#18 lunati、始動
※本作は全話に挿絵があります。
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また、たまにイメージソングも記載しています。
よければ楽曲とあわせてお楽しみください。
6月30日
学内ライブハウスの楽屋口は、開演前にしか生まれない緊張で満ちていた。コンクリート打ちっぱなしの廊下を、機材ケースが重い音を立てて通り過ぎる。開け放たれた扉の向こうではスタッフがマイクスタンドを運び、遠くのステージからは、サウンドチェック中のギターが1音ずつ漏れてきた。いつもの練習室とも、入学式の日の大音楽室とも違う。ここは、客へ音を届けるためだけに作られた場所だった。
楽器を背負った4人は、スタッフに案内されて廊下を進む。ユイは先頭を歩きながら、さっきから3度も髪を触っていた。ハルナは譜面の入ったバッグを両手で抱え、ヒナはギターケースの持ち手を、指先が白くなるほど握っている。
「ヒナ、ギターは逃げないぞ」
「は、はい……分かってます。分かってるんですけど、手が勝手に……」
「今は手を休めとけ。ステージに上がったら勝手にギターを握ってくれるから」
ヒナは不安そうなまま、それでも小さく頷いた。
リョウヘイ自身は、懐かしさと新鮮さが半分ずつだった。搬入口の匂いも、スタッフの早足も知っている。だが、この身体で、後ろを歩く3人とここへ来たのは初めてだ。
前世の記憶が「いつもの本番だ」と言い、15歳の心臓が「特別な日だ」と言う。
今は心臓の方が少し声が大きかった。
案内された控室へ荷物を置いたあと、4人はそろってADAMASの楽屋へ向かった。リョウヘイが扉を3度ノックする。
「失礼します。lunatiです。本日はよろしくお願いします」
中から返事があり、扉が開く。
室内には衣装ケースやメイク道具、飲みかけのペットボトルが並び、鏡の前ではメンバーたちが本番の支度を進めていた。
中庭で話したリーダーだけはリョウヘイたちを見ても表情を変えないが、他のメンバーはまるで違った。
「あ、lunatiさん!今日はよろしくね!この前はウチのドラムがダル絡みして悪かったね!」
「新歓ライブの動画、見ました。すごい迫力でしたよ」
「マガジンの6月号、増刷だってね!すごい!
」
ギターの女子もベースの女子も、屈託なく笑って頭を下げてくる。ボーカルの女子も手を軽く上げた。
ユイは完全に身構えていたらしく、1拍遅れて頭を下げる。
「あ、こちらこそ、よろしくお願いします!」
ハルナも丁寧に挨拶を返す。
ヒナは声こそ出なかったが、身体を直角に折るようにして頭を下げた。ギターの女子が優しく笑いかけると、もう1度下げる。
楽屋を出るなり、ユイが声を潜めた。
「普通にいい人たちじゃん」
「1人を除いてね」
ハルナも小声で返す。
「実はあの人だけなのかな、怒ってるの」
その時、スタッフが廊下の奥から顔を出した。
「すみません。両バンドの代表者は、出演順のくじ引きをお願いします」
「アタシ行きます」
ユイが迷わず手を挙げた。
ADAMASからは、あのリーダーが無言で立ち上がる。2人はスタッフに連れられ、まだ照明の落ちた舞台袖へ向かった。
幕の隙間から見えた客席に、ユイは足を止めた。
前方だけではない。中央も後方も、制服姿の生徒で埋まっている。開演を待つざわめきが、波のように重なっていた。
150人近くはいるだろう。
顔として並ぶと、数字で聞くのとはまるで違った。
「多いな」
隣から声がした。
ADAMASのリーダーも客席を見ていた。
「そっちが呼んだんでしょ」
「1年が見たいって勝手に増えたんだよ」
「東音マガジン効果…恐るべし…」
そして、2人の視線がぶつかる。
だが中庭の時とは違い、ユイの胸に嫌悪は湧かなかった。この刺々しささえ、本番へ向かう熱の形に見えた。
スタッフに促され、2人が箱から折り畳まれた紙を引く。
ユイの紙に書かれていたのは「後」だった。
「lunatiが後攻ですね」
「先にやらせてもらう」
ADAMASのリーダーは紙を返し、ユイの横を通り過ぎる。
「しっかり見とけよ、1年」
「言われなくても。全部見る。」
背中を向けたまま、その女子の口元がほんの少し上がったように見えた。
やがて客電が落ち、開演を告げるアナウンスが流れた。
ADAMASの1音目が、暗闇を叩き割った。
歪んだギターが幾重にも重なり、地を這うベースが床を揺らす。その中心を、ドラムが正確な連打で貫いていた。
