#76 10万円
ライブ翌日、月曜日。
いつもなら朝から掃除を始める日だが、今日は全員少し遅めに起きていた。昨日のライブで使った機材も、まだリビングの隅にまとめられたままだ。
「おはよー。昨日はつかれたなー……」
一番遅くに起きたユイがソファに沈み込む。
「昨日あんなに元気だったじゃん」
ハルナが飲み物をテーブルに並べながら笑った。
「ライブ中は元気なの!次の日にくるの!」
「年寄りみたいだな」
リョウヘイが言う。
「リョウヘイおじさんに言われたくない!」
「おじさんって言うなよ!タメだろ!」
「そっちがBBA扱いしてきたんでしょ!」
ヒナはそんな2人を横目に、自分椅子に座りいつものようにギターを抱えていた。
「私はいつでもライブしたいです」
「昨日やったばっかりだぞ」
「はい、昨日が楽しすぎて」
「元気だなあ……」
ユイがソファからヒナを見る。
綾坂はノートPCを持ってきて、テーブルの中央へ置いた。
「はい、みんな集まって。今日は昨日の反省会と、次に向けての作戦会議」
「えー」
ユイは面倒くさそうに呟いた。
「何よ、その反応」
「もうちょっと余韻に浸らせてよー。せっかくいいライブしたのに」
「大事な事だから、ちゃんと聞きな」
綾坂が画面を開く。
「反省会って言っても、演奏についてはそんなに言う事ないよ。流石は東音の卒業生って感じ」
「だよねー!」
ユイが一瞬で元気になる。
「昨日のアタシめっちゃよかったもん!」
「うん、昨日のユイちゃんすごかった!」
ハルナが笑う。
「調子乗んな。と、言いたいところだけど」
綾坂は素直に意見を言った。
「昨日は本当によかったよ。ユイもみんなも、かなり強いグルーヴが出てた。やっぱり、その辺のバンドとはレベルが違うね」
「みんな盛り上がってくれてましたしね」
ヒナも嬉しそうに言った。リョウヘイも異論はなかった。東音で2年間積み上げてきたものは大きい。生活が変わって全員で集まれる時間が減っても、演奏まで全部やり直しになるわけじゃない。そこはlunatiの大きな強みだった。
「だから今日は、演奏よりこっち」
綾坂が画面を切り替えた。
ライブギャランティ、50000円。ダウンロードカード、47000円。合計、97000円。
ユイが勢いよく身体を起こした。
「約10万!」
「正確には9万7000円」
「もう10万でいいじゃん!」
「ダメ。しかもこれはまだ売り上げの段階。純利益じゃない」
昨日売ったダウンロードカードは47枚。50枚用意し、残った3枚はマキさんと対バンへ配ったので、販売分はちょうど47000円だった。
「ほぼ全部売れたんだね」
ハルナが嬉しそうに数字を見る。
「うん、思った以上だったね。それだけライブが良かったのと、ユイの営業力のおかげかな」
綾坂も頷く。
ユイは胸を張って褒められるのを待っていた。
「で、問題はこの9万7000円をどうするか」
「もっと褒めてよー!お小遣い頂戴よー!」
ユイが即答した。
「十分褒めたでしょ。それに貯金するって言ったでしょ?」
「あー、プールってやつ?」
「そう。基本はプール。これからのlunatiの活動資金にする」
「ってか、このお金でみんなでプール行こうよー」
「行かないっての。もう、うるさいなぁ」
綾坂は呆れた顔をしながら財布を取り出した。
「……しかたないなぁ、さすがにこれだけ頑張ってギャラなしはかわいそうだから…」
「え?」
綾坂は1000円札を取り出し、リョウヘイ、ユイ、ハルナ、ヒナへ1枚ずつ渡した。最後に自分の分も1枚取る。
「はい。昨日のギャラ、1人1000円」
「やったー!」
ユイが札を掲げた。
「アタシたちプロじゃん!」
「1000円だけどね。でも嬉しい…!」
ハルナも嬉しそうだ。大事なのは金額だけじゃない。
「たった1000円だけど、何の興味もないバイトでもらう給料の1000円より断然うれしい!」
ユイの目は輝いていた。
ところが綾坂は、さらに2000円を取り出した。1枚を自分へ。もう1枚をリョウヘイへ渡す。ユイがすぐに気づいた。
