↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
62/99

#62 ユイ・オリジン

翌日の放課後、5人はいつもの練習室に集まっていた。

ただし、マイクの前に立っているのはユイではない。ハルナが両手でマイクを握り、その隣ではヒナがギターを抱えたまま譜面を見ている。

ユイは少し離れた場所でベースを膝に置き、綾坂は録音機材の前に座っていた。リョウヘイだけが、いつもどおりドラムの前にいる。


「じゃあ、サビから1回やろう」

綾坂が言う。


「ハルナは主旋律。ヒナっちは上を重ねて。最初から声量を出そうとしなくていいから、まずはピッチを合わせて」


「分かりました」

ヒナが頷く。


「ハルナも、準備いい?」

「う、うん」


返事はしたものの、ハルナの肩には力が入っていた。ユイが歌っていた曲だ。何度も隣で聴き、自分でも口ずさんできた。それでも、マイクの前へ立つだけで知っているはずの歌詞が急に遠くなる。


リョウヘイが軽くカウントを出した。鍵盤の音が鳴り、ヒナのギターが重なる。


ハルナが歌い始めた。


最初の数小節は、声が細かった。音程は合っている。だが、言葉を間違えないことへ意識が向きすぎて、1つずつ置くような歌い方になっている。


ユイとは違う。

ユイは多少荒くても、歌詞ごと前へ投げる。


ハルナは丁寧に抱えすぎる。

サビの途中で、綾坂が手を上げた。


演奏が止まる。


「ハルナ、もっと前に出ていい」

「前に…」

「音量じゃなくて。言葉を全部綺麗に置こうとしなくていい。今、歌詞に置いていかれないように追いかけてて、それが声に出てる」

「……おっしゃる通りです」


綾坂の耳を誤魔化す事はやはり不可能に近かった。

ユイの一件があって、より音には過敏になっているようだった。

それでも気を使う事は忘れていなかった。


「ごめんね、聞けばわかっちゃうから」

「ううん、わかってる。音は嘘をつけない、だよね」


綾坂は画面へ視線を戻す。

「ユイみたいに歌う必要はないけど、今は怖がりすぎ」


ハルナは少しだけ俯いた。

その時、ユイがスマートフォンへ文字を打った。


『最初の言葉を丁寧に歌いすぎ』

『語尾はもっと早く切っていい』

『サビ前で息を全部使わないで』


ハルナが目を丸くする。

「そんなに分かったの?」


ユイは肩をすくめた。

『アタシのパートだから』

「…もう1度やってみる」


ハルナはマイクを握り直した。


今度は、最初の言葉を少し軽く入れる。

語尾を必要以上に残さない。

サビ前で息を使い切らず、最後の高い音まで残しておく。


さっきより自然だった。

ヒナのコーラスも、ハルナの息に合わせて綺麗に重なる。


「うん、今のほうが断然いい」

綾坂が言う。


ユイは返事をせず、ベースの弦へ指を置いた。綾坂はしばらく見ていたが、それ以上は言わなかった。


「次、頭から」

リョウヘイがカウントを出す。


今度は1曲通して合わせた。


ハルナはまだ不安定だ。


ヒナのコーラスも、入りが遅れる場所がある。それでも、さっきより曲にはなっている。最後まで演奏し終えると、綾坂は録音を数秒戻した。


「やっぱり、この曲は半音下げた方がいい」


ハルナがマイクを下ろす。


「キーを下げるの?」

「うん。今のままだとサビで無理してる。ユイならフィジカルでブチ抜けるけど、ハルナは1番高いところで喉が締まってる」

「私、もう少し練習すれば――」

「練習で無理やり出すより、歌いやすい場所へ持っていった方がいい」


綾坂がDTMを操作し、曲のキーを下げる。

その瞬間、ユイが焦ってスマホに文字を打ち込み、画面を見せた。


『キーは変えないで』


綾坂が振り返る。

「この曲のキーはハルナに合ってない」

『この曲はこのキーなの』

「誰が決めたの」

『アタシ』

