#46 一石六鳥
文化祭が終わってから、3週間ほどが過ぎた。
校内を埋め尽くしていた装飾はすでに取り外され、廊下を歩いても、あの日のライブについて声をかけられることは少なくなっている。一時は特進クラスのライブ映像が校内の話題を独占していた。映像は東音の公式YouTubeチャンネルにデカデカと載っていて、3週間で10万再生したそうだ。
サクラの歌、ユイのコーラス、ヒナのギターソロ。ハルナが作った曲や、綾坂とフミが手がけた音響と照明についても、いろいろな感想がコメント欄で飛び交った。
だが、どれほど大きな祭りでも、いつかは日常に飲み込まれる。
窓の外では、色づいていた木々から葉が落ち始めていた。朝の空気は、制服の上へ何か羽織らなければ耐えられないほど冷たい。
11月も、もうすぐ終わる。
12月になろうとしていた。
その日の放課後。
特進クラスのラウンジで、リョウヘイたち4人が次に練習する曲について話していると、綾坂がタブレットを片手に近づいてきた。
妙に機嫌がいい。
リョウヘイは、その笑顔を見た瞬間に嫌な予感がした。綾坂は4人の前へ立つと、タブレットを胸元へ抱え、芝居がかった仕草で口元を上げた。
「さぁて、清算といこうか。lunati」
「きたか……」
リョウヘイはソファへ座ったまま、低く呟いた。覚えていないふりをするには、綾坂の笑顔が明るすぎる。
9月末の課題。
完成が遅れていたlunatiの曲を発表へ間に合わせるため、リョウヘイたちは綾坂へ無茶なレコーディングを頼んだ。その際、リョウヘイは確かに言っている。
――頼む、綾坂。なんでもする。
文化祭の準備が始まったことで追及を免れていたが、忘れてくれたわけではなかったらしい。
「なんでもって言ったの、忘れてないから」
綾坂はリョウヘイの目の前へ人差し指を突きつけた。ユイが腕を組み、面倒そうに尋ねる。
「で、要求は?」
「リョウヘイ!」
綾坂は勢いよく指先を上げ、そのまま宣言した。
「ウチとデートしなさい!」
ラウンジの空気が、一瞬だけ止まった。ユイは驚くこともなく、大きなため息をつく。
「そんなこったろうと思った……」
「相変わらず直球だね……」
ハルナは苦笑していたが、手にしていたペンはノートの上で止まっていた。ヒナは4人の顔を順番に見回し、困ったように首を傾げる。
「私たち、やることないですね」
「そうなるな」
リョウヘイは頷いたあと、綾坂を見上げた。
「つーか、なんで俺単体なんだよ。おかしいだろ」
「おかしいのはアンタよ!」
綾坂が声を上げる。
「このウチとデートできるのよ!? イケてるギャルとのデートは普通は喜ぶところでしょ!」
「なんか俺1人で全部背負う感じがヤダ」
「アンタ1人で許してやろうとしてんの!なんでこの優しさが伝わんないかな!」
綾坂はリョウヘイを睨みながら、腰へ両手を当てる。
「なんでもするって言ったのはアンタでしょ。男に二言はないよね?」
「ないよ、バンドでしっかり責任を取らせてもらう」
「は?」
リョウヘイは隣に座る3人を手で示した。
「綾坂。lunatiとデートできるぞ」
ユイは露骨にニヤニヤした。
「そうだよ、バンドでお世話になったからね」
「4人の曲を助けてもらったんだから、4人の借りだろ?」
「そう言われると、そうだけど…」
ハルナは困ったように笑う。
「綾坂さんがそれでいいなら、私は付き合うよ」
「わ、私も……綾坂さんと一緒なら絶対楽しいと思うので…」
ヒナも控えめに頷いた。
綾坂はしばらくリョウヘイを睨んでいたが、3人の顔を見た途端、勢いを失った。自分からハルナとヒナへ帰れとは言いにくいらしい。
特に綾坂はヒナにはめっぽう弱いようで、お姉さん気質が出てしまうようだった。
だんだん顔が諦めの表情になっていく。
「あー、もう! それでいい!」
「よし。話はまとまったな」
「まとまってない!むしろ広がってる!アンタ、絶対にアタシと2人になるの避けてるでしょ!」
「そんなこと」
「目ぇ逸らすな!」
綾坂がリョウヘイへ詰め寄った、その時だった。ラウンジの奥から、サクラが勢いよく立ち上がった。
「なんだい、なんだい!」
先ほどまでフミの隣で雑誌を読んでいたはずだが、話は最初からすべて聞いていたらしい。サクラは大股で近づいてくると、不満そうに腰へ手を当てた。
「1年生だけで遊びに行くのかい? 学年が違うとはいえ同じクラスメイト、なんなら元バンドメンバーである私たちを誘わないとは、どういう了見かね!」