速いフレーズ、急激な展開、息をつかせないリズムチェンジ。派手な技術の1つ1つが、重い音の壁を作るために噛み合っていた。
楽屋では気さくに挨拶してくれたボーカルも、マイクを握った瞬間に別人になった。
細い身体からヒステリックな叫びを放ち、次の瞬間には伸びやかな歌へ切り替える。サビで再びシャウトが炸裂すると、客席から一斉に拳が上がった。
「すっげえ!」
舞台袖で、ユイが誰より先に声を上げた。
「先輩たち、本当にすごい……!」
ハルナも目を輝かせている。
ヒナは返事を忘れ、ギタリストの指を食い入るように追っていた。難しいフレーズを見抜くたびに目が大きくなり、やがて興奮を抑えきれなくなったように呟く。
「かっこいいです……。あの速さなのに、音が全然潰てれなくて……すごい……!」
「敵なのに褒めていいのかな」
ユイが一瞬だけ我に返る。
「昨日、俺が何を話したと思ってるんだ」
「長かったから、途中でポテト食べてた」
「結構良い話してたんだけどなぁ」
リョウヘイは笑いながら、再びステージへ目を戻した。
うまい。
前世で数え切れないほどのバンドを見てきた耳でも、素直にそう思えた。
技術だけではない。2か月守った場所を奪われた悔しさも、1年生には負けたくないという意地も、全部が音の圧へ変わっている。
敵意の向け方は不器用でも、この人たちは音楽に対して正直だった。
音は嘘をつけない。
最後の1音が止まると、会場が大きく沸いた。
汗だくで袖へ戻ってきたADAMASへ、lunatiの4人は揃って駆け寄る。
「めちゃくちゃ格好よかった!」
「展開が変わるところ、鳥肌立ちました」
「ギ、ギター……本当に、すごかったです!」
「ナイスライブ!最高だったよ!」
リーダーは目を見開いた。
勝ち誇るか悔しがるか、そのどちらかを待っていた顔に、称賛を投げられて処理が追いついていない。
「な、なんで褒めるんだよ! お前ら、もう出番だろ。さっさと準備しろ!」
顔を赤くし、仲間を連れて楽屋へ戻っていく。
その背中を見送り、ユイが笑った。
「あの人、想定外に弱いんだ」
「意外とかわいいよね」
ハルナが言うと、リョウヘイはスティックケースを開きながら首を振った。
「攻略するな。次も呼んでもらえなくなる」
スタッフから転換の合図が飛び、4人はステージへ機材を運び始めた。
ケーブルをつなぎ、位置を確かめている最中、ユイがふいに顔を上げる。
「みんな。1曲目、『サボテン』でいい?」
予定では4曲目に置いていた、ミドルテンポの軽い曲だ。
リョウヘイは理由を尋ねず、客席を見た。
ADAMASの濃密な音を浴びた直後で、観客は興奮している。だからこそ、さらに強い音で押し返せば、ただの我慢比べになる。
「いいと思う。最初に少し空気を変えよう」
ハルナもすぐに意図を読み取り、ヒナも頷く。
リョウヘイはユイを見て、思わず笑った。
「何?」
「いや。ちゃんと客席も見えてるなと思って」
「前から見えてたし」
「新歓の時は、客席に喧嘩を売る顔してたぞ」
「今日は買ってもらう側だから愛想よくする」
「商売の話じゃないよ」
ハルナが笑う。
ユイは口を尖らせながらも、自信のある顔でマイクの高さを直した。
開演を告げるアナウンスが響き、ステージが暗くなる。
直前までざわめいていた3人が、同時に黙った。
リョウヘイは椅子へ座り、スティックを握る。ユイが客席へ背を向けて息を整え、ハルナが鍵盤へ両手を置く。
ヒナは足元のエフェクターを見つめたまま動かない。
暗闇でも、右手がわずかに震えているのが分かった。
リョウヘイはスティックで、誰にも聞こえないほど小さく自分の腿を2度叩いた。
ヒナが顔を上げる。
――まず俺の音を聴け。
昨夜の言葉を思い出したのか、ヒナが1度だけ深く息を吸った。
視線がリョウヘイからギターへ戻る。震えは消えていない。それでも、指はもう弦の上にあった。
照明が灯る。
lunatiの最初の1音は、ハルナの柔らかな鍵盤だった。
1曲目、『サボテン』
ミドルテンポの穏やかなリズムを、リョウヘイが軽く転がす。ユイのベースが丸い低音で支え、そこへヒナのギターが慎重に入った。
1音。
続いて、もう1音。
客席を埋めていた熱の塊が、少しずつ形をほどいていく。
ADAMASが築いた巨大な壁へ、別の壁をぶつけるのではない。その場に窓を開けるように、4人の音が会場を通り抜ける。
観客の肩から力が抜け、拳を上げていた手が、今度はゆっくり身体の横で揺れ始めた。
(刺さってる…!)
