#47 短い冬休み
12月に入ると、学校の空気は目に見えて落ち着きを取り戻した。文化祭の頃は、廊下を歩くだけでも誰かの歌声や楽器の音が聞こえ、教室へ入れば衣装や照明、ステージ構成の話が飛び交っていた。それが今では、窓の外を吹き抜ける風の音まで聞こえそうなほど静かだ。
特進クラスも例外ではない。
午後の授業が始まる時間になると、ティアーユは教壇の前へ立ち、いつものように生徒たちを見渡した。しかし、その手には新しい課題が書かれたプリントも、評価表もない。
「文化祭では、皆さんに非常に大きな課題を与えました」
教室の空気が、わずかに引き締まる。
文化祭で1曲を作り、学校全体を巻き込んだステージを完成させる。結果だけを見れば成功だったが、そこへ至るまでの苦労は、7人の誰も忘れていない。
サクラは机へ肘をつきながら、余裕の笑みを浮かべている。綾坂は次の課題を予想するように、タブレットへ指を置いていた。フミは相変わらず無表情だったが、視線だけはティアーユへ向けている。
リョウヘイも椅子へ座り直した。
この教師のことだ。
文化祭を乗り越えた生徒へ休暇を与えるほど、素直ではない。成功したのなら、次はさらに難しい課題が来る。そう考えていたのだが、ティアーユの口から告げられた言葉は予想と違っていた。
「皆さんの成長も確認できましたので、今年中は新たな課題を出しません」
一瞬の静寂。
その直後、ユイの口から間の抜けた声が漏れた。
「……え?」
「聞こえませんでしたか?」
ティアーユがユイを見る。
「今年中は、新しい課題を出さないと言いました」
「マジで?」
「教師に対する言葉遣いではありません」
「本当ですか!?」
言い直したユイが勢いよく机へ身を乗り出した。
「本当です」
「よっしゃあ!」
ユイが拳を突き上げる。
綾坂も驚いたように目を見開いた。
「先生、熱でもあるんですか?」
「ありません」
「本当にティア姉さん…?」
疑う綾坂。ふとプライベートな呼び方になってしまったのをティアーユは見逃さなかった。
「学校では先生と」
「すみません…」
ティアーユの冷たい視線を受け、綾坂はすぐに引き下がった。
ヒナは安堵したように胸元へ手を当てる。
「よかったです……また冬休みまでに1曲作るのかと思いました」
「それはそれで面白そうじゃないか!」
サクラが楽しげに笑う。
「冬を題材にした私の名曲が、また1つ世に放たれるところだったよ」
「1人で作ればいい」
フミが言った。
「フミ、冷たいね!? 冬だけにかい!?」
「違う、平常運転」
「なら安心したよ!」
サクラとフミのやり取りを横目に、ティアーユは淡々と説明を続けた。
「というわけで、午前中は変わらず一般教科の授業を行いますが、午後は自習とします」
黒板へ向き直り、大きく2文字を書く。
――自習。
「何を練習するか。何を学ぶか。どこを伸ばすか。それぞれで決めてください。個々のレベルアップを期待しています。もちろん、必要があれば私が監督します」
自由にしていい。
ただし、遊んでいいとは言っていない。相変わらず、ティアーユらしい休ませ方だった。
「質問はありますか?」
ユイが真っ先に手を挙げる。
「昼寝は自習に入りますか?」
「入りません」
「インスピレーションを高めるためです!」
「眠った時点で減点します」
「課題ないんじゃないんですか!?」
「減点する対象がないとは言っていません。点に限らず、特進生に相応しくなければ資格を剥奪する予定です。」
「OMG...」
ユイが机へ突っ伏す。
それでも、新しい課題に追われないというだけで、教室には明らかな開放感が広がっていた。特訓期間といえば、聞こえはいい。各々が弱点を見つけ、自らを鍛え、次の課題に備えるための時間。
だが、リョウヘイたちからすれば、ちょっとした休みに近かった。もともとlunatiは、課題があろうとなかろうと練習している。
リョウヘイはドラムを叩き、ヒナはギターを弾く。ユイは歌い、ハルナは鍵盤と作曲について勉強する。やること自体は、今までと大きく変わらない。
締め切りや評価を気にせず、自分たちの音楽へ使える時間が増えただけだ。午前中の一般教科を終えると、午後はそれぞれが好きな場所へ散っていくようになった。ヒナはほとんど毎日個人練習室へ籠もった。
ユイはボーカルルームで歌っているかと思えば、休憩と称してほかの教室へ遊びに行く。ハルナはピアノの前で譜面を書き、時折、文化祭で作った曲を1人で弾き直していた。リョウヘイは練習室へ向かう日もあれば、ミーティングルームで音楽誌を読んだり、過去のライブ映像を見たりする日もあった。そうして穏やかな日々が続くうちに、冬休みが近づいてきた。
終業式まで、あと数日。
その日の放課後、リョウヘイはlunatiの3人をミーティングルームへ集めた。特別な議題があるわけではない。次のライブが決まったわけでも、新曲の構想が浮かんだわけでもなかった。丸いテーブルを囲み、4人が飲み物を片手に座っている。
ただ集まって、何となく話す。忘年会のようなものだった。
「みんな、年末年始はどうすんの?」
リョウヘイが尋ねると、ヒナが両手で温かい飲み物のカップを包みながら答えた。
「私は家族と過ごします。お父さんも帰ってくるので」
いつもより少しだけ嬉しそうな声だった。
「リョウヘイさんは?」
「おお、いいな。俺は実家に帰るよ」
