#27 水着回
※本作は全話に挿絵があります。
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また、たまにイメージソングも記載しています。
よければ楽曲とあわせてお楽しみください。
ハルナの提案から数日後。
海沿いの道路へ出た瞬間、車内で真っ先に声を上げたのはユイだった。
「うみだぁー!やっほー!」
「『やっほー』は山だよ」
ハルナの言葉を無視して、ユイは窓へ張りつく勢いで身を乗り出す。視線の先には、夏の日差しを散らす紺碧の海がどこまでも広がっていた。白い波が一定の間隔で岸へ押し寄せ、その向こうには、空と海を分ける水平線が1本、まっすぐに引かれている。
「おお……これはすごいな」
リョウヘイも思わず窓の外へ顔を向けた。前世でも海へ来たことはある。けれど、たいていは仕事や移動のついでだった。ライブ前なら機材と時間が気にかかり、ライブ後なら疲れ切った身体を運ぶだけ。こうして仲間と、ただ夏を楽しむために眺める海は、記憶にあるものよりずっと青く見えた。
「海って、本当に端が見えないんですね……」
ヒナも瞬きを忘れたように景色を見つめている。
「水平線ってやつだな、ヒナは海初めて?」
「はい、テレビで見るばかりで。実際に見ると、思っていた以上に海ですね」
「感想が一周して何も言ってないぞ」
ユイはそんなことお構いなしだ。
「でも分かる!すっごく海!」
「ですよね!とっても海です!」
2人の歓声を聞きながら、ハルナは少しだけ安心したように笑っていた。自分が連れてきた場所を喜んでもらえるか、朝から密かに気にしていたらしい。やがて道路の両側に、空へ向かってまっすぐ伸びる椰子の木が並び始めた。青空と海、その間を走る道路。日本にいるはずなのに、窓の外だけ切り取れば外国の映画のようにも見える。
「この辺り、千葉フォルニアって呼ばれてるんだよ」
ハルナが説明すると、ユイが勢いよく振り返った。
「いや、バリバリの千葉じゃん、カリフォルニア目指してんの?」
「ほら、ヤシの木とか西海岸っぽいでしょ?」
「あー、言われてみれば確かに?」
「地理的にも一応、西海岸だしね。観光名所にしたいんじゃないかな」
「大人ってややこしいね」
「ユイちゃんがピュアすぎるだけ」
通称の是非について結論が出ないまま、車は海岸からほど近い別荘地へ入っていった。到着した建物を見上げ、3人は揃って黙った。白い壁に、陽光を映す大きな窓。広い庭には芝生が均一に刈り込まれ、玄関まで続く石畳には砂粒1つ見当たらない。数日前に「別荘があるだけ」と言い張っていたハルナの言葉を信じるなら、その“だけ”はかなり広い範囲を受け持っているらしい。
「ハルナ」
「な、なに?」
「俺、別荘って言葉の意味を軽く見てたわ」
「だから、そんな大げさなものじゃないって」
「いや外観だけでもすごいぞ」
「もうリョウヘイん家より広いもんね」
「うるせぇんだよ、ほっとけや」
ユイの冷静な指摘に、ハルナは困ったように目を逸らした。中へ入ると、更に予想以上だった。
掃除が綺麗に行き届いた1階には、リョウヘイの部屋なら何個収まるのか分からないほど広いリビング。2階には個室が4部屋。大きな風呂に、複数人で料理をしてもぶつかりそうにないキッチン。そして廊下の奥には、防音扉のついた音楽室まであった。扉を開けた途端、ヒナの目の色が変わる。
アンプ、ミキサー、スピーカー。壁には吸音材が張られ、中央には4人で演奏しても十分な空間がある。ドラムセットこそ置かれていないが、持ち込んだ機材を組めば、ここだけで合宿の目的は果たせそうだった。
「ここで……何時間でも弾いていいんですか?」
「近所に迷惑がかからない時間なら、大丈夫だよ」
「住めますね」
