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#8 ライブ後の余韻

※本作は全話に挿絵があります。

画像が表示されない場合は、挿絵表示設定をご確認ください。


また、たまにイメージソングも記載しています。

よければ楽曲とあわせてお楽しみください。


ライブの翌朝、正門をくぐった瞬間から、リョウヘイは昨日までとは明らかに違う視線の量に気づいた。


校門脇で話していた2年生が会話を止める。靴紐を結んでいた男子が顔を上げる。昇降口へ向かう短い道を歩くだけで、あちこちから「あいつだ」という囁きが追いかけてきた。


昨日までなら、ただの見慣れない1年生として誰の記憶にも残らず通り過ぎていたはずなのに、今日は人の目がやけに刺さる。


「昨日のドラムやばかったよ!」


「うち、ちょうどドラマー探してるんだけど! 1回だけでも叩いてよ!」


「昨日のフィル教えてくれない? 動画撮っていい?」


「ありがと! ごめん! 急いでるから!」


冗談めかして手を上げ、どうにか人の輪を抜ける。


褒められること自体が嫌なわけではない。自分たちの音が誰かへ届いた証拠だ。昨日の演奏を楽しかったと言われれば、素直に嬉しい。


けれど、胸の奥には薄い違和感が残った。


飛んでくるのは「上手い」「速い」「すごい」という言葉ばかりだ。


どれも間違ってはいないし、好意から出た言葉なのも分かる。だが、リョウヘイが本当に欲しいものとは、少しだけ場所が違っていた。


前世から数えれば、技術を褒められた回数など覚えていない。速いフレーズも、派手なフィルも、求められればいくらでも叩ける。それで客が沸く気持ちよさも知っている。


それでも、上手いだけの音では、もう心の底まで震えない。


欲しいのは、誘われたから軽く音を合わせる相手ではない。


音楽のためなら平気で常識を踏み外し、たった1音でこちらの予想まで壊してくるような人間だ。


――ありがたいけど、探してるのは、こういうのじゃないんだよな。


ようやく1年A組の教室へ辿り着く。


扉を開けた途端、机を寄せて待ち構えていたユイが、片手を高く上げた。


「よっ! 有名人!」


「そういうの好きじゃないなぁ」


「じゃあ、無名人?」


「庶民」


リョウヘイが鞄を椅子の背へ掛けると、隣の席にいたハルナが口元へ手を添えて笑った。


「おはよう、リョウヘイくん。廊下、すごい人だったね」


「おはよう。教室に来るだけで3バンドから誘われた」


「3バンド!?」


ユイが驚いた直後、何かに気づいたように自分を指差した。


「ちょっと待って。アタシ、昨日あんなに歌ってベースも弾いたのに、1回も誘われてないんだけど!」


「私は、廊下で『キーボードの子もよかったよ』って言ってもらえたよ」


「“も”! その“も”に全部持ってかれてるじゃん! なんでリョウヘイだけ主役みたいになってんの!?」


「俺強いから」


「こいつムカつく!」


教室へ、いつもの調子の声が響く。昨日の歓声に比べればずっと小さいはずなのに、リョウヘイにはこちらの方が落ち着いた。


「まあ、目立ったのが俺だっただけだ。客が最後まで聴いたのは、3人の音がちゃんと曲になってたからだろ」


ユイが口を閉じる。


ハルナも、少し驚いたように瞬きをした。


「ユイは、最初の合わせみたいにベースが歌を追い越さなかった。最後のサビは、むしろ俺のキックへ自分から噛みついてきた。ハルナも、怖がって鍵盤を撫でるだけだった音が、昨日はちゃんと客席まで飛んでた」