「元って、lunatiを解散したバンドみたいに言わないでくださいよ。文化祭の即席バンドじゃないですか」
綾坂が顔をしかめる。
「文化祭では同じ曲を一緒に作ったチームじゃないか! 共に修羅場を乗り越えた私たちの絆は、そんなにも脆いものだったのかい!?」
「遊びに行くだけで話が重い!」
綾坂の隣で、フミが静かにノートパソコンを閉じた。
「私も行く」
短く言ったあと、フミは綾坂を見つめる。
「プリント」
「うっ」
綾坂の顔が引きつった。
9月末、lunatiのレコーディングをしている間、リョウヘイたちの英語のプリントを代わりに進めたのはサクラとフミだった。綾坂だけに借りがあるわけではない。
「ほら、フミもこう言っている!」
「プリントの借りを何度も使わないでくださいよ!」
「綾坂には初めて使う」
「そ…うでしたっけぇ…?」
7人の視線が綾坂へ集まる。
綾坂は何度か反論しようと口を開いたが、最後には両手で頭をかき回した。
「あー! もう! 分かったよ!」
全員へ聞こえるように声を張り上げる。
「今度の日曜日! みんなで遊びに行くよ! いいね!」
「おー!」
「おー!」
ユイとサクラが真っ先に拳を上げた。フミも座ったまま、片手だけを小さく上げる。ヒナは1拍遅れて真似をし、ハルナは楽しそうに笑いながら拍手した。
リョウヘイも軽く手を上げる。
「じゃあ、綾坂。企画よろしく」
「なんでウチが幹事までやるのよ!」
「デートしたいって言い出したの、綾坂じゃん」
「思ってたのと違う!全然違う!」
綾坂の叫びが、特進クラスのラウンジへ響き渡った。
日曜日。
待ち合わせ場所は、駅前にある大型商業施設の入口だった。映画館や飲食店、服屋などが1つの建物へ集まっており、休日の昼前ということもあって、人の流れは途切れない。リョウヘイが腕時計を確認しながら歩いていくと、入口近くの柱の前には、すでに4人の姿があった。
綾坂、ユイ、ハルナ、ヒナ。
待ち合わせ時刻と同時に、リョウヘイは4人の前へ到着した。
「よっ」
手を上げた瞬間、綾坂に睨まれた。今日の綾坂は普段より少しだけ髪を丁寧に整え、制服ではなく、身体の線に合った黒いジャケットを着ている。
明らかに気合いが入っていた。
「よっ。じゃねーよ。おせぇんだよ」
「え、時間ぴったりだろ?」
リョウヘイはもう1度、腕時計を見る。秒針まで、ほとんど狂っていない。
「5分前くらいには来なさいよ! デートでしょ!」
「早く来たら、その5分は何するんだよ」
「待ち合わせした相手を待つの!」
「じゃあ、なんの為に時間決めたんだよ!お互いが待たない為だろ!」
「そういう!話じゃ!ないの!」
綾坂は悔しそうに地面を3回キックした。
その隣で、ハルナが申し訳なさそうに笑った。
「だから綾坂さん、リョウヘイくんには言っても無駄だって。こういう人なんだよ」
「そうだよ。こいつにはそういうの無理だって。期待するだけ損だよ」
ユイも大きく頷く。
「2人とも、俺への評価が厳しくないか?」
「ただの事実だから。綾坂かわいそうに」
ユイは即答した。
綾坂は遠くを見ている。
一方、ヒナはリョウヘイの腕時計を覗き込み、感心したように目を丸くする。
「リョウヘイさん、本当に時間ぴったりですね」
「そうだろ?」
「褒めるところじゃないからね、ヒナっち!」
綾坂が慌てて止める。
ヒナは驚いて肩を揺らした。
「す、すみません……」
「ヒナは悪くない。そして時間を守った俺も悪くない」
「悪いのはデートへの姿勢と態度よ!」
「今日は7人で映画を見る会じゃなかったか?」
「ウチの中ではまだデートなの!」
綾坂としばらく押し問答を続けていたところ、遠くから聞き慣れた声が響いた。
「やあ!待たせたね!ごめんよー!」
人混みの向こうから、サクラが悠々と手を振りながら歩いてくる。その数歩後ろには、フミがいた。サクラとは対照的に、表情を変えず、一定の歩幅でついてきている。リョウヘイは腕時計を確認した。待ち合わせ時刻から、すでに10分が過ぎていた。
「なんだよ。遅刻じゃねーか」
「ふふん。主役は遅れて登場するものだよ」
サクラが自信満々に胸を張る。
フミはその横を通り過ぎながら、淡々と事実を告げた。
「サクラは方向音痴」
「音痴って言うなー!」
サクラの声に、近くを歩いていた人たちが振り返る。
