#19 孤独の天才
※本作は全話に挿絵があります。
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また、たまにイメージソングも記載しています。
よければ楽曲とあわせてお楽しみください。
6月30日の対バンライブから数日が過ぎても、校内に残った熱はなかなか冷めなかった。あの日、学内ライブハウスを埋めたのは、2年生と1年生がほぼ半分ずつだったらしい。普段なら2年生主催のイベントへ1年生があれほど集まることはない。「1年生が先輩バンドへ挑む」という構図が、演奏を知らない生徒の好奇心まで引っ張り込んだのだ。
廊下を歩けば、すれ違った生徒が「あ、lunatiだ」と声を潜める。昼休みには別のクラスからユイやハルナを見に来る生徒まで現れた。ユイはその変化を楽しみ、ハルナは落ち着かなさそうに会釈を返す。ヒナは誰かと目が合うたび、ギターケースの後ろへ半分隠れた。
放課後。練習を終えた音楽室には、まだ4人の音の余韻が残っていた。
傾いた日差しが窓から差し込み、床を這うケーブルを橙色に染めている。リョウヘイがシンバルスタンドを畳み、ヒナが丁寧にコードを巻き、ハルナは譜面を順番にファイルへ戻していた。
その隣で、片づけの手を真っ先に止めたユイが、思い出したように鞄を探り始める。
「あ、そういえば。今日、女の子からラブレターもらっちゃった」
あまりに軽い報告に、リョウヘイの手が止まった。
「女の子から!?」
そんなことある!?という顔をしている。
「何その反応?今時レズなんで普通だよ?」
ユイは少し照れくさそうに、それでも満更ではない笑顔で、薄い水色の封筒をひらひらさせた。宛名は丸みのある丁寧な字で書かれている。
「下駄箱に入ってたの。『ライブを見て一目惚れしました』って。ベースを構えてる姿が格好よかったとか」
「中身まで発表しなくていい。相手はお前1人に読ませるために書いたんだろ」
「全部は言わないよ。そこはちゃんとしてるし」
ユイは封筒の角が曲がらないよう、慎重に鞄へ戻した。
「すごいね、ユイちゃん……」
ハルナが目を丸くしている。ユイは待っていましたとばかりに胸を張った。
「まあ、あれだけの人数の前で弾いたわけだしね。こういうことも、ある程度は覚悟してたけど」
「ずいぶんと余裕だな」
「余裕がある人って格好いいでしょ」
「自分で言わなきゃもっとカッコいいぞ」
ユイが何か言い返すより先に、ハルナがおずおずと手を挙げた。
「あの……私も、今日、入ってたよ」
「え?」
ハルナは自分の鞄から、白と淡い桃色の封筒を1通ずつ取り出した。大切そうに胸元で重ねている。
「2通……」
「2通!?」
ユイの声が裏返り、廊下を歩いていた誰かが音楽室の中を覗いた。ハルナは慌てて封筒を背中へ隠す。
「大きい声出さないで……!」
「だって、2通でしょ? 急に倍はおかしいじゃん」
「何もおかしくないだろ。ハルナがモテるのは当然だろ」
「比較しないで!悲しくなるから!」
ハルナは頬を赤くしたまま、2人へ小声で説明した。
「男の子から1通と……女の子からも、1通。ライブの時は普段と雰囲気が違って、素敵でしたって」
「両方から来るの? なんかもう、こっちと競技が違うんだけど」
「競うものじゃないよ。どう返事したら失礼じゃないか、まだ分からなくて……」
浮かれるより先に相手のことを考えるあたりが、いかにもハルナらしかった。
リョウヘイは3本目のスタンドをケースへ収め、深く息を吐く。
「おお……もう俺にはついていけない世界になってきた」
「リョウヘイくんは?」
ハルナが不思議そうに尋ねる。その声に、なぜかユイまで興味深そうに顔を寄せた。
「何が?」
「ラブレター。もらってないの?」
「1通も。まあ、ドラムは後ろにいるからな」
「本当に、1通も?」
ハルナが念を押す。リョウヘイが頷くと、ユイが横からその顔を覗き込んだ。
「ハルナ、ちょっと嬉しそうじゃない?」
「そ、そんな顔してないよ! 意外だと思っただけ!」
「誰もドラムなんて見てないって」
「リョウヘイは黙ってて」
なぜ自分の話なのに外されたのか、リョウヘイには分からなかった。
「でも、意外だね」
ハルナがもう1度言った。
「リョウヘイくん、ライブのあと、すごく話題になってたよ。ドラムがすごかったって」
「演奏を褒められるのと、恋愛対象になるのは別だろ。目立つのはフロントマン。ユイやハルナだよ」
「私はメインで歌ってないよ、コーラスだし」
「細かいことはいいんだ。前にいる人たちは、だいたい輝いて見える」
「ドラムってライブだとほとんど見えないもんね!」
ユイが笑う。リョウヘイは肩をすくめ、片づけを再開した。
