#16 2マン、6/30
※本作は全話に挿絵があります。
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また、たまにイメージソングも記載しています。
よければ楽曲とあわせてお楽しみください。
東音マガジン6月号が配られた翌日、lunatiの名前は、昨日までより少し大きな声で校内を歩いていた。教室を出れば、廊下の向こうから「最終兵器」という単語が聞こえる。階段を下りれば、踊り場で冊子を広げた生徒がリョウヘイたちの写真を指している。購買前を通った時には、ちょうど店員が空になった棚へ『6月号・増刷分は明日入荷』という紙を貼っていた。
「昨日の号、もう売り切れたんだって」
「新歓ライブの3人でしょ。ギターが増えたらしいよ」
「あの子、1年なのに10年弾いてるって」
すれ違いざまにそんな会話が耳へ入り、リョウヘイは隣を歩くヒナを見た。ヒナは聞こえなかったふりをしている。だが、両手で抱えたギターケースが、普段より明らかに顔へ近い。あと数センチ持ち上げれば、記事に載った本人かどうかすら分からなくなるだろう。
「ヒナ。前、見えてる?」
「……少しだけ」
「少しは見えてるんだ」
「見えてないと、ぶつかるので……」
答えは冷静だった。昨日起きたことを考えれば、それだけ返せるのは大したものである。
中庭へ出ると、いつもの木陰にはユイとハルナが先に座っていた。6月の日差しはもう夏の真似を始めていたが、大きな木の下だけは風が涼しい。ハルナは膝の上で弁当箱を開き、ユイはパンの袋を破りながら、近づいてくる2人へ手を振った。
「遅い。校内一周して人気を味わってきた?」
「ヒナが隠れながら歩くから、速度が出なかった」
「す、すみません……」
「謝らなくていいよ。今日は仕方ないって」
ハルナが自分の隣を少し空ける。ヒナは一瞬だけ迷ったあと、いつものように離れた場所ではなく、その空いたところへ腰を下ろした。ギターケースを膝の前へ立てる。
笑いながら、リョウヘイもベンチの端へ座った。注目されること自体には慣れている。前世では、ライブの翌日に知らない人から声をかけられることもあった。だが、まだ入学して2か月ほどの校内で、自分たちの名前が急に独り歩きを始める感覚は新鮮だった。
記事は盛られていた。それでも、何もないところから熱だけを捏造したわけではない。速水が面白がってくれたものは、確かに4人が鳴らした音の中にあった。
ユイがパンの袋を畳みながら言う。
「これだけ読まれたなら、次にライブやる時は客増えるかな」
「増えると思うよ。でも、その分、期待もされるよね」
「いいじゃん。期待されたなら、超えればいいだけ」
ユイは簡単に言って笑った。その横で、ヒナの箸がぴたりと止まる。
「……見る人も、増えるんですね」
「大丈夫だヒナ、問題ない」
「はい……」
ヒナが再びギターケースへ隠れかけた、その時だった。
中庭の入口から、複数の足音が真っ直ぐこちらへ近づいてきた。楽器ケースを背負った女子生徒たちだった。胸元の学年章は2年。先頭を歩く女子は、片側を短く刈り上げた髪と、制服の袖から覗く引き締まった腕が目を引いた。歩き方に迷いがなく、背後のメンバーも黙ってそのあとへ続いている。
ただ昼食場所を探している集団ではない。
彼女たちの視線は、最初からリョウヘイ1人へ定まっていた。周囲の話し声が、少しずつ小さくなる。
「ADAMASだ」
どこかで囁く声がした。
1年生もその名前を知らないわけではない。周囲の反応を見れば、彼女たちがただの上級生ではないことくらい分かる。
道を空ける者。スマホを伏せて様子を窺う者。誰かを呼びに走る者までいた。
記事で注目を集めた1年生と、以前から名の通った2年生。
何も始まっていないうちから、中庭だけがライブ前の客席のように静まっていく。
先頭の女子はベンチの前で足を止め、腕を組んだ。
「あんたが、ドラムの岩田リョウヘイ?」
「そうですけど」
リョウヘイは弁当箱を膝へ乗せたまま答えた。
「先輩たちは?」
「……その余裕ある顔、気に入らないな」
「えー…名前言っただけなんだけど」
明らかに理不尽。敵意もビンビンに感じる。
リョウヘイは何か起こりそうな予感がして、ワクワクしている。
その横でユイがパンを置いた。口を挟む寸前の顔だったが、ハルナが制服の裾をそっと引き、まずは相手の話を聞くよう目で伝える。
刈り上げの先輩は、リョウヘイから4人全員へ視線を巡らせた。ヒナのところで一瞬止まり、またリョウヘイへ戻る。
「今度、うちらのイベントに出ろ」
「イベント?」
「6月30日の月末ライブ。学内ライブハウスでやる」
