#80 原盤権と2マン
綾坂はドラムを東音で録り終えると、残りのレコーディングはlunatiハウスで進めた。
ギター。ベース。キーボード。ボーカル。
防音室と綾坂の機材があれば、十分に形にできる。
普通なら場所代、エンジニア代など莫大な費用と時間がかかるが、ここで綾坂が作業する分には費用は発生しない。綾坂がタダ働きしてくれているからだ。
「次、ユイ。サビもう1回」
『えー! 今よかったじゃん!』
「よかったから、もう1個欲しいの」
『仕方ないなぁ…ぶつぶつ』
ドラムの次はベースを録音していく。ユイはレコーディングが苦手で何度もテイクを重ねた。
ライブでは気にならなかった小さいミスタッチも、レコーディングではノイズとして残る。
しかし難航したのはユイのベースぐらいで、残ったキーボード、ギター、ボーカル、コーラスのレコーディングはスラスラと終わっていった。
3曲が少しずつ完成へ近づいていく。
ある夜、全員で仮ミックスを聴き終えたあと、綾坂がノートPCを閉じずに言った。
「そうだ。今回ちゃんと正式に音源を出すから、権利の話もしとこう」
「また難しい話…?」
ユイが嫌そうな顔をする。
「そう。でも大事な話」
「じゃあ聞く……」
ユイは少しはバンドの経営を理解しつつあった。
音楽業界はルールが細かく、なんとなくでやっていては稼げない。まずは正確に情報を得て、考える事が大事だとユイはここ最近になってようやくわかった。
綾坂がまずハルナを見る。
「今回のEPの3曲、全部ハルナが作ってるよね」
「うん、歌詞はユイちゃんが書いたのも一曲あるよ」
「じゃあ作曲の権利は全部ハルナのもの。これはlunatiの共有物になるわけじゃない」
ユイが首を傾げる。
「歌ってるのはアタシなのに?」
「ボーカルと著作者の権利は全く別物だ。誰が歌うかは今は重要じゃない」
リョウヘイが補足する。
「曲を書いたのがハルナなら、作曲家としての権利はハルナに残る。これはバンドを辞めても、なくなる事はない」
「辞めないけどね」
ハルナが笑う。
「例えだよ」
「で、もう1個。これもかなり大切」
綾坂が人差し指を立てながら続ける。
「原盤権」
「げんばんけん…?」
ユイが復唱する。
「録音された音源そのものの権利。法的に誰がその録音を所有してるかって話」
「では、今回のEPの所有権は誰にあるんですか?一番頑張った綾坂さんですか?」
ヒナが聞く。
「まぁ形式上、ウチが代表になるけど。基本的にはlunatiに音源の所有権があると思っていい。ウチ自身がlunatiみたいなもんだからね」
綾坂が即答した。
「それってそんなに大事?」
ユイは要点を掴めていないようだった。
「これがめちゃくちゃ大事なんだよ」
リョウヘイが答える。
「レーベルに金出してもらって録る場合は、レーベルが原盤持つ契約も普通にある。そうすると、その録音をどう使うかは自分たちだけじゃ決められないこともある。勝手に使えなくなるんだ」
「え、自分達の曲なのに?」
「そう。申請する必要がある時もある」
綾坂が頷く。
「でも原盤権があれば配信するのも、カードで売るのも、動画に使うのも。契約で誰かに権利を渡してない限り、ウチらで決められる」
ユイが少しだけ真面目な顔になる。
「自分たちで金出して作る意味、そういうところにもあるんだ」
ハルナも少し考えたあと、口を開く。
「じゃあ、配信でお金が入った時はどう分かれるの?」
綾坂が新しいメモを作った。
「録音そのものから出る原盤収入はlunatiの活動口座。作詞作曲の著作権使用料は、書いた本人の収入」
「同じ曲なのに、利益源が2つあるんだ」
ハルナが画面を覗き込む。
「そう。ハルナが作曲した分はハルナ。ユイが歌詞を書いた曲なら、作詞分はユイ。バンド名義の売上と、作者個人の権利収入を混ぜない方がいい。確定申告が大変になる」
ハルナが小さく頷いた。
「分かった。曲の権利は私のまま。録音した音源はlunatiのものなんだね」
「その理解で合ってる」
