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60/99

#60 ポリープ 

学内ライブと学外ライブを1本ずつ。月に2本のステージは、すぐにlunatiの新しい日常になった。


月末の金曜日は校内イベント「マンスリークローザー」そこから2週間ほど空けて、休日に学校の外のライブハウス「アリノス」へ出る。間には授業があり、放課後の練習があり、綾坂による録音の確認と反省会が入る。


最初の頃は1回ごとに緊張していたハルナも、3本目のライブでは客席を見ながら鍵盤を弾けるようになっていた。ヒナは会場ごとの響きに合わせて音を変え、リョウヘイはツインペダルの使いどころを曲ごとに増やしている。そしてユイは、ステージへ立つたびに客との距離を縮めていった。


「lunatiの曲、初めて聴く人いるー?」

客席からいくつか手が上がる。


「そっかー!おめでとう!今日から好きなバンドが一つ増えるよ!」


笑いと拍手が返る。

ユイはそれを受け取り、そのまま次の曲へ入る。


学内でも学外でも関係ない。


知っている客にも、初めて見る客にも、同じように声を投げる。サクラが卒業してからのユイは、ステージに上がるたびにその面影を写していた。

しっかりとサクラの、東音のDNAが音になって顕現していた。

ライブを重ねるほど、それがはっきりしていった。


「最近、MC長くなってない?」

ある日の練習後、綾坂が録音を止めながら言った。


「ごめんごめん!楽しくなっちゃってさ!」

「時間押したら曲削ることになるよ」

「それはまずい!」

「長くなったらハルナかリョウヘイが止めて」

「俺かよ……」

「楽しそうにMCするから止めにくいんだよなぁ、ユイちゃん」

ハルナは苦笑しながら答えた。


綾坂が普段使わないマイクをセッティングしていた。

「綾坂さん、そのマイク新しいやつですか?」

ヒナとユイが興味津々でコンデンサーマイクを観察していた。


「これ、いくらしたんですか?」

指先でそっとコンデンサーマイクに触れようとするヒナ。

「そ、そこは触らないで!」

慌ててヒナを制する綾坂。

「ごごごごごめんなさい!」

ヒナは必要以上にマイクから距離を取った。


ユイは頭の後ろで手を組んでいた。事の重大さがよくわかっていないようだ。

「値段聞いただけじゃん」

「80万するの!変な場所触ると、皮脂とかで音変わるの!」

「80!?こんなんで!?」

よりマジマジとマイクを観察しだす。


「マイクって精密機械だから高いのよ。扱いもシビアだし、普段はハードケースに入れてなきゃ湿気ですぐ壊れるの。だからユイには触らせたくない」

綾坂はわざわざユイを名指しした。


少しムッとするユイ

「綾坂、アタシを子供だと思ってる?」

「思ってるよ?」

「リョウヘイと同じ扱いなの納得いかない」

「俺も納得いかないんですが」


2人が同時に抗議すると、綾坂は機材を抱えて離れた。そんな日々の中で、最初に変わったのは、ユイが持ち歩く飲み物だった。冷たい水ではなく、常温のものを選ぶようになった。鞄にはのど飴が入り、練習の合間には以前より頻繁に喉を潤している。


6月の終わり。


朝の教室で、リョウヘイは隣の席へ座ったユイの声に違和感を覚えた。


「おはよ」

いつもの1言が、少し低い。


「なんだ、寝起きか?」

「学校にいる時点で、そこそこ起きてる」

「声、変じゃないか?」

「昨日の夜、喋りすぎた」

「誰と?」

「LOLのフレンド」


ユイはのど飴を口へ入れ、教科書を机に並べた。

「大丈夫、1時間目までには戻るって」


実際、昼になる頃には声はほとんど普段どおりに戻っていた。だからリョウヘイも、それ以上は気にしなかった。だが、同じことが何度も続いた。


朝だけ声が低い。

練習の途中で咳払いをする。


高い音へ入る前に、いつもより多く息を吸う。ライブが終わった翌日は、あまり喋らない。どれも1つだけなら、歌い続けている人間には珍しくない変化だった。


ユイ本人が笑っている限り、周囲も深刻には受け取らなかった。7月に入ると、lunatiは新曲の制作を始めた。ハルナが作ったコード進行へ、ヒナがギターを重ねる。リョウヘイとユイがリズムを組み、綾坂が録音しながら細かな違和感を拾う。


