2.曙光の庭
まだ少し冷える夜の海上に煌めく月のそばを、一つのモーターボートが疾風の如く駆けていく。
燦は風にたなびくフードを抑えながら、前方で瞬く星を眺めていた。
「本当に良かったのかい?」
長い沈黙を衛が破る。
「何のことですか?」
「いろいろだよ。君ってば、山を下るなり荷物をまとめてついてきちