第2話 重力で歪む心
とはいえ、このスキルの弊害として想い人には近づけなくなるという制約があった。そしてこの制約はスキル契約後徐々に強まっていくため、王都を離れざるを得なかった。
そして俺は修行も兼ねて王都を後にすることにした。
王都を離れたその日の夜、俺が辿り着いたのは「死の回廊」とも呼ばれる、魔物すらも食い殺し合う最果ての辺境の森だった。
──ドクン
神殿で神と交わした契約の痛みは、今も消えていない。左胸の奥底に、得体の知れない黒い楔が刺さっているような重苦しい感覚が、常に俺の心臓を締め付けている。
テレシアのことを考えようとすると、まるで人質に取られたかのように心臓に痛みが伴う。
これが契約の対価なのか。彼女のことを想うことすら、俺には許されない運命になったのだ。
突然、何かの鳴き声がした。
そしてそれは夜の闇に紛れ、俺を狙って飛び出してきた。
牙を剥くワイバーン。本来なら、俺のような無能にとっては即死案件だ。だが、今の俺には「重力」がある。
「邪魔だ」
独り言ちて、空中で右手を握りしめた。
──ヴン
瞬間、ワイバーンが空中でピタリと静止した。重力が四方八方から奴を襲い、その翼の骨がキシキシと音を立てて砕ける。
空を飛ぶための揚力など、重力の前では無意味な戯言だ。
俺はさらに握り込む。奴の体が、まるで紙屑のようにグシャリと一点に圧縮され、内臓が飛び出す間もなく、黒い肉塊へと変わって地面に墜落した。
……つまらない。
かつて死ぬほど憧れた「力」が、こうも簡単に手に入り、こうも簡単に世界を蹂躙できてしまうことに、虚しさがこみ上げる。
そして一つ、この重力スキルを応用し、物質を圧縮することに成功した。これによりできたものを俺は「過重石」と名付けた。
俺は周囲の岩を拾い上げた。手のひらに集束させた重力で、岩を分子レベルまで圧縮する。瞬く間に、握り拳大の石塊が、地殻の深部にある鉄核よりも重い「過重石」へと変わる。
これさえあれば、世界などどうとでもなる。奴を葬るため、俺は鍛え続ける。
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その頃、俺の思考を遮断するような強い「拒絶」を伴う予感とともに、俺はレストの視界を盗み見るような感覚に陥った。
突然の出来事に俺は「一体これは何だ」とそう口にした。
『汝にスキル使用時の縛りを伝えてなかったようだ』
瞬間、頭に響く神の声。咄嗟に出てきた神に驚きながらも俺は神の契約の緩さに愚痴を垂れた。このスキルには感謝しているが、反動があるとは聞かされていなかったからだ。
(神も使えんな……なぜ教えてくれなかったのか)
俺は神に高望みをしすぎなのだろうか。神に愚痴を吐けるくらい、偉くも強くもない。
それでも神はしっかりと説明をしてくれた。
神によれば一定時間スキル使用者が代償として払った対象の周囲に起こる事象を透視することを強制する作用があるらしい。
その縛りによって、この力はテレシアが俺の「対価」であることを常に突きつけてくる。
(なぜ、貴方《神》はこんなに意地悪なのか)
都合のいいように見えて実は全く都合の悪い能力だと俺は思う。何故ならば忌み嫌う宿敵の姿を見続けなければならないからだ。
覗いた先にはレストの居城であるそこにテレシアはいた。俺が知っているあのおてんばで、花のような笑顔を浮かべていたテレシアはどこにもいなかった。
彼女は豪奢なドレスを纏い、まるで手入れされた人形のように、レストの傍らに立ち尽くしていた。レストの指が彼女の頬を撫でるたびに、テレシアの瞳から感情の彩度が失われていく。
きっと、何らかの精神操作だ。レストはテレシアを、ただの「勇者の飾り物」へと作り変えていたのだ。
「エリスタ、次こそは……いや、もう死んでるか……」
レストは独り言のように俺の名前を口にしていた。どうやらあいつはまだ、俺が辺境で犬死にしていると思っているらしい。テレシアを操り、俺を嘲笑い、自らの権威を高めるためだけのあいつはとても腹立たしかった。
──ドクン
「……っ」
瞬間、俺の心臓の楔が、激しく疼いた。
どうしてもテレシアを救いたい。だが、俺が王都に近づけば近づくほど、あの契約の呪いが彼女の心を傷つける。もし俺が彼女に触れれば、彼女は俺という毒に耐えきれず、壊れてしまうかもしれない。
「ふざけるなよ……」
俺は生成した過重石を地面に叩きつけた。
直後、辺境の大地が波打つように陥没した。直径十メートルの巨大なクレーターが、一瞬で形成される。そして果てしない衝撃波が木々を薙ぎ倒す。
──俺の力は、断罪するためのものだ。
テレシアを人形にするレストの精神支配。あれを剥がすには、あいつの脳を物理的に圧迫し、洗脳の霧を空間ごと歪めて消し去るしかない。
それを可能とするには、生半可な魔法じゃ到底無理だ。物理法則そのものを書き換える重力でなければ、俺の能力でなければあの狡猾な洗脳は壊せない。
俺は立ち上がり、王都の方角を見据えた。
これからはもう、誰も傷つけないなんて綺麗事は言えない。レストを殺す過程で、城壁も、騎士も、あいつが守ろうとしている全ての権威も、俺の重力で粉砕してしまうことになるだろう。
なあ、テレシア。
お前を救うためなら、俺はどれだけ汚れてもいいんだ。どれだけお前を遠ざける運命を背負ってもいいから。
俺は自身の足元に重力を発生させ、地面を弾き飛ばした。音速を超えて加速する俺の身体。重力が身体を押し潰そうとする負荷を、逆方向の重力で相殺する。矛盾に満ちたこの力こそが、今の俺を形作る全てだ。
俺はもう立ち止まらない。
進路上の全てを、重力の弾丸が粉砕していく。森の木々が、巨獣の骨が、ただ俺が通り過ぎるというだけで塵となり、土と還る。
レスト。
お前が一番大事にしている「奪った勇者の座」と、その支配下の全てを、俺の重力で地中深くまで沈めてやる。
俺の瞳には、かつて見たテレシアの笑顔が焼き付いている。だが、それはもう手に入らない過去だと死ぬほど理解している。今の俺を突き動かすのは未来を切り開くための超重力と、あいつを奪い返したいという狂おしいほどの執着だけ。
辺境の空が、夜の帳を降ろす。俺は王都への道を、ただひたすらに駆けた。俺が通った後は、ただ全てが圧壊した道だけが残る。
待っていろ、レスト。
お前の喉元を、俺の重力で締め上げてやる。あの日、神殿で俺たちを嘲笑ったその顔が、絶望に歪む瞬間を夢に見ながら、俺は今日もまた、新しい過重石を掌で回した。
冷たい風が、俺の頬を撫でる。そこに温もりはない。だけど、その虚しさこそが、今の俺の生きる意味なんだ。