その場所の名が出た途端、ハルナが目を見開いた。
学内ライブハウスは、校内の大音楽室や練習スタジオとは別物だ。照明、音響、客席のすべてが外部の小規模ライブハウスと同じように作られ、基本的に使用できるのは2年生以上。入学して間もない1年生が、そのステージへ呼ばれることなどまずない。
話だけを聞けば、願ってもない誘いだった。
しかし、先輩の顔は出演を頼みに来た人間のものではない。
「ステージで、格の違いを教えてやる」
低い声が中庭へ落ちた。
「記事に載ったくらいで、自分たちが東音の顔になったつもりなら困るんだよ。1年。逃げないよな?」
ユイが立ち上がった。
「ちょっと。アタシたち、そんなこと一言も――」
「ユイ」
リョウヘイが呼ぶと、ユイは不満そうに口を閉じた。ただし座りはしない。いつでも言い返せる姿勢のまま、先輩たちを睨んでいる。
ハルナも弁当箱の蓋を閉じ、静かに背筋を伸ばした。ヒナはギターケースを抱く腕へ力を込めている。
大勢から注目されるだけでも苦しい彼女にとって、敵意を向けられるこの状況はもっとつらいはずだった。それでも逃げず、3人のすぐそばへ残っていた。
「リョウヘイさん!」
張り詰めた空気へ、切羽詰まった声が飛び込んできた。
速水が中庭を走ってくる。片手には取材用のノート、もう片方には食べかけらしいパンの袋。到着するなり膝へ手をつき、ずれた眼鏡を押し上げた。
「すみません、僕が説明します。こちらは2年生バンド、ADAMASの皆さんです」
「知り合い?」
「取材したことがあります。ADAMASは4月号と5月号で連続ピックアップされていて、今月も選ばれれば3号連続だったんです。でも6月号では、lunatiを特集したので……」
「俺たちが記録を止めた、と」
リョウヘイが言うと、ADAMASのリーダーは唇を噛んだ。
「簡単に言うな。あれだけ取るために、うちらが何本ライブやったと思ってんだよ」
「でも、特集を決めたのは新聞部です。lunatiの皆さんが頼んだわけでは――」
「分かってる!」
速水の言葉を遮った声は大きかったが、その直後、彼女は気まずそうに目を逸らした。
「そんなことは分かってる。だから記事を取り消せなんて言いに来たんじゃない。うちらより載せる価値があるって言われたなら、ステージで確かめるだけだ」
声の奥にあったのは、怒りだけではなかった。
積み上げたものを、突然現れた1年生に横からさらわれた。その悔しさと焦りが、言葉の端から滲んでいる。
筋違いだと言うのは簡単だった。記事を決めたのは新聞部で、lunatiがADAMASから何かを奪おうとしたわけではない。
けれど、バンドを続けていれば、数字や順番に心を乱される夜はある。
動員、再生数、出演順。
隣のバンドの朗報を、素直に祝えない日だってある。
リョウヘイにも、それくらいの苦さは覚えがあった。だから説教をする気にはならなかった。
「それで、ライブで決めたいんですね」
「そうだよ。記事じゃなく、音でな。音は嘘をつけないだろ?」
その答えを聞いて、リョウヘイは少し笑った。
話が早い。しかも、嫌いではない。
「分かりました。ちょっとだけ待ってください」
リョウヘイはベンチの3人を見る。
「俺は出たい。でも、4人のバンドだから、俺だけでは決めない。みんなは?」
最初に答えたのはユイだった。
「出る。そこまで言われて断ったら、記事だけのバンドだって認めるみたいで嫌」
「私は喧嘩はしたくないけど、ライブなら受けたい。せっかく呼んでもらえるんだし」
ハルナはそう言い、ヒナへ顔を向けた。
全員の視線が集まった瞬間、ヒナの肩が小さく跳ねる。だがギターケースの陰へは戻らなかった。
息を1つ吸い、刈り上げの先輩を見上げる。
「わ、私も……出たいです」
声は震えていたが、言葉は途切れなかった。
「記事に書かれたことは、まだ……自分でも怖いです。でも、ギターのことなら、記事じゃなくて……音で、聞いてほしいです」
ユイの表情から尖っていたものが消え、代わりに嬉しそうな笑みが浮かぶ。ハルナもそっと頷いた。
リョウヘイは立ち上がり、ADAMASへ向き直った。
「全員、出ます。せっかくなら、ADAMASとlunatiだけの2マンにしない?」
「勝手に決めんな!」
「格の違いを見せるなら、その方が分かりやすい。持ち時間も増えるし、俺たちも助かります」
「勝手に話を大きくすんな!」
「嫌なら、普通の対バンでも」
「嫌とは言ってない! 2マン!いいだろう!」
売り言葉で規模まで大きくなった。
後ろにいたADAMASのメンバーが、リーダーに聞こえないよう顔を見合わせている。どうやら全員が最初から同じ計画だったわけではないらしい。