「……褒めてる?」


「超褒めてる」


ユイは1度だけ鼻を鳴らし、それから抑えきれないように頬を緩めた。


ハルナは「よかった」と小さく呟き、胸の前で両手を重ねる。


「でも、リョウヘイくんは本当にすごかったよ。練習の時より、音がずっと大きく感じた」


「2人が前に出てたからな。空いた分だけ、俺も出られた」


「アタシ背中にライオンいるかと思った。止まったら食べられそうだった」


「……褒めてる?」


ハルナが吹き出した。


昼休みになる頃には、朝ほどではないものの、教室の前を覗き込む生徒が何人か現れていた。


購買へ向かおうと席を立ったところで、入口にいた女子生徒が意を決したように近づいてくる。


「あ、あの、リョウヘイくん。これ……!」


両手で差し出されたのは、淡い水色の封筒だった。小さな音符のシールで封がされ、近づいただけで甘い香りがする。


「え、俺に?」


「読んでください!」


女子生徒はリョウヘイの手へ封筒を押しつけると、答えを待たずに走り去った。

廊下の角へ消えるまでの速度はスプリンター並だった。


「告白じゃん!」


一部始終を見ていたユイが、机を鳴らす勢いで立ち上がった。


「まだ読んでないだろ」


「その封筒で『ドラムおしえて』だったら、渡し方が大げさすぎるよ!」


「可能性はありそうだけどな」


「ねーよ!」


リョウヘイは封筒を折らないよう、鞄の内ポケットへしまった。

あとで1人になった時にきちんと読むつもりだったが、教室中の視線が集まる今ここで開ける気にはなれない。ふとハルナを見ると、彼女は笑おうとして失敗したような曖昧な表情で、鞄の持ち手を握っていた。


「なんか、悪目立ちしてるな。こういうのは慣れない」


「……ごめんね」


ハルナの声が、周囲のざわめきへ消えかける。


「どうしてハルナが謝るんだ?」


「だって、最初にライブへ誘ったのは私だから。リョウヘイくん、目立つの好きじゃないもんね……私のせいで、こんなことになっちゃった」


膝の上で重ねた指が、申し訳なさそうに縮こまっている。


ライブを成功させた喜びより、誘った責任を先に考えてしまうのがハルナらしかった。同時に自分の性格を理解してくれた上で言ってくれたハルナの言葉はリョウヘイにはよく刺さった。


