#59 アリノス
最初の学内ライブは、成功した。
リョウヘイが復帰後初めて人前でドラムを叩いたことで、校内ホールは開演前から普段以上に騒がしかった。演奏が始まれば、その事情を抜きにしてもlunatiの音は客席を押し切った。右足だけでは出せなくなったインパクトを、左足と両足で補う。ツインペダルを使った1打は以前よりも重く、床から観客の身体を揺らした。
演奏後、ヒナは大興奮していた。
「すごいです!文化祭以来のライブなのに、かなりの人数が見にきてくれてましたね!」
「250人ぐらい来てたみたい…。全校生徒の半分くらいかな」
ハルナも驚きを隠せないようだった。
音響卓から離れた綾坂が、自慢気に腕を組みながら鼻高々に言った。
「だから言ったでしょ。リョウヘイの復活を出汁に使えば動員は増えるって。そういうプレミアムなイベントに人間の心理は動くんだよ」
「いやわかるけど」
ユイは苦笑気味だった。
「言い方は最悪だな」
リョウヘイも同じだった。
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そうして最初の1本を無事に終えた2週間後、lunatiは初めて学校の外でライブをすることになった。会場は、駅から10分ほど歩いた先にある地下のライブハウス「アリノス」だった。
入口へ続く細い階段の壁には、無数のステッカーや色褪せたフライヤーが貼られている。下から漏れてくる音は、学校の練習室よりもはるかに近く、階段そのものが振動しているようだった。
「なんか、ライブハウスって感じだね」
ユイが壁のフライヤーを眺めながら言った。
「ライブハウスだからな。そりゃそうだろ?」
リョウヘイは自分の機材ケースを持ち直す。
「学校と全然違うって意味」
「私は、少し怖いです」
ヒナがそう言いながらも、目は階段の先へ釘づけになっていた。
「でもヒナちゃん、顔はすごく楽しそうだよ」
ハルナに言われ、ヒナは頬へ手を当てる。
「そ、そう見えますか?」
「うん。怖いけどワクワクしてるでしょ?」
「はい…。怖いの半分、ワクワク半分です」
「大丈夫だって、ライブが始まっちゃえばアドレナリン先輩がなんとかしてくれる」
全員の視線がリョウヘイの右足へ向く。
「その言い方は少し不安になります…」
「もう足は大丈夫だって」
「分かってるけど、反射で見るようになった」
ユイが言う。
「やめろよ、心配しすぎだって。いくぞ、遅刻する」
地下へ降りると、受付の先に暗いフロアが広がっていた。学校のホールより狭い。天井も低い。
100人ほどは入りそうな、小規模なライブハウスだった。
ステージと客席の距離が近く、最前列なら演奏者の表情どころか呼吸まで見えそうだった。
綾坂は挨拶を済ませると、すぐにPA卓の周辺を確認し始めた。
「今日は店のPAさんがいるから、ウチは横でサポートと録音」
ライブハウスの奥の方から小さい丸メガネをかけた女性が出てきた。
「アンタ達かい?ティアのお抱えのバンドってのは」
リョウヘイは長年の感覚でこの女性がライブハウスのオーナー、または幹部であることを察知した。
何よりもティアーユ先生をあだ名で呼べるという事は、それだけで業界の高い位置にいることが容易に推察できた。
身体が自然と営業モードに切り替わる。
「lunatiです。よろしくお願いします。今後、毎月末にお世話になります」
リョウヘイの挨拶に合わせてメンバーも頭を下げた。
「おぉ、ご丁寧にどうも。アタシの事はマキって呼んどくれ。若いのにしっかりしてるさね。感心感心」
「ライブハウスは実力と最初の挨拶が大事ですから」
ニヤリとするマキ。どうやら気に入られたようだ。
綾坂は前のめりにマキに話しかけた。
「あの!よければオペの様子も見学させていただけますか!?」
マキは笑顔で答えた。
「アンタがティアの言ってたPAの綾坂だね。もちろん見ていいさね。大したもんは見せられないけどね」
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リハーサルでは、学校との違いがすぐに出た。
ドラムの低音が近い。
ギターもベースも、アンプから客席へ直接飛んでいく感覚が強い。ハルナは鍵盤の音量を何度も調整し、ヒナは「あれ?」と言いながら、アンプの前で首を傾げた。
「いつもの設定なのに、ちょっと高音が痛いです」
「ライブハウスによって、抜けやすい音の周波数が違うの。スタジオの時の音作りと音量を基準にして、イコライザーで微調整して」
綾坂が客席からステージに上がり、更に細かくディレクションしていく。
「ヒナっち、いつもより少しハイを削って。リョウヘイのバスドラはPAさんに任せて、自分でデカくしようとしないで」
「大丈夫、分かってるって」
リョウヘイは余裕そうに答えた。
「熱くなるとすぐフィジカルに頼るじゃん」
「そういうスタイルなんだよ」
「頭はクールに、心はホットに。でしょ?」
綾坂は軽くウィンクした。
「そうでした…綾坂はなんでもお見通しだな」
綾坂は腕を組みながら答えた。
「舐めないでよね。音を聞けば、その日の体調や思考までもウチにはわかるんだから。」
「綾坂こわー!」
ユイが笑う。
「ねぇねぇ、アタシにもなんかない?」