リョウヘイはドラムを演奏しながらそう感じていた。逆張りの賭けだったが、フロアにはlunatiを受け入れる空気が出来上がっていくのがわかった。
曲を終えると、温かな拍手が返ってきた。
ユイがマイクの前へ出る。
額に浮かんだ汗を手の甲で拭い、150人の顔を見渡した。
もう、髪を触って確かめる必要はなかった。
「ありがとう! アタシたちがlunatiです!」
客席のあちこちから歓声が飛ぶ。
「休憩はここまで! こっから全部、置いていって!」
ユイは嬉しそうに笑い、ベースを高く掲げた。
「みんな準備はいい!?」
弦を思いきり弾いた1音を合図に、4人の音が一斉に重なる。
空気が反転した。
リョウヘイはもう、客席の人数を数えていなかった。
ユイの背中、ハルナの左手、ヒナが吸う息。そのすべてを視界の端に置き、今鳴っている音だけを追う。
踏み込んだバスドラムが床を揺らし、スネアが音の中心を撃ち抜く。
身体は15歳でも、積み重ねた時間まで若返ったわけではない。何百本もの夜で覚えた判断が、考えるより先に両手両足を走った。
隣では、ヒナも変わっていた。
最初の1音を探していた少女はもういない。
指が弦の上を駆け、鋭いフレーズが歌の隙間へ次々と飛び込む。速いだけではない。
10年分の練習を見せているのではなく、10年かけて覚えた言葉で、今この瞬間の感情を話していた。
ユイは2人の熱に煽られながらも、歌の中心を譲らない。
ハルナも鍵盤から全体を見渡し、4人の音が暴れすぎる寸前で色を足し、曲の輪郭を守っている。
その中で、リョウヘイとヒナの目だけが、熱を持ったように赤く染まっていた。
客席後方で腕を組んでいたティアーユが、金色の髪を揺らし、静かに呟く。
「……あの子も」
隣にいた教師が聞き返したが、ティアーユは答えなかった。
その瞳は、ステージから1度も離れない。
最後の曲まで、4人は止まらなかった。
ユイが最後の歌詞を放ち、ヒナのギターとハルナの鍵盤が高く伸びる。
その音を、リョウヘイが全身で打ち切った。
一瞬の静寂。
次の瞬間、拍手と歓声と口笛が、ステージへ押し寄せた。
「アンコール!」という声まで上がる。
持ち時間の都合で応えることはできない。それでも4人が並んで頭を下げる間、音の代わりに客席の熱が身体を震わせ続けていた。
袖へ戻ると、ユイは壁へ背中を預け、ハルナは胸に手を当てたまま何度も息を吐いた。
ヒナだけはギターを抱え、まだステージに半分残っているような顔をしている。
そこへ、ADAMASのリーダーが歩いてきた。
腕を組み、視線を逸らしたまま、しばらく何も言わない。
やがて諦めたように息を吐く。
「……負けたよ。最初の一音目でわかった。アンタ達すごいんだね」
リョウヘイは何も茶化さず、まっすぐその言葉を受け取った。
「ありがとうございました。先輩達もヤバかった」
「いいって。新聞部がアンタらを取材したのも今ならわかるよ。ライブ中は狂人だな。」
リーダーがリョウヘイを見る。
「そうすかね?」
「そうだよ。普段は人の話を半分しか聞いてなさそうな顔してるくせに」
「今日は全部聞いてます」
「今日だけかよ」
初めて、彼女の方が吹き出した。
リョウヘイは汗を拭い、手を差し出す。
「またやりましょう、先輩」
その女子は一瞬固まり、差し出された手とリョウヘイの顔を交互に見た。
やがて乱暴に手を握る。
「またライブしたいんだろ?いつでも言え、また誘ってやる。」
「なんでわかったんすか?」
「音は嘘をつけない。アンタ達の演奏はそういう音だった」
そう言い残し、顔を赤くしたまま仲間のところへ戻っていく。
ユイがその背中を見送り、口元を上げた。
「素直じゃないなあ」
「でも、ちゃんと認めてくれたね」
ハルナが嬉しそうに言う。
「嫌いじゃないよ、ああいう人」
リョウヘイが答えると、ヒナも小さく頷いた。
だが、その動きはどこか上の空だった。
「ヒナちゃん、大丈夫?」
ハルナに顔を覗き込まれ、ヒナはようやく瞬く。
「わ、私…ちゃんと弾けてましたか…?途中から記憶なくて…必死すぎて気がついたらライブ終わってました…」
初めて大勢の前へ出た恐怖も、最初に震えていた右手も、もうその顔には残っていなかった。
代わりにあるのは、終わってしまったことが信じられないような寂しさと、もう1度立ちたいという熱だった。
「それでいい」
リョウヘイは笑う。
「ちゃんとライブした証拠だよ」
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数日後、東音マガジンの号外が校内に配られた。
表紙を飾ったのは、ADAMASとlunati、2組の演奏写真だった。
鋭い表情で客席を煽るADAMASと、赤い目で楽器へ食らいつくリョウヘイとヒナ。その下には、2組が同じ夜をどう作ったかが丁寧に綴られていた。
「さすが速水先輩」
昼休み、記事を読み終えたリョウヘイが呟く。
向かいではユイが自分の写りを確認し、ハルナが記事を最初から読み返し、ヒナは写真の中の自分を、知らない人を見るようにじっと見つめていた。
校内誌の記事を巡って始まった衝突は、同じ号外に2組の名前が並んで終わった。
だが、lunatiにとっては終わりではない。
まだ名乗ったばかりの4人が、初めてその名を客席へ届けた日。
6月30日。
lunatiは、このステージから始動した。
イメージソング
I'm So Sick/Flyleaf
サボテン/緑黄色社会