「違う。最後にやるって決めたのは俺だし、昨日は出てよかったと思ってる」


リョウヘイは迷わず答えた。


「面倒なのは、相手じゃなくて騒がれ方だ。それに、2人と演奏したのは楽しかった。だから謝るな」


ハルナは顔を上げ、何度か瞬きをした。

それから、ようやく小さく頷く。


「……うん」


「話まとまった? 早く中庭行こうよ。今日の弁当、廊下までいい匂いしてる」


「ユイ、さっき購買でパン買ってなかったか?」


「あれはデザートだから!」


「デザートは別腹なんだよな」


3人で中庭へ移動し、いつものベンチを囲む。


ハルナが弁当箱の蓋を開けた瞬間、味噌と油の香ばしい匂いが、春の風へ混じって広がった。


つやのある豚肉、火を通しても鮮やかな色を残したピーマン、味噌だれをまとったキャベツ。


白いご飯の上には、黒胡麻が几帳面に並んでいる。


「いつも弁当、助かってる。ありがとな」


「っ……う、うん!」


ただ礼を言っただけなのに、ハルナの頬がみるみる赤くなった。


視線を弁当箱へ落とし、箸の向きを直す。すでに揃っていたものをもう1度直しているので、動揺しているのは明らかだった。


その様子を見比べたユイが、パンの袋を開けながら深いため息をつく。


「リョウヘイはもっとハルナに感謝するべきじゃない?」


「してんじゃん。ってかお前もじゃね?」


「女の子に毎日お弁当作らせるなんて高校生のやることじゃないからね!」


「ユ、ユイちゃん!」


ハルナが慌てて止めると、ユイは楽しそうに笑い、回鍋肉へ箸を伸ばそうとした。


その手をハルナが無言で掴む


「昨日一緒にライブした仲じゃん!」


「それとこれは別だよ。ユイちゃんはパンがあるでしょ」


「味見だよ! あーじーみー!」


3人の笑いが落ち着いたところで、ユイがふと思い出したように首を傾げた。


「そういえばさ、ライブ終わったけど、これからどうすんの?」


「どうって?」


「バンド。弁当の契約は続いてるけど、ライブのための臨時編成だったじゃん。終わったから解散?」


その言葉に、ハルナの箸が止まった。


さっきまでの柔らかい表情が消え、膝の上へ置いた左手がスカートを握る。


「あのね、リョウヘイくん」


意を決したように顔を上げる。


声はわずかに震えていたが、目は逸らさなかった。


「リョウヘイくんさえよければ、もうしばらく一緒に組んでほしいの。すごく楽しかった。私、もっと上手くなりたい。昨日、今まで1度も出せなかった音が出せた気がして……でも、まだ一瞬だけだったから」


