#14 lunati(c)
※本作は全話に挿絵があります。
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また、たまにイメージソングも記載しています。
よければ楽曲とあわせてお楽しみください。
放課後の渡り廊下は、授業から解放された生徒たちの声と、楽器ケースが壁へ触れる鈍い音で混み合っていた。背中にギターを背負った生徒が友人を追い越し、譜面の束を抱えた女子が風に1枚さらわれて悲鳴を上げる。スタジオ棟の方角からは、何度も同じフレーズを弾き直す音が、開いた窓を伝って途切れ途切れに届いていた。
リョウヘイは黒いスティックケースを肩へ掛け、スタジオ棟へ向かっていた。
ヒナが正式に加わってから、4人で合わせられる放課後は1日も無駄にしたくない。昨日まで3人だった曲へギターが入れば、空いていた場所が埋まるだけでは済まない。音同士が押し合い、避け合い、曲の形そのものが変わる。
その続きを早く確かめたくて、自然と歩調が速くなっていた。
渡り廊下を半分ほど進んだところで、正面から来た男子生徒が急に進路を塞いだ。
「あの、すみません!」
勢いよく頭を下げられ、リョウヘイは反射的に足を止めた。丸い眼鏡の奥で、目だけが妙に輝いている。首から下げたカードには、太い文字で『新聞部』と書かれていた。
「1年のドラマー、リョウヘイくんですよね?」
「そうだけど。何か落とした?」
「新聞部の速水といいます。新入生歓迎ライブの記事を担当していて、ぜひ取材をお願いしたいんです。あの日、僕も大音楽室にいたんですけど、本当にすごくて。終演後から部内でもずっと話題なんですよ!」
言い終わるまで、ほとんど息継ぎがなかった。新聞部というより、締め切りから逃げてきた人間の喋り方である。
「取材って、俺に?」
「最初はそのつもりでした。特にリョウヘイくんのドラムが注目されているので。ただ、映像を見返したら3人の掛け合いも面白くて、できれば皆さんにお話を伺いたいです」
リョウヘイは、速水の言葉の中で1度だけ引っかかった。
『特にリョウヘイくんのドラムが』。
ライブ翌日から何度も聞いた言葉だ。褒められるのは嬉しい。だが、自分1人が切り取られるために、あのステージへ立ったわけではなかった。
「じゃあ、俺個人じゃなくてバンドとして取材してくれ。4人でなら受ける」
速水の顔が、分かりやすく明るくなる。
「もちろんです! では記事の準備をしたいので、バンド名を教えていただけますか?」
リョウヘイは口を開き、そのまま止まった。
バンド名。
新歓ライブへ出た時は、1年A組のクラス委員バンド。ヒナを探していた時は、ただ『俺たち』と呼んでいた。4人になった今も、それで困る場面がなかったため、名前を決めるという発想ごと後回しになっていた。
「……まだないな」
「ないんですか!?」
「今、俺も気づいた。そうだったそうだった」
速水は手帳へ何かを書きかけ、困ったようにペン先を止めた。
「仮称でもいいんですが。記事で毎回『新歓ライブに出た4人組』と書くと、読者より先に僕が疲れます」
「それは悪い。今日、決める」
「今日ですか?」
「4人いるんだから、1個くらい出るだろ」
「軽い……。でも、決まったらすぐ教えてください。取材日も改めて連絡します!」
速水は名刺代わりらしい小さなカードを渡すと、次の取材相手でも見つけたのか、廊下の向こうへ駆けていった。数歩進んだところで振り返り、「楽しみにしてます!」ともう1度叫ぶ。
そのまま前を向かずに歩き出し、通りかかった生徒とぶつかりそうになっていた。
「おもしれー先輩だなー」
リョウヘイはカードをポケットへ入れ、再び音楽室へ向かった。
スタジオの扉を開けると、ユイがベースアンプの前にしゃがみ、ケーブルを繋いでいた。ハルナはキーボードの譜面台へ新しい譜面を並べ、ヒナは少し離れた壁際で、エフェクターのつまみを1つずつ確かめている。
4人目がいる。
たったそれだけの光景に、リョウヘイはまだ小さな満足を覚えた。
「遅かったね。また誰かに捕まってた?」
ハルナが顔を上げる。
「新聞部。新歓ライブの取材をしたいって」
「え、取材!?」
ユイが立ち上がった拍子に、手にしていたケーブルが足へ絡んだ。転びかけてアンプへ手をつき、何事もなかったように姿勢を戻す。
「今のは見なかったことにして。どこまで話したの?」
「まだ何も。俺じゃなく4人で、バンドで受けるって言った」
その言葉に、ハルナの表情がふっと緩んだ。
ヒナは驚いたように顔を上げ、自分まで人数へ含まれていることを確かめるように、4人を順番に見た。
