#25 特進オーディション
7月25日。
特進オーディション当日。
指定された第2音楽ホールには、朝から冷房が利きすぎていた。それでも集められた生徒たちの額には薄く汗が浮き出ている。
ギターケースを抱えた者、何度も譜面をめくる者、喉を守るために水筒を少しずつ傾ける者。
会場にいるのは、lunatiの4人を含めて12人だった。
壇上にはドラムセットとピアノ、数台のアンプ、マイク、プロジェクターまで用意されている。
演奏者だけでなく、作詞、作曲、音響を志す生徒も受けるらしい。それぞれが違う武器を持ち込み、たった1つの同じ場所を狙っていた。
lunatiの4人には9番から12番までの札が渡されていた。バンドで1枠ではなく、1人ずつ受験者として数えられている。
「4人まとめて落ちることもあるってことだよね」
ユイが札を見ながら言う。
「朝1番に縁起でもないこと言わないでよぅ」
ハルナが困ったように笑った。
「最悪を先に言っとけば、あとは上がるだけじゃん」
「縁起が悪いものは、先に言っても縁起が悪いよ」
2人の会話に加わらず、ヒナはギターケースの持ち手を両手で握っていた。緊張しているのかとリョウヘイが顔を覗き込むと、小さく頷く。
「ソロ、まだ決めてません」
「知ってる。昨日も聞いた」
「朝になったら、急に決めたくなるかもしれないと思っていたんです」
「なった?」
「なりませんでした」
「じゃあ大丈夫だ」
「……その結論で大丈夫なのでしょうか」
不安そうに言いながらも、ヒナの口元にはわずかな笑みがあった。1か月前の彼女なら、決めていないことを謝っていただろう。今は自分で選んだ危うさを、怖がりながらも手放していない。
その時、少し離れた場所から抑揚のない声がした。
「……リョウヘイ」
振り返ると、ドラムスティックのケースを肩へ掛けたリナが立っていた。
長い髪を1つに束ね、今日も表情はほとんど動かない。
だが、リョウヘイを見る目だけには、隠す気のない熱がある。
「リナ。お前も受けるのか」
「うん。リョウヘイは、きっと呼ばれてると思った」
「そっちもな。リナなら呼ばれるのも納得だよ。頑張ろうな」
「私も……一緒に、特進へ行きたい」
リナは1歩ずつ距離を詰め、リョウヘイの前で止まった。
その視線は、隣にいる3人を1度も通らなかった。
ユイの眉がわずかに動く。ハルナも表情を硬くした。
2人は、リナから「リョウヘイのために手を引いて」と言われた日のことを忘れていない。
リョウヘイの存在がきっかけでドラムを始めた、ずっとファンだったと話した少女。自分たちが彼の隣に立つには弱すぎると、最も痛い場所を正確に突いてきた相手だった。
けれど、ハルナはもう視線を落とさなかった。
ユイも言い返さず、真正面からリナを見ている。
この1か月で返事は用意した。
あとは言葉ではなく、音で渡すだけだった。
会場奥の扉が開いた。
ティアーユが入ってきた瞬間、それまで低く渦巻いていた話し声が消える。
長い金髪を揺らしながら、彼女は壇上へ上がった。
名簿を1度見下ろし、12人を順に見渡す。
「全員、整列してください」
短い指示だけで、生徒たちは慌てて番号順に並んだ。
ティアーユの前には教師も補助員もいない。
選ぶ者は彼女1人。
その事実が、冷えた空気をさらに薄くした。
「これより、特進オーディションを始めます。披露するものの形式は問いません。演奏でも、歌でも、作品でも構いません。ただし、私が手を挙げたらそこまでです。その時点で失格とします。」
誰かが唾を飲み込む音まで聞こえた。
そして。
「1番から始めなさい」
呼ばれたのは、リナだった。
「……いってくる」
「おう」
リョウヘイが手を上げる。
リナは小さく頷き、もう一言だけ落とした。
「……リョウヘイ……今までありがとう」