前世でも、ライブの直後に囲まれるのはたいていフロントマンだった。ドラマーへ来るのは機材の型番を聞きたい同業者くらいで、それで十分だった。身体は15歳でも、手紙の数で一喜一憂する感覚まで高校生へ戻ってはいない。
「人気者は2人に任せる。俺は静かに暮らす」
「勝手に分担しないで。それにこういうの、ヒナにも来てるかもしれないじゃん」
ユイが部屋の隅へ振り向く。
ヒナは返事をしなかった。
いつの間にか、コードを巻く手も止まっている。輪を作ったケーブルを膝に載せたまま俯き、先ほどまでわずかに緩んでいた口元を固く結んでいた。
「…ヒナちゃん?大丈夫?」
ハルナが呼ぶと、ヒナの肩が小さく揺れた。ためらうような沈黙のあと、消え入りそうな声が落ちる。
「私はむしろ……どんどん、クラスで孤立してる…気がします」
さっきまで浮ついていた空気が、音もなく床へ落ちた。ユイとハルナが同時に振り向く。リョウヘイも、ケースを閉じかけた手を止めた。
「孤立って……何かされたの?」
ハルナが心配そうに眉を寄せる。ヒナは首を横に振った。
「何かをされたわけじゃ、ないです。でも……みんな、私のことを避けてる気がして。休み時間にこっちを見て話してるのに、私が見ると、すぐ目を逸らすんです。近くへ行くと、急に静かになったり……」
「ライブのあとから?」
「はい。動画を見た隣の席の子に、『目が血走ってて怖かった』って言われました……」
ヒナの指が、巻き終えたコードをほどき、また最初から巻き始める。ユイの口元が一瞬ひくついた。笑ってはいけないと分かっている顔だったが、正直な記憶が邪魔をしている。
「ああ……いや、その……」
「ユイちゃん、今は慎重にね」
「分かってる。分かってるけど、あれはちょっと怖かったよ。そりゃ、あれだけ目を赤くしてギター弾いてたら、初めて見る人はびっくりするって」
慎重に選んだ結果が正直な感想だった。
ヒナはびくりと肩を揺らし、コードの輪より小さくなりそうな勢いで背を丸める。
「あ、あの時は必死で……! 途中から音しか見えなくなって、気づいたら、ああなってたんです。怖がらせようとしたわけじゃ……」
「大丈夫。誰も計画的に目を血走らせたとは思ってないから」
ハルナが慌ててヒナの隣へしゃがんだ。
「それに、リョウヘイくんもすごかったよ。2人とも途中から目が真っ赤で、何ていうか……近づいたら、そのまま食べられそうな顔だった」
「俺も?」
「うん。鬼みたいだったよ」
「鬼か…悪くないな」
「アリなの!?」
ハルナなりの励ましなのだろうが、仲間が増えても恐怖映像が2人分になっただけである。
「真剣に演奏してたら、目くらい赤くなるだろ」
「それじゃ、アタシとハルナが真剣じゃなかったみたいじゃん」
ユイの眉が跳ね上がった。次の瞬間、手刀がリョウヘイの肩へ落ちる。
「痛っ。なんで言葉より先に手が出るんだよ」
「考えた結果」
「もっと考えろや」
ハルナが吹き出し、ヒナも俯いたまま、ほんの少しだけ笑った。
重くなった空気に小さな隙間ができる。だが、ヒナの指はまだコードから離れなかった。
リョウヘイは叩かれた肩をさすりながら、正面へしゃがむ。
「ヒナ。教室にいるの、そんなにしんどいのか?」
ヒナはすぐには答えなかった。開いた窓の向こうから、運動部の掛け声が遠く響く。
「前は……平気だったんです」
やがてヒナが言った。
「休み時間に誰も話しかけてくれなくても、私も話しかけなかったから。友達がいなくても、ギターがあれば別にいいって。本当に、そう思ってました」
1度、息を吸う。喉につかえた言葉を、逃がさないように。
「でも今は……寂しい、です。3人といる時が楽しいって知ってから、1人でいる時間が、前より静かに感じて……」
それは、孤独が深くなったという話ではなかった。孤独ではない時間を知ったから、初めてその輪郭が見えたのだ。
少し前のヒナなら、その寂しささえ胸の奥へ隠していただろう。今は不格好でも、3人へ言葉にして渡そうとしている。その変化を、リョウヘイは弱さだとは思わなかった。
ユイが何か言おうと口を開き、すぐに閉じた。ハルナは隣にしゃがんだまま、ヒナの袖へそっと触れる。
「あのさ、ヒナ。それ、たぶんヒナが思ってるのとは少し違うぞ」
「違う……?」
「みんなに嫌われてるんじゃない。ビビられてるだけだと思う」
「ビビられてる……怖がられてるのと、同じじゃないですか……?」
ヒナが困ったように首を傾げる。リョウヘイは床に置かれたコードを指で示した。
「嫌いだから遠ざけたいのと、すごすぎて近づき方が分からないのは違う。クラスメイトが本当にヒナへ興味がないなら、休み時間に見たり、動画の感想を言ったりもしないだろ」