「今は、ハルナかボーカルでしょ」


今は、その言葉が少し強調されていたように聞こえた。 

ユイの指が止まる。

少しして、また文字が表示された。


『アタシが戻ったら元に戻すの?』

「その時に考える」

『だったら最初から変えなくていい』


綾坂の声が低くなる。

「これはユイの復帰用の練習じゃない。10日後のライブで、もしユイが歌えなかった時のために合わせてる。今いるメンバーで、できる形を作っておくんだよ」


ユイの顔から笑みが消えた。


『もしって何』

「そのままの意味だよ」

『10日あれば戻る』

「戻らなかった時の話をしてる」

『戻る』

「だから、もしって言ってるでしょ!」


綾坂もストレスを感じているようだった。

今だに自分に責任を感じているのだろう。


ハルナがマイクを置いた。


「ユイちゃん。キー、変えてみてもいい?」


ユイはハルナを見る。


「本番で私が歌うって決めたわけじゃないよ。ユイちゃんが戻れたら、それが1番いい。でも……もし私が歌うなら、ちゃんと歌える形にしたい」


ユイは返事をしなかった。


「ユイちゃんの真似をして、ギリギリの声を出すんじゃなくて。私の声で歌いたいの」


長い沈黙。


ユイの喉が動いた。

「アタシが…いるのに?」


悲しいほどに掠れた、か細い声が出た。

全員の表情が変わる。


「ユイ!喋るな!」


リョウヘイがすぐに言った。

ユイは首を振る。


「アタシが……いるのに……」

「お願い!もう声出さないで!」

綾坂が立ち上がる。


ユイは聞かなかった。

ベースを椅子へ置き、マイクへ向かう。


ハルナが反射的に1歩退いた。

それでもユイを止めなければ歌ってしまう。ハルナはそう思った。


「ユイちゃん、駄目だよ!」

「1回…だけ…」

「ダメ!マイクは使わせない!」

ハルナは慌ててマイクをスタンドから抜き取った。


「ちゃんと声…出る…から」

「出てないよ……それに昨日、先生にもお医者さんにも言われたでしょ」

「アタシ…歌える…から」


リョウヘイがドラムから立ち上がる。


「……もうやめてくれ…ユイ」

「サビだけ…」

「そんな状態じゃないだろ」

「出せるって証明したら――」

「証明する必要がない」

「アタシには…あるの…!」


掠れた声が、無理やり大きくなる。

その直後、ユイは大きく咳払いをした。


「ゴホッ!ゴホッ!」

ユイは反射的に喉を抑えた。

とてもじゃないが歌える状態ではなかった。

まともに話すことさえ痛みが伴っているのを、誰もが感じ取っていた。


ハルナがユイの手へ触れる。

「お願い。やめよう」

「……アタシが……」


声が途切れる。

ユイは息を吸い直した。


「アタシが、歌う……」

ユイは大きくブレスした。


リョウヘイが止めようと近づいた時には、ユイはもう最初の音を出そうとしていた。


空気だけが漏れた。

ユイの目が見開かれる。


もう1度。

息を吸う。

口を開く。

声にならない。


「……っ!」


かすかな摩擦音だけが喉から漏れた。ユイは焦ったように呼吸を整える。


3度目。

何も出ない。


「ユイ…」

リョウヘイが短く名前だけ呼んだ。

今度はユイも抵抗しなかった。

ユイは自分の喉へ手を当てたまま、動けなくなっていた。


「更に悪化してる……。もう無理、ティア姉さんに連絡する」


綾坂がスマートフォンを取り出す。ハルナはユイの背中を支え、ヒナは水を持って駆け寄った。


「ユイさん、飲めますか?」

ユイは小さく頷く。


ペットボトルを受け取り、ほんの少しだけ口へ含む。

それでも声は戻らない。戻るはずはない。


10分もしないうちに、ティアーユが練習室へ来た。事情を聞いたティアーユは何も責めず、ただユイを見た。


綾坂は申し訳なさそうにティアーユに謝罪した。

「ごめんなさい、私がついていながら……こんな失態を…」