「ヒナちゃんの個室、ちゃんと2階にあるからね」
「でも、移動時間がもったいないです」
「頑張っても30秒しか削れないよ?」
すでに住居を音楽室へ移そうとしているヒナを残し、リョウヘイはリビングの中央で改めて室内を見回した。
「ほんと、すごいな……。使わせてもらう前に、親御さんへちゃんとお礼言わなきゃな」
「……いいよ、そんなの。私から言っておくから」
ハルナは荷物を下ろしながら、さらりと答えた。声はいつも通り穏やかだった。ただ、返事がほんの少しだけ早い。視線も、こちらではなく鞄のファスナーへ落ちたままだった。
ーーーーなんか、違和感…
リョウヘイはそう感じたが、続きを尋ねるのはやめた。言いたくない話を、世話になった直後に聞き出すほど無神経ではない。ハルナが話したくなった時に聞けばいい。
「ねえねえ! 海、すぐそこなんでしょ? まず海行こうよ!」
空気の変化など知らないユイが、リビングの真ん中で両手を上げた。知らないというより、海を前にした今は、ほかのすべてが頭から追い出されているのかもしれない。
「まだ荷物も開けてないぞ」
「海は待ってくれないよ!」
「無くなりもしないから、ゆっくりやろうぜ」
「夕方になったら、昼の海はいなくなるじゃん」
「妙に正しいこと言うな」
ハルナも小さく笑い、頷いた。
「じゃあ、先に少し遊びに行こっか。そしたらリョウヘイくん……」
そこで言葉を止め、何かを伝えようとするように視線を動かす。
「ん?」
「あの、えっと……」
「き、着替えます……」
ヒナが消え入りそうな声で助け舟を出した。リビングに女子3人と水着。その2つがようやく頭の中でつながり、リョウヘイは勢いよく立ち上がった。
「あ、ごめん。俺、個室行くわ」
「えっち」
ユイが両腕で身体を隠すふりをしながら、じとりと、それでもニヤニヤと見上げてくる。
「なんもしてねえだろ。」
「今は、ね」
「この後もしねえよ」
荷物を持って2階へ向かう背中へ、ユイの声が追いかけてきた。
「リョウヘイ、先に行ってパラソル組んどいて!」
「はいはい、気が乗ったらな」
「信頼してるよ、リョウヘイくん」
「信頼って便利な言葉だな」
着替えを済ませたリョウヘイは、パラソルとレジャーシートを抱えて一足先に浜辺へ向かった。砂浜へ足を踏み入れた途端、サンダル越しにも熱が伝わってくる。潮の匂いを含んだ風が肌を撫で、波の砕ける音が絶え間なく耳へ届く。空は眩しいほど青く、雲は白さだけを誇るように浮かんでいた。
海へ近すぎず、離れすぎず。荷物を置くのにちょうどいい場所を選び、シートを広げる。風にめくられないよう四隅へ重しを置き、パラソルの軸を砂へ押し込んだ。
「こんなもんか……暑いな」
角度を直し、額の汗を拭ったところで、背後から声がした。
「リョウヘイくん、お待たせ! パラソルありがとう!」
「おう。遅かっ――」
振り返ったリョウヘイの言葉が、途中で止まる。3人は、お揃いの水着を着ていた。形は同じだが、色はそれぞれ違う。白地に淡い水色をあしらったハルナ。夏の日差しに負けない鮮やかなオレンジのユイ。落ち着いた紫色のヒナ。3人で選んだらしいビキニは、普段の制服姿からは想像していなかったくらい大胆だった。
ハルナは恥ずかしそうに腕を身体の前で重ね、ヒナは歩幅まで小さくなっている。その中でユイだけが堂々と先頭に立っていたが、よく見れば笑顔は少し固い。
「どうしました?」
ヒナが不安そうに首を傾げる。
「いや、その……」
どこを見れば失礼ではないのか考え始めた時点で、もう自然な振る舞いは無理だった。ユイがすかさず人差し指を向ける。
「あっ、リョウヘイ照れてるー!」
「そりゃ照れるだろ。水着の女の子が3人で来たんだから」
「へえー?」
余裕を取り戻したらしいユイが、にやにやしながら1歩近づく。