「でも、怖いって……」
「演奏が嫌だったんじゃなくて、普段との違いに驚いたんだよ。教室では目を合わせるのも苦手な子が、ギターを持った途端、150人の前であんな音を出す。そりゃ、最初の一言を何にするか迷う」
ユイが腕を組み、納得したように頷く。
「確かに。いきなり『昨日、鬼みたいだったね』とは言いにくい」
「実際に近いことを言われてます……」
「その子は最初の一言を間違えただけ。次に期待しよ」
ハルナが冗談まじりに励ました。
落ち込んでいたヒナの口元が、またほんの少し緩んだ。
リョウヘイは続ける。
「超がつくくらいうまいギタリストが同じ教室にいたら、誰だって身構える。ここはそういう学校だしな。ヒナがみんなを怖がって黙るのと同じで、みんなもヒナを意識しすぎて黙ってるのかもしれない」
「私と、同じ……」
「たぶんな。本気で弾いてるヒナを知った俺たちからすれば、いつものヒナと別人だとは思わない。どっちもヒナだから。でもクラスの連中は、まだ2つがうまく結びついてないんだ」
ギターを弾く時だけ現れる熱を、ヒナはずっと隠してきた。初めてすべてを晒したステージで周囲が戸惑うのは当然でも、その戸惑いは拒絶と同じではない。
「実はみんな、ヒナに興味津々だと思うぞ。ただ、ヒナが格好よすぎて、声をかけられないんだよ」
リョウヘイがそう言うと、ヒナは目を丸くした。
「私が……格好いい……?」
「ライブの日のヒナを見て、格好悪いと思う奴はいないだろ」
「怖いとは、言われましたけど……」
「格好いいと怖いは、わりと近くに住んでる。少なくとも、退屈よりずっといい」
ヒナはすぐに返事をせず、膝の上のコードを見つめた。指先が、今度こそ巻き終えた輪を留める。表情の奥で、今まで別々だった何かがゆっくりつながっていくようだった。
「……なんとなく、分かる気がします」
やがて顔を上げ、リョウヘイを見る。
「私も……そう、でしたから」
「ん? 何が?」
リョウヘイが聞き返した瞬間、ヒナは自分が何を口にしたのか気づいたらしい。目を見開き、頬を一気に赤くした。
「あ……い、いえ! なんでもないです……!」
慌てて俯き、抱えたコードで口元まで隠す。
ヒナも、最初はそうだった。
新歓ライブで初めてリョウヘイのドラムを聴き、壁越しにもう1度、その音へ出会った。近づきたいのに、あまりにまぶしくて、自分から声をかけることはできなかった。ユイに手を引かれ、ハルナに背中を押されて、ようやく同じ部屋へ入れたのだ。
なら、教室の誰かも同じ場所で立ち止まっているのかもしれない。
ユイはヒナの赤い頬と、何も分かっていないリョウヘイの顔を交互に見た。口元がゆっくりと意地の悪い形になる。
だが、何かを言おうとしたところで、ハルナがそっと肘をつついた。
「今はやめておこう」
「まだ何も言ってないけど」
「言う顔をしてたよ」
小声のやり取りに気づかず、リョウヘイは立ち上がってスティックケースを肩へ掛けた。
「まあ、すぐ全員と仲良くならなくてもいい。そのうち慣れるよ。クラスの連中も、ヒナ自身も」
リョウヘイの言葉に、ヒナはもう1度、小さく頷いた。今度の頷きには、教室へ戻る明日を少しだけ信じようとする強さがあった。
音楽室を出る頃には、夕暮れが校舎の窓を赤く染めていた。廊下には部活帰りの生徒の声が響き、4人の足音がその中へ重なる。
ユイとハルナは少し前を歩き、もらった手紙へどう返事を書くか、互いに相談していた。
その少し後ろを、ヒナが歩いている。以前なら3人から距離が開けば、そのまま1人で小さくなっていただろう。今は歩幅を少し速め、ユイとハルナの会話が聞こえる場所を保っていた。
そして時折、隣を歩くリョウヘイの背中へ、こっそり視線を向ける。
先ほど自分へ向けられた言葉が、別の意味を持って胸の奥に残っている。目が合いそうになるたび、ヒナは慌てて前を向いた。
その横顔には、教室で感じていた寂しさとは違う、まだ本人にも名前をつけられない熱が浮かんでいた。
人気が出れば、人との距離が近くなるとは限らない。まぶしく見えるほど、かえって遠巻きにされることもある。
それでも、音を鳴らしたことで生まれた距離なら、いつか音の外にいる自分の言葉で埋めていけばいい。
ヒナはもう、1人でいることを平気なふりはしなかった。誰かと一緒にいたいと思えたこと自体が、彼女にとっては新しい1歩だった。
春に出会い、6月にlunatiと名乗り、初めてのステージを終えた4人。
その音は校内へ届き、今度は4人の日常を、少しずつ変え始めた。
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