21.果肉
意識が揺れる。視界が揺れる。
今、自分はちゃんと地に足がついているのだろうか。壁に手をつけている?
わからない。
何もかもが定かでない中、杏は足を前へ運んでいた。
次第に、視界が開ける。
ここはどこだろう………中庭…?
激しい戦いの音と声が耳に届く。
姿ははっきりと見えない。
でも、その声は。
「気になるなら聞いてみろよ。本人に」
その声と共に、視線を感じた。
よく知る、うっとうしい程の視線を。
「杏!!」
思った通りの声が聞こえる。
「杏。話してやれよ、このわからずやに。お前が嫌いだって」
サリオンの声に、心臓が嫌な音を立てる。
言っては、いけない。
言いたくない。
「そんなことないよね?ボク、ちゃんと知ってるよ、本心じゃないって」
やめろ。
「………れよ」
上手く、声にならない。
「ボクたち、親友だよね?今までだって、これからだって…」
「黙れよ…!!」
酷く、かすれた声が、やっと形になった。
「一旦、黙ってくれよ………。お願いだから………」
胸が爆発しそうな感覚に、苛立ちが募る。
「でも、」
「でもじゃねぇよ。おまえはいっつもそうだな。俺の言うことを全く聞きやしない」
いつも、そうだ。いつも、いつもいつも。
「そんなことっ」
声が、苛立ちをさらに掻き立てる。
「ああ、そうだな。そんなことなくなったんだよな。よりによって、あんな言葉だけ律儀に守って姿消しやがって」
目頭が、熱くなる。視界が、さらにぼやける。
それとは裏腹に、口角が吊り上がるのを感じた。
もうとっくに、それらは制御を失っていた。
ぼやけて輪郭さえ定かでない燦の姿が、ただただ腹立たしい。
今、あいつはどんな顔をしているだろうか。こんな自分の姿を見て、何を、思っているのだろう。
「俺は、………僕は、お前が思っているような人間じゃない。酷く醜悪で、みっともなくて、ちっぽけで」
「そんなことない!」
「そんなことあるんだよっ」
やめろ。
「そんなことないよ!杏はいつも綺麗で、かっこよくて、頭良くて――」
いつもそればっかり。それ以上言うな。
「やめろ!そんな良いもんじゃない」
「杏はいつも完璧なんだ!!ボクなんかとは何もかもが違って――」
やめてくれ。
これ以上、僕を惨めにさせないでくれ。
これ以上、僕に完璧を押しつけないでくれ。
お前も、母さんも。
もう、”完璧”はうんざりだ。
「やめろっていってんだろ!!そんなんだからお前のことが大っ嫌いなんだ!!」
気づけば、そんな言葉が口から溢れていた。
暫しの沈黙が、辺りを包む。
見えなくても、わかる。
燦が、傷ついているのが。
「ずっっっっと大嫌いだったよ、お前のこと!何も知らずにへらへらとうっとうしく付きまといやがって!!何言っても聞いちゃいないし、なんも見ちゃいないのに、余計なことばっか言ってくるし、余計なことばっかするし!!」
駄目だ。そんなことを言っては。
「ずっと、後悔してた。お前をかばうなんて、馬鹿なことしなければよかったって。そんなことしなきゃ、お前に付きまとわれることもなかったし、………っ、あんな、惨めな思い、しなくて済んだのにっ」
駄目だ。これ以上は。
「宵ちゃんは………宵ちゃんは、知ってるの…?」
………この期に及んで、こいつは。
出てくるのはそんな言葉なのか。
やめろ。
やめなきゃ。
言ってはいけない。
それは。
戻れない。
それ以上は。
「当然だろ」
全てを嘲笑うように、驚くほど自然に、その言葉は表に出てきた。
感じる。
燦の、絶望が。
止まらない。
自分の口が。
「自分が一番とでも思ったか?勘違いも甚だしいな。どこまでもおめでたい奴だ」
違う。そうじゃない。
「いつも知ったような口きいて、得意げに的外れなこと言って。そんなんだから、俺や宵以外とまともに関われないんだろ」
止まれ。
「お前はいつも世界から弾かれてんだよ。気づけよ、いい加減」
「嘘だ」
やっと、燦の口が開いた。
「嘘だ嘘だ嘘だ!嘘だよね?本当は、そんなこと、思ってないよね?」
知るか。
最早、自分でもどこまでが本音かなんて分かりはしない。
「お前は、本当に何も変わらないんだな」
気づいて。せめて。
「あるんじゃないか?」
これ以上、諦めたくない。
「もっと他に言うことが」
お願い。気づいて。
燦。




