#41 それぞれのパートナー
文化祭の課題を告げられてから、1週間が経った。昼休みの食堂には、いつもより少し早い時間から特進クラスの7人が集まっていた。窓際の長テーブルには、定食のトレーとノート、タブレット、書き殴ったメモ用紙が入り乱れている。食事をする場所というより、昼飯を人質に取った会議室だった。
「じゃあ、全員の案は出揃ったな」
リョウヘイは箸を置き、テーブルの中央へ広げた紙を見下ろした。この1週間、7人が持ち寄った案は、思った以上にまとまりがなかった。サクラは、真正面から歌を聴かせる曲。フミは、音数を削りながら後半で一気に景色が開く構成。綾坂は、客席の周囲へ音を移動させる立体的な演出。ハルナは、鍵盤と照明を連動させた物語性のあるステージ。ヒナは、1度聴いただけで耳へ残るわかりやすいギターロック。
ユイは――。
「やっぱ7人でアカペラにしようよ!みんなで歌ったら楽しいし!なにより準備とかなくて楽だよ!」
「さすがに楽器使わないのは特進生としてマズいよ…」
ハルナが笑いながら、自分のノートを閉じた。
「でも、方向性は見えてきたよね。全員の案をそのまま入れるのは無理だけど、共通してる部分はあると思う」
「共通してる部分?」
ユイが首を傾げる。
「良いステージを作りたい」
綾坂が即答した。
一瞬の沈黙のあと、サクラが頷く。
「間違ってはいないね」
「先輩が1番素直だ」
リョウヘイは苦笑しながら、紙の中央へペンを置いた。
「全員、自分の持ち味を消したくない。なら、全員を合わせるんじゃなくて、中心を決めたうえで、それぞれの見せ場を作る」
「中心?」
ヒナが尋ねる。
リョウヘイは1度、サクラへ目を向けた。サクラは何も言わず、箸で小さな唐揚げを摘んでいる。その横顔には余裕があった。自分の名前が出ることを、もう予想している顔だった。
「文化祭の出し物は、天瀬サクラ feat. lunatiにしようと思う」
テーブルの空気が、わずかに動いた。
「なるほどね」
綾坂が頬杖をつき、口の端を上げる。
「サクラ先輩の人気へ、全員で堂々と乗っかる作戦」
「言い方」
「違うの?」
「完全には否定できないけど」
「歌は、私がメインでいいんだね?」
「はい」
リョウヘイは紙へ大きくサクラの名前を書き、その下へ曲の構成を簡単に描いていく。
「前の課題でサクラ先輩が作った曲を土台にする。あれは歌の強さが中心にあるし、文化祭で初めて聴く客にも伝わりやすい。ただ、そのままだとサクラ先輩1人の曲だ。そこへ全員の要素を足して、7人のステージに作り直す」
リョウヘイが説明を終えると、ユイが勢いよく手を上げた。
「アタシ、バックコーラスやる」
迷いのない、はっきりとした声だった。その即答に、リョウヘイは一瞬、目を丸くする。
「いいのか? てっきり『ボーカルは譲らない!』とか言うと思った」
「言わないよ」
ユイは少しむっとしたように口を尖らせる。
「サクラ先輩は師匠だもん。師匠を立てるのも、弟子の役目だよ」
「師匠の前で言っちゃ駄目だよ、それ」
ハルナが思わず噴き出しながらツッコミを入れる。当のサクラは、満更でもなさそうに口元を緩めていた。
「いいんじゃないかな。裏方へ回る気はないからね」
「さすが師匠。主役を譲る気が1ミリもない」
ユイは唐揚げを口へ放り込み、飲み込んでから続けた。
「今のアタシが師匠と正面から歌い合ったら、絶対負けるし邪魔になるもん。だったら、サクラ先輩の歌を1番近くで聴きながら、ちゃんと支えたい」
いつもの勢いだけではない、冷静な判断だった。この1週間、サクラのライブ現場へ同行したことで、何かを持ち帰ってきたのだろう。自分が前へ出ることだけが、歌うことではない。ユイなりに、それを理解し始めている。サクラも少し驚いたようにユイを見てから、柔らかく笑った。
「いい答えだね、ユイくん」
「師匠に褒められた!」
「でも、コーラスだからって遠慮したら駄目。私の後ろへ隠れるのは許されないよ」
「急に怖い!」
「現場を見てきたなら分かるでしょう?」
「分かります!」
ユイは背筋を伸ばした。褒められた直後に課題を増やされても、目だけは嬉しそうだった。
「一緒に歌えるの、とても楽しみにだよ」
「はい師匠!」
返事だけは完璧だった。
「次。綾坂はPAを――」
「ウチがオペレーションする」
リョウヘイが言い終える前に、綾坂が口を挟む。
「話が早くて助かる」
「最初からそのつもりだったし。アタシlunati専属だから」
少し照れたように目線を逸らした。
「お、嬉しいこと言ってくれるじゃん」
ユイがニヤニヤしながら綾坂を見る。
「あんだけアレンジとかレコーディングとか手伝わされて……課題終わったからもうチームじゃないとか、ありえないっしょ…」
「当たり前だ」
綾坂は楽しそうに笑い、タブレットへ何かを書き込んだ。もう頭の中では、必要なマイクの本数やチャンネル数まで組み上がっているらしい。
「綾坂はステージに立たなくていいの?」
ユイが尋ねる。
「ウチは卓から全員を鳴らす。十分参加してるでしょ」
「むしろ7人の中で、1番偉そうな場所にいるね」
「実際、音を切る権限はウチにあるよ」
「逆らわないようにしよ」
「そ、たくさん媚びてね」
「脅迫じゃん」
リョウヘイは2人を放置し、次の役割へ進んだ。
「フミ先輩には…」
「曲全体のアレンジと照明、分かった」
フミは短く答えた。完全にリョウヘイのプランが理解できているようだった。目線は手元のコップから一切動かないが、彼女の脳内では既に文化祭ライブのシュミレーションを何度も繰り返していた。
いつものように、それだけで終わるかと思った。しかしフミは、隣に座るハルナへ1度だけ視線を向ける。
「ハルナを借りる」
「え?」
リョウヘイが聞き返す。
「アレンジ。ハルナとやる」
今度は、全員の視線がハルナへ集まった。
「わ、私ですか?」
「うん」
フミはそれ以上説明しない。
だが、指名されたハルナには十分だったらしい。驚きで目を見開いたあと、すぐに表情が明るくなる。
「やります!」
返事の勢いで、膝がテーブルの裏へ軽く当たった。
「痛っ」
「ハルナ、大丈夫?」
ユイが覗き込む。
ハルナは少し頬を赤くしながら姿勢を整えた。
「この1週間、フミ先輩の作業を見せてもらって、分からないことばかりだったけど……少しずつ、音をどう組み立てているのか見えてきたの。だから、もっと近くで勉強したい」
フミが小さく首を振る。
「勉強だけじゃない」
「え?」
「意見、言って」
ハルナは一瞬、言葉を失った。
見学者ではなく、共同でアレンジをする相手として呼ばれた。その意味が遅れて胸へ届いたのだろう。握っていた箸を置き、深く頷く。
「はい。ちゃんと考えて、言います」
「よろしく」
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
ハルナの声は、少しだけ上ずっていた。サクラがフミの横から顔を覗き込む。
「フミ、自分から人を誘うなんて珍しいね」
「必要だから」
「照れてる?」
「違う」
即答だった。
「じゃあ、嬉しい?」
「サクラ、うるさい」
「はいはい」
サクラは楽しそうに引き下がる。フミの表情はほとんど変わっていないが、耳だけがほんの少し赤くなっていた。リョウヘイは残った役割を紙へ書き込む。
サクラとユイが歌。
ハルナとフミがアレンジと照明。
綾坂がPAと音響設計。
ヒナと自分が、バンドの芯となるギターとドラム。形だけ見れば、それぞれに組む相手がいる。
「みんな、ちょうどパートナーができた感じだね」
綾坂が一覧を見ながら言った。
「サクラ先輩とユイ。フミ先輩とハルナ。私とヒナっちは、音作りを続けるとして――」
その瞬間、ヒナの箸が止まった。うどんを持ち上げたまま、目だけがゆっくり綾坂へ向く。
「リョ、リョウヘイさんは?」
声が、見事に裏返った。
周囲の喧騒に埋もれず、近くのテーブルまで届くほどはっきりと。
「俺?」
リョウヘイが首を傾げる。
「はい! その……リョウヘイさんの、パートナーは誰なんですか?」
ヒナは箸を置き、両手を膝の上で握り締めた。質問自体は単純なのに、なぜか呼吸が浅い。頬にはすでに薄い赤みが広がっている。綾坂は、そんな様子へ気づかないまま答えた。
「ティアーユ先生じゃない?」
「えっ」
ヒナの表情が止まった。
「この前から、個人練習を見てもらってるでしょ。リョウヘイの課題は、クリティカルヒットの精度を上げることなんだから。パートナーっていうなら、ティアーユ先生」
「ティアーユ先生……」
ヒナは同じ言葉を、力なく繰り返した。
肩が目に見えて落ちる。
箸で持ち上げたままだったうどんも、静かに丼へ戻っていった。
「どうした?」
リョウヘイが尋ねる。
