#57 フラムキック
4月。
新年度最初の朝、リョウヘイは校舎へ入る前に、右足を1度だけ地面へ打ちつけた。痛みはない。少なくとも、歩くだけなら。
冬の間、毎日のように通ったリハビリも先週でひと区切りついた。階段を上り、軽く走り、片足で身体を支える。日常生活へ戻るために必要な動作は、すべて問題なくこなせるようになっている。
ただし、ドラムは別だった。
「朝から何してんの?」
背後から声をかけられ、リョウヘイが振り返る。ユイがベースケースを背負い、呆れたようにこちらを見ていた。その隣にはハルナとヒナもいる。少し遅れて、綾坂がイヤホンを外しながら歩いてきた。
「おはよ、みんな」
リョウヘイはいつも通り挨拶した。
「おはようございます、今日から新学期ですね」
ヒナもいつも通り丁寧な挨拶。
「みんな同じクラスだといいね」
ハルナは不安そうに呟いた。
「あぁ、それなら多分大丈夫」
綾坂はそれとは裏腹に余裕そうだった。
ユイはリョウヘイの返事を待たず、校舎へ向かって歩き出した。昇降口には、新しいクラス分けが貼り出されている。5人とも2年生へ進級した。特進クラスは解体され、今年からは通常の音楽科へ戻る。春休み中に知らされていたこととはいえ、実際に大勢の生徒の名前が並ぶ紙を見ると、本当にあの教室がなくなったのだと実感した。
「私は……2年1組です」
ヒナが自分の名前を見つける。
「私も1組だよ」
隣の列を見ていたハルナが、嬉しそうに声を上げた。
「ウチも」
綾坂が短く答える。
ユイは掲示板へ顔を近づけ、上から下まで指で名前を追っていた。
「リョウヘイも1組。アタシも……1組!」
振り返ったユイの顔が、一気に明るくなる。
「5人とも一緒じゃん!」
「本当ですか?」
ヒナがもう1度掲示板を確認する。ハルナも5人の名前を順番に見つけると、胸の前で両手を合わせた。
「よかった……。またみんなと同じクラスだね」
「だから言ったでしょ、大丈夫って」
綾坂も口では平静を装っているが、その表情はわずかに緩んでいた。
「やった!」
ユイがハルナとヒナの肩をまとめて抱き寄せる。
「ユイさん、近いです」
「いいじゃん、今日くらい」
「まだ始業式も始まってないよ」
ハルナは困ったように笑いながらも、ユイを押し返そうとはしなかった。
「リョウヘイも来なよ」
「俺まで混ざるの?」
「5人一緒なんだから、5人で喜ばないと」
「俺はいいよ、嬉しいけどな」
「ウチも」
そう言いながら離れようとした綾坂の腕を、ユイがつかむ。結局、5人は掲示板の前で写真を撮ることになった。
「暑苦しい」
「綾坂、ちょっと嬉しそう」
「嬉しくない」
「じゃあ離れていいよ」
「……早く撮ろうよ」
「嬉しいんじゃん」
サクッと近くの友達に写真を撮ってもらった。
綾坂がユイを睨む横で、リョウヘイはもう1度クラス分けを見上げた。偶然にしては、出来すぎている。
「ティアーユ先生か……気を遣ってくれたみたいだな」
「先生がクラス分けを決められるの?」
ハルナが尋ねる。
「ティア姉さんが裏から手を回してくれたみたい」
綾坂はタネを明かした。
「先生、そういうこと黙ってやりそう」
ユイが笑う。
「あとでお礼言わないとね」
「言ったら、偶然ですって返されそうです」
「姉さんはそういうとこあるからなぁ」
ヒナの予想に、5人が揃って笑った。サクラとフミがいない寂しさは消えない。それでも、残された5人がまた同じ教室で過ごせることは、素直に嬉しかった。ユイはスマートフォンを取り出す。
「師匠たちにも送っとこ。全員、無事に2年生になりましたって」
「当たり前だろ、わざわざ送ることか?」
「進級できない可能性もあったじゃん。特にリョウヘイ」
「俺の成績はユイほど悪くないぞ」
「出席日数の話」
「それはホントにギリギリだった」
「アタシは真面目だからちゃんと学校行ってたし」
「その割にはアンタは成績が伴ってない」
綾坂の指摘は正しかった。
5人は揃って新しい教室へ向かった。特進クラスにいた頃は、教室にいる生徒はリョウヘイたち7人だけだった。だが、通常科の教室には30人近い生徒が集まっている。扉を開けた瞬間、いくつもの視線が集まった。
「あ、特進組だ」
「戻ってきたんだ」
「5人とも同じクラスなの?」