ユイがテーブルへ頬杖をつく。
「そういや、リョウヘイの地元ってどこなの?」
「岐阜県」
「岐阜?」
「バスで6時間くらい」
「遠っ!」
ユイが大きな声を上げた。
「6時間もバス乗るの? 腰、死なない?」
「ドラムやってると移動時間はそんなもんだろ」
前世では、それ以上の距離を機材車で移動することも珍しくなかった。ライブを終えたあと、そのまま深夜の高速道路へ乗り、明け方に次の街へ着く。15歳の身体になった今でも、6時間程度なら耐えられる自信はある。
「アタシも帰るけど、埼玉だからなー。2時間あれば着いちゃう」
「いいな。近くて」
「でも帰ったら、親戚の子どもの相手させられるんだよね。ずっとアニソン歌えって言われんの」
「人気者じゃん」
「同じ曲を10回だよ? 3回目くらいから頭おかしくなるよ」
ユイが遠い目をする。
ヒナは真剣な表情で頷いた。
「喉を痛めないようにしてください」
「ヒナは優しいなあ」
ユイが身を乗り出し、ヒナの頭を撫でようとする。ヒナは慌てて身体を引いたが、完全には逃げきれず、3つ編みを軽く揺らされた。リョウヘイは2人を眺めたあと、隣に座るハルナへ顔を向けた。
「ハルナは?」
ハルナは窓の外を見ていた。
すでに日は傾き、ガラスにはミーティングルームの明かりが薄く映り込んでいる。声をかけられてから、ほんの一瞬だけ間が空いた。
「私も、家族と過ごす予定だよ」
返ってきたのは、普段と変わらない柔らかな声だった。
いや。
ほんの少しだけ、暗かった。
「そうか……」
リョウヘイはそれ以上を聞かず、ハルナの横顔を見た。ハルナはすぐにこちらへ顔を向け、いつものように微笑んだ。
「リョウヘイくん、岐阜まで気をつけて帰ってね」
「ああ」
気のせいだろうか。
そう思いながらも、胸の片隅へ小さな違和感が残った。ユイは気づいていないのか、椅子の背へ身体を預けながら大きく伸びをする。
「さすがに冬休みは、lunatiも休止だね」
「スタジオもやっていないですしね」
ヒナが残念そうに言う。
「学校のスタジオへ入れないの、少し不安です」
「1週間くらいで腕は落ちねえよ」
リョウヘイが笑うと、ヒナは小さく首を振った。
「でも、弾かないと落ち着かなくて……」
「ギターは実家へ持って帰るんだろ?」
「はい。それだけは絶対に」
「なら問題ないな」
リョウヘイはテーブルの上へ置いたペットボトルを手に取った。
「年明けから課題解禁だからな。今のうちに、ゆっくりしとかないと」
「新学期は5日からだったっけー?」
ユイの問いに、ハルナが頷く。
「うん。1週間くらいだね、ゆっくりできるの」
「短いなあ。冬休みって、2週間くらいあるもんじゃないの?」
「うちは普通の高校と休みの取り方も違うからな」
「お正月くらい、もうちょっと休ませてほしいよねー」
「学校に言え」
ユイが唇を尖らせ、ヒナが小さく笑う。
ハルナも笑っていた。
いつもと変わらない、穏やかな笑顔だった。その時のリョウヘイは、胸に残った違和感の正体を深く考えなかった。数日すれば、また4人で顔を合わせる。
そう思っていた。
短い冬休みは、あっという間に過ぎた。
年が明け、学校が再開した朝。
リョウヘイはコートを脱ぎながら教室へ入った。
「あけおめー!」
ユイの声が真っ先に飛んでくる。
「おう。ことよろー」
「雑っ!」
「明けましておめでとうございます、リョウヘイさん」
ヒナは律儀に頭を下げた。
「ヒナ、今年もよろしく」
「はい!」
いつもの朝だった。
そう思いながら自分の席へ向かおうとして、リョウヘイの足が止まる。
ユイの近く。
いつもなら、すでにハルナが座っているはずの席が空いていた。
机の上には何もない。
鞄も、筆箱も、譜面も置かれていなかった。
「あれ?」
リョウヘイが呟く。
ユイも空席へ顔を向けた。
「ハルナ、まだ来てないんだよね」
「珍しいな、風邪か…?」
「うーん。連絡も返ってこない」
ヒナも不安そうに携帯を見る。
「私も送りました。でも、まだ既読になっていません」
冬休み中、何度かlunatiのグループへメッセージは送っていた。ハルナからの返事は、少なかった。家族と過ごしているのだろうと、それ以上気にしなかった。だが、学校が始まる朝になっても姿がない。胸の奥に、冬休み前と同じ違和感が蘇った。
やがて、教室の扉が開く。
ティアーユが入ってきた。
いつもどおり背筋を伸ばし、教壇まで歩いていく。ただ、その表情は普段より硬かった。
「着席してください」
雑談していた生徒たちが、それぞれの席へ戻る。リョウヘイも座ったが、視線はハルナの空席へ向いたままだった。ティアーユは出席簿を教壇へ置いた。すぐに朝の挨拶を始めると思ったが、何も言わない。
沈黙が続く。
クラスの全員が、少しずつ異変へ気づき始めた。
ユイが不安そうに眉を寄せる。
ヒナは膝の上で両手を握っている。綾坂も姿勢を正し、ティアーユの言葉を待っていた。
「先生?」
サクラが静かに呼びかける。
ティアーユは教室を見渡した。
そして、1度だけ小さく息を吸う。
「突然ですが――」
また言葉が止まった。
窓の外で、風が枝を揺らしている。暖房の低い音だけが、教室の中へ響いていた。ティアーユはハルナの空席へ目を向けたあと、ゆっくりと告げた。
「清水谷ハルナさんが――」
ユイの顔から、表情が消えた。
「学校を辞めることになりました」




