#23 いくぞ特進!
軽音楽主任室を出た2人は、そのまま生徒棟まで走った。本館の時計を見た時点で、朝のホームルームには間に合わないと分かっていた。それでも、今日だけは教室へ着くまでの数分さえ惜しかった。
「リョ、リョウヘイさん……少し、待って……」
後ろからヒナの苦しそうな声がする。リョウヘイが速度を落とすと、ヒナは胸元を押さえながら追いついた。
「どこ向かってるんですか……!?」
「教室。ユイとハルナを呼ぶ」
「そうですね……あっ!だから待ってください!」
どうにか1年A組の前へ着いた時、始業のチャイムが鳴った。教室では、今日の日直であるユイが黒板の前に立っている。担任はまだ来ていなかった。
ユイが号令をかけようと口を開いたところへ、リョウヘイが後ろの扉から入る。
「ユイ、ハルナ。ちょっと来い」
教室中の視線が集まった。
「は?」
ユイは黒板とリョウヘイを交互に見る。
「今からホームルームなんだけど」
「知ってる」
「アタシ、日直なんだけど」
「それは知らなかった。行くぞ」
「話聞いてた?」
「それよりも大事な話がある」
いつものように軽く返した声の奥に、隠しきれない熱があった。ハルナはすぐに気づいた。席を立ち、鞄も持たずにリョウヘイの方へ向かう。
「ティアーユ先生と、話したの?」
「話した。ヒナもいる」
廊下を指す。扉の陰からヒナが顔を出し、教室内の人数に気づいてまた半分引っ込んだ。
ユイが黒板の日直欄を見る。そこには大きく「木下」と書かれている。
「5分で戻る?」
「無理だな」
「リョウヘイが代わりに怒られてよ?」
廊下の向こうに担任の姿が見えた。
4人とも同時にそちらを見る。
「急ぐぞ」
「ちょっと!」
リョウヘイが先に廊下へ飛び出した。ハルナが続き、ユイは1秒だけ迷ったあと、日直の日誌を教卓へ置いて追いかける。
ヒナはようやく整いかけた呼吸を再び乱しながら、3人のあとを走った。
教室へ入ろうとした担任が、廊下を去っていく4人を見送る。
「……日直は?」
返事はなかった。
4人は階段を1つ上がり、ほとんど使われていない空き教室へ滑り込んだ。机には薄く埃が積もり、窓際には使われなくなった譜面台が重ねられている。
リョウヘイが後ろ手で扉を閉めると、ユイがすぐに詰め寄った。
「これで大した話じゃなかったら、本気で怒るから」
「もう怒ってる顔だけど」
「段階があるの。今ステージ2」
ハルナは2人の間へ入らず、リョウヘイの顔を見つめていた。
「返事、したんだよね」
「ああ」
その一言で、ユイからも怒りが消えた。
ヒナは扉の前に立ったまま、胸へ手を当てて息を整えている。
リョウヘイは3人を順に見てから告げた。
「俺は、lunatiで特進へ行くって言ってきた」
ユイとハルナが固まった。
「……何て?」
「4人で行く」
「それ、選択肢になかったよね?」
「なかったから交渉して増やした」
ユイがヒナを見る。
ヒナは苦笑いしながら頷いた。
「本当に、そのまま言いました」
「ティアーユ先生、怒らなかった?」
ハルナが尋ねる。
「怒る暇がなかったと思います」
「どういうこと?」
「リョウヘイさんが、ほとんど話させなかったので……」
ヒナは軽音楽主任室でのやり取りを再現するように、両手を前へ出した。
「先生が何か言おうとすると、その前に次の言葉を重ねて、1歩ずつ近づいて……脅迫に近いですよ」
ユイがゆっくりリョウヘイへ向き直る。
「もう交渉じゃなくない?」
「結果が出れば交渉だ」
「失敗してたら?」
「ヤバいやつ認定されるだけ」
「成功してもヤバいやつ認定されてると思うよ」
ハルナが的確にツッコんだ。
1週間ぶりに、4人の間で笑いが起きた。ほんの短い笑いだった。けれど、張りつめていた糸が切れるには十分だった。
ハルナが、期待することを怖がるように尋ねる。
「それで……先生は何て?」
「7月25日の特進オーディションに、4人で出ていいってさ。バンドの特別枠だ」
ハルナの両手が口元を覆った。
ユイは数度瞬き、言葉の意味が追いついた瞬間、リョウヘイの肩を両手でつかむ。
「4人で!? 本当に!?」
「ああ、俺らは特別だからな!」
