#61 ボーカルは譲らない
病院からの帰り道。
5人は駅近くの小さな公園で足を止めた。ユイをそのまま帰すつもりだった。
だが、本人が首を振った。
話したい。
スマートフォンへそう打ち込み、ベンチの前から動かなかった。夕方の公園には、子供を連れた親子が数組いる。少し離れた遊具から笑い声が聞こえる。その中で、lunatiの5人だけが重い空気の中にいた。
「10日後のライブは、1回断ろう」
リョウヘイが言う。
ユイはすぐに顔を上げた。
「月に2本やるって決めたばっかりじゃん」
掠れた声。聞いていてリョウヘイは泣きそうになるほど可哀想な声をしていた。
綾坂が眉を寄せる。
「喋らないで。お願いだよ、ユイ」
「1回休んだくらいで終わらない、大丈夫だ」
リョウヘイは続けた。
「最初の学外ライブ、うまくいったんだよ。次も来るって言ってくれた人もいた」
「事情を話せば分かってくれる」
「その次は? いつ治るか分かんないんでしょ?」
「ユイさん…!もう声を出さないでください…!」
ヒナも我慢の限界のようだ。痛々しくて聞いていられないようだ。
ユイの声が少しずつ強くなる。
強くするほど、掠れも目立っていく。
「次も、その次も休むの? せっかくリョウヘイが戻ってきたのに、今度はアタシのせいで止めるの?」
「ユイのせいじゃない」
「でも、アタシが歌えないからでしょ」
「だから治すんだよ」
「治るまで待ってたら、いつになるか分かんないじゃん!」
ユイが言い切った直後、喉を押さえた。痛みが走ったのだろう。眉を寄せ、唇を噛む。
「もう喋らないで、会話はスマホでやって」
綾坂がスマートフォンを差し出した。
ユイは受け取らなかった。
「ユイ…!」
「大丈夫」
リョウヘイが言うと、ユイが睨む。
「リョウヘイにだけは言われたくない」
「だから言ってる。俺が同じことやったから」
「同じじゃない」
「何が違うんだよ」
「リョウヘイは戻ってきたじゃん!」
公園に、掠れた声が響いた。
遊具の近くにいた親子が1度こちらを見る。
ユイは気づき、俯いた。
リョウヘイはすぐに答えられなかった。
戻ってきた。
確かに、ドラムへ戻った。右足は以前と同じではないが、左足とツインペダルを使い、前より強い音まで手に入れた。だからこそ、ユイには自分も同じようにできると思えているのかもしれない。
「俺は、休んだから戻れたんだよ」
リョウヘイはゆっくり言った。
「刺された直後に、無理やりドラム叩いてたら戻れてない」
「でも……」
「俺だって怖かった。休んでる間に、誰かに置いていかれる気もした。もう叩けないかもしれないって何回も思った」
ユイは何も言わない。
「だから分かる。止まりたくないのは分かる。でも、壊したら本当に戻れなくなる」
ユイは唇を噛んだ。
ハルナが隣へ座る。
「ユイちゃん。ライブをやめるって決めたわけじゃないよ」
ユイが顔を上げる。
「ユイちゃんが歌えないなら、別の形を考えることもできると思う」
その言葉に、ユイの目が変わった。
「別の形?」
「例えば……私が歌うとか」
ハルナは自分で口にしてから、少し怯んだ。
それでも続ける。
「ユイちゃんが戻るまで。本当に、一時的に」
ヒナも小さく手を上げる。
「私も、コーラスならできるかもしれません」
ユイの表情から、完全に笑みが消えた。誰もユイを追い出そうとしていない。むしろ、ユイが治るまでlunatiを守ろうとしている。それでも、ユイには別の意味に聞こえた。
「嫌」
ひどく掠れた、短い1言だった。
「ユイちゃん、声出しちゃ駄目だよ…」
「アタシが歌う」
「歌えないだろ」
「アタシは歌える」
ユイは喉を押さえながら、それでも続けた。
「今も声、出てるじゃん」
「それを歌えるって言わない」
「アタシがボーカルなの」
ハルナの顔が強張る。
「代わりになりたいわけじゃないよ。ユイちゃんが治るまで――」
「分かってる」
ユイはハルナの言葉を遮った。
「ハルナが悪いなんて言ってない」
「だったら」
「でも、ボーカルは譲らない」
掠れた声なのに、その言葉だけははっきり届いた。
綾坂がベンチから立ち上がる。
「ユイ、いい加減にして!歌ったら悪化するって言われたでしょ!」
「悪化しないように歌う!」
「そんな都合のいい歌い方ない!」
「ある!探す!」
「それが今までできてなかったから、こうなったんでしょ!」
2人の怒りのボルテージはどんどん膨れ上がっていく。
自然と声も大きくなってしまう。
綾坂の声が公園へ響く。
ユイの肩が小さく揺れた。
それでも、引かなかった。