フミは気にせず続けた。
「反対側の出口にいた、合流するまで時間かかった」
「駅の出口が多すぎるのさ!駅が悪いね!」
「直通の出口がある」
「出口とは、自分で決めるものさ!」
「喋りすぎて疲れた」
「で、今日は何を見るんだい?」
「今日もサクラは絶好調」
フミの正確なサクラの分析結果の報告を受けて5人は頭を抱えた。
ーーーこの人、これ(方向音痴)がなければ完璧なのになぁ……
「先輩、映画の内容も知らずに来たんですか?」
綾坂が呆れる。
「君たちと過ごせるなら、作品は何でも構わないとも!」
「なんかいいこと言ってるけど、絶対に確認してないだけだよね」
ユイの指摘に、サクラは聞こえなかったふりをした。今日、7人が見るのは、マイケル・ジャクソンの生涯を描いた映画だった。綾坂が全員の好みを考えた結果、音楽を題材にした作品なら大きく外すことはないと判断したらしい。上映が始まると、それまで騒がしかった7人は、それぞれの形でスクリーンへ引き込まれていった。サクラは歌唱シーンになるたび、わずかに姿勢を前へ傾ける。
ユイはパフォーマンスが始まると、周囲へ迷惑にならない程度に膝でリズムを取っていた。ヒナはギタリストの手元が映るたび、瞬きの回数が減った。綾坂は演奏よりも、録音スタジオや舞台裏の機材へ目を奪われている。フミはほとんど表情を変えない。ただし、劇中の音楽が途切れ、無音になる場面では、ほかの誰よりも集中してスクリーンを見つめていた。ハルナは時折、映画ではなく隣に座る仲間たちを見ていた。
文化祭が終わっても、こうして7人で集まっている。課題も、締め切りも、ティアーユからの指示もない。ただ同じ映画を見ているだけだ。そのことが、少し嬉しいらしい。口元には、上映中ずっと柔らかな笑みが残っていた。エンドロールが終わり、劇場の照明がつく。外へ出たリョウヘイは、まだ映画の余韻が残っているように息を吐いた。
「やっぱ、MJはすんげーな」
ユイがすぐに反応する。
「韻踏んでる?」
「踏んでない」
ヒナは2人の会話を聞かず、まだ映画の中へ残っているような表情で呟いた。
「まさか、エディがあの曲を……」
「ヒナっち、EVHのエフェクター持ってたもんね。懐かしいなぁ、ギター初めて最初にコピーしたんだよね。あの曲」
綾坂が答えると、ヒナは強く頷いた。
「わたしもコピーしました!ヴァン・ヘイレンも大好きです!」
「ヒナ、早く帰って弾きたいんじゃないのー?」
ユイが尋ねる。
「弾きます!流石に帰りませんけど…!」
返答には、一切の迷いがなかった。
「その前に、このあとどうします?」
ハルナが全員を見回す。
「お腹減った」
フミが即答した。
サクラが説明し出した。
「ああ、もうこうなるとフミはダメだね」
上映前に大きなポップコーンを1人で半分ほど食べていたはずだが、すでに別腹へ移動したらしい。サクラが顎へ指を添え、もっともらしく頷く。
「そうだね。こういう時は、ファミレスと相場が決まっている」
「何の相場ですか」
綾坂が顔をしかめる。
「高校生の休日さ」
「いや、まあ、ファミレスはいいんですけど……」
綾坂はリョウヘイたち6人を順番に見回した。
「あの、サクラ先輩。一応、これデートなんですけど」
「んー?」
サクラは不思議そうに首を傾げる。
「高校生がデートでファミレスなんて、いかにもじゃないか?」
「そうなんですけど……この人数はおかしいです」
「何を言っているんだい!」
サクラはリョウヘイの肩を叩いた。
「みんな、リョウヘイくんとデートできているじゃないか! 一石六鳥だよ! こんなお得なことはない!」
ハルナが小さく咳き込んだ。
ユイは面白そうにハルナを見る。ヒナは何も言わず、耳を赤くして俯いた。綾坂だけが、心底呆れた顔でサクラを見つめる。
「ウチらはタマシギか」
「流石だ綾坂くん。マニアックな鳥を知っているねぇ」
「先輩が一石六鳥とか言うからでしょ!動物好きなだけ!」
結局、7人は映画館から歩いて数分のファミレスへ入った。2つのテーブルをつなげてもらい、全員が席へ着く。綾坂はリョウヘイの隣へ座ろうとしたが、先にフミが無言で腰を下ろした。
「フミ先輩、そこウチの…」
「知らない」
「えっと…変わっていただけると…」
「ここがいい」
「あ、はい」
向かい側では、ユイが腹を抱えて笑っている。ハルナが綾坂のために椅子を引いた。
「綾坂さん、こっち空いてるよ」
