4.初任務
連日の雨が上がり、高く上がった陽により島全体が蒸されているかのように火照っていた。いつもは心地良い海風も、今日は重くまとわりつく。
そんな中、木陰一つないアスファルトの坂道を、三つの影が足取り重く進んでいく。
「燦~…お願いだから一刻も早く冷水を作れるようになってくれぇ」
一番後ろの影がそう呻いた。
「無茶、言わないでよ…」
そう言って燦は振り返った。
燦と同じ年頃の少年が、全体重を預けているのではないかというほどに背丈を超える杖に寄りかかって歩いている。
「杖作ってあげたじゃん」
「それは感謝してるよぉ」
二人がうだうだ言い合っていると、少し前を先行していた天が声をかけた。
「トンネルが見えてきましたよ。そこで休憩しましょう」
「「んあ~~~ぃ」」
なんとも覇気のない二つの返事が坂を転げていった。
トンネルについた途端、後ろ二人は地べたへ崩れ落ちる。ひんやりとしたアスファルトが心地良い。
「一心くん、汚れますよ」
寝そべる少年を、天が窘める。
「いーじゃん、誰も困らないんだし」
「全く…。ほら、二人とも、いい感じに溶けていますよ」
そう言って、天はバックパックから凍らせたペットボトルを取り出し、それぞれに渡した。
熱く火照った身体に、冷たい麦茶が染み渡っていく。溜まった疲労や不快感が、一気に洗われていくようだ。
少しでも楽なように、と朝早く出発したのも虚しく、トンネルの外には容赦なく日差しが降り注いでいる。帰りを思うと、燦はため息が出た。
今日は一段と日差しが強い。こんな日は照り返しが酷く、日傘をしていてもさぞしんどいことだろうと、ふと、白い日傘を差した少年の姿が脳裏をよぎった。
この島に来て約ひと月。今日は燦にとって庭師デビュー、初任務の日である。
この一か月、燦は毎日あの地下室――特訓場で天と一心と共に異能の練習に励んできた。お陰で、棒状のものであれば、酷い疲労感を感じることもなく、安定して変質させることができるようになっていた。
「そろそろ動きましょうか」
天に声をかけられ、燦と一心はしぶしぶと立ち上がる。
記念すべき初任務の内容は、『廃トンネルの異音を調査せよ』というものであった。ここ数日、獣の咆哮のような異音がトンネルの奥から響いてくるのだという。今のところ異音の”い”の字も感じられないが。
異音は定期的なものではなく、時間も、鳴っている長さも、その時々でまばらなのだそうだ。天は最悪泊まりになるかもしれないと、簡易的な野宿セットを用意していた。
奥に行くにつれて、一心が燦の近くに擦り寄ってくる。
「歩きにくい」
「しょ、しょうがないだろ!?な、夏のトンネルで異音なんて、典型的な心霊物じゃないか」
「興味ない。暑いしうっとおしいよ」
「そ、そらぁ~」
燦にぞんざいにされ、一心は先頭の天に駆け寄り左腕にしがみついた。
「大体、一心の目で視ればいいじゃん」
「それでいたらどうするんだよ!!」
「殴る」
燦は一心の手にある杖を指さした。「これは殴るものじゃないの!」と一心は抗議する。
カタン。
突如、音が響き、一心が情けない泣き声を発する。
三人は足を止め、気配を探った。
すると、
「にゃあん」
奥から一匹の黒猫が現れた。
「猫ちゃん!」
一心が嬉しそうに駆け寄る。黒猫は人馴れしているようで、逃げるそぶりはない。
「黒猫って不吉って聞いた」
燦がそう言うと、一心は猫を撫でながら呆れたようにため息をついた。
「黒猫自体は幸せの象徴。その黒猫が通り過ぎる、要は自分のところに留まらないから、黒猫に横切られるのは縁起が悪いと言われるの」
「お前は悪くないもんねー」と、一心が猫に語りかける。
「………その猫、足赤くない?」
天がぼそっと呟き、一心の手が止まった。燦が地面をライトで照らすと、猫が歩いた後には微かに赤い肉球の跡がついていた。
「一心、匂い嗅いでみてよ」
「嫌だよ!」
燦の提案を一心は即座に拒否した。
「どうせ、赤いペンキとかだって、ね?」
「それはそれで不可解だけど」
