5.来客
気が付けば、医務室のベッドで横になっていた。薬品の匂いが鼻をくすぐる。
起き上がると、仕切りのカーテンが開かれ、
「やあ、おはよう。調子はどうかな?」
護さんがコーヒーを片手に足元に腰かけた。
「なんか、とても体が軽いです」
「そっか、そっか。治癒がちゃんと効いているようでなにより。でも大事を取って、明日一日はゆっくり休むように」
頷く燦を見て、護は微笑む。そして、申し訳なさそうに眉を下げた。
「すまない。僕たちが判断を誤ったが為に、いきなり初任務でこんな目に合わせてしまって」
「ボクは、大してなんともないんで別に…」
燦がそう言いかけると、遮るように護は首を振った。
「任務前にも一度伝えたけれど、君のそういうところは良くないよ。あまりにも自分を軽んじている。今回君たちは、運良く独歩さんが帰ってきてくれていなければ、死んでいたところだったんだよ」
強く訴えかけるように見つめられ、燦は言葉に詰まる。そして以前、同じように真っ直ぐな瞳を向けられたことを思い出した。数ある杏に叱られた記憶の中でも、同じ瞳が向けられていたことがあったことを。
「独歩さんが、助けてくれたんですか?」
「うん。そうだよ。君たち三人を抱えて帰ってきたんだ。本当に、とても危ない状態だったんだからね?」
護曰く、三人とも彩礫の過剰摂取により中毒症状を起こしていたのだとか。特に一心の状態は深刻で、彼の眼は潰れその周りも裂傷が酷く、今も完治には至っていないのだという。
「まあ、何はともかく、間に合って良かったよ…」
そう言って、護は優しく燦の頭を撫でた。
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あれから数ヶ月。季節は変わりすっかり冬になったいた。あの廃トンネルは今、曙苑によって厳重に封鎖されている。あれ以来一帯には致死量の彩礫が充満しており、特級危険エリアに指定されていた。曙苑では唯一、独歩のみが出入りを可能としている状況だ。
「あの次元の穴、広がっているらしいですよ」
とあるお昼時、天がそう口を開いた。
「おれも来栖に聞いたよ。どんどん彩礫の濃度が高まってるって」
そう言って、一心は唐揚げを口に放り込む。彼の目元には、未だ痛々しい裂傷が残っていた。彩礫の影響で、治癒した端から裂けていってしまうのだ。あの日以来、一心は朝晩に一回ずつ治癒を受けるようになっていた。
「一つ、気になっていることがあるんですが…」
天が、神妙な面持ちで箸を止める。
「あの日、俺たち地下に落とされたじゃないですか。独歩さんに当時のことを聞いたら、俺たちはトンネルの中程で倒れていたって言うんです。不自然じゃないですか?」
「そもそも落ちたってのが錯覚なんじゃないの?あのでっかい手の奴が見せた幻覚とかさ」
そう言って一心はわしゃわしゃと手を動かした。
「だとしたら、何故俺たちは無事なんでしょう?本来なら、あの亀裂に吸い込まれるか、巨大な手に押し潰されるかしていた筈です」
「あの鎖のお陰とか?」
一体どこから湧いて出てきて、一体誰が操っていたのか、一切不明だが、少なくとも敵ではなかったのだろうと、燦は思い返した。
「そもそも、よく覚えてないしなぁ。天が気にしすぎなんじゃないの?」
「燦くんが気にしなさすぎなんですよ」
天は呆れたようにため息をついた。
「やあ、久しいね、みんな」
「衛さん!帰ってきてたんすね!」
突如現れた衛に、一心は声を弾ませた。
この数か月、衛は慌ただしく島の内外を行き来していた。まともに顔を合わせたのは数週間ぶりだろうか。
「昨晩ね。燦、君にお客さんだよ。お昼が済んだら、一緒に来てくれるかい?」
「客?」
燦は頭を捻る。自分を訪ねに来るような人物なんていただろうか?そもそも、ここにいること自体、誰も知らない筈だ。
「『柳原杏』。この名前を出せば君は来ずにはいられないって…」
ガタッ
衛が言い切る前に、燦は勢いよく立ち上がった。
「それ、本当ですか?」
「あ、ああ…」
あまりの勢いに、衛は軽くのけぞる。
返事を聞くや否や、燦は残りを一気に口へかき込み立ち上がった。
「行きましょう!今すぐ!」
今までに見たことのない姿に、三人はあっけにとられていた。
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バン!!!!!
勢いよく扉が開かれる。燦は応接室へ駆け込んだ。室内を見渡す。
そこにいたのは、攴求護と柳原杏――ではなく、
「宵ちゃん?」
とある少女の姿があった。
白河宵。西城燦と柳原杏の幼馴染である。
「露骨に残念そうね」
そう言って、宵は足を組んだ。
「ひどいよ。杏の名前を使うなんて。」
「そうでもしなきゃ、いつまで待たされるかわかんないじゃない」
燦が正面に座りながら不平を零すと、宵はそれを一蹴した。
「そもそも、どうしてここにいるってわかったの」
「私の情報収集能力を舐めないでちょうだい。得意なの知ってるでしょ」
それにしたっておかしいだろう、と燦は心中で反論する。
「それから、用は杏に関してよ」
その言葉に、燦は前のめりになる。
「行方知れずになったの。突然。いつかのあんたみたいにね」
「冗談やめてよ」
燦の目が見開かれる。膝の上に置いた拳に、ぐっと力がこもった。
「冗談じゃない。ひと月前に姿を消してから、一切行方が追えないの。収容所の名簿にも研究所の名簿にも名前がないし、ここにもいないでしょ?国内だけじゃなくて海外の情報だって洗ったわ。表社会の情報なら、私に追えないものはないの。つまりどういうことか、あんたにだってわかるわよね?」
燦は項垂れ、頭を抱えた。てっきり、変わらない生活を送っていると思っていた。なんでこんなことに?
「それからあんた、九月に一度帰ってきたでしょ。ローカルだけどあんたのことニュースになってたわよ」
「え?」
宵はタブレットを取り出し、燦の前に差し出す。一つの動画が、再生された。
《9月16日午後、千葉県屏風ヶ浦で「人の死体のようなものが岩場に引っかかっている」と近隣住民から警察に通報がありました。
警察によりますと、発見された遺体は15歳前後の男性とみられ、複数の外傷が確認されているとのことです。
その後の捜索で、遺体が発見された岩場の周辺から複数の荷物が見つかったほか、海岸上部の崖付近で複数の血痕が確認されました。
警察は、荷物の中から見つかった身分証などから、遺体は東京都在住の西条燦さんである可能性が高いとみて身元の確認を進めるとともに、崖から転落した可能性も含め、事件と事故の両面から詳しい経緯を調べています。》
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九月某日。燦は一度帰宅していた。というのも、島に来た時に最低限の荷物しか持ってきていなかったからである。
荷物を纏めた時はいらないと思い置いてきたものが、案外必要だったことに気づいたのだ。この機会に持っていけるものは全部持っていこうと、燦はぎゅうぎゅうに荷物をバックパックに詰めていた。
荷物を詰め終えると、足早にマンションを去り、千葉に向かう――前に学校へと向かった。杏の様子が気になった為である。
しかし、休んでいたのか校内に杏の姿は見つけられず、家に向かい彼の部屋を覗いたが固くカーテンが閉じられていた。
仕方なく、燦は千葉へと歩を進めた。
予定では、屏風ヶ浦で数分間、燕が船を寄せて待っている手筈になっていた。
合流ポイントが近くなりふと海に目をやると、一隻の船が目に入った。まだ時間ではない筈だけど…と燦は足を速める。
そこへ、一人の見知らぬ男が燦の前に現れた。
「お前、庭師の異能者だろ」
男はそう言って燦を睨みつけた。
「どちらさま?」
「お前が知る必要はない」
燦が問いかけると、男はそう言って懐から一本のナイフを取り出した。
「ええぇ…困る…」
一切の面識がないのに、何故か敵視されている。それとも自分が覚えていないだけなのだろうか?そもそも、何故自分が庭師だとバレているのだろうか?と燦は距離を取りながら思考を巡らせた。外での任務は、まだ数えるほどしかこなしていない。どこかで遭遇していないと庭師だとバレないと思うのだが…。外の協力者から情報でも漏れたのだろうか?
