#11 イカれたもの同士
※本作は全話に挿絵があります。
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また、たまにイメージソングも記載しています。
よければ楽曲とあわせてお楽しみください。
ヒナを連れていったのは、いつもランチしている中庭だった。
「あ、あの……1年B組の、朝比奈ヒナです」
3人分の視線を受けながら、ヒナは膝へ届きそうなほど深く頭を下げた。
「よろしくお願いします。ハルナさん、ユイさん、リョウヘイさん」
舌がもつれないよう、1人ずつ順番に名前を呼ぶ。昨日は聞かれても答えられなかった名前を、今日は自分から伝えられた。
顔を上げると、ユイが目を輝かせている。
「おおっ、ちゃんと挨拶できるじゃん!」
「ユイちゃん、その言い方は失礼だよ」
「あっ、ごめん! でも昨日は名前を聞く前に逃げられたから、なんか感動しちゃって!一歩前進って感じ!」
謝っているのか責められているのか、よく分からない。けれど、ユイの言葉には裏がなかった。頭へ浮かんだものが、そのまま口から出ているだけなのだろう。何を隠しているのか探らなくていいぶん、少しだけ楽だった。
「よろしくな、ヒナ」
リョウヘイが当たり前のように名前を呼んだ。
動画の中でしか知らなかった人が、今は目の前にいて、自分の名前を知っている。その事実を、ヒナはまだ上手く現実として飲み込めなかった。
「ヒナちゃん、ここ座って」
ハルナがベンチの端へ移動し、自分の隣を軽く叩いた。
「端の方が安心するかな。すぐ立てるし……」
「すぐ逃げられるし?」
ユイが反対側から顔を覗き込む。
「逃げ道を確認するような目で見るな。犯罪者扱いをやめろ」
「だって、昨日逃げようとしたじゃん!」
「昨日逃げようとしたのは、お前が追うからだろ?」
リョウヘイの言葉に、ヒナは小さく何度も頷いた。
「あ、今アタシよりリョウヘイの方を信用した!」
「相対評価だ」
「アタシの信頼度、そんなに低いの!?」
2人が言い合っている間に、ヒナはハルナの隣へ腰を下ろした。3人との間には、まだ少しだけ隙間が残っている。けれど今は、その隙間が少しだけ寂しく見えた。
4人分の昼食が広げられる。
ハルナが2つの弁当箱の蓋を開けると、甘い玉子焼きと醤油の香りが風へ混じった。ご飯の白、ブロッコリーの緑、ミニトマトの赤。照りのある鶏肉まで、狭い箱の中へ几帳面に収まっている。
「ハルナのお弁当、今日もおいしそう!」
ユイが自分のパンを開けるより先に身を乗り出した。
「わ……すごいです……」
「ありがとう。ヒナちゃんのお弁当も、すごく可愛いね」
言われて、ヒナは自分の弁当箱へ目を落とした。
蓋を開けると、丸い耳のついた2つのおにぎりが、海苔の目でこちらを見上げている。片方は運ぶ途中で少し潰れ、笑っているというより困っているような顔になっていた。
「お、母さんが……作ってくれて……」
「いいお母さんだね。食べるのがもったいないくらい」
「でも、食べないと……多分、もっと可哀想です」
ハルナは一瞬目を丸くして、それから柔らかく笑った。
「ヒナちゃん、面白いね」
「え……?」
何が面白かったのか分からず、ヒナは固まる。
その横で、ユイが羨ましそうに両手を上げた。
「いいなー、実家組! 朝起きたらお弁当が完成してる生活!」
「俺らアパート組には、遠い世界の話だなユイ……」
リョウヘイは、ハルナから受け取った弁当箱を持ったままユイへ同意した。
「アンタは今まさに弁当もらってるでしょ!」
「いつも俺の唐揚げを奪ってるやつが言うな」
「奪ってるんじゃなくて、栄養が偏らないように協力してるの!」
「け、喧嘩しないで! まだ食べ始めてもないのに!」
ハルナが慌てて2人の間へ手を差し入れる。その声には、本気で困っている響きと、笑いを堪えている響きが半分ずつ混ざっていた。
「仲、いいんですね……」
気づいた時には、ヒナの口から言葉が漏れていた。
3人が一斉にこちらを見る。
「そう見える?」
ユイが嬉しそうに笑う。
「会ってまだそんなに経ってないけどね」
ハルナも小さく笑った。
「1人だけ、出会った日に弁当で俺を買収したやつがいるけどな」
「ば、買収じゃないよ! お願いしただけで……!」
「リョウヘイの勧誘マジでチョロかったよねー!」
また始まった言い合いを見ていると、ヒナの胸の内側が少し温かくなった。同時に、細い針で刺されたような寂しさも感じる。ヒナには、こんなふうに何度間違えても、その次の言葉を返してくれる相手がいなかった。ヒナにはそれが単純に羨ましく見えた。
「ヒナちゃんは、ギターを始めてどれくらいなの?」
食事が少し落ち着いた頃、ハルナが尋ねた。
音楽の話だと分かっただけで、答えはすぐに浮かんだ。
「……10年です」
ユイが咥えかけていたパンを止める。
ハルナの箸も、弁当箱の上で静止した。
「じゅ、10年!?」
「5歳くらいからってこと?」
「た、多分、それくらいです。気づいた時には、もう……毎日、触っていたので……」
ヒナは指先へ視線を落とした。
弦を押さえ続けて硬くなった皮膚は、爪や髪と同じくらい、あって当然のものだった。むしろ1日だけ弾かないという方が、どうすればいいのか分からない。
「そりゃ、上手いわけだ」
リョウヘイだけは、驚くより納得したように頷いた。