「いえ……何でもないです」
「何でもない顔じゃないだろ」
「何でもないんです……」
ヒナは俯き、湯気の向こうへ顔を隠した。耳の先まで赤い。ハルナがその横顔を見つめ、何かへ気づいたように瞬きをする。
「ヒナちゃん、もしかして――」
「違います!」
「まだ何も言ってないよ」
「言おうとしたことが違います!」
「分かってるんだ」
ユイが口元を押さえながら笑う。ヒナはますます赤くなり、今度はユイを睨んだ。
「ユイさんまで笑わないでください!」
「だって、ヒナが分かりやすすぎるから」
「何がですか!」
「パートナーを、ちょっと違う意味で考えてたんでしょ?」
「ち、違います!」
否定が1拍もなかった。
しかし勢いが強すぎて、かえって答え合わせになっている。
サクラが小さく吹き出した。
「ヒナくん、君は面白いね」
「サクラ先輩まで!やめてくださいよ!もう!」
「別に悪いことじゃないよ。パートナーって言葉、いろんな意味があるからね」
「今、その説明はいりません!そういうのをやめてくださいと言ってるんです!」
ヒナの声に、近くの学生が何事かと振り返った。ヒナはそれに気づき、慌てて口元を両手で覆う。そのまま小さくなり、うどんの丼へ顔がつきそうなほど俯いた。
「……面白い」
フミが呟く。
「フミさんまで……」
「珍しい」
「何がですか?」
「ヒナが、大声」
「そこですか……」
少しだけ安心したのか、ヒナが細く息を吐く。一方、リョウヘイは話の意味を完全には掴めないまま、周囲を見渡していた。
「話戻していいかな?」
「リョウヘイはホントにリョウヘイだね」
ユイがやれやれと肩を叩く。
「何で上からなんだよ、なんかムカつくんですけど」
「ほら作戦会議続けて」
ハルナが笑いを堪えながら、話を戻すようにノートを開いた。
「とりあえず、役割はこれで決まりだね。曲のアレンジは、フミ先輩と私で早めに形を作る。そのあと、みんなへ共有する」
「歌詞とメロディーは私が詰めるよ。ユイくん、放課後に残れる?」
「残れます!」
「じゃあ、コーラスの音域も確認しようか」
「はい、師匠!」
「綾坂とヒナは?」
リョウヘイが尋ねる。
「アンプの候補を絞る、ヒナっち、機材をアップグレードするよ!」
綾坂が答える。
「ヒナっち、昨日のMESAと、別スタジオのMarshall、もう1回比べたいんでしょ?」
「はい!」
ヒナの顔が勢いよく上がる。
さっきまでの落ち込みが嘘のように、瞳へ強い光が灯った。
「MESAの低音も好きですけど、Marshallの高音の抜け方も捨てられません! 同じフレーズで、マイクの位置も変えて録りたいです!」
「元気になったな」
リョウヘイが呟く。
「ギターの話ですから!」
「理由になってるようで、なってないぞ」
「なっています!」
綾坂が笑いながら、ヒナの丼を指した。
「その前に、うどん食べな。伸びきってるよ」
「……はい」
ヒナはようやく現実へ戻り、すっかり柔らかくなった麺を持ち上げた。リョウヘイは、紙へ書かれた役割をもう1度見渡す。誰かが一方的に教え、誰かが従うだけではない。サクラはユイの歌を引き上げながら、ユイの直感から新しい刺激を受ける。フミはハルナへ技術を見せながら、自分にはない言葉や視点を借りる。綾坂とヒナは、機材と演奏の両側から1つの音を探していく。
自分も、ティアーユに答えを与えてもらうわけではない。指摘を受け、自分の音を自分で掘り直す。パートナーとは、片方がもう片方を運ぶためのものではない。同じ場所へ向かいながら、互いに1人では見えないものを見つけるための存在なのだろう。
「よし」
リョウヘイは紙の中央へ、太い線を1本引いた。
「今日から本格的に始めよう。文化祭まで1か月もない。最初の1週間で、曲の骨組みと音の方向を決める」
「了解!」
ユイが手を上げる。
ハルナとヒナも頷き、綾坂はタブレットを閉じた。サクラは残っていた唐揚げを口へ運び、フミはもうアレンジ用の画面を開いている。ばらばらに持ち寄った7人の案は、ようやく1つの方向へ進み始めた。
中心にはサクラの歌。
その周囲に、lunatiの音。さらに、そのすべてを形へ変えるフミと綾坂の技術。まだ曲は1音も完成していない。それでも、誰が誰と向き合い、何を伸ばすのかは決まった。文化祭へ向けた7人の制作は、ここからようやく本当のスタートを切った。