「ハルナ、優しさが痛い……」
「ご、ごめんね?」
「ハルナが謝ることじゃないよ」
全員の飲み物と料理が揃ったところで、サクラがグラスを持ち上げた。
「では、改めて!」
全員の視線が集まる。
「文化祭ライブ! お疲れ様ー!」
7つのグラスが、テーブルの中央でぶつかった。
「打ち上げだー!」
綾坂が叫ぶ。
「いえーい!」
ユイも続く。
ヒナは驚きながらも笑い、フミも小さくグラスを上げた。ハルナは綾坂を見て、口元へ手を添える。
「デート、もういいんだ」
「いいの! 今日は打ち上げ!」
「切り替え早いな」
リョウヘイが言うと、綾坂はグラスを一気に半分まで飲んだ。
「7人も集まった時点で諦めたわよ! あとサクラ先輩が来ると、なんか行動が全部サクラ先輩中心になるし!」
「私には華があるからね」
「そういうところですよ!」
文化祭の準備中は、全員が自分の作業で手1杯だった。ライブが終わったあとも、取材や片づけ、授業が続き、7人だけでゆっくり話す機会はなかった。ようやく訪れた打ち上げだった。料理を取り分けながら、ライブの失敗や舞台裏の出来事を振り返る。
リョウヘイは、ユイがステージ袖で3回同じ歌詞を確認していたことを暴露した。サクラは、自分が登場した瞬間の歓声が最も大きかったと主張し、ユイと綾坂から異議を申し立てられている。笑い声が途切れた頃、ユイがポテトを1本摘まみ、サクラへ向けた。
「ねえ、師匠」
「何だい、我が愛弟子よ」
サクラもまたポテトを摘んでユイに向けた。
「師匠は、なんでアイドル目指してんの? 歌手でもよくない?」
サクラは一瞬だけ目を丸くした。それから、何でもないことのように答える。
「ああ。正直、何でもいいんだけどね」
「えっ」
ヒナが戸惑った声を出す。
「何でもって……」
「ほら、私って完璧だろう?」
サクラは当然の事実を説明するように、自分の胸元へ手を当てた。
「可愛くて、スタイルもよくて、歌も上手い。おまけに頭もいい」
「方向音痴」
フミが付け足した。
「んん!」
サクラが咳払いで押し切る。
「歌手にしておくには可愛すぎるし、アイドルにしておくには歌が上手すぎると思うんだ」
ハルナが堪えきれずに笑った。
「ふふっ。間違いないです」
「ハルナくんは分かっているね!」
「肯定するんだ、ハルナ」
リョウヘイが尋ねると、ハルナは笑ったまま頷いた。
「だって、サクラ先輩が言うと、本当にそう思えてくるから。言ってることも全部本当だし」
「素晴らしい。君には私に楽曲提供する権利をあげよう!」
「ありがたく頂戴致します。」
ハルナは丁寧に頭を下げた。
サクラは満足そうに頷き、話を続けた。
「ただ、世の中というのは、歌手よりもアイドルの方が渡りやすいようでね」
先ほどまでの冗談めいた調子を残しながらも、その目は真剣だった。
「テレビ、ライブ、舞台、配信。アイドルという肩書きがあれば、いろいろな場所へ入っていける。私は歌で全てを支配できれば、形は何だっていい。」
「さらっとヤバいこと言ってるな」
リョウヘイはサクラの顔を見る。
「サクラ先輩はどこ目指してんの?」
サクラは席を立ち、宣言した。
「世界にとって、私がどれほどの存在なのか確かめたいのさ。私の歌は、存在は果たして特別なのか、それともただの凡人なのか。人生を使ってそれを確認しているだけさ。」
ーーーイカれてんな
リョウヘイはそう思いながら笑った。
「やっぱ、その話し方もキャラなの?」
「これは素だよ」
サクラは胸を張った。
「私は頭がいいからね。頭がいい人の話し方をするんだ」
リョウヘイは数秒考え、静かに答えた。
「方向音痴」
「音痴って言うなー!」
再びサクラの声が店内へ響く。
フミが無言でサクラの袖を引き、座らせる。ユイと綾坂は声を上げて笑い、ヒナも口元を押さえながら肩を揺らした。ハルナは、楽しそうに笑う6人を見渡した。
文化祭はもう終わった。
あの日の熱も、少しずつ遠ざかっている。それでも、7人の関係まで終わったわけではない。課題がなくても、曲を作らなくても、こうして集まることができる。
「あはは、楽しそうだな」
「ああ。みんなで来てよかったな」
「良い思い出になったね」
「そうだな」
綾坂が望んだ形とは、ずいぶん違うデートになった。けれどハルナにとっては、この6人と同じテーブルを囲み、リョウヘイの隣で笑える時間が、今は何より心地よかった。