音量は小さかった。だが、すぐ隣にいたlunatiの3人には、はっきり届いた。
ユイが目を見開く。
ハルナは声も出せずに口を開き、ヒナの両手がギターケースの持ち手に固まった。
リョウヘイだけが、今この場で返事を求められているのか分からず、半端に上げた手をそのまま下ろす。
リナは全員を置き去りにして、ドラムセットへ座った。
彼女は列から出ると、迷いなくドラムセットへ向かう。椅子の高さを直し、持参したツインペダルをバスドラムへ取り付ける。その手際に淀みはない。
演奏前の一連さえ、何度も練習してきたように正確だった。
一打目から、速かった。
両足が細かな連打を刻み、その上を左右の手がタムからタムへ走る。スネアを挟み、シンバルを連続で打ち抜き、短い休符の直後にはさらに速いフレーズを叩き込む。ツインペダルの粒は揃い、手足の移動にも引っかかりがない。
15歳の演奏として見れば、明らかに高い水準だった。
だからこそ、リョウヘイには足りないものも聞こえた。速さも、正確さも、派手な見せ場もある。
けれど、どのフレーズにも見覚えがあった。
教則動画で評価される手順。技巧派ドラマーのソロで歓声が上がる箇所。重い音楽ならこう叩くべきだと集めた正解。
それらが綺麗につながっているのに、リナ自身が何に怒り、何を喜び、何を聞かせたいのかだけが見えてこない。
小柄な身体で大きな音を出そうとしているせいで、肩にも余計な力が入っていた。バスドラムは速いが、一発ごとの深さが浅い。スネアも鳴り切る前に、次の音が上から蓋をする。
音数を増やすほど、彼女の姿が演奏の奥へ隠れていった。
最後は両足の連打と長いフィルを重ね、左右のシンバルを同時に打って終わった。寸分違わず、決めた場所へ着地する。
余韻が消えるより先に、ティアーユが告げた。
「失格です」
会場がざわつく。
「……はい」
リナは真っ直ぐティアーユを見つめた。リナ自身が自分の弱点を一番よく理解しており、ティアーユがそれを見抜けないとは、リナは最初から思えなかった。
スティックを握ったまま、ティアーユの次の言葉を待っている。
「今の演奏は、すでに何度も見たことがあります。難しいことはできています。ですが、あなたの魂から解き放たれたフレーズは、1度も聞こえませんでした。古くから完成された型を見ているような気分でした」
リナの背中が、わずかに強張った。
「大きく重い音を理想とするなら、今の華奢な身体を言い訳にせず、鳴らせる身体まで鍛えなさい。別の道を選ぶなら、その身体でしか出せない音を探しなさい」
逃げ道のない言葉だった。
「どちらも選ばず、誰かの強さを借りて並べても、あなた自身の演奏にはなりません。あなた自身の「器力」が理想に届いていません」
容赦なくティアーユは続ける。
「スティックコントロールも重力と遠心力に頼りすぎです。フィジカルが生む出力と、物理法則が生む外力。そのブレンドがまだ甘い。」
リョウヘイにも反論はなかった。
音は嘘をつけない。聞こえてきた音だけが真実だ。
体格が小さいから駄目なのではない。
今のリナは、自分の身体から出る音より、自分が強いと思う型を優先している。
そのずれを、ティアーユは最初から最後まで聞き逃さなかった。更に身体操作まで的確に指摘した。
リナは俯き、膝の上のスティックを強く握った。
泣きもせず、言い訳もしない。
やがて立ち上がると、ペダルを外して列の後ろへ戻った。
リョウヘイの前を通る時だけ、視線がほんの一瞬揺れた。
リョウヘイは何も言わなかった。
今、慰めれば、リナが最後まで受け止めようとしている言葉を薄めてしまう気がした。
「次の方」
オーディションは、その後も容赦なく進んだ。
速弾きを披露したギタリストには、
「指は動いていますが、あなたがいなくても成立する演奏です。器力だけでなく魂を磨きなさい」
難曲を歌い切ったボーカリストには、