「ちょ!ずるい!なんで2人だけ1000円多いの!?」
「これはウチとリョウヘイで割り勘したカードの制作費と作業料」
綾坂が即座に返す。
「印刷代も先に出してるし、リョウヘイはカードの準備。ウチはこれから音源の編集もある。これでも足りてないぐらいなんだからね。文句言わない」
「あ……そっか、2人ともごめんね」
ハルナが申し訳なさそうに2人を見る。
「お金、先に使ってくれてたんだね」
「大した額じゃない、それに今回だけだよ」
リョウヘイは更に受け取った1000円を財布に入れた。ヒナが少し考えてから聞く。
「今後はプールした資金があるから……ですか?」
「その通りだ」
リョウヘイが頷く。
「次からは印刷代とかもlunatiの財布から出せる」
綾坂が残金を計算した。97000円から、5人分のギャラで5000円。さらにリョウヘイと綾坂へ1000円ずつ。残りは90000円。
「9万になっちゃったけどな」
リョウヘイが言う。
「9万!」
ユイがまた反応する。
「それでもいっぱいあるじゃん!」
「個人ならね」
綾坂がノートPCに新しい項目を作った。lunati活動資金。90000円。
「バンドの全財産として見ると、全然ないよ」
「確かに…急に少なく感じる…」
「でしょ?」
昨日までは0円だった。それが、1本のライブで90000円になった。もちろん5人の生活費にできるほどではない。それでも、自分たちの音楽で作った最初の活動資金だ。
「カードは次もやるの?」
ハルナが聞く。
「アタシやりたい!」
ユイが即答する。
「めっちゃ売れたし!次は絶対完売させる!」
「ライブが良ければそのままカードも売れるからね。まだ正式な音源もないし、しばらくはやってくつもりだよ」
綾坂が言う。
「カードのライブ音源に関しては、綾坂様に毎回一肌脱いでもらうことになります」
リョウヘイがわざと丁寧に頭を下げる。綾坂は得意げに胸を張った。
「わぁってる。この綾坂様にまかせんしゃい」
「お願いします、綾坂様」
ハルナも便乗して頭を下げる。
「綾坂様!」
ユイもすぐに乗っかる。
「ユイうるさい。今だけだから、いずれは業界相場の作業料をもらうからね」
「綾坂様ぁ…」
ヒナが残念そうに言う。
綾坂は堪えきれず吹き出してしまった。
ヒナは少し考えてから口を開く。
「毎回違うライブ音源なら、前に買った人もまた買ってくれる可能性がありますね」
「そういうことだ」
リョウヘイが頷く。
「その日のライブを持って帰れるようなもんだからな。リピーターやコレクターはまた買ってくれるはずだ」
ユイは高らかに宣言した。
「だったら次は100枚!」
綾坂はすぐ否定した。
「そこは同じ50枚でいいと思う、売り切れることも宣伝に繋がるから。それにいきなり増やしてロスが出ても仕方ないしね。ここは慎重に行こう」
「おし!この残った9万円で、次の物販はバンドのTシャツでも作るかぁ」
リョウヘイが言った。
「バンT!?最高じゃん!めちゃくちゃバンドっぽい感じする!」
ユイがすぐに食いつく。
「なんだよ『っぽい』って。ずっとバンドやってんだろ」
リョウヘイは呆れてしまった。
「だって!初めてじゃん!自分のバンドのTシャツなんて!」
ユイは興奮を抑えきれない。
「今までずっと着る側だったのに、これからは着られる側なんだ!なんか嬉しい!」
ユイの様子を見てリョウヘイは気がついた。
リョウヘイ自身、前世で何度も自分のバンドのTシャツを作った。いつからそれに慣れてしまったのだろう。いつのまにか大事なモノを忘れてしまっていたようだ。
リョウヘイも初めて自分のバンドのTシャツができた時は喜んだ。彼女達にとっては初めての事なのだ。
いい経験しろよ、と思いながらリョウヘイは話を進める。
「ただし最初はXLサイズ限定。DIYで作ろう」
「自分たちで…?できるの…?」
ハルナが首を傾げた。綾坂がすぐに察する。
「リョウヘイまさか、シルクスクリーンとか?」
「まさに」
リョウヘイが頷く。