珍しい動物でも戻ってきたような反応だった。リョウヘイが空いている席を探していると、後ろからユイに背中を押される。
「ほら。立ってるほうが目立つよ」
「押すな。右足に響く」
「ごめん」
ユイの手がすぐに離れた。
冗談のつもりだったのだろう。けれど、リョウヘイが少しでも足のことを口にすると、ユイたちは必要以上に反応するようになっていた。
「今のは嘘。なんともない」
「そういう嘘やめてくれる?」
ユイが眉を寄せる。
「心配するじゃん」
「悪かった」
「リョウヘイ……」
教室の奥から、聞き覚えのある抑揚の少ない声が届いた。振り返ると、窓際の席にリナが座っていた。長い髪を1つに束ね、こちらをまっすぐ見つめている。
「リナ。久しぶり」
「うん」
リナは席を立つと、真っ先にリョウヘイの右足へ視線を落とした。
「もう、歩ける?」
「見てのとおり。走るのも少しならいける」
「ドラムは?」
「今日、試す予定」
「そう」
短く答えたあと、リナはわずかに表情を緩めた。
「よかった」
「アタシたちとの再会は?」
ユイがリョウヘイの隣から顔を出す。リナはユイ、ハルナ、ヒナ、綾坂を順番に見る。
「みんなも、戻ってきてよかった」
「ついでっぽいなあ」
「順番の問題」
「リョウヘイが1番なのは否定しないんだね」
「うん」
ユイが呆れたように笑い、ハルナは少し困った顔でリョウヘイとリナを見比べる。
「リナさんも同じクラスだったんだね」
「うん。去年と同じ」
「またよろしくお願いします」
ヒナが小さく頭を下げる。
「よろしく。ヒナのギター、また聴きたい」
「はい。私も、リナさんのドラムを聴きたいです」
「ヒナ、あとで相談がある」
「え?あ、はい?」
リナは頷いたあと、再びリョウヘイを見る。
「放課後、見にいってもいい?」
「今日はlunatiだけで確認する予定なんだ。右足がどこまで動くかも分からないし」
「分かった」
声はいつもどおり淡々としていたが、少しだけ残念そうだった。
「ちゃんと叩けるようになったら聴かせるよ」
「約束」
「ああ」
「じゃあ、待ってる」
その1言に、ユイが片眉を上げる。
「リョウヘイ、復帰ライブの最前列、1席埋まったね」
「まだライブの話までしてないだろ」
「私は行く」
「ほら」
「決定が早いな」
周囲のクラスメイトからも次々に声をかけられ、5人はそれぞれ以前の席へ荷物を置いた。久しぶりの通常科だったが、離れていたのは半年ほどだ。ユイはすぐに近くの生徒との会話へ混ざり、ハルナとヒナも以前のクラスメイトに囲まれている。特進へ行く前と何も変わらない。ただ、リョウヘイたち5人が揃って戻ってきたことで、以前より少しだけ騒がしくなっていた。やがて、始業を知らせるチャイムが鳴った。
教室へ入ってきたのはティアーユだった。特進クラスの教壇に立っていた時と同じ服装、同じ歩幅。それなのに、30人近い生徒が並ぶ教室では、少しだけ違う教師に見える。
「皆さん、席についてください」
ざわめきが静まる。
「今年度、このクラスの英語、音楽理論とアンサンブル演習を担当するティアーユ・フォン・ヴァレンタインです」
通常の自己紹介を終えたあと、ティアーユの視線がリョウヘイたちへ向いた。
「また、今年度から5名の生徒が通常科へ復帰しています。転入生ではありませんので、特別な紹介はしません」
「先生、冷たくない?」
ユイが言う。
「特別扱いはしないと言ったはずです」
教室に笑いが起きた。
特進クラスの解体について、ティアーユは詳しく触れなかった。事件の責任が誰にあるかを、ここで説明する必要はない。5人を腫れ物のように扱わせないためでもあるのだろう。
「授業内容は昨年度の続きから始めます。特進クラスにいた生徒も例外ではありません」
ティアーユは教科書を開く。
「環境が変わったからといって、学んだ内容まで消えるわけではありません。むしろ、周囲へ還元してください」
リョウヘイは、その言葉に卒業式の日を思い出した。教室がなくなっても、そこで得たものはなくならない。どうやら、あれは別れのためだけの言葉ではなかったらしい。午前の授業が終わる頃には、5人は思っていたより自然に通常科へ溶け込んでいた。
