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Re:frey ―リフレイン― 虚器盈つる黎明譚  作者: 14to
第二章

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20.乱

 打つ手がない。


 ロイの頬を汗が伝っていく。

 短く息を吐いて、両手の斧を握り直す。

 降りかかってくる巨大な拳を紙一重でかわし、その隙に斧を叩きこむ。

 しかし、βと呼ばれていた男の巨躯は一切の揺らぎを見せなかった。

 何度も斧を叩きこまれた腕はもう骨まで見えているというのに、動きに躊躇いが生まれない。

 鼻を突くうっとうしい程の血の匂いに、嫌気が差す。

 あまりに変わらぬ状況に、ロイは息が詰まるような感覚を覚えた。

 それを振り払うように、軽く首を鳴らした。

 押しつぶすように降ってきた拳を上に飛んで避けると、ロイは腕を登り、肩口からうなじへ向けて刃を食い込ませた。

 うなじの肉がごっそりと抉れる。

 しかし、βの動きは止まらない。

 腕に薙ぎ払われ、ロイは再び吹き飛ばされ、地面を転がった。叩きつけられた壁にひびが入り、欠片が崩れる。

 横腹を押さえながら体を起こした。ぽろぽろと、ロイの背に刺さった石片が落ちる。

 肋骨をやられただろうか。動くたびに刺すような痛みがロイを襲った。


 手元の斧に目をやると、柄がぽっきりと折れていた。


「…しょうがない。拳でやりあうしかなさそうだな」


 ロイはジャケットを脱ぎ半分に引き裂くと、それぞれを両手に巻き付けた。

 呼吸を整え、ゆっくりと歩いて距離を詰めるβに向けて、拳を構える。


「かかって来いよ、木偶。本気の力勝負といこうじゃねえか」


 その言葉に応えるように、βは歩を速め、ロイに向けて拳を握り直した。




 一方、その頃。

 龍之介はひめこに致命傷を与えた。


 筈だった。


 その刃は、数ミリ届かず。右足は地面に埋まっていた。

 代わりに、龍之介の腹部にナイフが突き刺さっている。


「阿良汰、くん…っ、どう、してっ」


 龍之介は後方へナイフを薙ぎ払い、阿良汰を遠ざける。

 前方へ発砲しひめこを牽制すると、強引に右足を引き抜いた。

 その拍子に、腹部から血が噴き出る。


「まずいっすね…っ、これはっ…」


 ひめこから距離を取り、そう言って笑う龍之介の顔には、冷や汗が浮き上がり、心なしか顔色も悪くなっていた。

 乱れる息を何とか整えようと、痛みをこらえて深呼吸をする。

 阿良汰に目を向けると、ナイフを手放し、膝をついて両手で顔を覆っていた。


 ひめこは、そんな様子の二人を前に、舌なめずりをする。

 