「綾坂さん、あなたのせいではありません。もちろん誰のせいでもない。音楽をやっていれば誰もがこういった経験をするものです。やりたいのにできないとは悲しいものです」


改めてユイを見るティアーユ。

「今すぐ、病院へ行きます」


ユイは首を横へ振ろうとした。

「行きます、今すぐに」


もう1度同じことを言われた。

でも今度は、有無を言わせない声だった。


ーーーーーーーーーーーーーーー


夜。


診察を終えたユイは、病院の待合室へ戻ってきた。


案の定、状態が悪化していた。


声帯の炎症が強くなっているため、歌唱はもちろん、会話も禁止。声を出そうとすること自体を避け、しっかり休ませるように言われた。


ティアーユはユイを見る。


「今度こそ、医師の指示に従ってください。これ以上ポリープが悪化すれば、2度と歌えなくなってしまいます」

ユイは小さく頷いた。


ティアーユはユイの保護者へ連絡を取るため、少し離れた場所へ移動した。診察を終えた夜の待合室には、ほかの患者の姿がほとんどない。白い照明の下で、5人だけが取り残されたように座っていた。ユイは1番端の椅子で、鞄を胸の前に抱えている。


「ユイ」

リョウヘイが呼ぶと、ユイは顔を上げた。


「1つだけ聞かせてくれ」

綾坂が止めようとしたが、リョウヘイは続けた。


「なんで、そこまでして歌うんだよ」


ユイの表情が固まる。


「ボーカルを取られるのが嫌だからか?」


ユイは首を振った。


「ハルナが歌うのが嫌なのか?」


また首を振る。


ハルナが胸の前で手を握る。


「じゃあ、なんでなんだ」


ユイはスマートフォンを取り出した。すぐには打ち始めなかった。画面を見つめたまま、何度も指を止める。やがて、短い文章が表示された。


『アタシは、歌わないといけないから』

「誰かに、言われたのか?そうしろって」


ユイは答えない。


「医者にも、先生にも、俺たちにも止められて。それでも歌わなきゃいけない理由があるんだろ」


ユイの指が動く。

文字が1つずつ増えていく。


『弟』


リョウヘイは一瞬、意味を理解できなかった。


「弟?」


ユイは頷いた。


ハルナもヒナも、綾坂も何も言わない。ユイに弟がいるという話を、誰も聞いたことがなかった。


次の文章が表示される。


『弟がいた』


過去形だった。

ユイは1度画面を消した。それから、ゆっくり打ち直す。


『小さい頃に病気で死んだ。8歳だった』


空調の風が、静かな待合室を通り抜けた。

ユイは俯いたまま、続ける。


『音楽が大好きだった』

『アタシが歌うと喜んでた』

『アタシの歌を好きって言ってくれた』


指が止まる。

画面に文字を打っては消し、また打つ。


やがて、1文だけが残った。


『僕の分も歌って』


リョウヘイは画面を見つめた。

ユイの弟が残した言葉。

それをユイは、ずっと抱えていた。


『死ぬ前に約束した』

『ずっと歌うって』


ハルナが唇を噛む。

ヒナも綾坂も涙を堪えている。


『弟が死んですぐ、急いで楽器を探した』

『だからギターと間違えてベースを買った』

『アタシは歌うために東音を選んだ』


ユイの指は止まらない。


『アタシが歌わなくなったら』

『約束破ることになる』

『忘れたみたいになる』


最後の1文を打つまでに、何度も指が止まった。

『アタシだけ生きてるのに』


ユイの目から、涙が落ちた。


スマートフォンの画面へ1滴落ち、文字が滲んだように見えた。誰もすぐには言葉を返せなかった。リョウヘイは、ようやく分かった。ユイが歌うことを譲れない理由。


ボーカルという立場ではない。


客席から向けられる視線でもない。上手いと言われることでもない。歌い続けることそのものが、弟との約束になっていた。だから、休むという選択肢さえユイには裏切りのように見えていた。