「それで、バンド名を聞かれた」
「あ」
ハルナが短く声を漏らす。
「ないよね、私たち」
「じゃあ今決めようよ。名前がないと、取材の記事で『リョウヘイとその仲間たち』にされるかもしれないし」
「それだけは嫌だな。無理」
「私も嫌。なんか勝手に子分へ入れられてる」
ユイがベースを抱えたまま椅子へ座り、天井を見上げる。
ハルナはすでに真面目な顔でノートを開いていた。
「どんな名前がいいかな。4人に共通するものとか、曲の雰囲気から考えるとか」
「『クラス委員と金欠2人とコミュ障』」
「バンド名だからね?役職とお財布事情伝えても意味ないよ」
「じゃあ『弁当1か月分』」
「ユイ、お前才能ないなぁ」
ハルナが堪えきれずに笑い、ヒナも口元へ手を当てた。
加入したばかりの彼女は、まだ会話へ入るタイミングを探している。それでも3人が笑う時には、少し遅れて同じ表情を浮かべるようになっていた。
リョウヘイはスティックケースを椅子へ置き、ユイを見る。
「でも、ユイが決めてよ」
「は?」
「バンド名」
「聞こえてる。なんでアタシ1人に投げるの?」
「お前が1番、このバンドのことを分かってると思うから」
ユイの顔から、さっきまでの軽さが消えた。
「……それ、適当に言ってない?」
「適当なら、もっと断りづらい相手へ頼む」
リョウヘイがハルナを見ると、彼女は「私?」と目を丸くした。
「最初に俺をスタジオへ引っ張ろうとしたのもユイだろ。ハルナと俺を繋いだのも、ピナの動画を見つけてヒナまで連れてきたのも、お前だ。これはお前が始めた物語だろ?」
「いいの…?ホントに…」
「いいよ、マジで」
ユイは何か言い返そうとして、結局口を閉じた。
照れた時ほど騒がしくなる彼女が、珍しくベースの弦へ視線を落とす。
新歓ライブのためだけに組んだ3人。
偶然見つけた配信動画。
そして、何度逃げられても追いかけたヒナ。
どれも最初から計画していたことではない。けれど、振り返ればユイの無遠慮な1歩が、そのたびに止まっていたものを動かしていた。
「……名前って、残るじゃん」
ユイが小さく言った。
「変なのつけて、あとで全員から文句言われても知らないよ」
「その時は4人で後悔すればいいよ」
ハルナが柔らかく答える。
「わ、私も……ユイさんがつけてくれるなら、嬉しいです」
ヒナまでそう言うと、ユイは観念したように大きく息を吐いた。
「分かった。今日、持って帰って考える」
「締め切りは急がなくていいぞ」
「今日中に決める。任されたまま寝る方が気持ち悪いから」
「お前はそういうやつだよな」
その日は名前の話をそこで切り上げ、4人で音を合わせた。練習を終えて片づける頃になっても、ユイは時折ぼんやりと譜面の余白を見つめていた。
帰り際、「変な案でも笑わないでよ」と3人へ念を押し、1人だけ重大な宿題を抱えた顔で音楽室を出ていった。
その夜、ユイは自室のベッドへ腹ばいになり、ノートを前に1時間近く唸っていた。
ページには、思いつくまま書いた候補が並んでいる。4人の名前から1文字ずつ取ったもの。好きな色。春に関係する言葉。
どれもバンド名らしいが、どれも自分たちの名前には見えなかった。
「爽やかすぎ。そんな集まりじゃないでしょ、アタシたち」
ペンで1つ消す。
ハルナは真面目で、優しくて、頼まれたことを放っておけない。そのくせ、怖いはずのステージへ自分から立とうとする。
ヒナは人と話すだけで震えるのに、ギターを持てば壁の向こうから知らない曲へ殴り込んでくる。
リョウヘイは普段こそ力が抜けているが、ドラムの前へ座った瞬間、15歳とは思えない目をする。
そして自分も、歌うために買いに行った楽器を間違えたくせに、今ではその4本の弦を手放す気がない。
ふと、この前リョウヘイが言っていたあの言葉を思い出した。
(イカれたメンバー…)
ユイは枕元のスマホを取り、ChatGPTのアプリを開いた。
『イカれてるって、英語で何て言う?』
返ってきた候補を指で追う。
crazy。insane。そして、lunatic。
「ルナティック……」
声に出すと、最後の1つだけが耳に残った。
ノートへアルファベットで書く。
lunatic。
意味は少し強い。誰かをそう呼べば、褒め言葉にはならないこともある。
それでもリョウヘイが探していた『イカれたメンバー』は、壊れている人間という意味ではない。好きなもののためなら、普通でいることを忘れてしまえる狂人のことだ。
その意味だけを、自分たちのものにしたかった。
ユイは最後の1文字を括弧で囲んだ。
lunati(c)。