「音程を外さないことへ必死で、歌詞の人物が1度も息をしていません。こういった難曲を圧倒的に支配し、余裕を持って歌えるからこそボーカリストなのです」
自作曲を持ち込んだ生徒が長い解説を始めると、ティアーユは途中で手を上げた。
「失格です」
誰も返事ができなかった。
不合格を告げられた生徒たちは、会場の壁際へ残されていく。帰されないのは、他人の審査からも学べという意味なのだろう。
だが、落とされた直後に次の演奏を見続ける時間は、授業と呼ぶにはあまりに残酷だった。
その中で、7番だけが違った。
明るい金髪を高い位置で結び、小さなピアスを揺らした女子生徒が、ノートパソコンと数台の機材を壇上へ運ぶ。
派手な見た目とは反対に、配線を確認する目は鋭い。
「準備できましたー。お願いしまーす」
軽い声と同時に、ホールの照明が落ちた。
最初に鳴ったのは、遠くで水滴が落ちるような1音だった。それが左右のスピーカーを移動し、遅れて低い振動が床を這う。
プロジェクターには白い点が1つ浮かび、音が増えるたびに線となり、線が色を持ち、やがてホール全体が1つの映像作品へ変わっていった。
彼女は楽器を弾いていない。
だが、つまみを回し、パッドを叩き、音と映像をその場で組み替える指は、演奏者のそれだった。
次に何が起こるか分からないのに、散らかった印象はない。数分の中に始まりと終わりがあり、最後に光が消えた時には、暗闇そのものが余韻になっていた。
照明が戻る。
ティアーユは、この日初めて間を置かずに言った。
「合格です」
「はいはーい!」
7番の少女は明るく片手を上げ、機材を抱えて壇上を降りた。落ちた生徒たちの視線を浴びても、気にした様子はない。リョウヘイの前を通る時、なぜか親しげに片目をつぶった。
「知り合い?」
ユイが小声で聞く。
「いや、初めて見た」
「向こうは初めてみたいな顔じゃなかったけど」
「俺に聞くなよ」
やがて8番の審査も終わり、ティアーユの視線が4人へ移った。ニヤニヤとした顔で目立つように呼ばれた。
「最後に、特別枠のバンドの皆さん」
その呼び方だけで、壁際の空気が変わった。
4人へ向けられるのは、好奇心だけではない。
先に落とされた者の悔しさと、個人で挑んだ自分たちに対し、4人で出られることへの不公平感。
「特別枠」の4文字が、実力を見る前から敵を作っていた。
ティアーユは、その視線まで最初から計算していたように続ける。
「あなたたちの合否は、私1人では決めません」
4人だけでなく、壁際の生徒たちも顔を上げた。
「ここにいるオーディション参加者全員に審査してもらいます。みなさん。自分より上か、自分より下か。逃げずに聞いて、選びなさい」
不満げだった者たちの顔から、今度は戸惑いが浮かぶ。特別扱いは、優遇ではなかった。
すでに敗れた全員の前で演奏し、その全員に自分たちが上だと認めさせなければならない。
ティアーユは、4人のために開けた扉へ、最も狭い通り道を用意していた。
「準備を」
4人は壇上へ上がった。
リョウヘイがドラム椅子へ座り、ペダルとスネアの位置を確かめる。
ユイはベースをつなぎ、短く1音を出して音量を確認した。
ハルナがキーボードの前で両手を握り、ヒナはギターを構えたまま、まだ弦へ触れない。
全員の準備が整うと、ユイが振り返った。
「いいね、みんな。作戦通りに」
「一気に畳み掛けるぞ」
「最初から全力で…!」
「いつでもいけます!」
リョウヘイは3人の顔を順に見た。
「やるぞ、お前ら」
結局、出てきたのはそれだけだった。
「うん!」
「はい!」
「特別ってやつを見せてやろうよ!」
ユイの最後の一言に、リョウヘイは笑った。
ティアーユへ売りつけた、イカれた宝くじ。
その中身を見せる時が来た。
スティックを上げる。4人が同時に息を吸った。
最初の1音で、ホールの空気が割れた。
