第4話 終焉へ向かって
王都へ近づくにつれ、俺の身体は悲鳴を上げていた。それは単なる肉体的な疲労では収まらなかった。
契約という名の呪いが、俺の細胞一つひとつに拒絶反応を引き起こしているのだ。
王都の境界線、その「重力の境界」を越えるたびに、俺の骨格はまるで万力で締め上げられるようにキリキリと音を立て、神経が焼き切れるような痺れが走る。
(……くっ、まだだ。ここを越えれば、テレシアがいる……)
一歩踏み出すたびに、視界が淀む。心臓の楔が、まるで錆びついた刃物が心臓を抉り、テレシアへの愛着を断ち切ろうとするかのように強烈な痛みを放射する。
近付けば近付くほど、彼女を救いたいという祈りが、彼女を破壊する毒へと変貌していく。
この矛盾。吐き気がする。
だが、それでも俺は足を止めなかった。止めたくなかった。
止めてしまえば、この辛さを紛らわせることができなくなってしまいそうで怖いからだ。
そしてようやく辿り着いた王都の門前。かつては憧れの地だったその巨大な石門が、今はただの圧迫感の塊として眼前に立ちはだかっていた。
門番たちの視線が刺さる。やつらの目には、汚れきったマントを纏い、全身から得体の知れない重圧を漂わせる俺が、さぞかし不気味な怪物に映ったことだろう。
限界は、とっくに通り越していた。楔の痛みと、神からの視覚強制。テレシアが人形のようにレストの背後に立つ姿が、常に網膜の裏側で焼き付いている。
その時だった。
「おい、そこの薄汚い野郎。……貧乏人のなりして何の用だ? 王都の空気を汚すな」
背後からかけられた声に、俺は立ち止まる。振り返ると、そこには豪華な鎧を身に纏った男たちが立っていた。
胸元には、誇らしげなA級冒険者の証である紋章が輝いている。どうやら、レストの権威を嵩に着て、王都の秩序を盾に弱者をいたぶることを楽しんでいる連中のようだ。
男の一人が、俺の肩を無遠慮に突き飛ばした。
「おい、聞こえてんのか? 答えろよ、無能者」
……無能。
その言葉が、俺の脳内の決定的な何かの鍵を外した。神殿で言われた言葉。テレシアを奪われた屈辱。楔の痛み。理性の崩壊。それらが一瞬にして混ざり合い、俺の深淵で渦を巻く。
無能じゃなかったら、テレシアを救えたのだろうか……?
「……どけ」
俺の声は、低く、冷たかった。男はニヤリと笑い、腰の剣に手をかけた。
「あぁ? なんだその態度は。少し自信があるからって……」
男の言葉は、最後まで紡がれることはなかった。
――ヴン。
空気が凍りついた。俺の右手が、無意識のうちに男の方角へ向く。瞬間、男の周囲の重力が、幾倍に跳ね上がった。
重力……今の俺にとってそれは、俺の怒りを物理的に具現化するための「処刑具」に過ぎない。
「が、ぁ……!?」
男の身体が、空中で制止する。鎧が悲鳴を上げ、ミシミシと金属が引き裂かれる音が響く。
男の顔が恐怖に歪む。彼は必死に剣を抜こうとしたが、重力がその腕を砕き、指を粉砕し、肺を圧迫した。
他の冒険者たちが悲鳴を上げ、武器を構えて突撃してくる。だが、今の俺の半径五メートル以内は、既に「死の領域」だった。
「死ね」
俺が指を軽く鳴らすと、彼らの身体は空中で不自然に捻じ曲げられ、一つの点に向かって引きずり込まれた。
骨が折れる音、肉が潰れる音、内臓が破裂する音。それらが重なって、神殿の広間よりも悍ましい 旋律を奏でる。
飛び散った血飛沫が俺の頬に付着する。熱い。だが、俺の心は氷のように冷めていた。
数秒後。俺の足元には、誰が誰だか判別できないほど成り果てた肉塊が転がっていた。王都の門前は、鮮血の池と化していた。
門番たちは青ざめ、腰を抜かして逃げ惑っている。俺はそんな光景を見下ろしながら、指先についた血をゆっくりと拭った。
あぁ、やってしまった。
人として踏み外してしまった。
レストも俺の存在に気づいたはずだ。
(……もう、いいんだよ)
楔の痛みが、先ほどまでの激痛とは異なり、どこか快楽に近い感覚へと変化していく。
テレシアを想うたびに突き刺さる呪いさえも、今の俺には「救済」への燃料になる。
俺は、血に濡れた地面を踏みしめ、王都の中心部のテレシアが幽閉されている城の方角を見上げた。
既にこの身体は「エリスタ」という人間を維持し続けるのにも限界が近い。
重力で自らを相殺し続けなければ、俺自身の肉体が質量に負けて崩壊してしまう。それでも、俺は突き進まなければならない。
しかしこのまま進めば、いずれ俺という存在は完全な「重力そのもの」となって霧散してしまうだろう。
テレシアの記憶からも、この世界の歴史からも、俺という人間の形は消える。
──それでも。
せめて最後の一撃が、あの神の理をねじ伏せ、レストを絶望の淵へ叩き落とせるのなら。
俺は立ち止まっていた冒険者たちの死体を、一瞬の重力で土へと還す。街の石畳が俺の重力に呼応して亀裂を走らせる。
「テレシア……待っていてくれ」
俺の声は風に溶けた。
王都の大通りに、黒い重力の奔流が突き進んでいく。通り過ぎる民家が、街路樹が、俺の放つ「重力の余波」によって次々と砂粒と化していく。
俺の進む道には何も残らない。ただ、全てを無へと還す断罪の重力だけが、目的地へ向かって着実に距離を詰めていた。
レストの居城まで、僅か。
俺の心臓の痛み、もはや心臓の一部となって鼓動を刻んでいた。重苦しい愛と、血の匂い。そのすべてを抱えて、俺は王都の核心へと足を踏み入れた。
今、この瞬間から、この王都は俺という「超重力」の実験場となる。
震える手で、過重石を一つ、また一つと生成し、そのたびに俺の魂が少しずつ削られていく音がした。
誰一人として俺を止めることはできない。
神ですらも、俺がこの地に刻み込む重力の傷痕を消すことはできないのだから。
俺は、滅びゆく景色の中で、歪んだ笑みを浮かべながら、再び歩み始める。
──さようなら、俺の愛した世界。
──今行くよ、愛するテレシア。
俺は終焉へ向かって、静かに、しかし確実に、すべてを圧縮しながら歩を進め続ける。