「で? 感想は?」
「みんなかわいい。似合ってる」
駆け引きも照れ隠しもなく、リョウヘイは思ったままを口にした。仕掛けたはずのユイが固まった。ハルナは一気に頬を赤くし、俯く。耳の先まで色が変わっている。ヒナも「そうですか」と小さく返したきり、両手を忙しなく組み替え始めた。
「……そういうの、もうちょっと言いにくそうに言えないの?」
「感想を求めたの、ユイだろ」
「求めたけど、受け止める準備の時間はほしかった」
「知らねえよ」
そもそも、この水着はユイの提案だった。少しくらい大胆でも、3人お揃いなら恥ずかしくない。そう言われて2人も納得し、鏡の前で並んだ時には、確かに心強かった。けれど、その理屈は3人だけの空間でしか通用しなかったらしい。正面から飾り気なく褒められると、3人分の勇気はどこかへ消え、代わりに同じ種類の熱が頬へ集まってくる。
沈黙に耐えきれなくなったユイが、持っていたビーチボールを海へ向けて放り投げた。
「リョウヘイ、とってきて!」
「なんで急に扱いが犬なんだよ」
「ほら、流されちゃう!」
「お前が投げたんだろ!」
文句を言いながらも、リョウヘイは海へ駆けていく。水へ足を踏み入れ、波しぶきを上げながら遠ざかる背中を、3人は並んで見送った。
「……成功ですかね」
ヒナが小さく呟く。
「た、たぶん。喜んではくれたと思う」
ハルナはまだ赤い頬へ手を当てた。
「なんか、今になってすごく恥ずかしくなってきた……」
ユイが両手で顔を扇ぐ。
「ユイさんが、これにしようって言ったんじゃないですか……!」
「だって、アタシもあんな普通にかわいいって言われると思ってなかったんだもん」
「何て言われる予定だったんですか?」
「なんかこう……もっと慌てて、目を逸らして、アタシたちが笑う感じ」
「最初は予定どおりだったね」
ハルナの一言に、ユイは悔しそうに海の方を見た。
「最後に逆転された」
「何と戦ってるんですか……」
その頃、リョウヘイは波間を漂うビーチボールへようやく追いついていた。
「リョウヘイ、こっち投げて!」
岸からユイが手を振る。
「お前が投げたんだろーが!」
勢いよく投げ返したボールは、風に押されて狙いから逸れ、ヒナの方へ飛んでいった。
「あっ、わっ、あっ――」
ヒナは慌てて両手を伸ばした。けれど足元に来た波へ気を取られ、間に合わない。ぼふん、と気の抜けた音を立ててボールが額へ当たり、そのまま後ろへひっくり返った。
「ヒナ!」
水しぶきの中に3つ編みが消える。
「あははは! ヒナ、最高――ぶふっ!」
跳ね返ったボールが、大笑いしていたユイの顔へ直撃した。2人目の水柱が上がる。
「ユイちゃん、大丈夫!?」
ハルナが助けに向かったものの、水中でもがくユイに腕を掴まれた。
「わっ……ちょっと、ユイちゃ――」
「ハルナも!」
「ちょ待っーーーーーー!」
拒否は間に合わず、ハルナまで盛大な水しぶきとともに沈んだ。一方、リョウヘイは真っ先にヒナのもとへ駆け寄り、腕を掴んで引き起こした。
「ヒナ!?」
「ケホ……海を少し飲みました」
「大丈夫か?」
「予想以上にしょっぱいです」
「感想は聞いてないぞ」
咳き込みながらも怪我はなさそうで、リョウヘイは胸を撫で下ろした。隣ではハルナが海面から顔を出し、濡れた前髪をかき上げている。
「もう! ユイちゃんのバカ! せっかく髪、セットしてきたのに!」
普段の柔らかな口調からは珍しい本気の抗議だった。
「あはは! みんなびしょびしょ!」
「笑ってるの、ユイちゃんだけだよ!」
「ヒナも少し笑ってるよ!」
「わ、私は笑ってません……ふふっ」
「笑ってるじゃん!」
怒っていたはずのハルナまで、ついに堪えきれず吹き出した。4人分の笑い声が、波の音に混ざっていく。
「ったく。ユイ、楽しむのはいいけど、あんまり危ないことするなよ」
リョウヘイが海水で濡れた前髪を後ろへ撫でつけながら、ユイへ近づいた。いつもは飄々としている顔が、今は少し真剣だった。剥き出しの肩から腕には、日々ドラムを叩いていることが分かる、余計な厚みのない筋肉がついている。海水を滴らせたまま正面へ立たれると、さっきまで仕掛ける側だったユイの勢いが急にしぼんだ。
「っ……わかったから…」
「急に素直だな」
「反省したから、ごめん。あんま近寄らないで」
海面へ視線を落としたユイの耳が赤い。リョウヘイはそれを日焼けだと思ったらしく、「まだ来たばっかなのに焼けるの早いな」と首を傾げた。
「……リョウヘイは、ちょっと黙ってて」
「えー、逆に注意されてる」
その後は、思いつく限りの海遊びをやり尽くした。
ビーチバレーでは、ユイが勝手にリョウヘイと組み、ハルナとヒナへ「リズム隊チームvsメロディチーム!」と宣言したせいで、不平等だと開始前から2人に砂を投げられた。
試合が始まればハルナは意外な負けず嫌いを発揮し、ヒナは飛んでくるたびに「私ですか!?」と驚きながら、なぜか絶妙な場所へ返してくる。最後はユイの全力スパイクがリョウヘイの後頭部へ刺さり、勝敗より先に仲間割れで終わった。
「ユイ、俺は味方だ」
「え!綺麗に当たったのに!今のは一本取ったでしょ!」
「そんな芸術点はねぇよ」
ビーチフラッグでは、ユイが開始の合図を自分で出して自分で先に走り、全員から失格を言い渡された。
「勝った人がルールでしょ!」
「独裁者かお前は!」
やり直した2本目はリョウヘイが本気で取り、ユイは砂の上へ倒れ込んだまま5分ほど悔しがった。ヒナとハルナは早々に競技を諦め、2人で砂の山を作り始める。その山へユイが「城にしよう」と参加し、気づけば遊びのはずが、堀と城壁を備えた妙に本格的な建造物になっていた。完成直前、少し大きな波が来て半分をさらっていった。4人は無言で崩れた城を見つめ、それから誰ともなく笑った。
ユイの底なしの体力につき合うのは、前世で散々鍛えたリョウヘイにもかなり応えた。けれど不思議と、やめたいとは思わなかった。ステージとは違う。歓声も照明もない。それでも今日の記憶は、きっと音楽と同じくらい長く残る。日が傾き始める頃には、海も空も、昼間とは違う色へ変わっていた。
パーカーを羽織ったハルナとヒナは、波打ち際から少し離れた砂浜へ並んで座っていた。遊び疲れたはずなのに、少し先ではユイとリョウヘイがまだビーチボールを追いかけている。
「もう1回! 今のは風!」
「さっきから負けた理由、全部風のせいだな」
「海風がアタシに厳しい!何で裏切るんだ!」
「実力不足のテメェのせいだ」
遠くからでも聞こえる2人の声に、ヒナが小さく笑った。
「リョウヘイさん、楽しそう」
その横顔には、見ているだけで自分まで満たされていくような、穏やかな微笑みが浮かんでいた。ハルナは、返事をする前にもう1度2人へ目を向けた。夕日を受けて笑うリョウヘイ。その姿を見つめるヒナの目が、自分の知っているものとよく似ている気がした。
――ヒナちゃんも…
問いは喉元まで上がり、そこで止まった。聞いてしまえば、何かが変わるかもしれない。ヒナの気持ちだけではない。なぜそれを知りたいのか、自分の中にあるものまで言葉にしなければならなくなる。自分が1番聞かれたくないことを、ヒナにだけ尋ねるのはずるい。
「うん。楽しそうだね」
結局、ハルナが口にできたのは、それだけだった。2人の間に落ちた沈黙を、寄せては返す波の音が静かに埋めていく。海の向こうへ沈みかけた夕日が、水面に細く長い光の道を作っていた。その先に何があるのか、今はまだ、誰にも見えていなかった。
イメージソング
世界で一番熱い夏/PRINCESS PRINCESS