誰かの善意を前提にしない。誰の権利で、どの金がどこへ入るのかを、最初に決めておく。それも5人で音楽を続けるために必要な準備だった。
3曲入りEP。原盤はlunati。ハルナの作詞作曲の権利はハルナのまま。原盤収入は活動口座へ、作詞作曲の収入は作者本人へ入れる。
誰かに言われたからではない。
5人で相談して、自分たちで決める。
EPは、次のライブの1週間前に配信することになった。自分たちの音を、自分たちの権利で世の中へ出す。その意味を、5人は少しずつ覚えていった。
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EPの制作を終えた頃。アリノスのマキから、綾坂へ新しい話が来た。
「2マン?」
月曜日のリビング。ユイが目を輝かせる。
「そう。相手はANTS。アリノスを拠点に活動してる3ピースバンド。」
綾坂が答えた。
ANTS。アリノスをホームにしている20代のバンド。演奏も安定していて、固定客もいる。lunatiよりずっと長くライブハウスで活動してきた若手だが先輩格だった。
「条件は?」
リョウヘイが聞く。
「今回はノルマなし。ハコ代を払って残りはANTSと山分け」
綾坂はパソコンを操作しながら答えた。
「なし!?そんなことある!?」
ユイが反応する。
「それと、1枚目からハーフバック」
「最初から1500円入るってこと?」
ハルナも反応する。
「そう。かなり美味しいイベントだね」
「なんでそんな条件良くなったの?」
「ウチらの動員が読めるようになってきたからだよ」
綾坂が笑う。
「店側も、客を呼べるバンドには条件を良くする。lunatiが認められ始めてるってこと」
「ちゃんと成長した分、条件も変わっていくんだね。ちょっと嬉しいな」
ハルナが少し嬉しそうに言った。
「で、どうする?」
綾坂はみんなに確認を取る。
真っ先にユイが手を上げた。
「出る!レコーディングも終わったし!」
「まだウチの編集作業が残ってるけどね…」
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そして当日。
入り時間にアリノスへ着くと、マキがいつもの調子で声をかけてきた。
「お、来たね」
「おはようございます。今日一日、よろしくお願いします」
5人の声が重なる。
「新しい音源聴いたよ。イイ出来じゃないか、自主制作1枚目のクオリティじゃないねぇ」
「ありがとうございます。おかげさまで結構再生してもらえています」
皆でお礼を言う、綾坂は特に喜んでいた。
「で、今日の順番なんだけどさ」
マキがタイムテーブルを差し出した。
リョウヘイが見る。ANTSが先。lunatiが後。
「俺ら後攻?」
「そうさね」
「こういうのって普通、ANTSがトリじゃないの?俺ら駆け出しッスよ?」
ANTSは固定客も多い。キャリアも上。普通に考えれば、そちらを後ろへ置く方が自然だった。場合によってはANTSが終わったら客が帰ってしまう可能性もある。
「アタシのイベントさね。好きにさせてもらうよ」
マキは口元を上げる。
「それに、そっちの方がおもろいっしょ?」
「理由それだけ?」
ユイは吹き出しながら聞いた。
「十分さね」
綾坂がマキの顔を見る。何か考えている。ただの気まぐれではない。それくらいは分かった。
「ま、やることは変わらないでしょ。マキさんの軍配に従おう」
綾坂が4人を見る。
「ANTSの後だろうが何だろうが、ステージに上がったら関係ない。ブチカマしたもん勝ちだよ」
「もっちろん!」
ユイが即答する。ヒナもギターケースを抱え直した。
「むしろ楽しみです、ワクワクしてきました」
ANTSの客が残っている状態で、lunatiが鳴らす。
自分たちを知らない客の前で、どれだけ持っていけるのか。2マン。今までより長い持ち時間。
相手の客まで全部、目の前にいるかもしれない。
マキがわざわざ後攻へ置いた理由を、ステージの上で確かめることになった。