「どのみち、きれいにしてあげませんと。猫が可哀想です」
そう言って天はバックパックからタオルと自分の分のペットボトルを取り出した。一心の隣にしゃがみ、水分を含ませたタオルで猫の足をぬぐう。そして、タオルに顔を寄せ、顔をしかめた。
「これ、血でs」
「帰ろう」
天が言い切る前に、一心が言葉をかぶせた。
「この子を連れて、さっさと帰ろう。これはおれ達の手には負えないよ。うん。早く帰って衛さんとかに代わってもらおう。って、おいおいおいおい!?」
早口でまくし立てる一心を他所に、燦は猫の足跡を辿って奥に進み始めていた。
「今日は衛さん含め大人達の殆どが出払っていますし、せめてこの血が何なのかくらいは突き止めるべきでしょう。行きますよ、一心くん」
「ええぇ、あんたまで!?なぁんでよぉ~、いやだよぉ~」
手早く荷物をまとめる天の横で、一心が駄々をこねる。
「どうせ、燦くんは引き止められそうにありませんし」
「そっちが本音でしょ!!」
「ここで待っていても良いですよ」
「うううぅぅ…、いくよぉ」
一心はしぶしぶと立ち上がると、天の後ろにピタリと張り付く。二人は燦の跡を追った。
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「あの子達、大丈夫かなあ」
曙苑本部の一階、第一医務室で、護はコーヒーを手にぽつりと呟く。
「なんだかんだ、みんなしぶとい。生きて帰る。」
向かいでホットミルクに息を吹きかけながら、来栖が口を開いた。
「特にひかる。あいつ、神経が普通じゃない。たぶん、首だけでも帰ってくる」
「僕はみんなに五体満足で帰ってきてほしいんだけれど」
そう言って、護はクッキーを口に放り込む。
「それより、片割れを心配すべき。あっちのほうが、危険」
「衛?それこそ不要な心配だよ。来栖もよく知っているだろう?あいつは無茶が何よりも嫌いだって。それに、運が良いしさ」
「今ので、余計心配。まもるの片割れが、運良いなんて、ダチョウがノーベル賞取るようなもの」
「なんだとお。聞き捨てならんっ」
おりゃおりゃおりゃ、と護は来栖のほっぺをつまみ、揉みしだく。
来栖はされるがままになりながら、「んへへへ」と笑った。
ドオオォン!!
次の瞬間、轟音が響いた。間をあけずに、大きな槌で叩かれたかのような音が建物を包む。
窓の外に目をやると、「バケツをひっくり返したかのような」といった表現が生ぬるく感じるほどの豪雨に見舞われていた。
「これ、あの子達帰ってこられる?」
「むぅ。少なくとも、降っている間は、無理。大丈夫。あの辺りで、土砂崩れが起きた記録は、無い。それに、そらがいる。数日は、生きていける」
来栖はミルクを飲み干すと、椅子から降りた。
「色々、調べてくる。他のみんなも、立ち往生するはず」
「僕も備えておくよ。いつも通り、何かわかったら僕と世那に連絡して」
来栖は頷くと、足早に医務室を後にした。
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「ひいいぃぃぃぃぃぃ!!」
一方、燦達はというと、外の轟音に一心が腰を抜かしていた。
「情けないなぁ」
「あんたの神経が鈍すぎんの!」
「一心くんの神経は繊細過ぎますけどね」
「なあん」
天に同意するように、一心の腕の中の猫が鳴く。「お前まで…!」と一心は猫の背に顔をうずめた。
「ねぇ、やっぱり帰ろう。不穏すぎるよ」
一心は天の脚に縋り懇願する。
「でも、この音の感じかなりの豪雨ですよ。そんな中山を下るのは危険です。このままトンネル内で止むのを待つのが最善でしょう」
「じゃあ、調査に専念できるね」
「しないでいいよぉ~。雨止むのゆっくり待とうよ。しりとりとかしながらさぁ」
「ボクはしりとりしながら調査してもいいよ」
「そうじゃねぇよぉ…」
「ほら、行きますよ」
燦が再び奥へ進み始めると、天は一心の手を取り、歩を進めた。
コツ、コツ、コツ、
