#69 卒業したら
それからのlunatiは、ハルナをメインボーカルに据えて活動を続けた。
月に2本というペースも変わらない。1本は、東音で月末に開かれる『マンスリークローザー』。出演できるのは、校内でも選ばれた少数のバンドだけ。lunatiはそこへ毎月レギュラーで出演していた
。そしてもう1本は、学校の近くにあるライブハウス『アリノス』。こちらでも毎月、学外ののバンドとの対バンライブを重ねた。
ハルナが歌い、ヒナが支え、ユイはベースに徹する。リョウヘイは戻ってきた右足と新しい奏法を武器に叩き、綾坂はステージの外から全員の音を支えた。そんな日々を繰り返しているうちに、冬は終わっていた。
気がつけば、春だった。
その数日前、ユイは最後の診察で歌唱再開の許可を受けていた。声帯の状態は安定している。ただし、無理に張り上げず、痛みや違和感があればすぐにやめること。それが医師から出された条件だった。
ある日の放課後。
リョウヘイたち5人は、ティアーユに呼ばれて教室へ集まっていた。ティアーユは5人の顔を順番に見渡すと、少しだけ寂しそうに微笑んだ。
「皆さん、もうすぐ卒業ですね……。とても寂しいです。今後、皆さんのような問題児は現れないでしょう」
しんみりしかけた空気を、ユイが一瞬で壊した。
「ホントにコイツがごめんなさい」
ユイがリョウヘイを指さす。
同時に、リョウヘイもユイを指さした。
「ホントにコイツがごめんなさい」
「なんでよ!」
「なんでだよ!」
ティアーユは小さく笑った。
その隣で、ヒナが少しだけ目を伏せる。
「先生……私、絶対忘れないです」
ハルナも静かに頷いた。
「私も。先生のことも、この学校のことも……絶対に忘れない」
「卒業式はまだですよ」
ティアーユはそう言ってから、いつもの穏やかな表情へ戻った。
「それに、マンスリークローザーも、アリノスでのライブも、最後まできちんと完遂しましたね。」
「はい!」
ユイが真っ先に返事をする。
それだけでティアーユは喜びを隠さなかった。
「ですから、最後にもう1つ、ご褒美です」
ティアーユは少し間を置いた。
「卒業式のあと、短い時間ですがlunatiだけのライブをやっていただきたいと思っています」
ヒナが顔を上げる。
「それって……」
リョウヘイも目を見開いた。
「ワンマンってこと……?」
「そうです。lunati、ワンマンライブです」
あまりにもあっさりと、ティアーユは頷いた。
そして視線をユイへ向ける。
「ユイさん。もう歌えますね?」
ティアーユの聴感にはユイの喉が完治した音が聞こえていた。
淀みなく真っ直ぐな声だった。
ユイは一瞬だけ黙った。
けれど次の瞬間には、迷いなく笑っていた。
「はい! もちろんです!」
綾坂もすぐに身を乗り出す。
「バッチリ準備してきたからいつでもいけるよ。今のlunatiにユイのボーカルが戻ったらすごいケミストリーがおこるよ!」
その言葉に、ハルナとヒナも笑った。
ティアーユは満足そうに頷く。
「ここでの…東京音楽高専高校での最後のライブになるでしょう。私からのプレゼントです、たくさんの思い出を残してくださいね」
「……はい」
リョウヘイの返事だけが、少し遅れた。
卒業。
その言葉が、ようやく現実味を持って胸に落ちてきた。だが、ティアーユの話はそれだけではなかった。
「それと、卒業後のことも聞いておきたかったのです。綾坂さんから聞いてはいますが」
ティアーユは一拍置いてから確認した。
「皆さんは卒業したら、本当に5人で暮らすのですか?」
ハルナが頷いた。
「はい。お父さんが不動産関係の仕事をしていて、都内にある防音室付きのシェアハウスを安く使わせてもらえそうなんです」
綾坂も続ける。
「作曲とか今後の活動を考えたら、みんなで住むのが1番コスパいいしね。機材もまとめられるし」
ヒナはどこか嬉しそうだった。
「皆さんとなら、毎日楽しそうです……。たくさんゲームもしましょう」
「そっち!?まぁもちろんやるけど」
リョウヘイが突っ込むと、ユイが腕を組んだ。
「まあ、リョウヘイがえっちなことしなきゃいいけど」
「しないよ、安心しろよ」
即答だった。
「…………」
なぜかユイが黙った。
「何?」
「いや、別に」
ユイが露骨に目を逸らす。
そのやり取りを見ていたティアーユは、何かに気づいたように4人を順番に見た。
辺りが静かになっていく。
「……え?」
もう1度、リョウヘイが声を漏らした。ユイは窓のほうを向き、綾坂はスマホへ目を落とす。ヒナも何も言わず、どこか楽しそうに微笑んでいた。
そんな中。
ハルナだけが、ゆっくりリョウヘイを見る。頬を赤くしながらも、今度は目を逸らさなかった。
「私は信用してるよ…?」
「え?」
「…………みんなを安心させてね」
言い切る前に、ハルナは真っ赤になって顔を背けた。