「最初に4万ぐらい投資が必要だけど、版とか道具を揃えれば、その後はかなり原価を抑えた価格でTシャツを売れる。在庫も最初から大量に作らず、都度都度作ればいいしな」
「なんでサイズはXLだけなの?」
ユイが聞く。
「サイズを何種類も作ると、その分だけ在庫管理が面倒になるから。最初は1サイズで様子見したい」
「確かに。最近はオーバーサイズのTシャツ着てる人も多いしね」
綾坂が続ける。
「XLだけでも案外いけると思うよ。Tシャツの型や素材は厳選しようね」
「アタシも着れる?」
ユイは尋ねる。
「着れるよ。だいぶ大きいけどな。なんなら型はユイが選べよ。結構いろいろあるからな。好きなやつ作っていいぞ」
「最高じゃん!今すぐ欲しい!」
ハルナも頷いた。
「私も大きめに着るの好きだよ。ゆったりしてる方が可愛いし。パジャマとかにも使いやすいよね」
ヒナも興味を示す。
「そのシルク?スクリーンというのは、自分たちで印刷する為の機材ですか?」
「その通りだ。印刷には少し技術はいるが、やっていくうちに慣れていくだろう。失敗しても、俺たちの部屋着になるだけだ」
「それはそれで欲しいですね」
「失敗を前提にしちゃダメだよ?」
ハルナが笑う。
綾坂は活動資金の90000円を見ながら考えた。
「4万使ったら一気に5万になるけど、ちゃんと売れれば、次からはTシャツの利益をそのまま活動資金に戻せる」
「シルクスクリーンの機材はずっと使える。業者から無地のTシャツと特殊な塗料だけ買えばいい。原価はかなり抑えられる」
リョウヘイが言う。
「やろう!」
ユイが即決する。
「みんなでTシャツ作るの楽しそう!」
「その作ってるところもSNSに上げよう」
リョウヘイが続けた。
「作業してるところ?」
ハルナが聞く。
「そう。完成したTシャツだけ載せるより、5人で刷ってるところから見せた方がいい」
綾坂もすぐに意図を理解した。
「手作り感そのものを売りにするんだ」
「そういうこと。メンバーが自分たちで作ってるって分かれば、応援の意味でも買いやすいだろ」
「なんか文化祭みたい!」
ユイが楽しそうに笑う。
「近いかもな。全員で分担して作業しよう」
「でもクオリティ低かったらどうするの?失敗する可能性もあるんだよね?」
「多少ならDIYってことで味になる」
リョウヘイが答えると、綾坂がすぐに補足した。
「多少と言えど限度はあるよ。着れないレベルの失敗作を売るのは絶対なし」
腕を組みながら確固たる意思を示した。
「プリント位置がちょっと違うとか、インクの乗り方が少し違うくらいなら、個性が出ていいけど。マイナスプロモーションにはならないように、最後にウチがクオリティをジャッジするからね」
「そっか。セルフ印刷だから、全部同じじゃないんですね。ちょっとのズレや滲みがそれぞれのTシャツにあるって事ですね」
続けてヒナが言う。
「むしろ1枚ずつ少し違う方が私は好きです。自分だけのlunatiTシャツって事ですよね」
「わかる!それな!」
ユイが頷く。
「自分のだけ他とちょっと違うとか、めちゃくちゃいいじゃん!」
ハルナもスマートフォンを手に取った。
「じゃあ作る日は写真たくさん撮るね。動画も撮った方がいいかな?」
「そうだな、たくさん欲しい。版作ってるところとか、実際に刷ってるところとか。ユイが失敗して騒いでるところとか」
リョウヘイが答える。
「なんでアタシ失敗する前提なの!?」
「その辺をギュッとまとめて宣伝してほしい」
「うん、わかった。ユイちゃん、大失敗よろしくね!」
ハルナが笑いながらメモを取る。XLサイズ限定。シルクスクリーンで自作。制作過程もInstagramへ投稿する。売れたら追加で刷る。最初から大量に在庫を抱える必要はない。
「いいんじゃない?」
綾坂が言う。
「完成品だけ出して『買ってください』より、みんなで作ってるところを見てもらってから『できました』って出した方が愛着も湧くだろうし」
「でも、もし売れなかったら?」
ユイが聞く。
「特別リスクはないよ。家にTシャツのダンボールがずっとあるだけ。ライブをやっていれば、Tシャツは絶対そのうち売れるから。必要になったらまた作ればいい」