「10日あれば戻る!絶対!」
「戻らなかったら?」
「戻すの!」
「どうやってよ!」
「練習する!」
「だから練習するなって言われてんの!」
「綾坂」
リョウヘイが止めに入る。
綾坂は唇を噛み、顔を背けた。
怒っているのではない。
怖いのだ。
このままユイが声を失うことが。
「今日はもう帰ろう」
ハルナが静かに言った。
「今決めなくてもいいよ。明日、先生も一緒に話そう」
ユイはしばらく俯いていた。
やがてスマートフォンを受け取り、乱暴に文字を打つ。
『ライブは出る』
「分かった。そこも明日話す」
『歌うから』
誰も返事をしなかった。
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翌日の放課後。
5人はティアーユのいるミーティングルームへ集まった。ユイの前には、スマートフォンとのど飴。マイクはない。ティアーユは医師から渡された書類を確認し、机へ置いた。
「改めて伝えます。ユイさん。医師の許可が出ない限り、歌唱での出演は認めません」
ユイがスマートフォンを操作する。
機械音声が読み上げた。
『10日後なら治るかもしれない』
「可能性と許可は別です」
『当日声が出たら?』
「認めません」
『少しだけ』
「認めません」
『1曲』
「認めません」
綾坂が小さく息を吐いた。
「先生と機械音声で押し問答するのやめて」
ユイが綾坂を睨む。
『じゃあ綾坂はいいの?』
「よくないよ」
『アタシが歌わなくても』
「歌ってほしいに決まってるでしょ」
綾坂は即答した。
「だから、今は歌わないでって言ってる」
ハルナも頷く。
「私だって、ユイちゃんに歌ってほしいよ」
ヒナも続けた。
「私もです」
「だったら――」
ユイは反射的に声を出しかけ、途中で止めた。
スマートフォンへ打つ。
『だったら代わりの話しないで』
ハルナの指が膝の上で固まる。
『ハルナが歌って、ヒナがコーラスしたら、アタシいらないじゃん』
「違うよ」
『何が』
「ユイちゃんが戻る場所を残すためだよ」
『そこに誰か立ってたら、アタシの場所じゃない』
「ユイ」
リョウヘイが呼ぶ。
ユイは顔を上げた。
「誰もお前の場所を取ろうとしてない」
『じゃあ空けといて』
「ライブも止めるってことか?」
『アタシが戻るまで』
「それがお前のためになるのか?」
ユイの指が止まった。
『分かんない』
初めて、弱い言葉が出た。
部屋が静かになる。
ユイはしばらく画面を見つめ、それからスマートフォンを伏せた。
もう何も打たなかった。
ティアーユも急いで答えを出そうとはしなかった。
「今日は、ここまでにしましょう」
誰も立ち上がらない。
「今すぐ結論を出す必要はありません。ただし、ユイさんの歌唱禁止だけは変わりません」
ユイは視線を逸らした。
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ミーティングルームを出たあと、4人だけが廊下に残った。ユイはティアーユと一緒に保健室へ向かっている。
綾坂は俯きながら全員に頭を下げた。
「ごめん…ウチのせいだ。声の変化には気付いてた。最初からしっかりケアしてあげれば、こんな事にはならなかった。マネージャー失格だよ…」
「それは違う」
リョウヘイがすぐに否定した。
「俺のせいだ。俺もうっすら変化には気が付いた。もっと出力を下げるべきだった…」
「やめよう。責任を取り合っても、なんの意味もないよ」
ハルナが2人の自責をやめさせた。
続けてハルナは呟いた。
「やっぱり怒らせたかな……」
「怒ってる……と思う」
綾坂が答える。
「でも、それだけじゃないと思います」
ヒナが静かに言った。
3人がヒナを見る。
「別の何かを怖がっているように見えました」
「そうだな。何か別に理由がある気がする」
リョウヘイも同じことを感じていた。ユイは自分の立場を奪われるのが怖いだけなのか。ボーカルではなくなれば、lunatiに必要とされなくなると思っているのか。
それだけなら、まだ説明できる。だが、さっきのユイの目には、もっと切迫したものがあった。歌えないことを恐れているのではない。
歌わないことを許せない。
そんな目だった。
机の上には、ユイが慌てて落としたのど飴が1つ残っていた。リョウヘイはそれを拾い、手の中で転がす。ユイがどうしてそこまで歌にしがみつくのか。その理由を、まだ誰も知らなかった。
今回挿絵作り忘れました!
マジすんません、ユイの設定資料置いておきます!