綾坂は機材の話を聞きつけた生徒たちに囲まれ、ヒナは演奏動画を見たことがあるという生徒から遠巻きに注目されている。ハルナは以前のクラスメイトから次々と声をかけられ、そのたびに丁寧に笑って答えていた。ユイは昼休みが始まる前には、もう数人と机を囲んでいた。どこへ戻っても、ユイはユイだった。
「リョウヘイ!」
昼休みになると離れた席からユイの声が聞こえた。
「昼、みんなと中庭で食べよ。綾坂も呼んでるから」
「了解」
リョウヘイが中庭に着くと、既にlunati女子メンバーが昼飯を食べていた。
一年前はここで毎日昼飯を食べていた。ユイに説得されたり、ハルナに交渉されたり、ヒナが泣いたり。
リョウヘイ達には思い出の場所だった。
特進クラスでは学食の優先権があったので、全く使っていなかった。
「もう叩いても大丈夫なの?」
綾坂は心配そうに聞いてきた。
「うん、もうなんともない」
「絶対無理はしないで。ティア姉さんからリョウヘイの監視とlunatiの管理をするように言われてるから」
「俺、信用ないなぁ」
「止める人間がいないとアンタやり続けるでしょ」
そのやり取りを聞き、ユイが吹き出した。
「綾坂、やってることオペレーターっていうかマネージャーじゃん」
「何でも屋って言ってるでしょ」
「さすが綾坂さん、万能ですね!」
「任せて安心だね」
ヒナとハルナも綾坂にはかなり信頼を置いているようだった。
綾坂は少し照れながら答える。
「ウチがチームに入った以上、適当な運営はさせないよ。卒業後もバンドは続くんだから、今のうちにしっかり売れる準備をする」
「おお!綾坂が言うとホントに売れそう!」
ユイはワクワクしている。
「当たり前、ウチの戦力は1企業並みだよ。会社がバックについてると思っても過言じゃない」
「言い切れるのかっこいいな」
ハルナも苦笑しながらも認めている。
「まずはリョウヘイの復活を最優先。ちょっとずつスタジオワークも増やして特進の頃のペースに戻していく」
「今日がその一歩目だな」
「そういうこと」
さらに綾坂は付け加える
「むしろリョウヘイの復活をネタにして告知もたくさんやろう、みんなに退院祝いしてもらうの。きっと動員も増えるよ」
「人を出汁に使うなよ」
「逆らうならウチ、抜けるけど」
「リョウヘイさん、諦めてください」
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予約した部屋へ入ると、中央にドラムセットが置かれていた。リョウヘイは扉の前で足を止めた。
練習用の、ごく普通のセット。見慣れているはずなのに、椅子までの距離が妙に遠く感じる。
「リョウヘイさん」
ヒナの声が背中へ届く。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫」
今度は嘘ではなかった。
怖くないわけではない。それでも、叩かないままでは何も始まらない。リョウヘイは椅子へ座り、高さを調整した。右足をペダルへ載せる。
馴染んだ姿勢だった。
スティックを握れば、身体はすぐに次の動きを思い出した。軽くハイハットを刻み、左手でスネアを叩く。そこへ右足でバスドラムを加えた。
小さな音が鳴る。
痛みはない。
もう1度踏む。タイミングもずれていない。
「全然いけるじゃん!」
ユイが顔を明るくする。
「ああ!」
リョウヘイも笑い、少しずつ音を増やした。
ビート、フィル、シンバル。身体は動く。右足も、必要な場所でペダルを踏めている。数か月離れていたとは思えないほど、感覚は残っていた。
ハルナが安心したように息を吐き、ヒナも胸元で両手を握る。その隣で、綾坂だけが目を閉じた。視界を切り、周囲の気配を意識の外へ追いやる。綾坂の耳に、演奏を構成する音が1つずつ浮かび上がった。
ハイハット。
スネア。
タム。
シンバル。
そして、バスドラム。
「リョウヘイ」
綾坂が呼ぶ。
「右足、音量は落ちてない」
リョウヘイは演奏を止めた。
「音量はな」
「動きも崩れてない。細かい連打もできてる」
「でも、インパクトがない」
「そう、フォルテが出てない」
空気が変わった。
リョウヘイ自身、最初の1打で気づいていた。右足は動く。速く踏むこともできる。だが、強い1音を出そうとすると、無意識に身体が止める。傷ついた場所を守ろうとして、踏み込む直前に力が抜ける。
