっ……あの綾坂さん! あれは綾坂さんと出会う前で――」
「冗談だよハルナ、ごめんって。」
「もう!そういうのよくない!」
「でもウチがlunatiに入る前の事も、もっと知りたいな」
「もちろん、なんでも聞いて。それに、これからもたくさん思い出作れるよ」
珍しく綾坂に振り回されたハルナだった。
2人は楽しそうに話していた。
その頃ヒナはウォータースライダーを見上げていた。
「乗りたい…です」
「ヒナ、こういうの好きなのか?」
リョウヘイは意外そうにヒナに尋ねる。
「はい…!こういったアトラクションは経験しておくべきかと…!ちょっと怖いですが…行ってきます!」
普段の静かな姿からは少し意外だった。
ヒナを見送ったあと、2人乗りの浮き輪を使うスライダーの前で、ユイがリョウヘイを待っていた。
「リョウヘイ、これ一緒に乗ろ!」
「えっ…。こういうの女同士とかカップルで乗るやつだろ…俺はいいよ、恥ずかしい」
リョウヘイは露骨に嫌そうな顔をした。
その答えが予想外だったのか、ユイの勢いがガクンと落ちた。そして周りにメンバーがいない事を確認してから、小さな声で言う。
「……アタシ、リョウヘイと乗りたい……」
リョウヘイは一瞬だけ返事に詰まった。
「……わかったよ。そんな顔すんなよもう…」
「やったぁー!」
次の瞬間には、
いつものユイに戻って腕を引っ張っていく。
ユイに連れられて5周連続で回った。
確かに、このハードな周回プレイはリョウヘイ以外では体力が持たない。ユイが自分を誘った理由をリョウヘイは勝手に理解したつもりになった。
昼になり、プールサイドの売店で軽く食べながら、5人は休憩していた。
プールへの入場券はlunatiの財布から出してもらえた。昼飯も出してもらえると思っていたユイから不満が出たが綾坂に睨まれるとすぐに黙った。
ハルナがスマートフォンを見ていた手を止める。
「……ねぇ、これ見て…?」
「なになに?」
画面を5人が見つめる。
それはlunatiのInstagramへ届いたDMだった。とある音楽事務所から、一度話をしたいという連絡だった。
続きの小難しい内容を綾坂が読む。
「ふむ……事務所から誘われたのね」
「事務所!? なにそれプロっぽ!」
ユイが一気に身を乗り出す。
「ってか、事務所に入るとなんかいいことあんの?」
「ザックリ言うと、仕事取ってきてくれたり、スケジュール管理してくれたり、交渉してくれたり。会社によるけどね」
「じゃあ全部楽になるじゃん!入ろ入ろー!」
「その代わり金も取られるぞ。俺たちの取り分が減る」
リョウヘイは不機嫌そうに言った。
「そ、それはダメ!lunatiの売り上げは渡さない!今でも割とヒーヒーなのに!」
ユイは慌てて両腕でバツを作った。
「そりゃ向こうも仕事だからね、ボランティアじゃないんだから。でも話だけなら聞く価値はあると思うよ、答えはその後決めればいい。」
綾坂も頷く。
「そうだね、もしかしたらメリットもあるかもしれないし」
「私、話だけでも聞いてみたいです!」
ハルナとヒナは割と乗り気だった。
「じゃ、話だけでも聞いてみるか。ホントに、話だけな」
リョウヘイは念入りに言った。
嫌な予感しかしない。
数日後。
5人は都内の雑居ビルのとある音楽事務所を尋ねていた。
メールを送ってくれた担当者、佐伯という男と会うことになっていた。
「はじめまして、スターライト・エンタテイメントの佐伯と申します。この度は御足労ありがとうございます。どうぞおかけになってください」
「こちらこそ。今日はお話だけ伺いに来ました」
綾坂は代表して答えた。
「もちろんそれで構いません。先日の2マンライブ、見させていただきました。本当はANTSを見に行ったんですが」
綾坂とリョウヘイが横目を合わせた。
「ライブの後に、lunatiの経歴をいろいろ調べさせていただきました」
佐伯は柔らかい口調で、lunatiの数字をよく把握していた。アリノスで40人前後を動員していること。物販が売れていること。自分たちで音源制作までできること。そしてANTSとの2マンで、相手の客まで引き込んだこと。
「特にライブでの客の巻き込みがすごいですね。対バンの客をほとんど持っていった」
佐伯は資料を見ながら言った。
「それに自主制作音源とグッズ。この年齢で、ここまで自走できているバンドは多くありません」
「…具体的に御社と契約するとlunatiにはどんなメリットがあるのでしょうか?」
前置きは必要ないと綾坂は言いた気だった。
「そうですね、こちらの書類をご覧ください」
佐伯からの提案はマネジメント契約だった。
イベントやライブの営業。スケジュール管理。外部との交渉。事務所が関わった案件を中心に20%の手数料。制作費を事務所が負担する場合は、その費用を収益から回収することがある。現在のEPの原盤はlunatiのまま。今後の原盤は、制作方法や負担割合で変わる。基本契約は1年。6ヶ月時点で一度、今後について話し合う。
「今日は契約を決めなくて大丈夫です」
佐伯は最後に契約書を差し出した。