「阿良汰。わたしを手伝ってちょうだい」


 ひめこの言葉に、阿良汰の肩がぴくりと反応する。


「…だめ。だめ、だよ。…っ、おかあ、さん」


 阿良汰の口から、そう言葉が零れた。

 息は乱れ、肩が上下する。

 阿良汰を包む甘い香りが、一層濃くなった。

 離れているはずの龍之介さえ、濃密な甘い香りにむせた。


「どうして駄目なの?」


 ひめこは阿良汰に近寄り、そう問いかけた。


「だって、りゅう、の…すけは、味方、だか…ら」


「それは、お母さんよりも大事なの?」


「それ、は…」


 ひめこは阿良汰の正面にしゃがみ、顔を覗き込んだ。


「お母さんが、阿良汰を守ってあげる。だから、阿良汰もお母さんを守って」


「…もう、ひとりにしない?」


「もちろん。ずっと、一緒よ。死ぬまでね」


 ひめこはそう言って、阿良汰の頬に手を当てる。

 阿良汰はそのぬくもりに安心したように、頬をすり寄せた。


「阿良汰くん…!!」


 龍之介の言葉は届かない。

 体から血の気が引いていくのを感じた。耳鳴りが頭につんざく。

 息をするたび、腹から体が引き裂かれていくような感覚に襲われる。

 中から、血の味が込み上げてくる。


 ロイはβにかかりきりで頼れない。

 自分が、何とかしなければ。

 でも、どうすれば。


 その時、建物を縦に貫くように音が辺りに轟く。

 そして、大量の瓦礫と共に、何かが龍之介の近くへ降ってきた。

 瓦礫が龍之介を襲う。

 龍之介はその場に蹲るしかなかった。いくつかの激しい衝撃が背を貫き、呻き声が漏れる。

 共に降ってきた人影は、地面に叩きつけられた後、二、三度咳をして体を起こした。


「衛…さん?」


 龍之介がそう呟いた時。


 土煙の向こうから、βと酷似した男が姿を現した。






❖❖❖❖❖






「杏!!」


 とっさに、燦は杏の元へ駆け寄ろうとした。

 それをわかっていたかのように、燦の足元へ数発の鉛球が撃ち込まれる。


「杏。話してやれよ、このわからずやに。お前が嫌いだって」


 サリオンの言葉に、杏はかすかに顔を上げる。


「そんなことないよね?ボク、ちゃんと知ってるよ、本心じゃないって」


「………れよ」


「ボクたち、親友だよね?今までだって、これからだって…」


「黙れよ…!!」


 杏の酷くかすれた声が、微かに響く。


「一旦、黙ってくれよ………。お願いだから………」


「でも、」


「でもじゃねぇよ。おまえはいっつもそうだな。俺の言うことを全く聞きやしない」


「そんなことっ」


「ああ、そうだな。そんなことなくなったんだよな。よりによって、あんな言葉だけ律儀に守って姿消しやがって」


 杏は泣くように笑みを浮かべた。今はもう一つしかないその瞳で、射貫くように燦を睨む。

 燦は、見たことない杏の表情に酷く戸惑った。

 今自分が見ているのは現実なのだろうかと、目を疑う。


「俺は、………僕は、お前が思っているような人間じゃない。酷く醜悪で、みっともなくて、ちっぽけで」


「そんなことない!」


「そんなことあるんだよっ」


「そんなことないよ!杏はいつも綺麗で、かっこよくて、頭良くて――」


「やめろ!そんな良いもんじゃない」


「杏はいつも完璧なんだ!!ボクなんかとは何もかもが違って――」


「やめろっていってんだろ!!そんなんだからお前のことが大っ嫌いなんだ!!」


 杏のその言葉に、辺りが静寂に包まれる。

 はくはくと、燦の口からは空気だけが漏れ出た。


「え………?」


 やっと出たのは、それだけだった。


「ずっっっっと大嫌いだったよ、お前のこと!何も知らずにへらへらとうっとうしく付きまといやがって!!何言っても聞いちゃいないし、なんも見ちゃいないのに、余計なことばっか言ってくるし、余計なことばっかするし!!」


 杏は、燦を蔑むように笑う。


「ずっと、後悔してた。お前をかばうなんて、馬鹿なことしなければよかったって。そんなことしなきゃ、お前に付きまとわれることもなかったし、………っ、あんな、惨めな思い、しなくて済んだのにっ」


 言葉と共に、雫が地面へと落ちる。

 杏の瞳からは大粒の涙が溢れ、小さな嗚咽が漏れていた。


 初めてだった。


 燦は初めて、杏が泣くところを目にしていた。

 肩を震わせ、身を縮こまらせて泣く、弱々しい杏の姿に、燦は何を言葉にすればいいのかわからないでいた。

 

 幼い頃のあの日。砂をかけられていた自分をかばってくれたあの背を、初めて自分に差し出されたあの手を、優しくかけてくれたあの声を、今でもありありと覚えている。


 その姿は、とても美しくて、温かくて、かっこよくて、眩しくて。


 それが、燦にとっての杏だった。ずっと、変わらないものだった。それは、これからもそうであった筈で。


 それなのに今、目の前にいる杏は小さくて、弱々しくて、刺々しくて、痛々しくて。


 知らない。こんな杏は知らない。一体いつから?………最初から?


「宵ちゃんは………宵ちゃんは、知ってるの…?」


 燦の言葉に、杏は一瞬目を見開くと、憎らしげに笑った。


「当然だろ」


 その言葉に、燦は金槌で殴られたかのような衝撃を覚えた。


 知らない。


 ボクだけが。


 杏が、ボクの一番なのに。


 ボクだけが、何も知らない。

 

 今まで信じていたものが、崩れていく音がした。

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