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#58 小さな違和感

リョウヘイがツインペダルを使い始めてから、2週間が過ぎた。


最初の数日は、まともに曲を叩くことすらできなかった。右足だけで刻むなら問題はない。左足だけで踏むこともできる。だが、2本を自由に使い分けようとすると、身体の中にあった長年の順番が邪魔をする。

今まで無意識にできていたはずの8ビートすら、どちらの足を使うか考えた瞬間にぎこちなくなった。


「右、右、左……両足からの右、左、左」

リョウヘイは何度も繰り返し身体操作を確認していった。

「声に出すとかなりダサいね」

ユイが笑う。


「笑うなよ、難しいんだぞ」

「ごめんってば!」


練習室では、毎日のように同じやり取りが続いた。綾坂は録音した音を細かく確認し、必要な場所だけ指摘する。


「今のは左が遅い」

「えー、誤差範囲だろ?」

「ダメ、ウチには32分音符に聞こえる」

「そんなのわかるの綾坂だけだろ」

「リスナーだって無意識に違和感を覚えるはずだよ、最低でも64分音符のフィールを安定して出して」

「そんな狙ってフラムしなきゃダメ?」

「ダメ、特にバスドラは徹底して」

「厳しいなぁ…」


リョウヘイは苦笑いしながらも、的確なアドバイスに満足していた。新しい課題が見つかるとワクワクするのはリョウヘイの癖だ。


ハルナはリョウヘイを気遣うように綾坂に言い寄った。

「綾坂さん、もうちょっと優しく…」

はっ!とする綾坂。リョウヘイが怪我人だった事を忘れていたようだ。ハルナもそれに気が付いたのだろう。

「ご、ごめん……熱くなってた」


「いや、そのままでいいよ。そっちの方がレベル上がりそう」

リョウヘイは笑いながら、もう1度ペダルへ足を置く。無理に速さを取り戻そうとはしなかった。


まず、右足で出せる音。

次に、左足で出す音。


その2つを曲の中でどう使い分けるか。さらに、強い1発だけ両足をほとんど重ねる。


ドンッ――!


練習室の空気が揺れる。


「今のは?」


リョウヘイが聞く。

綾坂は目を閉じたまま答える。


「ちょっと離れた。2発に聞こえる寸前」


「右足、疲れてない?」

ハルナがキーボードの前から振り返る。


「まだ全然平気」

「その言い方されると余計に心配しちゃうよ」

「じゃ、なんで言えばいいんだよ?」


リョウヘイはそう言いつつも、心配そうにするメンバーを見て考え直した。答えはすぐに出た。

「わかったよ、今日はここまでにしよう」



その一言に安心したメンバーを見て、リョウヘイも安心した。

以前なら、止められるたびに焦っていた。

しかし、今は違う。

休むことも練習の一部だと、少しずつ理解できるようになっていた。それでも、演奏を終えるたびに右足へ視線が落ちる。


戻った。

そう言い切るには、まだ足りない。

それでも着々と、lunatiもリョウヘイも全盛期の感覚を取り戻しつつあった。


ーーーーーーーーーーーー


ある日の放課後。

ティアーユから5人へ呼び出しがかかった。

通常科へ戻ったあとも、lunatiの活動については学校側へ報告する必要がある。特にリョウヘイの復帰については、医師の許可だけでなく、学校としても状態を確認したいらしい。