それから箸を置き、ヒナへまっすぐ顔を向ける。
「配信とかもしてるのか?」
ヒナの心臓が縮んだ。
楽しく緩んでいた空気が、一瞬で遠ざかる。
配信者のピナの事を、自分の正体を聞かれている。
「嫌なら答えなくていい」
逃げ道を塞ぐ聞き方ではなかった。否定しても、黙ってもいい。そう言ってくれているのに、リョウヘイの目には静かな確信がある。昨日、廊下で大声を出したユイも、今は何も言わなかった。
ハルナも、ヒナの答えを待っている。
『ピナ』なら言葉に詰まらない。
顔も映らない。
動画へ残るのは、ギターと手元と音だけだ。
上手く話せない朝比奈ヒナと、配信者のピナが同じ人間だと知られれば、教室の人たちは何と言うだろう。褒めるふりをして動画を見せ合い、失敗した音を探すために過去の配信まで掘り返すかもしれない。
ずっと別々に守ってきた2つの自分が、3人の前で重なろうとしていた。
怖かった。
それでも昨日、この3人は画面の数字ではなく、ヒナの音を聴いてくれた。
誤魔化したところで意味がないような気もした。
「ピナ、という名前で……ギターの配信を、し……しています……」
最後まで言い切った途端、張り詰めていた糸が切れた。視界の端が滲み、慌てて俯く。泣くつもりなどなかったのに、膝へ1粒だけ雫が落ちた。
「ヒナちゃん……」
ハルナが隣へ座り直す。
肩へ柔らかな腕が回る。強く閉じ込めるのではなく、嫌ならいつでも離れられるほどの力だった。
「ごめんね。怖かったよね。私たち、誰にも言わないから。安心して」
「アタシも絶対言わない。安心して」
ユイは珍しく小さな声だった。
「ごめん、泣かせるつもりじゃなかった」
リョウヘイが頭を下げ、それ以上は誰も質問しなかった。風が葉を揺らす音と、遠くで鳴る運動部の笛だけが続く。少しずつ呼吸を整えたヒナは、ハルナの肩から顔を上げた。赤く腫れた目で恐る恐るリョウヘイを見る。
「どうして……分かったんですか?」
「昨日も言ったけど、音の切り方とフレーズの癖だな」
リョウヘイは考えながら指を折った。
「使う音が同じでも、どこで止まるかは人によって違う。ピッキングの強さも、チョーキングを戻す速さも、休符の置き方も。楽器にも歌い方があるんだよ。ヒナとピナは、同じ歌い方をしてた」
「音だけで……」
「むしろ、音だったから分かった」
顔も名前も必要とせず、自分が10年かけて作った音から見つけてもらえた。秘密を暴かれたはずなのに、その言葉は嫌ではなかった。自分でも上手く説明できない部分まで聴いてもらえたようで、ヒナの顔が熱くなる。
「なあ、ヒナ。今日、放課後にスタジオへ入らないか?」
ヒナの呼吸が、また止まった。
「俺たちの曲、もう弾けるんだろ?」
「……え?」
新歓ライブのあと、ヒナは家へ帰ってから、聞き覚えていた曲を何度もギターで探した。昨日の壁越しのセッションのあとも。歌の旋律も、ベースの動きも、鍵盤が作った隙間も、忘れないうちに音へ置き換えた。
誰に頼まれたわけでもない。
ただ、もう1度聴きたくて、もう1度弾きたくて、指が止まらなかった。
「なんで……分かったんですか……?」
リョウヘイは、ほんの少し口元を緩める。
「昨日、初めて聴いた人間の入り方じゃなかった。どこへ音を足せるかだけじゃなく、俺たち3人が次に何をするかまで知ってた」
「でも、それだけで……」
「分かるよ」
迷いのない声だった。
「俺もヒナと同じで、イカれてるんだよ」
一瞬、風の音まで止まったように感じた。
怖い意味の言葉のはずなのに、リョウヘイが口にすると、それは拒絶には聞こえなかった。
同じ。
上手く喋れないことでも、1人でいることでもない。
ギターを弾かずにはいられない部分を見て、同じだと言ってくれた。
「……イカれたメンバーって、そういう…」
ユイが、何かへ辿り着いたように呟いた。
ハルナも、リョウヘイとヒナを交互に見ている。
リョウヘイは答えず、空になった弁当箱の蓋を閉じた。
「放課後、迎えに行く。教室で待ってて」
誘いというより、もう決定事項のような言い方だった。3人と同じ部屋に入り、今度は壁もなく、顔を見ながら演奏する。
昨日よりもずっと逃げ場がない。
それでも、壁の向こうから返ってきたドラムを思い出すと、ヒナの指先はかすかに熱を持った。
ヒナは、言葉の代わりに小さく頷いた。
これまでずっと、1人でいることが1番安全だと思っていた。それなのに今は、誰かと同じだと言われたことが、消えそうにない小さな灯りになっている。
リョウヘイはその返事を見て、胸の内で静かに息を吐いた。
5歳の頃から10年間、毎日弾き続け、頼まれてもいない曲を家へ持ち帰り、次に鳴らす約束もないまま身体へ入れる。
人とはまともに話せなくても、壁の向こうから聞こえた演奏には我慢できず、自分から音を重ねてしまう。
ヒナの音からは、リョウヘイが探していたものと同じ匂いがした。
上手いだけでは足りない。
音楽以外のものが見えなくなる瞬間を持った人間。
まだヒナは、バンドへ入るとは言っていない。
人と関わることへの恐怖も、たった1度の昼食で消えるものではない。
だから放課後、壁を挟まずに確かめる。
音は嘘をつけない。
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