そんなことを考えている間に、男はナイフを構え突進してきた。すんでのところでそれをかわす。と同時に、反対方向へと走り出し落ちていた木の枝を手に取った。それを警棒のような形状へ変える。
再び、男が突進してくる。それに合わせて燦は右手の棒を左下から払いあげ、ナイフを叩き落とした。
その瞬間。
「うおっ」
男が左袖に忍ばせていた隠しナイフが燦の頬をかすめる。避けた拍子に後ろへわずかによろめく。
そのわずかな隙を、男は見逃さなかった。
「う”っ、ぐっ、っ」
燦の背後から、土が鋭く盛り上がり、左わき腹をかすめた。何とか、致命傷は避けられたものの、決して軽視できる傷ではなかった。脇腹を押さえ、棒を短剣に作り変えて構えなおす。背中の荷物が酷く煩わしい。先に下へ落としてしまおうか。
ぼたぼたっ、と血が零れ落ちる。どうやら時間に余裕はないようだ。
そして、考える暇も与えず、四方から土の剣山が襲い掛かってきた。何とか回避するが、崖淵まで追いやられてしまった。
「あっ、」
剣山の一つが、バックパックを一部引き裂いた。中身がばらばらと、崖下へ落ちていく。それとほぼ同時に、一件の着信が入った。燦は耳に取り付けていたデバイスをタップする。
『燦、何してるの?誰かそこにいる?』
声の主は燕だった。下に目を向けると、丁度真下に船をつけてある。
燦は一瞬逡巡したが、男に目をやるとごくりと唾を飲んだ。このままここにいても埒が明かない。
意を決すると、燦は崖淵から足を一歩踏み出した。最早絶壁とも言えるほどの斜面を滑り落ちていく。短剣を地面に突き立て、少しでも勢いを抑えようと試みる。が、途中剥きだしになった岩石にはじかれ、身が投げ出される。海岸沿いの岩場に、激しく体を打ち付けた。
「いてててて………」
全身が痛みに襲われる。体を起こすと、先程落とした荷物が目に入った。いくつか手に取っていると、耳元で声が響いた。
『なにしてるの!?早くこっち来て乗りなさいよ』
燕に促され真上を見上げると、男が後を追って降りてこようとしていた。
燦は仕方なく、いくつかの荷物を諦め、船へと向かった。痛む体を引きずり、何とか船に乗り込む。
「右腕折れちゃったぁ」
燦がそうぼやくと、燕が操縦席の脇を足でつついた。
「異能者で良かったわね。その程度で済んで。ここの下に、応急セットが入ってるから、自分で取って」
燦は荷物を降ろすと、応急セットを引きずり出しなんとか手当を始める。
「んんん…うまくできない」
「沖に出たらあたしがしてあげるから、あんたはとにかく脇腹の傷を圧迫してなさい」
言われた通りにガーゼを傷口に当て、空を見上げて一息をついた。
全く、一体全体あの男はなんだったのだろうか。ただ荷物を取りに来ただけなのに、まさかこんな目に合うとは。
「つかれたぁ…」
そう呟いて、燦は瞼を閉じた。
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「…ボク、この死体知らないよ?」
あの時のことを反芻し、燦は口を開く。
「わかってるよ」
宵はそう言うと画面をタップし、もう一つ動画を流した。
《発見された遺体は西条さん本人ではなかったことが分かりました。一方、現場から検出された血痕は西条さん本人のものと判明しており――》
「発見された遺体はあんたとは全くの無関係。ただの自殺者よ」
「…それで?これが杏に関係あるの?」
燦がそう尋ねると、宵はため息をついた。
「あんたね、少しはこのニュースを見た杏がどう思うかとか考えなさいよ」
「だって、顔も見たくないって…」
「はあぁ…、そんなこったろうと思った。全く、あんた達は」
先程から、宵のため息が止まらない。というより、自分といる時は事ある毎にため息をついている気がする、と燦は思い返した。
「このニュースが流れてから、杏は見るからに様子がおかしかった。あんたがいなくなった時点で、調子は崩していたけれど」
「様子がおかしいって、具体的にどんな風に?」
「完全に塞ぎこんで、常に心ここに非ずって感じだった。かなり精神的に追い込まれていたの」
想像がつかなかった。今まで、杏の弱々しい姿を見たことはなかった。彼はいつも強くて、凛々しくて、かっこいい。それが、燦が知っている杏の姿だった。
「ここからが本題。あなたたち庭師に、依頼したいの」
「さっきも言ったけれど、うちも慈善団体じゃない。それなりのものが必要になる」
隣で静かに話を聞いていた護が口を開いた。
「わかってる。私が差し出す対価は一つ。私自身よ」
「宵ちゃん?何言って…」
宵は脇からノートパソコンを取り出し護に画面を見せた。
「私なら、あなた達が欲しがる情報を手に入れられる。今はまだ表しか網羅できていないけど、ここでなら裏を網羅するのも時間の問題だって約束する」
「これは…」
画面に映されていたのは、複数の研究所の名前と位置情報。そして、人名リストだった。
衛と護が、それをかぶりつくように見つめる。隣にいても聞こえない程の小さな声で暫く会話した後、護は宵にこう尋ねた。
「設備に何が必要?可能な限り用意する」
「それはここの設備を見てみないことには。でもその言葉、依頼を受けてくれるってことでいいのね?」
護は静かに頷いた。
「ありがとう」
安堵したように、宵は瞼を閉じる。そして、懇願するように燦を見つめた。
「改めて、お願いするわ。柳原杏を、見つけ出して」