短く鋭いドラムの導入へ、ユイのベースが噛みつく。
ハルナの鍵盤が低い位置から和音を重ね、まだ輪郭だけだった景色へ色を入れる。
4人で1か月かけて削り、足し、また削った新曲が、初めて観客の前で立ち上がった。
リョウヘイは赤い目をギラつかせながら雷のような轟音を叩き出した。
ユイのベースが前へ出る場所ではキックを寄せ、ハルナの和音が広がるところではシンバルの余韻を残す。
3人が最も遠くまで行ける地面を、足元から豪快に作っていく。
ユイが歌い出した。
以前ならファルセットへ逃がしていた高さへ、地声の芯を残したまま上がっていく。
鍛えた喉を見せるための声ではない。
言葉を1番遠くまで届けるために選んだ声だった。
額に汗が滲んでも、ベースを弾く右手は止まらない。
サビで、ハルナの声が重なった。
歌う前から息を吸いすぎる癖も、失敗を怖がって音量を落とす弱さもなかった。
ユイを見て、合わせようとするのではなく、一緒に歌う。鋭い声と柔らかな声が、違う輪郭のまま同じ言葉を押し出した。
壁際にいた生徒たちの表情が変わっていく。
特別扱いへの苛立ちが、演奏を見極めようとする目へ変わり、やがて瞬きすら忘れた顔になる。
「おもしろいじゃん!」
7番の少女だけは、最初から楽しそうに腕を組みながら身体を揺らしていた。
曲は後半へ進む。
リョウヘイのドラムとユイのベースだけが残り、ハルナの鍵盤が1音ずつ遠ざかる。
4人で何度も練習した、16小節への入り口だった。
ヒナが1歩、前へ出た。
昨日まで、ここでは1音も弾いていない。
リョウヘイはヒナを見なかった。
見なくても、息を吸う気配が分かった。
ユイが低い音を長く伸ばす。
ハルナが最後の和音を離す。
その瞬間。
ヒナの指が初めて弦へ触れた。
最初に出たのは、速いフレーズではなかった。
低い1音が、弦を押し上げながらゆっくり形を変えた。
綺麗とは言い切れない。
わずかに掠れた音だった。
けれど、その1音だけで、ヒナが今日ここへ持ってきた感情が伝わった。
怖い。
嬉しい。
もっと弾きたい。
3人と離れたくない。
言葉にすれば別々になるものが、1本の弦の震えの中で同時に鳴っていた。
次の瞬間、音が駆け出した。
ヒナの左手が指板を上り、鋭い高音へ跳ぶ。
細かな音を畳みかけたかと思えば、突然すべてを止め、リョウヘイのスネアが入った直後へ短いフレーズを差し込む。
ユイのベースが進路を変えれば、その脇をすり抜ける。ハルナが和音を戻すと、その1番上へ新しい旋律を置く。
決めたフレーズを再現しているのではない。
今聞こえた3人の音へ、その場で答え続けている。
ティアーユの緑色の瞳が、初めて大きく見開かれた。
ヒナの演奏は激しさを増していく。
指は恐ろしい速さで動いているのに、速さだけを聞かせる瞬間は1度もない。
弦が擦れる音も、息を詰めるような休符も、すべてが次の1音を必要にする。
10年かけて身につけた技術が、ようやく隠れるためではなく、むき出しになるために使われていた。
16小節の終わり。
ヒナが長く伸ばした1音へ、ハルナの鍵盤が戻る。
ユイが最後のサビを叫び、リョウヘイが全員をもう1度同じ場所へ着地させた。
そこからは、4人とも止められなかった。
ユイの声が限界の先まで伸びる。
ハルナは鍵盤を弾きながら、真正面から声を重ねる。
ヒナのギターは歌の隙間を縫い、リョウヘイのドラムが3人の熱を受け止めて、さらに前へ押し返す。
気づけば、4人の目が赤く染まっていた。
汗や涙で充血しただけとも、白い照明がそう見せているだけとも違う。
瞳の奥から熱が滲み出し、4人の身体を音楽だけで動かしているような赤だった。
6月30日のライブでは、リョウヘイとヒナだけに現れた色。
今はユイにも、ハルナにも宿っている。
ティアーユは、4人から1度も視線を外さなかった。