トンネル内に、三人の足音のみが響く。結構進んだ筈だが、四方をライトで照らしても猫の足跡以外何も見当たらない。
突如、ぴちゃ、と上から何かが降ってきた。燦が真上を見上げると、そこには小さな桜のような花の文様が一つ刻まれていた。刻印の溝を伝うように赤い液体がジワリと溢れ出し、下へまた一つ、雫が零れ落ちる。
ふと、とある文言が燦の脳裏に浮かび、無意識に口が動いた。
『其の還り来たりし刻、封は開き、杯は満ちたり』
「燦くん…?」
天が燦の肩に手を置こうとした瞬間、地面からゴポゴポと音が発せられた。
三人が前方のアスファルトに目をやると、小さな間欠泉のように赤い液体が溢れ出ていた。辺りに鉄臭い匂いが漂う。
「ねぇ、これやばいやつじゃない?ねぇ!これガチでやばいやつだよ!ねぇ!」
即座に一心が二人の腕を掴み、逆方向へと促す。その瞳はチカチカと赤く瞬き、目尻には涙が滲んでいた。
パキッ
すぐ近くで何かに亀裂が入る音がした。顔を上げれば、目の前には大きな亀裂が生じており、隙間から赤紫色の光が漏れ出ている。三人があっけにとられていると、一部がガラスのように砕け散り、突風が吹き荒れ、獣の咆哮が耳をつんざく。亀裂の向こうには赤黒い泥に満ちた世界が広がっていた。
「あ”あ”ぁ”ぁ”…!!!」
一心が両目を手で覆い蹲り、呻き声をあげた。一心の能力が暴走しているのか、両手の隙間から血が滴り落ちる。
三人を亀裂の向こうへ吸い込むかのように、突風が流れを変えた。
咄嗟に燦は懐に仕舞っていた石を槍に作り変え、地面に突き刺す。天は一心に覆いかぶさって必死に地面に踏ん張った。
亀裂の向こうから、泥が形を成し巨大な手となってゆっくりと三人へと迫る。同時に、溢れ出ていた血液も無数の礫となって襲い掛かって来た。
「あいつをギガントハンドと呼ぼう!」
「そんな場合じゃないでしょ!?」
天に怒られてしまった。
燦はアスファルトに手をつき、自分たちの前に一枚の壁を作り出す。間に合いはしたものの、作りが甘く、いくつかの礫に貫通されてしまう。
「う”っ、ぐ、ぅ…っ、」
そのうちの一つが燦の頭に直撃し、一瞬目の前が白に覆われ、意識が飛びかけた。何とか気合で踏ん張り、燦は新たに壁を作り始める。
が、時既に遅く、巨大な手は三人の頭上まで迫っており、押しつぶすように振り下ろされた。
間に合わない。燦がそう思った時、突如四方から無数の白銀の鎖が飛び出し、寸前で手の動きを封じた。ギリギリギリ、と軋む音が響く。
燦が安堵したのも束の間、今度は地面が揺れ始めた。次の瞬間。地面が扉のように開き、三人は成す術もなく、深淵へと突き落とされるのであった。
❖❖❖❖❖
「いてててて………」
燦は軋む全身をさすりながら、なんとか上体を起こした。
辺りを見回すとそこは、美しい庭園の中だった。地下へと落ちた筈なのに、木々の隙間から陽が差し込み、草花が美しく咲き乱れている。
「さっきから一体何が…」
天も上体を起こすと、慌てて一心に這い寄り、状態を確認した。
固く閉じられた瞼からは、未だに血が流れ落ちている。眉をしかめ、小さな呻き声を漏らしていた。
「早く曙苑へ戻らないと…」
一心の瞼へハンカチを当てながら、天は周囲を探る。
その時、燦は奥にある白い円柱に囲まれたガゼボに目を奪われていた。その中心に、ゆらりと人影が見える。
白い装束を纏った白髪の人影が、ゆっくりと振り返る。ほんの一瞬、燦は目があったように感じた。燦はもっとよく見ようと目を凝らす。しかし、瞬きの間にその人影は姿を消してしまった。
ドサッ…
燦の背後で、重い音がした。振り返ると、天が一心を抱えたまま、地に伏して倒れていた。
「天?」
燦は天に声をかけ手を伸ばす。
ぷつり。
そこで、燦の意識は途絶えた。
地に眠る三人の元へ、一つの黒い人影が近づいていく。その腕には、黒猫が抱かれていた。
人影は傍にしゃがむと、燦の顔に触れ、髪を避ける。指先で額に触れると、微かに光を帯びた。
「すまないね、燦。でもキミには、まだ早いんだ」
静かに、独歩はそう呟いた。