ハルナがユイの隣へ座る。

「ユイちゃん」


ユイがゆっくり顔を上げた。

「私、ユイちゃんの歌を取りたいわけじゃないよ」


ユイは頷いた。


分かっている。

それでも怖かったのだろう。


「弟さんとの約束も、私には何も言えない。大事な約束だと思うから」


ハルナの声が震える。


「でも、ユイちゃんまでいなくなるような歌い方はしてほしくない」


ユイの目から、また涙が落ちた。ヒナも、少しだけ身体を前へ出す。


「私は、ユイさんに歌うのをやめてほしいわけではありません」


ヒナは言葉を選びながら続ける。

「でも、ユイさんがいなくなるまで続ける歌は嫌です」


ユイがヒナを見る。


「弟さんのことを知らない私には、簡単なことは言えません。それでも、私たちにもユイさんの歌を待たせてください」


綾坂は少し離れた場所で顔を伏せていた。

「……馬鹿」


小さく呟く。

「そんなの、1人で抱えてたら分かるわけないじゃん」


ユイが綾坂を見る。

「歌わなきゃ忘れるとか、歌えなきゃいらないとか、勝手に決めないでよ」


綾坂の目にも涙が浮かんでいた。

「ウチら、まだ何も決めてないから」


ユイは答えられない。


リョウヘイにも、今すぐユイを救える言葉は思いつかなかった。

弟のために歌うなとは言えない。弟を忘れろとも言えない。歌わなくても大丈夫だと、簡単に片づけることもできない。


ユイにとって歌は、担当パートではなかった。


亡くなった弟との時間であり、最後に残った約束であり、自分が生きている理由の一部だった。それを失った今、ユイは自分の立つ場所まで見失っている。


待合室の向こうから、足音が近づいてきた。


「ユイ!」


駆け込んできた女性が、椅子の前で足を止める。ユイの母親だった。ティアーユから事情は聞いていたのだろう。泣いている娘を見ると、何も尋ねずに抱きしめた。ユイは母親の胸元へ顔を埋める。


いかにもユイの母親というか、気の強い女性という印象だった。大変失礼だが元ヤン感がある。どこかしら似ている部分もやはりある。


「また、1人で抱えてたの」


母親のその言葉だけで、弟のことを、ユイとの約束を知っているのだと分かった。ティアーユも少し遅れて戻ってきた。ユイと母親の姿を見たあと、リョウヘイたちへ静かに視線を向ける。


「今日は帰りましょう。今後のことは、明日以降に考えます」


誰も反対しなかった。


帰る前、ユイがもう1度スマートフォンを取り出す。

『ごめん』


リョウヘイは首を振った。


「謝るな」

『ライブ』

「今は考えなくていい」


ユイは何かを打とうとしたが、母親がそっとスマートフォンを下ろさせた。


母親はリョウヘイ達の方に目をやる。

「君たちだね、ユイとバンドやってくれてるのは。私は木下メグミ。ありがとう、ごめんね」


反射的にリョウヘイは頭を下げる

「そんな…俺たちの責任です。ユイを…お嬢さんを…」


「君がリョウヘイだね。ユイから聞いてる。わかってるよ、またこの子がバカやったんでしょ。どうしてアンタって子は…」


綾坂は歯を食いしばりながら伝えた。

「ユイを、責めないであげてください…私が悪いんです」


メグミは優しい声で綾坂達を見ながら呟いた。

「いい仲間をもったね、ユイ」


ーーーーーーーーーーーー


その後、ユイはメグミに連れられ帰宅することとなった。


ユイは抵抗しなかった。

抵抗する体力はあるのに、それを伝える術がないことを理解していたからだ。


病院を出る直前、振り返る。


声のない口が、何かの形に動いた。何を言ったのかは分からなかった。ただ、リョウヘイには「歌いたい」と言ったように見えた。


その夜、lunatiのグループには誰からもメッセージが送られなかった。10日後のライブをどうするか。


ハルナが本番で歌うのか。

ユイはベースを弾くのか。


仮の形は試していても、まだ何も決まっていない。

時間だけが進んでいく。


けれど、リョウヘイたちは初めて知った。


ユイがなぜ歌っていたのか。

なぜ声を失うまで止まれなかったのか。


いつも誰よりも明るく笑いながら、その奥で何を背負っていたのか。理由を知っても、問題は何ひとつ解決しなかった。


むしろ、簡単には解けないものだと分かってしまった。


ユイのオリジンは、亡くなった弟へつながっている。


その糸を切らずに、ユイ自身を救う方法を、まだ誰も知らなかった。こうして、lunatiは初めて、歌のない時間へ入った。

挿絵(By みてみん)

ここまででユイ編、前編となります。

もうすぐ卒業です。

高評価、ブックマークを何卒よろしくお願いします。

バイブス上がります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。