「1発、強く踏んでみる」
「無理しないでよ」
ユイの声が低くなる。
「確認だけ、もう大丈夫だから」
リョウヘイは右足へ力を集めた。以前なら何も考えずにできた動作。太ももから膝へ。膝から足首へ。最後に足裏でペダルを押し込む。
ビーターが打面へ向かう。
ドンッ
音は鳴った。
だが、欲しい場所まで届かない。
「……軽い」
誰も否定しなかった。
もう1度。
ドンッ
今度は少し強い。
それでも、ライブで曲を押し上げる時に使っていた、身体ごと持っていくような1発にはならない。3度目へ入ろうとしたところで、ユイがドラムの前へ来た。
「もういい」
「まだ分かんないだろ」
「分かるよ、無理してる」
ユイの声には、冗談がなかった。リョウヘイは右足をペダルから下ろす。
「……でもこれじゃ、戻ったとは言えない」
「誰も今日、全部戻せなんて言ってないよ」
「リハビリは終わった」
「病院のリハビリでしょ。ドラマーのリハビリは今日からじゃん」
返す言葉がなかった。
ユイはドラムの前へしゃがみ、右足の傷があるあたりを見た。
「足が動くんだから、まずはいいじゃん」
「こんな音量じゃライブで埋もれる」
「じゃあ、アシタらが出力下げる」
「そういう問題じゃないんだよ」
「わかるけど!」
ハルナも隣で頷く。
「前と同じ音を出すことだけが、戻ることじゃないと思う」
「私もそう思います」
ヒナがギターケースを抱えたまま続ける。
「今のリョウヘイさんが叩ける形を、みんなで探したいです」
3人の言葉を聞き、リョウヘイは息を吐いた。自分が1番、以前の自分へこだわっていたらしい。
こういう時はマネージャーに相談するのが最適だ。
「なんかないか、綾坂」
「雑っ!まぁ、考えてはいたけど」
「さすが、マネージャー兼オペレーターだね!」
ハルナが嬉しそうに答えた。
「あるんですか!?何か解決策が…!」
綾坂はスマートフォンを取り出した。
「右で強く踏めないなら、右だけで踏まなきゃいい」
「どういうこと?」
ハルナが尋ねる。
「ツインペダル」
綾坂は画面に表示した写真を5人へ見せる。1つのバスドラムを、左右2本のペダルで鳴らすための機材だった。
ハルナが画面を覗き込む。
「そっか!左足も使えばいいんだ!」
「より変態ドラマーになりますね…」
ヒナは苦笑いしていた。
「フォルテの時は右足の代わりに左で踏む。アンタ、左足は動くんでしょ?」
「動くけど……ハイハットをの開閉を捨てることになるんじゃないか…」
「TAMAからコブラ・クラッチってアイテムが出てる。身体操作は面倒くさいと思うけど、使いこなせればハイハットワークも捨てずにツインペダルを使えるはず」
リョウヘイは画面を見つめる。
右足で出ない音を、左足で補う。
単純な発想だった。
だが、ドラマーとして積み上げてきた身体の使い方を、根本から組み替える必要がある。
「学校にある?」
「特進の機材倉庫にあるのを確認してる。リョウヘイなら申請すればレンタルできるよ」
「よし、借りてくる」
立ち上がろうとしたリョウヘイの肩を、ハルナが押さえる。
「私が行く」
「いいよ、自分の事は自分でやる」
「今、右足使ったばかりでしょ。休んでて」
「走らなきゃ平気だって」
「今のリョウヘイくんに機材持たせるのが嫌なの」
「ウチも行く」
綾坂が扉へ向かう。
「ドラムの機材って重いからね、2人で行こう」
「ありがとう、綾坂さん」
数分後、2人がツインペダルを抱えて戻ってきた。
先程まで余裕があった2人は顔から疲れが滲み出ていた。
「あー、やっぱ重い!」
ドゴ!と低い音を立ててケースが床に置かれた。
綾坂は腕を揉んでいた。
「ドラムの機材って女子にはキツイね…」
ハルナも同様だった。
「ほとんど鉄の塊を持ってるみたいなもんだからね…」
不満を言いつつも、綾坂が手際よくツインペダルを取り付ける。
右足側のメインペダル。
シャフトでつながった左足側のサブペダル。1つのバスドラムへ、2本のビーターが並ぶ。リョウヘイは椅子へ座り直した。
更にコブラ・クラッチ。左足の操作一つでハイハットの開閉をロックできるようになった。
「まずツインペダル、左だけ」
綾坂が言う。
左足を踏む。
ドンッ!
音は強い。
傷のない足だから当然だった。
「もう1回」
ドンッ!