ハルナは1度息を吸い、言葉を続ける。


「もう少しで、何か掴めそうなの。だから、そこで終わりにしたくない。もちろん、お弁当も作るから!」


最後の一言だけ急に勢いがついた。


まるで、それが自分に差し出せる1番強い条件だと思っているようだった。


リョウヘイは腕を組み、しばらく黙った。


ユイとハルナが、探している『イカれた』人間なのかは、まだ分からない。

昨日の音には確かな手応えがあったが、1度のライブで答えを決めるつもりもなかった。


ただ、2人が本気なのは分かる。


ユイは指先が硬くなるまでベースを弾いた。ハルナは失敗を怖がりながらも、最後には自分から音を前へ出した。


その続きを聴きたいと思っている自分もいる。


「っていうかさ」


黙っていたユイが、回鍋肉を狙う箸を再び伸ばしながら口を挟んだ。


「アタシたち3人で組んでるって言えば、朝みたいな誘いも減るんじゃない? リョウヘイ、ああいうの面倒なんでしょ」


「……なるほど」


核心を突かれ、リョウヘイはユイを見る。


本人は名案を出した顔で頷きつつ、箸の先をハルナに押し返されていた。それでも負けじと箸を伸ばし、激しい攻防戦が始まった。


「ユイちゃん、この手がなかったら最高のセリフなのに…!」


「アタシだって、昨日で終わるの嫌だし…!もっと3人でやりたい…!おかずもほしい…!」


冗談の調子に紛らせているが、その言葉だけはまっすぐだった。2人の箸がカチカチとぶつかり合っていた。


リョウヘイの中で、迷いが消える。


「分かった。これからもよろしくな、2人とも」


「……ほんと?」


「ああ。ハルナ、唐揚げも好きだぞ」


「アンタ、今の流れで次のおかずを注文した!?」


ユイが半目になり、ハルナは一瞬きょとんとしたあと、堪えきれないように笑った。


「うん。じゃあ、今度作ってくるね!」


「甘やかしちゃダメだって! そのうちビーフストロガノフとか言ってくるよ!」


「あれな、うまいよな」


「期待した目で想像すんな!」


ハルナは嬉しそうに弁当箱をリョウヘイの前へ差し出した。


「今日は回鍋肉だよ。いつもより気合い入れて作ってきたの」


「お、今週の回鍋肉の日か」


味噌だれの絡んだ豚肉を口へ運ぶ。


甘辛い味のあとから、生姜と豆板醤の香りが抜けた。キャベツは水っぽくならず、ちゃんと歯応えが残っている。


「んー!うまい!」


それだけで、ハルナの顔がぱっと明るくなる。


「んー!おいしー!」


当たり前のようにおかずを持っていかれた。


ライブが終われば解散するはずだった3人は、特別な宣言も、格好のいい約束もないまま、回鍋肉を囲んでその先を続けることになった。


食事が一段落した頃、ユイがスマホを眺めながら「あっ」と声を上げた。


「ねえねえ、これ見て! 昨日見つけたんだけど、マジでやばいから!」


画面を横向きにし、2人の間へ突き出す。


映っているのは、黒いギターと、そのネックを押さえる細い指だけだった。顔も、部屋も、演奏者が誰なのか分かるものは何1つ映っていない。


動画の端には、配信者の名前が表示されている。


『ピナ』


「今登録者1万人。顔出しなしで、高1らしいよ。アタシらと同い年!」


「1万人って、学校の生徒を全員集めても全然足りないね……」


ハルナが感心したように画面を覗き込む。


ユイが再生ボタンを押すと、スマホの小さなスピーカーから、鋭く歪んだギターが飛び出した。


最初の数秒で、リョウヘイの箸が止まった。


速い。


だが、速さだけなら珍しくない。

指板を駆け上がる左手には無駄がなく、ピッキングも恐ろしいほど正確だ。

それでも、リョウヘイの耳を掴んだのは技術ではなかった。


音の1つ1つが、何かへ噛みついている。


高い音へ駆け上がった直後、普通なら勢いのまま埋める場所で、不意に音を切る。


ほんの短い休符。


その空白があるせいで、次の1音が叫び声のように突き刺さった。フレーズは荒々しいのに、弦のノイズは必要な分しか鳴っていない。感情に任せて暴れているようでいて、暴れるための制御が異常なほど細かい。


「……なんだ、こいつ」


リョウヘイは無意識に身を乗り出していた。


画面の中にはギターしかない。


それなのに、その演奏は1人で完結しようとしていなかった。


フレーズの終わりに、誰かが飛び込める隙間を残している。低い弦で刻むリズムへバスドラムを重ねれば、さらに前へ進む。長く伸ばしたチョーキングの裏へスネアを置けば、別の表情を見せる。


聴いているだけで、勝手にドラムが浮かんでくる。


前世で、数えきれないほどのギタリストと音を合わせた。


上手い人間も、派手な人間もいた。


だが、こちらから1音返してみたいと思わせる演奏は、そう多くない。


「なんか……叫んでるみたい」


ハルナが、小さく呟いた。


その言葉に、リョウヘイは画面から目を離さないまま頷く。


「ああ。声は出してないのにな」


怒っているようにも、泣いているようにも聴こえる。


それでいて、誰かに分かってほしいと素直に訴える音ではない。


近づくものを拒みながら、それでも独りでは鳴らせない何かを探している。


そんな矛盾が、6本の弦から溢れていた。


「でしょ!? 超カッコいいよね、ピナ!」


ユイが自分のことのように胸を張る。


「やっぱバンドにはギターだよ! こんなギタリスト入ってくれないかなー。アタシもギター弾けたらよかったのに!」


「ギターと間違えてベース買ったやつが、何か言ってる」


「ちょっ、それはもういいでしょ! 結果的にベースは運命の相手だったの!」


続けてユイは言う。


「出会い方で愛の深さは決まらないの!」


ユイが顔を赤くしてリョウヘイの肩を叩き、ハルナが声を上げて笑う。


中庭に、いつもの賑やかさが戻った。


それでもリョウヘイの視線は、スマホの画面から離れなかった。


動画が終わり、関連動画の一覧へ切り替わる。


もう1度見たいと言う前に、指が勝手に再生位置を最初へ戻していた。


――ピナ、か。


その名前を、心の中でもう1度なぞる。


昨日から浴び続けたどんな称賛より、顔も知らない誰かが鳴らす数分間のギターの方が、ずっと強く胸をざわつかせた。


画面の向こうにいるだけの人間なのに、もし同じ部屋で音を出したら何が起きるのか、想像せずにはいられない。


探していたものが、思いもよらない場所から、ほんの少しだけ顔を覗かせた気がした。

挿絵(By みてみん)

毎日投稿いたします。20:30更新です。

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