「最高じゃん!」
「だからって、売れなくていいって意味じゃないからな」
リョウヘイは釘を刺した。
次の物販については、これで大体決まった。綾坂がノートPCを操作する。
「あと、マキさんから次も出ないかってメールで誘われた」
「マジ!?出よ!」
ユイの返事が早い。
「いつ!?」
「来月末。今度も4マン」
「よし出る!」
「まずは条件を聞け。何も学んでねぇな、お前は」
リョウヘイが笑う。
「じゃー、ノルマは?」
「今回も同じ10枚でいいって」
「流石綾坂!社割最高!」
「違う違う。昨日しっかり40人呼んだからだよ」
綾坂が手を振りながら言う。
「ライブハウス側からしたら、客をバッチリ呼んでくれるバンドはまた呼びたい。昨日の40人が、もう次のライブに繋がってるってこと」
ハルナが嬉しそうに頷いた。
「私たちが頑張って集めたことも、ちゃんと評価されてるんだね」
「そういうこと。期待してもらえれるの。言ってたでしょ?win-winって」
綾坂はダブルピースでニッコリで返した。
ただライブが上手かっただけじゃない。40人を動員した。物販もほとんど売った。その結果が、そのまま次の出演へ繋がった。
「そうだな。最低でも月一ではライブしたいしな。出るか」
リョウヘイが言う。
「私、出たいです!」
ヒナもすぐに手を上げて続く。
「私も出る」
ハルナも頷いた。
「ふふ、決まりね。マキさんに連絡しておく」
楽しそうに綾坂が予定を入力する。
ユイは再び、活動資金の90000円を眺めていた。
「ねえ綾坂、Tシャツで4万使ったら残りは5万はどうすんの?」
「とりあえず、lunatiの活動資金かな」
「少なっ!」
「でも、これでスタジオに行くまでの交通費やスタジオ代は支給出来るようになったんだよ」
「じゃあ、スタジオ終わりの徴収はもうないんだ!」
「徴収って言わないでよ…もうないから安心して」
「交通費も貰えるのは地味に嬉しいです」
ヒナがしみじみと漏らした。
こんな稼ぎでは、まだ5人の生活費にはならない。自分たちの音楽だけで生活するには、あまりにも小さな数字だ。
それでも昨日までは0円だった。
客を呼び、ライブをして、物販を売って。初めてlunati自身が作った90000円。そこから次の物販を作って、またライブをする。少しずつでいい。
ユイは手元の1000円札を見つめ、深いため息をついた。
「はぁ……バンドって超儲からないんだね……」
ハルナも自分の1000円を見て苦笑する。
「これだけやって1000円だもんね」
「またしばらくは節約ですね……」
ヒナも静かに頷いた。約1ヶ月半かけて客を集めた。当日は機材を運び、リハーサルをして、ステージに立って、終われば物販まで売った。それで個人の手元に残ったのは1000円。数字だけ見れば、割に合わない。
「でもさ」
リョウヘイがニヤニヤしながら言う。
「クッソ面白いだろ」
一瞬だけ静かになった。ユイが真っ先に笑った。
「うん!普通に生きてたらこんなイカれた経験できないもん!バイトしてるよりよっぽど良いよ!」
「1000円…!これが初任給というやつですか…!お母さんに何を買えばいいのでしょうか…!」
ヒナも少し嬉しそうに、自分の1000円札を見る。
「初任給とはちょっと違うような…」
ハルナが笑った。綾坂も肩を揺らす。
バンドは儲からない。その上、準備も面倒くさい。
思っていたより、ずっと大変な事ばかりだ。これから何日もかけて準備をして、スタジオにも通ってセットリストを通して、Tシャツも作って。
それで与えられるご褒美は当日の30分の演奏時間だけだ。このバンド業界にタイパという言葉はまだ無い。
それでも、またライブをやりたい。
何よりも自分たちの音を聞いてほしい。
その気持ちだけは、5人とも同じだった。
その為の準備ならば、甘んじて受け入れるしか無い。
リョウヘイはその日、シルクスクリーンの機材を入念に調べて、予算を少しはみ出すがちょっといい機材をネットでポチってから寝ることしにした。