「うん、かなり右足に近いデシベルが出てる」
「右足で踏みながらインパクトは左で出す…必要なところはコブラ・クラッチ…忙しいな」
「コブラ・クラッチの操作も含めた新しい楽譜が必要だね。これはウチが作る」
「助かるよ、マジで」
リョウヘイはシンプルなビートを叩きながら何度か左右を入れ替えた。
右で刻む。
左で強く踏む。
両足を交互に使う。
最初は身体が混乱した。今まで左足はハイハットを制御するために動かしていた。それが突然、バスドラムを鳴らす役目まで持つ。
それでも、繰り返し動きを確認するたび、少しずつ足が順番を覚え始める。
ビートにダイナミクスがだんだんと戻っていく。
(器用な奴……普通はもっと時間かかるよ……)
綾坂が目を細めた。
「両足でも踏んでみて」
「両足…!」
「そう。ただ、完全に同時だと振動が相殺することもある」
「じゃあ、ほんの少しずらす感じ?」
「うん、フラムっぽい感覚」
リョウヘイは両足をペダルへ置いた。
狙うのは、1発だけ。
ほとんど同時。
だが、完全には重ねない。
ドゴンッ!
さっきまでとは違う低音が鳴った。
全員の表情が変わる。
「す、すごい。なに今の……地震……?」
ハルナがドラムを見た。
綾坂はすぐに目を閉じる。
「も、もう1回!同じ出力で!」
リョウヘイが踏む。
ドゴンッ!
綾坂の意識の中で、音が2つに分かれる。
最初の1打。
そこへ、わずかに遅れて重なる2打目。耳には1つの大きな音として届くのに、衝撃だけが後ろへ伸びる。
綾坂が目を開けた。
「すごくいい!デカくて太くて硬い!」
一瞬、綾坂以外の女子メンバーが凍りついた。
何事もなかったように綾坂は続ける。
「今の、めっちゃデカかった!それに、ただデカいだけじゃない!」
綾坂は録音波形を確認する。
「機械みたいに完璧に同時ならアタックしか出ない。今のは1発目が低音、2発目がアタックを担ってる。それがほぼ同時にフラムしてる。今までよりも低音の出方もいい」
「使える?」
リョウヘイが聞く。
「使えるどころか、狙って出せるなら強力な武器になるよ」
綾坂は少し呆れたように笑った。
「足でフラムやるやつなんて、普通はいないけどね」
「じゃあ、やるか」
「『じゃあ』の使い方、おかしいから」
一同に笑いが生まれる。
「名付けてフラムキックだね!」
ユイが声高らかに命名した。
「新必殺技だね!」
「カッコいいです!」
ハルナとヒナも興奮していた。
これまで通りドラムが叩けるのか、そんな不安を掻き消す程にバスドラムは腹を抉るような音を出していた。
そこから、リョウヘイは何度も同じ1発を繰り返した。
右が先。
左が先。
間隔を広げる。
縮める。
2つの音に聞こえるほど離れれば失敗。完全に重なれば、ただ大きいだけ。
耳には1発。
身体には2発。
その狭い場所を探す。
リョウヘイは自分の右足を見る。
以前の音ではない。
以前の踏み方でもない。
けれど、確かに自分の音だった。失ったものを、そのまま取り戻す必要はない。足りないなら、別のやり方を覚えればいい。右足だけで出せなくなった1音を、左足と2本で作る。
「もう1回、最初からやるぞ」
「今日はここまで」
ユイが即座に言った。
「今、いいところだろ」
「いいところでやめるの。次も叩きたくなるから」
綾坂も続いた。
「そうだよリョウヘイ。コブラ・クラッチの操作も覚えなきゃいけないんだから」
「私も賛成。できるのがわかっただけで十分だよ」
ハルナもお願いするような顔で見つめてくる。
リョウヘイは仕方なく諦めることにした。
「わかったよ、また明日入ろう」
「明日は1曲合わせてみましょう!ギターも持ってきます!」
「ヒナ、ワクワクしてんな」
「もう3ヶ月は合わせてないんですよ!ずっと待ってたんですから!」
ヒナは怒りながら笑っていた。
「スタジオはウチが予約しておく。全員の音作りもチェックさせて」
綾坂も興奮を隠せないようだった。
「できること、ちょっとずつ増やしていこ!2年生になったからたくさんライブやるんだ!」
ユイはこの先の未来をワクワクしながら待っていた。希望に目が輝いている。
綾坂もメンバーとなり、新しい必殺技も引っさげた新体制のlunati。
2年目が始まろうとしていた。