いきなり高難易度のクエストが発生した。
ユイがニヤニヤしながら、ハルナの顔を覗き込む。
「…………」
ハルナは黙った。
頬を真っ赤にしたまま、ただ視線だけを逸らしている。
「ハルナさん……」
ヒナが小さく呟く。
「ヒナちゃんまで見ないで……!」
そんな4人を見ていたティアーユが、ふと心配そうに眉を下げた。
「ですが……少し心配ですね」
「何がですか?」
リョウヘイが首を傾げる。
ティアーユは女子4人を見渡してから、最後にリョウヘイへ視線を向けた。
「皆さん。男性というのは、夜は狼なのですよ……?」
「ちょ、先生!?」
リョウヘイが即座に声を上げた。ユイは一瞬ぽかんとしたあと、吹き出す。
「なにそれ! 先生が言うと妙に説得力あるんだけど!」
「私は皆さんのことを心配しているのです」
ティアーユは真剣だった。
「いや、俺のことなんだと思ってるんですか!」
「男性です」
「そこは否定できないけど!」
綾坂が腕を組みながら、ちらりとリョウヘイを見る。
「まあ、夜中に急に理性なくされたら困るけどね」
「なくさねーよ!なめんなよ!」
「絶対なの?同じ屋根の下に女の子4人だよ?」
綾坂はニヤニヤしながら聞いた。
「同じ屋根の下にバンドメンバーがいるだけだろ」
ユイがすかさず綾坂へ顔を向けた。
「ってか綾坂、さっきから全然嫌そうじゃないじゃん」
「アンタにだけは言われたくない…」
綾坂はそう返してから、ほんの少し視線を逸らした。
「それに……タイプの狼かもしれないじゃん……」
「え?」
リョウヘイが固まる。
ユイも目を丸くした。
「ちょ、綾坂!? それアリなの!?」
「うるさい!」
綾坂の頬が一気に赤くなる。
ハルナもニヤニヤしながら綾坂を見る。
「綾坂さんも全然人のこと言えないね」
「ハルナまで乗ってこないで!」
ヒナはリョウヘイと綾坂を交互に見て、小さく頷いた。
「なるほど……狼にもいろいろタイプがあるんですね」
「ヒナっち、変な学習しなくていいから!」
ユイが笑いながらリョウヘイを見る。
「よかったじゃん。タイプだって」
「そこじゃないだろ!」
その横で、ヒナが小さく手を挙げた。
「では、抜け駆けしなければいいのでしょうか」
「ヒナ!?」
「ヒナちゃん!?」
「ヒナっち!?」
3人の声が綺麗に重なった。
ヒナは不思議そうに首を傾げる。
「あれ?違いましたか?」
今度こそ教室に笑い声が響いた。ティアーユも、とうとう耐えきれず口元を押さえて笑っている。
「先生、笑ってないで助けてくださいよ」
「大丈夫ですよ、リョウヘイさん」
「何がですか」
ティアーユは4人をもう1度見て、それからリョウヘイへ視線を戻した。
「皆さん、卒業後も仲良くできそうですから」
「その『仲良く』の意味が怖いんですよ!」
「少し男女比がおかしい共同生活ですが、みなさんならきっと大丈夫です」
また4人が笑う。
しばらくその様子を眺めてから、ティアーユは静かに表情を和らげた。
「……lunatiがいてくれるのであれば、それで良いのです」
笑い声が、少しずつ収まっていく。
「どんな形でもいい。皆さんが皆さんらしく音楽を続けてくれることを、心から願っています」
5人は黙って先生を見る。
春の光が、教室の窓から差し込んでいた。東音で過ごした時間は、もう終わろうとしている。話を終え、5人が教室を出ようとした、その時だった。
「……ナルミ」
綾坂が驚いて振り返る。
普段は誰も使わない呼び名に、リョウヘイも一瞬だけ反応が遅れた。
「頼んだわよ」
ティアーユは、それだけ言った。
綾坂は少しだけ目を見開く。
そして、いつもの強気な顔ではなく、どこか昔に戻ったような柔らかい笑顔を見せた。
「うん……ティア姉さん」
「リョウヘイさん」
ティアーユはリョウヘイを見た。
「ナルミには音楽や演奏はもちろん、音楽業界の全てを叩き込んでいます。これから皆さんが相手にするのは、舞台と動員と業界になります。特にこの業界についてはナルミのマネジメントが力になってくれるはずです。」
綾坂もリョウヘイの方を見た。
「リョウヘイもわかってると思うけど、これからは契約や印税の話も出てくる。ウチがなんでも教えるから」
「頼もしいよ、綾坂」
綾坂は自慢げに胸を張った。
「ナルミのマネジメント力は一企業並みだと思ってもらって大丈夫です。それだけの能力がこの子にはあります」
「姉さん…」
綾坂は目を見開いた。
「もう一度言うわ。頼んだわよ、ナルミ…」
もうすぐ卒業する。
この教室も。
この廊下も。
ティアーユに呼び出されることも。
全部、もうすぐ思い出になる。
だけど――lunatiは終わらない。最後に残っているのは、東音での最後のステージ。
5人は教室をあとにした。
卒業ライブまで、本当にあと少しだった。