「じゃあ、lunatiを続けられるの?」
「オーディションに受かればな。ま、受かるけどな!」
その条件で、2人の喜びが少しだけ現実へ戻る。
「4人のうち1人でも基準に届かなければ、全員不合格。2人だけなら試験なしでもらえた席を、4人で取りに行く」
リョウヘイは曖昧に笑わなかった。
「誰かだけ受かることも、誰かだけ置いていくこともない。チームで勝つか、チームで負けるかだ」
ハルナの目に涙が浮かんだ。
先週、自分から2人へ特進に行くよう言った。2人の未来を邪魔したくなかったのは本当だ。
それでも心のどこかで、リョウヘイが別の答えを見つけてくれることを願っていた。
その身勝手な願いごと、今は受け取っていいのだと思えた。
「よかった……」
声と一緒に、涙がこぼれる。
ユイがハルナの肩を抱いた。自分も目を赤くしながら、強引に笑う。
「まだ受かってないよ」
「分かってる。でも、4人で受けられる」
「うん」
ヒナも2人へ近づいた。
「あの……先週は、ごめんなさい。私、自分の気持ちばかりで、リョウヘイさんに答えを押しつけてしまって……」
「アタシらも同じだよ」
ユイが答える。
「行くべきだって勝手に決めた。ヒナだけが面倒だったみたいな顔しないで。全員、ちゃんと面倒だったから」
「まとめ方が、あまり嬉しくありません……」
「仲直りなんて、それぐらいでいいんだよ」
ハルナが涙を拭き、ヒナの手を取った。
「ヒナちゃんが、lunatiを続けたいって言ってくれたの、嬉しかったよ。あの時は、ちゃんと言えなかったけど」
「ハルナさん……」
「私も続けたい。特進にも行きたい。全部欲しい」
先週なら、そんな欲張りを口にできなかった。
今は、その両方をつかむための場所が用意されている。
ユイが拳を上げた。
「じゃあ、やること決まったじゃん」
「ああ」
「受かる。4人で特進に行く。それで、もっとlunatiやる」
「まず曲を作ろう」
ハルナの声が急に実務的になる。
「自由演目なら、今の4人に合わせた新曲がいい。既存曲より、私たちの強みを全部入れられるから」
「1か月で間に合う?」
ユイが聞く。
「間に合わせるんだよ」
リョウヘイが答えた。
「ハルナ、曲の土台を頼めるか」
「うん。今日から作る」
先ほどまで涙を流していた目に、もう別の熱が灯っている。
「ユイは歌とベース。歌はいいからベース練習な」
「歌はいいの?」
「いいよ。いつも通りデカい声で歌ってくれ」
「一番得意なやつ!」
「ヒナには、曲の1番大事な場所を任せたい」
突然名前を呼ばれ、ヒナが背筋を伸ばす。
「わ、私ですか?」
「あの先生が聞きたいのは、たぶん技術じゃない。6月30日に出た、ヒナ自身の魂だ。今度は偶然じゃなく、そこまで行く」
ヒナは不安そうに指先を見る。
それから、3人の顔を順に見た。
「やります」
小さいが、確かな返事だった。
「私たち、4人で特進を受けられるんですね…!」
噛みしめるように言い、少しずつ笑顔になる。
「私たちは特別です!他の人と違うから特別にバンドで特進へ行けるんです!」
ユイが吹き出した。
「自分で特別って言う人、初めて見た」
「ティアーユ先生が、特別枠だと……!」
「分かってる。今日は言っていいよ」
リョウヘイは3人を見渡した。
1週間、音を出さなかった。
その沈黙の間に、4人は元の場所へ戻ったのではない。それぞれが隠していた弱さと欲を持ち寄り、前より少しだけ先の場所へ集まり直した。
「勝手に決めてきてごめんな」
「何言ってんの!大チャンスじゃん!絶対受かるよ特進!」
「私も!今の気持ちを曲にしたい!私たちが特別なの、見せつけたい!」
「はい!ぶっ飛ばします!」
3人の返事が重なる。
その時、廊下のスピーカーから校内放送が流れた。
『1年A組、木下。日直の木下ー。至急、教室へ戻りなさーい』
空き教室に沈黙が落ちた。
ユイがゆっくりリョウヘイを見る。
「大事な話が終わったから、戻るか」
「リョウヘイのせいにするから」
4人は笑いながら、もう1度廊下へ走り出した。
窓の外には、夏の青さを帯び始めた空が広がっていた。
オーディションまで、あと1か月。