「6月30日、月末イベント。絶対に逃げるなよ」
「逃げません。よろしくお願いします」
リョウヘイは右手を差し出した。
リーダーは、その手とリョウヘイの顔を交互に見る。喧嘩を売った相手から、まっすぐ握手を求められるとは思っていなかったのだろう。
「……なんだよ」
「対バンするなら、敵じゃなくて共演者ですから」
しばらく迷った末、彼女は乱暴にリョウヘイの手を握った。鍛えられた掌は硬く、力も強い。
リョウヘイも同じだけ握り返すと、彼女の顔がわずかに赤くなった。
「お前、なんで笑ってんだよ」
「嬉しいからです。4人で初めて立てるステージを持ってきてくれたんで」
「っ……そういう余裕が、気に入らないって言ってんだ!」
先輩は手を振りほどくように離し、背を向けた。
「絶対、後悔させるからな!」
ADAMASのメンバーたちも慌ててあとを追う。中庭の出口へ着く前に、1人が「なんで照れてんの?」と尋ね、リーダーの「照れてない!」という声が校舎の壁へ大きく響いた。
姿が見えなくなると、止まっていた中庭のざわめきが一斉に戻った。
「6月30日だって」
「1年が月末ライブ?」
「しかもADAMASと2マン?」
今ここで交わされたばかりの約束が、周囲の口から別のテーブルへ渡り、さらに遠くへ運ばれていく。
昨日は印刷された記事がlunatiの名を広げた。今日は、たった数分の言い争いが次の噂を作っていた。
学校という場所では、情報だけが誰よりも足が速い。
速水は胸を撫で下ろし、その場へしゃがみ込む。
「寿命が縮みました……」
「途中から楽しそうにメモしてたけど」
ユイが指摘すると、速水は素早くノートを背中へ隠した。
「これは習性です」
「都合のいい身体してるね」
「でも、すごいですよ。2年生主催の月末イベントに1年生、それも2マンなんて、僕は聞いたことがありません。記事にしてもいいですか?」
「もう半分書いてる人に聞かれてもな」
「ありがとうございます!」
「許可した覚えはないぞ」
速水は聞かなかったことにして、日程を大きく丸で囲んだ。
ユイがようやくベンチへ座り直し、冷めたパンを見下ろす。
「で、出るのは決まったけど。曲、どうする?」
「ヒナが入ってから、まだ人前で1曲もやってないよね」
ハルナの言葉に、全員が黙った。
新歓ライブで鳴らした3人の曲へ、ヒナのギターを加えるだけでは足りない。4人になった今の音を作り、長い持ち時間を埋めるだけの曲を揃え、初めて立つライブハウスへ備える必要がある。
しかも相手は、2か月続けて校内誌に選ばれる2年生バンドだ。感情だけで喧嘩を売りに来たとしても、実力まで軽いはずがない。
「時間、足りるかな」
ハルナが少し不安そうに呟く。
「足りるようにするしかないな」
リョウヘイが答えると、ユイはすぐに笑った。
「それ、足りない時に言うやつじゃん」
「じゃあ、よく眠って、無理せず、余裕を持って仕上げよう」
「急に信用できなくなった」
ハルナが吹き出し、張り詰めていたヒナの口元もわずかに緩んだ。
「でも、楽しみです」
ヒナが小さく言う。
「怖いですけど……リョウヘイさん、さっき、格好よかったので。私も、逃げないようにしたいです」
不意に褒められ、リョウヘイは返事を1拍遅らせた。
「……ありがと」
その短い間を、ユイは見逃さなかった。
「へえ。リョウヘイでも照れるんだ」
「相手が素直だと、受け身を取りづらいんだよ」
「じゃあアタシも、たまには素直に褒めてあげようか?」
「急に言われても裏を探す」
「失礼だな!」
ハルナが笑いながら弁当箱を片づける。その顔にも緊張は残っていたが、それ以上に、新しい舞台への期待が浮かんでいた。
6月30日。ADAMASとの2マンライブ。
4人になったlunatiが、初めて校内の観客へ自分たちの音を見せる日が決まった。
名前が校内へ広がった翌日に、その名前を背負う舞台まで決まる。ずいぶん急な話だ。
それでも、音楽を続けていれば、準備の整った時にだけ機会が来るわけではない。たいていは予定の隙間へ無理やり割り込み、こちらの都合など待ってくれない。
前世でも、急に空いた出演枠へ飛び込み、数日で曲順を組み直したことが何度もあった。万全ではないからこそ剥き出しになる音もある。
けれど今度は、経験のある自分1人が仕上がればいいわけではない。初めてバンドでステージへ立つヒナを含め、4人全員で同じ日へ辿り着かなければならない。
なら、掴んでから追いつけばいい。
リョウヘイは残っていた弁当を口へ運び、青空の下で笑った。
「さて、忙しくなるな」
今度こそ、4人で始まる。