ミーティングルームへ入ると、ティアーユが予定表を机へ置いた。


「今年度の学内ライブ日程です。マンスリークローザーというイベントが毎月の月末にあります。去年はサクラさんがレギュラーで出ていました。」


ユイの目が輝く。

「あのイベント、出れるんですか!?」

「まだ出演を許可したとは言っていません」

「予定表見せた時点で期待させてますよ」

「ユイさんが勝手に期待しただけです」


ティアーユは淡々と返す。


予定表には、月末の学内ライブと、学校外の提携ライブハウスで行われる学生枠の案内が並んでいた。


「復帰後の活動について、どう考えていますか」

「すぐにでもライブしたいです」

リョウヘイが答える。


「即答ですね」

「ライブするって決めてるので」

「リョウヘイくん…!」


ハルナが慌てて前に出てきた。

「まだ足の確認も終わってないよ」

「今確認してるとこだ」

「順番が逆なんだよ」


ユイが呆れた。

ヒナは予定表を覗き込む。


「学内と学外のライブハウス、両方出るんですか?」

「出れるならどっちも出るでしょ!」

ユイの声が1段高くなる。


「ライブごとに同じ曲だけじゃ飽きるし。学内と学外でセットリスト変えようよ」

「急にやる気出たな」

「ライブだよ? 出る以外ある?」


ユイはティアーユから用紙を受け取り、出演希望の欄へ迷わず丸をつけた。


「はい、決定!」

「まだメンバー全員の確認が――」

「賛成の人?」


ユイが手を上げる。


ヒナが続き、綾坂も肩をすくめながら手を上げる。ハルナは最後までリョウヘイの足を気にしていたが、やがて小さく手を上げた。


「無理はしないって約束してね」

「…しないよ、大丈夫」

「本当に?今、一瞬考えたよね?」

「大丈夫だって、クールにやるよ」

「怪しいなぁ…」


最後にリョウヘイも手を上げる。


「はい!全員参加です!」


ユイが勝ち誇ったように言った。ティアーユは5人を見回し、諦めたように息を吐いた。


「分かりました。ただし、学内ライブへの出演は、リョウヘイさんが1時間の演奏に耐えられることを確認してからです。学外ライブは、その後にしてください」


「はい先生!」

ユイは小学生のように手を挙げて元気よく返事をした。

「返事だけは素直ですね」

ティアーユは片手で額を押さえた。


「来週、スタジオにお邪魔します。リョウヘイさんの音と体力を確認させてもらいます。許可はその時、改めて。それでは」

ティアーユはそれだけいうと、アンサンブル授業の為移動していった。


ーーーーーーーーー


特進クラスはなくなった。サクラとフミも卒業した。それでも、5人の前には新しい予定が増えていく。月に1度の学内ライブ。月に1度の学外ライブ。リョウヘイの復帰とともに、止まっていた時間が一気に動き始めた。


「よし。明日から通し練習ね」

ユイが予定表を鞄へ入れる。


1週間後、5人はティアーユ立ち会いのもと、ライブ1本分を想定した通し練習を行った。持ち時間は1時間。曲間の短いMCと、機材調整の時間まで含めた実戦形式だった。最初の2曲は問題なかった。3曲目に入る頃には、リョウヘイの右足に鈍い重さが溜まり始める。

以前なら右足で押し切っていた場面を、左足へ振り分ける。強い1発が必要な場所だけ両足を使い、それ以外では右足を無駄に酷使しない。


新しい奏法は、単なる力技ではなかった。右足を守りながら、どこで左足を使えば曲が最も大きく動くのか。その選択まで含めて、リョウヘイの新しい演奏になり始めていた。40分を過ぎたところで、ハルナが振り返る。


「リョウヘイくん、足は?」

「まだいける」

「まだ、じゃなくて状態を教えて」

「少し重い。でも痛くはない」

「綾坂さん…どう?」


綾坂が録音画面から顔を上げる。

「右足の音量も落ちてない。動きも今のところ崩れてないよ。嘘は言ってないみたい」

「綾坂、嘘発見器みたいになってる」

「音は嘘をつけないから。聞こえてきた音と残ったデータだけが真実なの。」


ユイがマイクを握り直す。


「リョウヘイが無理そうなら、途中ですぐ止めるからね」

「いつもと立場が逆転したな」

「いっぱいダメ出ししてあげるからね」


次の曲へ入る。

リョウヘイは身体の力を抜いた。

速さで押さない。

音量で誤魔化さない。

右足の状態を感じながら、必要な場所だけ左足へ渡す。


頭はクールに、心はホットに。


以前より考えることは増えた。


なのに、不思議と演奏そのものは自由になっていた。右足だけで全部を背負っていた頃には選べなかった音がある。左足を使うことで、フレーズの形まで変えられる。両足のフラムを使えば、欲しい場所だけ異質な衝撃を作れる。失ったものを補っているだけではない。


新しい武器を覚えている。


「最後の曲いくよ!」

ユイがマイク越しに叫ぶ。


リョウヘイは両足をペダルへ置いた。ハルナの鍵盤が上昇し、ヒナのギターが1つの塊になる。ユイのベースが低い場所を走り、その上から歌声が突き抜ける。


最後の1拍。

両足を踏み込む。

低音が練習室全体を揺らし、4人の音が同時に止まった。


1時間。

リョウヘイは、最後まで叩き切った。


「……合格です」


壁際で時間を計っていたティアーユが言う。


「学内ライブへの出演を認めます。終了後に痛みが出た場合は、次回の出演を再検討します」


「学外は?」

「まずは1本終えてからです」

「出る前提でいいですか?」

「学習しませんね、リョウヘイさんは」


ティアーユは呆れたように言いながらも、口元にはわずかな笑みがあった。ユイがマイクを置き、ドラムのそばへ駆け寄る。


「おかえり、リョウヘイ」


その言葉に、リョウヘイは一瞬だけ黙った。


「ああ。ただいま」


ハルナとヒナも笑い、綾坂は「遅い」とだけ言って録音を止めた。


これで、月に1度の学内ライブへの出演が決まった。そこで問題がなければ、翌月から学外ライブも加わる。月2本という新しい活動ペースが、現実の予定として5人の前へ置かれた。


誰もがリョウヘイの右足ばかりを気にしていた。


だから、通し練習を終えたユイが、人知れず喉へ手を当てていたことには気づかなかった。


「コホ…」

痛みというほどではない。


歌い終えたあとに残る、薄い引っかかり。ユイは1度だけ咳払いをすると、水を飲み、その違和感ごと笑顔の奥へ流し込んだ。

挿絵(By みてみん)

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