「アンタは喋りすぎない」
「ベースの事言ってよー!」
「本番前から喉使いすぎ、ほんのちょっとだけど掠れて聞こえる」
「いつものことじゃん。全くもう」
ユイは軽く返した。
リハーサルが終わり、楽屋へ戻る。
今日の出演者に、lunatiの名前を知っている者はほとんどいない。学校の外では、文化祭も特進クラスも関係ない。
ただの高校生バンド。
それが、リョウヘイには心地よかった。
「誰も知らないな」
「うん」
ハルナが笑う。
「いいね」
「楽しそうだな、ハルナ」
「そっちこそ、ワクワクしてるクセに」
その言葉を聞き、リョウヘイも笑った。
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本番直前。
スタッフが呼びに来る。
綾坂はすでに客席後方の卓へ向かう準備をしていた。
「じゃ、ウチ先に行く」
「よろしくね綾坂!」
ユイが手を差し出す。
「オペはしないって言ったでしょ、手も塞がってるし」
両手にはタブレットと録音機材がある。
「物理的に断られた!」
「いいから!さっさといけ!」
4人は頷き、ステージ袖へ向かった。前のバンドが演奏を終え、転換が始まる。客席はまだざわついていた。前方に残っている客は多くない。
後ろでは次の飲み物を注文する声が聞こえ、壁際でスマートフォンを見ている者もいる。
今日は学外ということもあって、全身黒シャツのコーディネートに統一した姿でlunatiは登場した。
それぞれ持ち場につき、準備を始める。
「ほんとに誰も知らないね」
ユイがマイクに乗らないように小声で言う。
「この前、学校で250人ぐらいいたのにね」
ハルナとヒナが反応する。
「すごいギャップですね…今日は50人ぐらいですかね」
リョウヘイはドラム椅子へ座る。右足をペダルへ載せ、左足も隣へ置いた。目の前にいる客のほとんどが、こちらを見ていない。
「これでいい、ワクワクしてきた」
「出たよ、いつもの」
ユイはニヤニヤしながらリョウヘイを見た。
見ていないなら、音で振り向かせるだけだ。綾坂が客席後方の卓から片手を上げる。
準備完了の合図。
「いくぞ、お前ら」
頷く3人。
リョウヘイはスティックを打ち鳴らした。
1曲目は、MCを挟まずに始めた。ヒナのギターが静かな客席へ鋭く切り込む。ハルナの鍵盤がその奥へ広がり、ユイのベースが低い場所を走った。
まだ、客は話している。
リョウヘイは右足でリズムを刻みながら、左足をペダルへ置いた。
曲が最初に大きく開く場所。
2本のビーターを、ほんのわずかだけずらして打ち込む。いつもなら、ドンッ――! と鳴るはずだった。しかし、現実に響いた音は違う。
ドグンッ!!
緻密にコントロールされた2打が、打面の上で互いに共鳴し、1つの巨大な衝撃へまとまった。
耳には1打にしか聞こえない。
だが、身体へ届く衝撃は2倍だった。最前列の客が一斉に顔を上げ、壁際でスマートフォンを見ていた男の視線がステージへ向く。何が起きたのかを正確に理解した者はいない。フラムだと気づいた者も、そのフラムを足で作っているとは思わない。
客がこちらを見る。
それだけで十分だった。
ユイの声が入る。
学校ではすでに知られている声。
ここでは、誰も知らない。
だからユイは、遠慮なく最初から飛ばした。知らない客へ自分の名前を覚えさせるように、1語ずつ前へ置いていく。ハルナはユイの声を支えながら、客席の変化を見ていた。最初は腕を組んでいた者が、少しずつ身体を揺らし始める。ヒナのギターへ視線を向ける者。リョウヘイの足元を覗き込もうとする者。
1曲目が終わる。
さっきまでまばらだった拍手が、今度は前方からまとまって返ってきた。
ユイがマイクを握った。
「東音代表、lunatiです!」
短い自己紹介。
「たぶん今日、アタシたちのこと知らない人がほとんどだと思います!いつもは校内でライブしてるけど、今日は初めての校外ライブなの!」
客席から笑いが起きる。
「がんばれー!」
どこかから声が飛ぶ。
「超がんばるー!だから名前だけでも覚えて帰って!」
「名前だけじゃなくて、曲も…」
ハルナがツッコむ。
「あー!曲もだね!忘れてた!」
また笑いが起きた。
「とにかく全部置いてくから!全部受け取って!取りこぼしてもいいから!」
ユイはMCがうまい。
ステージの上から話しかけているはずなのに、一方的に聞こえない。客席から飛んできた声を拾い、その場で返す。返事がなければ自分で次へ進める。知らない客との距離を、数分で縮めてしまう。綾坂は卓の後ろから、その様子を見ていた。
「ほんと、こういう時だけ強いな……」
隣にいたマキが笑う。
「あの子、面白いさね」
「場数はまだそんなないです、まだまだ荒削りですよ」
「そうさね。それでも期待してしまう何かがあるよ、あの子には」
「そうですよね。ウチも同じ感想です」
2曲目が始まる頃には、後ろにいた客も前へ寄ってきていた。
ヒナのギターソロ。
ハルナの鍵盤。
ユイのベースと歌。
リョウヘイのドラム。
学校の設備より小さい会場だからこそ、音が身体へ直接ぶつかる。リョウヘイはツインペダルのフラムを乱発しなかった。
ここぞという場所だけ。
曲が開く瞬間。
客の身体をもう1段前へ持っていきたい場所。
ドグンッ!!