それから、括弧ごとcへ1本の線を引く。
一度手で隠してみる。
lunati
英単語としては、途中で終わっている。
けれど口に出してみると、さっきより柔らかく、4人の名前として呼びやすかった。借りてきた言葉から最後の1文字を外しただけで、誰のものでもない響きになった気がした。
「ルナティ」
もう1度呼ぶ。
胸の奥へ、今度こそ綺麗に収まった。
4人とも、まだ何者でもない。バンドとしては始まったばかりで、この先どうなるかも分からない。
完成していない自分たちには、完成していない言葉くらいがちょうどいい。
ユイはノートの中央へ、改めて大きく書いた。
『lunati』
窓の外では、薄い雲の切れ間から月が覗いていた。
出来すぎた景色に、ユイは1人で少し笑う。
「決めた」
その文字を眺めていると、早く3人へ見せたくなった。任された時の重さは、いつの間にか、明日まで秘密を持っている楽しさへ変わっていた。
――――――――――――――――――
翌日の放課後。
ユイは音楽室へ入るなり、鞄も下ろさずに言った。
「決めたよ」
リョウヘイがスティックケースを開く手を止める。
ハルナは譜面台から顔を上げ、ヒナもギターケースのファスナーへ添えていた指を止めた。
ユイは昨夜のノートを机へ広げる。
「lunati。ルナティにする」
3人が、中央へ書かれた文字を覗き込んだ。
「どういう意味?」
ハルナが尋ねる。
「リョウヘイがずっと言ってたでしょ。イカれたメンバーを探してるって。イカれてるの英語をチャッピーに聞いたら、lunaticって出てきたの。最後のcを取った方が名前っぽかったから、lunati」
「うん、なんかかわいいかも」
「うん。英語としては成立してないけど。でも、アタシたちは英単語になるわけじゃないから」
ハルナはノートの文字を見つめ、ゆっくり頷いた。
「いいと思う。響きも綺麗だし、意味はちゃんと私たちらしい」
「リョウヘイは?」
「最高だよ」
迷わず答えると、ユイの肩からわずかに力が抜けた。
正直バンド名はなんでもよかった。そこには全くこだわりがなかった。結局、名前の価値を決めるのは、辞書に載った意味ではない。その名で何を鳴らし、どんな時間を積み上げるかだ。
その最初に『イカれた仲間』という願いがあるなら、これ以上、自分たちに合う名前もない気がした。
「ヒナは?」
リョウヘイが尋ねると、ヒナはびくりと顔を上げた。
「わ、私は……皆さんがいいなら……」
「皆じゃなくて、ヒナはどう思う?」
問い直され、ヒナはノートと3人の顔を何度か見比べた。
誰かと同じ答えを探す癖は、まだ簡単には消えない。それでも今度は逃げず、自分の言葉が見つかるまで待った。
「……好き、です」
小さいが、はっきりした声だった。
「前は、イカれてるって……自分の嫌なところのことだと思ってました。でも、リョウヘイさんが、同じだって言ってくれたので。ギターを弾いている時の私も、ここにいていいっていう名前みたいで……とても…好きです」
一瞬、誰も口を開かなかった。
最初に耐えられなくなったユイが、照れ隠しのようにノートを閉じる。
「じゃあ決まり! あとから変えたいって言っても、もうダメだからね!」
「誰も言ってないよ」
ハルナが笑う。
リョウヘイはポケットから、昨日もらった速水のカードを取り出した。書かれていた連絡先をスマホへ登録し、短いメッセージを送る。
『バンド名、lunatiに決まった。4人で取材を受ける』
既読は、送信した指を画面から離すより早くついた。
『ありがとうございます! lunati、すごくいい名前ですね! ぜひ来週、取材させてください!』
続けて日程の候補が3つ届く。速水は、名前が決まる前から取材予定をほとんど組み終えていたらしい。
「返信、早っ」
画面を覗いたユイが呆れる。
「多分、ずっと待ってたんだろ」
リョウヘイは来週の候補から4人の都合が合う日を選び、返事を送った。
それからスマホをしまい、ドラムの椅子へ腰を下ろす。
ユイがベースを構え、ハルナが鍵盤へ指を置き、ヒナが黒いギターのボリュームを上げた。
昨日までと同じ音楽室。
同じ4人。
同じ曲。
けれど、今日は呼びかけるための名前がある。
「じゃ、lunatiの練習始めよっか」
3人の顔に、それぞれ違う笑みが浮かんだ。
リョウヘイがスティックを打ち合わせる。
乾いた4つの音に続き、4人になって初めて名前を持った演奏が、音楽室いっぱいに走り出した。
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