「持ち帰って、皆さんで読んでください。分からないところがあれば、何でも聞いてください」
強引ではない。嘘をついているわけでもない。話だけ聞けば、なんとなく魅力的だった。
それでも当初の予定通り、5人は契約書を持ち帰ることにした。コピーを取り、家で作戦会議をすることになった。
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リビングのテーブルに、事務所から渡された契約書のコピーが広げられている。
「事務所に所属してもっとビッグになろうよ! いっぱいlunatiの名前売ってもらお!20%の手数料なんて大したことないじゃん!しかもあの有名なレックスの子会社なんでしょ!?絶対当たりだよ!」
ユイは完全に乗り気だった。
レックスは世界的に有名な日本の電化製品メーカーだった。S◯NYに似ている。
リョウヘイは契約書ではなく、綾坂を見る。
顔は険しい。
「綾坂、どう思う?」
「まずは契約書をみんなで確認しよう。リョウヘイの言いたいこともなんとなく予想が付くけどね……」
綾坂はページをめくっていく。最初に止まったのは契約期間だった。
「まずここ、基本は1年契約。で、満了3ヶ月前までに書面で解約の申し出がなければ自動更新」
「あれ?6ヶ月経ったら話し合うって言ってなかった?」
ハルナが聞く。
「話し合うとは書いてある。でも、そこで解約できるとは書いてないの。契約書の落とし穴だよ」
「えっ」
ユイの表情が変わる。
「次。さっきユイの言ってた手数料20%だけど」
綾坂が指で条文を追う。
「昨日の説明だと『事務所が関わった案件を中心に』って話だったけど、契約書の収益の定義はかなり広いよ。特に、昨日の話ではここにはほとんど触れてなかった」
ライブはもちろん、物販。音源販売。ストリーミング。広告。動画収益。その他、活動に関連する収益。
契約書に書かれていたことはほとんどのバンド活動を網羅していた。
「ほぼ全部じゃん!」
「『事務所の関与』の定義も広いね。告知を手伝っただけでも関与って読める。ライブの売り上げも手数料を取られる可能性がある」
さらに制作費。広告費。写真撮影。交通費。外部スタッフ費。事務所が立て替えた費用は、後からlunati側の収益から回収できる。しかも上限や事前承認の条件が曖昧だった。
「もしかしてこの費用って、lunatiの貯金から出すの?」
ユイが恐る恐る聞く。
「そうだよ。売上から返すから当然そうなる」
「えっ、それずっと続くの…?」
「そうだよ。返し終わるまで、こっちの取り分が減る。当然貯金も減る」
「怖っ!なにそれ!?ほぼ奴隷じゃん!」
綾坂は原盤の項目も開いた。
「今のEPはlunatiの原盤でオッケー。でも今後、事務所が制作費を一部でも負担した音源は、原盤の全部または一部を事務所側が持てるようになってる。契約書にもそう書いてある」
ハルナが契約書を見つめる。
「でも、佐伯さんが嘘を言ってたわけではないんだよね」
「うん、そうなんだよ。向こうもビジネスだからね」
綾坂が頷く。
「説明した内容と矛盾はしてない。ただ契約書をみる限り、向こうが有利に使える余白が多すぎる」
契約終了後も、事務所経由で取った仕事について一定の手数料が発生する条項がある。その範囲も期間も、はっきりしない。
確認するほど、バンドに不利な条件がいつくも隠されていた。
最後に綾坂は正直な意見をぶつけた。
「もちろん、費用対効果のあるサポートをしてくれるならアリかもしれない。けど正直ウチは、あの人からそこまでの熱意を感じなかった。今回の話は流していいと思う、よくある搾取型の新人育成枠だよ」
ヒナもそれに続いた。
「私もそう思います。最初はlunatiが大きくなればって思ってました…。でもこれはリスクが大きすぎます、lunatiを危険に晒したくありません」
リョウヘイはしばらく黙っていた。そして、契約書を見ながら口を開く。
「昔から、音楽事務所の契約書ってのは会社を守れる形で作られてるんだよ。ライブハウスのノルマと一緒だ」
制作費の条項を指で軽く叩く。
「会社だって金と人を出すんだから、それ自体は当たり前。でも、言葉のいい部分だけ聞いて、こっちが曖昧なままサインすると痛い目を見る」
原盤。経費の回収。契約終了後も残る手数料。
リョウヘイにとっては初めての経験ではなかった。
「特に今回みたいな、大手の看板がついた新人育成枠はもう嫌だ……」
綾坂が一瞬、不思議そうな顔でリョウヘイを見る。そして笑った。
「ふふっ……昔契約してたみたいに言うじゃん」
その言葉で、リョウヘイの表情が止まった。
少しだけ考える。いつか話すつもりではいた。ここまで一緒にやってきた4人なら、もういいのかもしれない。別に信じてもらえなくても構わない、仲間に秘密を作りたくなかった。
「……せっかくだから、俺の秘密をみんなに話そうかな」
「秘密?なになに!?急にぶっちゃけるね!」
ユイが身を乗り出す。リョウヘイは4人の顔を見た。
「信じても信じなくてもいい。参考までに聞いてくれ。これは俺の前世の話だ」