最後の歌詞をユイが放つ。
ヒナとハルナが高く伸ばした音を、リョウヘイが全身で打ち切った。
曲が終わった。
シンバルの余韻が消えても、誰も動かなかった。
拍手を忘れたのではない。
今聞いたものを、拍手という普通の反応へ戻すまでに時間が必要だった。
ユイはマイクを握ったまま肩で息をしている。
ハルナの指は鍵盤の上で震え、ヒナはギターを抱いたまま、自分が何を弾いたのか確かめるように立ち尽くしていた。
壁際から、かすかな声が落ちた。
「……すごい」
リナだった。
悔しさを隠した称賛ではない。
自分が先ほど落とされたことさえ忘れたような、純粋な声だった。
ユイとハルナがその声の方を見る。
リナは2人から目を逸らさなかった。
「この中で」
澄んだ声が響く。ティアーユが大きく息を吸った。
「今の4人よりいい演奏ができる人はいますか?」
再び静寂。
落とされた直後の生徒たちにとって、認めることは簡単ではないはずだった。けれど、手を挙げる者はいない。
顔を背ける者すらいなかった。
答えは、沈黙だけで十分だった。
「合格者を発表します」
ティアーユが名簿へ目を落とす。
「7番、綾坂ナルミ」
「はいはーい!」
金髪の少女が、先ほどと同じ軽さで返事をした。
「9番、10番、11番、12番――バンド名、lunati」
4人は、すぐに反応できなかった。
1か月間、この瞬間のために音を重ねてきた。
受かるつもりで演奏した。
それでも、実際に名前を呼ばれると、耳へ届いた言葉が意味へ変わるまでに時間がかかった。
「返事は?」
ティアーユが少しだけ眉を上げる。
「はい!」
4人の声が重なった。
その直後、ヒナの膝から力が抜けた。
ギターを守るように抱えたまま、その場へ座り込む。
「やった……やったんだ……」
ハルナがキーボードから離れ、真っ先に駆け寄った。
「やったよ、ヒナちゃん!」
「アタシら、受かった! 4人で受かった!」
ユイも2人へ抱きつく。
押し倒されかけたヒナが泣きながら笑い、ハルナまでつられて涙をこぼした。
リョウヘイはドラムセットの前で、その3人を見ていた。
前世で、合格も不合格も経験した。
契約も落選も経験した。
大人になれば、結果を受け取る時の顔くらい作れるようになる。
そう思っていたのに、今は胸の奥へ詰まったものを、うまく言葉にできなかった。
4人で勝つか、4人で負けるか。
選んだのは自分だった。
だが、その選択を正解にしたのは、泣きながら抱き合っている3人だ。
リョウヘイは立ち上がり、ティアーユの前へ行った。
「……ありがとうございます」
自分でも驚くほど、素直な声が出た。
ティアーユは一瞬だけ目を細め、それからいつもの静かな顔へ戻る。
「あなたたちが、私の基準を満たした。それだけです」
「……宝くじ、買ってよかっただろ」
リョウヘイが笑うと、ティアーユの口元にも小さな笑みが浮かんだ。
「ええ。今のところは」
会場を出ると、廊下でリナが待っていた。
ドラムケースを抱え、先ほどまでと同じ無表情に戻っている。けれど、4人が近づくと、まっすぐリョウヘイを見て言った。
「頑張ってね」
「ありがとな、リナ。お前も……頑張れよ」
「うん。私、諦めないから」
リナは1度だけ息を吸う。
「ずっと……好きだから」
ユイの片眉が上がり、ハルナが反応に困って頬を赤くする。ヒナはまたギターケースの持ち手を強く握った。
だが、リナの言葉はそれで終わらなかった。
「あなたたちのことも、好き」
初めて、リョウヘイから3人へ視線が移る。
「前に言ったこと、取り消す。あなたたちは、リョウヘイと並んでた。すごく……かっこよかった」
ハルナの目が大きくなる。
あの日、「リョウヘイくんの未来は、あなたのものでもない」と返した相手が、今は自分たちの演奏を認めている。
欲しかったのは謝罪ではなかった。