何度か形を変え、ようやくサビまで通せるようになった日のことだった。


「じゃ、頭から行こ。録音もするから」

綾坂の指示が飛ぶ。


リョウヘイのカウント。

曲が始まる。


Aメロ。

Bメロ。


サビへ向かい、ユイの声が少しずつ上がっていく。今までなら、何の迷いもなく抜けていた音域。


その頂点で。

声が消えた。


ほんの一瞬だった。

息だけがマイクへ入り、次の音からは何事もなかったように戻る。


演奏は続いた。

だが、すぐに綾坂が手を上げて全員の演奏を止めた。

シンバルの余韻が残る。


「今、声出てなかったよね。ユイ」


ユイがマイクから口を離す。

「息足りなかっただけ」

「ユイちゃん」


ハルナも心配そうに見る。

「今の、ちょっと変だったよ」

「大丈夫だって」


「もう1回、同じところだけ確認させて」

綾坂が聞く。


「そこまで証明しなくても――」

ハルナはユイの声をとても心配そうにしていた。

しかし、

「大丈夫、ちゃんと出るから」


さっきより強い口調だった。

リョウヘイは納得していなかったが、ハルナが小さく頷いた。


「じゃあ、1回だけね」


ユイは息を吸い、同じサビを歌った。

今度は最後まで声が出た。


「ほーら!」

ユイが勝ち誇る。


「だから大丈夫だって」

「でも、さっきは出なかった」

綾坂は録音波形を見たまま言う。


「1回だけでしょ」

「その1回を確認してるんだけど」

「調子悪い日くらいあるって」

「力みを感じるし、波形も乱れてる。もっと腹式呼吸を…」

「わかってるってばー!」

ユイは手をヒラヒラさせながら答えた。


「ユイちゃん喉、痛くない?」

ハルナが尋ねる。


「痛くない」

「違和感は?」

「ないって」

答えが速すぎた。


ヒナも心配そうにユイを見る。

「無理をしていませんか?」

「してないよ。みんな心配しすぎ」


ユイは笑った。

いつもの笑い方だった。


「歌ってれば、こういう日もあるって」

「病院、1回行った方がいいんじゃないか」


リョウヘイが言う。

ユイの笑顔が少しだけ止まる。


「この程度で?」

「この程度かどうか、診てもらわないと分からないだろ」

「アタシの身体はアタシが一番よく知ってるから」

「ユイ…」

過去にリョウヘイが使った言葉だった。


ユイは視線を逸らした。


「足と喉は違うじゃん」

「壊してからじゃ遅いのは同じだ」

「分かった分かった。続きやろ」

「分かってないだろ」

「次また出なかったら考える」


その言葉で、話は終わった。

終わらせたのはユイだった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


2週間後の学内ライブで、その新曲を初披露することになった。開演前、ユイはいつもより長く発声をしていた。


「もう十分じゃない?」

ハルナが声をかける。


「あとちょっと」

「喉疲れない?」

「でも、本番で出ない方が嫌」


ユイはもう1度、ゆっくり音階を上げる。


高い音。出る。

さらに上。少しざらつく。


ユイは咳払いをした。


「ユイ…」

綾坂が低い声で呼ぶ。


「咳払いもやりすぎると負担になるよ」

「分かってるって」

「じゃあやめて」

「もー!綾坂マネージャー過ぎ!」

「これがウチの役割なの、理解して」


ユイは笑って返す。

だが、マイクを持つ指には力が入っていた。


ライブが始まった。


1曲目。

2曲目。

問題はない。


ユイはいつもどおり客席へ声を飛ばし、MCでも笑わせる。


3曲目。

少し掠れる。

水を飲み、そのまま続ける。


そして新曲。


練習で1度だけ消えた、高い音が近づく。リョウヘイはドラムを叩きながら、ユイの横顔を見た。


息を吸う量が多い。

肩がわずかに上がる。


次の瞬間、ユイは思い切り声を押し出した。


音は出た。

だが、明らかに硬かった。


普段のユイなら前へ抜けるはずの声が、喉の奥へ引っかかっている。


それでもユイは止めない。

テクニックを無視してフィジカルで高音を無理矢理絞り出しているようだった。


最後まで歌い切った。

曲が終わり、客席から歓声が上がる。


ユイは笑った。

いつもどおりに見えた。


袖へ戻るまでは。


ーーーーーーーーーーーーーーー


ユイは袖に戻ると、喉の奥の異物感を覚えた。

何か「しこり」のようなものがあるように感じる。

喉が熱くて、無意識に喉を片手で押さえて体温を確かめる。



「ユイちゃん?」

ハルナが呼ぶ。


ユイは返事をしようとして、口を開いた。

「……っ」


声が出ない。

もう1度。


「……あ……」

掠れた息のような音だけが漏れる。


ユイの顔から笑みが消えた。


「しゃ、喋らないで!」

綾坂がすぐに言う。

顔にも声にも余裕がなかった。

「もう何も言わないで。水飲んで」


ユイは首を振る。

何か言おうとする。


「駄目だ。これ以上喋ると悪化する」

今度はリョウヘイが止めた。

「今日は終わり。病院行くぞ」


ユイは睨んだ。

「睨んでも行く」


リョウヘイと綾坂はユイの声の異常に違和感を覚えた。

ただ喉が枯れているだけじゃない、もしかしたら…。


歌い手殺しの、「あの病」の可能性を感じてしまっていた。


ハルナもユイの手を握る。

「お願い。ちゃんと診てもらおう」


ヒナも無言で頷いた。


4人に囲まれ、ユイはしばらく動かなかった。やがて、諦めたように肩を落とした。


ーーーーーーーーーーーーーーー


翌日の放課後


ティアーユに付き添われ、ユイは耳鼻咽喉科を受診した。放課後、学校へ戻ってきたユイは、いつものように教室へ入ってきた。


ただし、声は出さなかった。

手には診察結果の紙。

リョウヘイたちは、教室の後方で待っていた。


「どうだった?」


ユイは答えず、紙を机へ置く。

綾坂が最初に目を通した。

その表情が固まる。


「声帯ポリープ……」

ハルナが息を呑んだ。


ヒナも紙を覗き込み、目を大きくする。

リョウヘイはユイを見る。


ユイは笑った。

口だけで。


いつものように「大したことない」と言いたいのだろう。ティアーユが代わりに説明した。


「しばらく歌唱は禁止です。会話も必要最低限。炎症が落ち着くまで、声帯を休ませる必要があります」


さっきまで余裕だったユイの笑顔が、消える。


「ライブは」

かすれた声が出た。


ティアーユの表情が変わる。

「ユイさん。今、声を出さないでください」


「10日後…ライブ…」

「歌唱での出演は認められません」


ユイは何も言わなかった。

言えなかったのではない。


言うなと言われたから、唇を強く閉じた。机の上に置かれた診察結果だけが、5人の間に残る。10日後には、次のライブがある。それまでに治るとは、誰にも言えなかった。


挿絵(By みてみん)

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