そのたびに、最前列の表情が変わる。
3曲目。
ユイのMCへ返事をする客が増える。
4曲目。
最初から前にいた客だけではない。後方で飲み物を持っていた者まで、ステージへ視線を向けたまま動かなくなっていた。
最後の曲。
「今日初めて見た人!」
ユイが聞く。
ほとんどの手が上がる。
「じゃあ次会った時は、もう初めてじゃないね!2回も見てくれたらもうみんな友達!」
歓声が返る。
リョウヘイはスティックを構えた。
カウント。
4人が同時に入る。
綾坂は安心してライブを見ていた。誰か1人を目立たせる必要はない。今の4人は、それぞれが前へ出ながら、互いの音を潰していない。
最後のサビ。
ユイの声が伸びる。
ヒナのギターが上へ抜ける。
ハルナの鍵盤が空間を広げる。
リョウヘイは最後の1拍へ両足を置いた。
ドグンッ!!
音が止まる。
一瞬の静寂。
その直後、さっきまでとは比べものにならない拍手が返ってきた。
「ありがとうございましたー!東音代表!lunatiでした!」
ユイが頭を下げる。
4人も揃って礼をする。
初校外ライブは成功と言って良い出来栄えだった。
袖へ戻った瞬間、ヒナが大きく息を吐いた。
「緊張しました……」
「そう?演奏中は全然そんなふうに見えなかったよ」
ユイが笑う。
「ヒナ、めちゃくちゃ頭振って演奏してたし」
「抑えているんですけど…いつも気がつくと髪が滅茶苦茶になってるんですよ…」
「私も途中から客席見る余裕なくなった」
ハルナも胸へ手を当てる。
「でも、楽しかった。アウェイな方が燃えるね」
「だろ?」
リョウヘイが言う。
「ここじゃ、子供も大人も関係ない。いい音さえ出せれば結果はついてくる。学校とはまた違うな」
そこへ綾坂が戻ってくる。
「お疲れ」
「どうだった!?」
ユイが真っ先に聞く。
「良かった。最後、客かなり巻き込めてたと思う」
「でしょ!」
「ただし!」
「出たぁ…」
「ヒナっちは2曲目の高音、ちょっとだけ強すぎ。ピッキングに力を入れすぎ。ハルナは3曲目の左手が1回重い。ビビりすぎ。リョウヘイはフラムキック、もっと安定させて。精度が低い」
「綾坂細かいー!」
「それがウチの仕事なの。録音あるからあとで聞くよ」
「終わった直後くらい褒めてよ」
「褒めたじゃん。良かったって」
ユイは口を尖らせた。
「アタシは?なんかある?」
なんやかんや言ってユイは綾坂のことを信頼している。綾坂のダメ出しは素直に受け入れる。
綾坂がユイを見る。
「MCは良かった」
「MC!?」
「歌も良かったよ」
「順番!!」
ユイが笑った。
その声の最後だけ、少しざらついた。
綾坂の表情が変わる。
「ユイ」
「なに?」
「今日はもう、あんまり喋らないでね」
「なんで?」
「声、ちょっと掠れてる」
ユイは喉へ手を当てた。
「歌ったあとだからでしょ」
「水飲んで。帰りも静かに」
「無理ー。これから打ち上げだよ?」
「即答すんな、のど飴もなめて」
「だってライブ成功したんだよ? 喋るでしょ」
「喉は消耗品じゃない、ちゃんとケアして」
「分かってるって」
ユイはペットボトルの水を飲み、何事もなかったように笑った。初めての学外ライブは成功した。
知らない客が振り向き、最後には拍手をくれた。次も見る、と声をかけてくれた者もいた。5人にとっては、これ以上ないスタートだった。
だから誰も、その小さなざらつきを異変とは思わなかった。その日までは、それだけのことだと思っていた。