隣に立てると、音で証明することだった。
「……リナさん」
ハルナが名前を呼ぶ。
ユイは少し照れくさそうに鼻の下を指でこすり、それから笑った。
「そ。じゃあリナ、リョウヘイのことは任せて」
「待て。俺の話を本人抜きで終わらせるな」
「今、大事な話してるから」
「俺の話だろ」
誰も取り合わなかった。
ヒナはいつの間にか涙を浮かべ、リナへ手を差し出していた。
「私……絶対……もっと……」
この人は私と一緒だ。ヒナはそう思った。
憧れを追いかけている。自分も同じステージに立てるように。必死で追いかけている姿が自分と重なって見えてしまった。
もっと弾く。
もっと強くなる。
lunatiでずっとギターを弾く。
その全部を込めるように、リナの手を強く握った。
リナはされるがまま握手を受け、やがて空いている手でヒナの頭を撫でた。
彼女もまたヒナが自分と同じように感じていることがわかった。
「よしよし……もうわかったから」
「……分かってくれたんですか?」
「……たぶん」
「……たぶんですか」
ヒナは泣きながら少し笑った。
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翌日、7月26日。
終業式が終わると、担任はいつになく改まった顔で教壇へ立った。
「1つ連絡がある。コイツら3人は、夏休み明けから特進クラスへ移ることになった」
一瞬の沈黙のあと、教室が大きくどよめいた。
「マジで!?」
「バンド全員で受かったの?」
「すごいじゃん!」
質問と祝福が一斉に飛んでくる。
ユイは得意げに胸を張り、ハルナは何度も頭を下げ、リョウヘイは周囲から肩を叩かれた。
「夏休みが終わったら別のクラスだ! 今のうちに別れを言っとけよ!」
担任が声を張る。
「別の棟に行くだけでしょ。卒業みたいに言わないでよ」
「雰囲気だ、木下。先生にも盛り上げさせろ」
教室に笑いが広がった。
妬みや皮肉を口にする者はいなかった。
対バンライブで4人の演奏を見た者も、放課後になるたび音楽室へ走っていた姿を知る者もいる。
特別枠という言葉だけでなく、lunatiがそこへ辿り着くまでを、このクラスは近くで見ていた。
隣のクラスでは、ヒナも同じ発表を受けていた。
後から聞くと、拍手を浴びたヒナは立ち上がったまま何も言えず、最後には隣の席の子から座るよう促されたらしい。
放課後、4人は軽音楽主任室を訪れた。
ティアーユは窓辺に立ち、抜けるような青空を背にしていた。
「夏休みが明ければ、あなたたちは私の受け持ちとなります。授業も環境も、これまでとは変わるでしょう」
4人の顔を順に見たあと、少しだけ声を和らげる。
「この夏が、一般生として過ごす最後の夏休みです。今は高校生らしく、存分に楽しんでください」
「ティアーユ先生から遊べって言われると思わなかった」
ユイが正直に言う。
ティアーユは微笑んだ。
「夏休みの課題を忘れていいとは言っていません」
「急にいつもの先生に戻った」
4人は軽音楽主任室を出た。
春に出会い、6月にlunatiと名乗り、初めてのライブを越え、1度は止まりかけた。
そこから同じ場所へ戻り、誰かだけを置いていかない道を、4人の音でこじ開けた。
夏休み明けには、新しいクラスが待っている。
だがその前に、4人にとって初めての夏が始まる。
4人の間に少しくらい静かな時間ができても、もう誰も不安にはならなかった。
次に集まれば、また同じ場所から鳴らせる。
4人は並んで、夏の光が差す廊下を歩き出した。
イメージソング
ADAMAS/LiSA
ここまでで第二章です。
ここまで見ていただいた皆様ありがとうございました。
自身のバイブス向上の為、高評価、ブックマークを何卒よろしくお願いします。
次回から夏休み編です。海に行きます。水着になります。




