最終話 君に捧げたその全てを
やがて王都中心まで来た俺はレストのいる城を見上げる。そこにそびえ立つ白亜の城は、いまや俺が放つ重力によって歪み、悲鳴を上げていた。
城門を、防壁を、立ちはだかる近衛騎士団を、俺は物理的な暴力ですべて粉砕してきた。
ただ、瓦礫の山と、恐怖に震える者たちの沈黙だけが積み重なっていく。それを俺はただ眺める。
俺の肉体はもう、限界を超えていた。
全身の血管が浮き上がり、肌からは重力の負荷によって滲み出た血が黒い汗のように滴っている。
楔の痛みは、もはや痛みという段階を過ぎ、俺という存在を内側から食い尽くす「消滅」の予兆となっていた。
玉座の間。巨大な扉を重力の一撃で塵に変え、俺は足を踏み入れた。
「……来たか、エリスタ」
玉座に鎮座していた、レストが俺の名を呼ぶ。その傍らには、虚ろな瞳でただそこに立つ、テレシアの姿がある。
テレシアの姿をみた瞬間、俺の心臓が激しく脈打つ。楔が、テレシアに近づくことを拒絶して、心臓の鼓動を止めようと締め上げる。でも今は、それすらも力に変えて立ち続ける。
「……やっと会えたな、レスト。……テレシア」
俺の声は、掠れ、ひどく歪んでいた。
(テレシア、俺は……お前を救うからな)
レストは不敵に笑うと、剣を抜いた。それは神から授かった聖剣だ。神の理を体現する武器が、鈍い光を放つ。
「無能のくせに、よくここまで辿り着いたものだ。結局お前は無能のままなのにな。テレシアは俺のもの。勇者の座も、この世界の支配権も、すべては俺にある」
「……全部、奪わせてもらう」
俺は右手を突き出した。
重力の奔流がレストを葬ろうとする。
──グン
俺の重力と、レストの聖剣が放つ神聖なる衝撃がぶつかり合い、玉座の間の空間が亀裂を走らせる。
レストの斬撃を、俺は重力で逸らす。重力場を展開し、剣の軌道を強制的に歪める。
かつての俺には見えなかった「力の理」が、今の俺には全て見えていた。
「クソ野郎がッ!」
俺は叫び、全方位から重力を収束させる。レストの四肢を、重力で四方から引っ張る。それにより肉が裂け、骨が悲鳴を上げる。
ああ、人はなんて……脆いんだろうか。
「やめろ……ッ」
レストが苦悶の声を上げて膝をつく。しかし俺は容赦なく、重力の弾丸を撃ち込んだ。
轟音が王都に響き渡った。レストの胸元を、目に見えない重力の塊が貫いた。
──────────────────
そして呆気なく崩れ落ちるレスト。聖剣が虚しく床を転がる。彼は血を吐きながら、信じられないという目で俺を見上げた。
「なぜ……無能が……どうしてここまで……」
「……あいつを、救うためだ」
俺はそれだけを言い残し、玉座の脇で立ち尽くすテレシアへ歩み寄った。
「テレ……シア……」
ようやく、届く。俺がすべてを投げ打ち、血を吐きながら、怪物に成り果ててまで追い求めた場所。
テレシア。俺の、最愛。
俺は震える手で、彼女の頬に触れようと伸ばした。指先が、彼女の柔らかい肌に触れる寸前で止まる。
……テレシアに近づくことが、彼女への死刑宣告になる。でももう、彼女の精神を縛り付けていた洗脳も、レストを倒したから、もう解けたはずだ。
「テレシア……やっと、帰ってこれたぞ」
俺は力一杯、微笑んだつもりだった。
彼女がゆっくりと顔を上げる。その瞳には、かつて俺が愛した光は戻っていなかったただ、ひどく冷淡で、無機質な視線だけが俺を捉えていた。
彼女は、俺の顔をじっと見つめた。数秒の沈黙が、永遠のように感じられた。
そして、彼女は小さく唇を動かした。
「……誰、ですか?」
その言葉が、心臓を突き刺した。
楔が、一気に俺の心臓を粉砕した。
俺の名前も、俺との思い出も、俺という存在の欠片すらも、彼女の中には残っていなかった。
契約の対価。想い人と結ばれるという希望を切り捨てた結果がこれだった。
俺がどれほどお前を愛しても、どれほどお前のために地獄を歩いても、お前にとって俺は最初から存在しない「他人」でしかなかったのだ。
俺は膝から崩れ落ちた。
彼女の瞳に映る俺は、ただの汚れた血に塗れた、不気味な見知らぬ男。
「あ……ああ……」
喉から、憎悪混じりの嗚咽が漏れた。
そうだ。最初から、神は俺を嘲笑っていたんだ。彼女を救うための力は、彼女に忘れ去られるための力だった。
俺が近づけば近づくほど、俺の存在は彼女の心から消えていく。俺が救い出したかったものは、跡形もなく散ってゆく。
制御を失った超重力が、俺の周囲の空間を極限まで圧縮する。俺の肉体が、自分自身が生み出した過重力に耐えきれず、歪み始める。
腕が、足が、内側へと折れ曲がる。骨が砕け、肉が潰れる。
テレシアは、俺が圧壊していく姿を見ても、眉一つ動かさない。ただ、不思議そうに、通りすがりの獣でも見るような目で俺を見ている。
(ああ……最後に見る顔が、その冷たい顔……)
──最後にもう一度……テレシア、お前に愛されたい。
けれど、次第に俺は何も考えられなくなった。そしてただ、重苦しい圧力と、冷たい虚無だけが俺を埋め尽くした。
俺の肉体は、拳ほどの大きさの、漆黒の「過重石」へと圧縮された。
それはかつて俺が、彼女との未来を夢見て作り続けた過重石と同じ……同じだった。
──欲しかったものは、手に入ったのかな。
光を失った石が一つ、静かに転がった。その光景を、テレシアはただ、眺めていた。彼女の心には、何一つとして残っていなかったのだ。
風が吹き抜け、開かれた扉から光が差し込む。
『それが我が望んだ制約なのだ』
かつて勇者を目指した少年は、こうして誰にも知られることなく、愛した人の足元で、自らの重力によって消滅した。
それでも世界は何も変わらず、ただ静かに、次の朝を迎える準備を始めていた。




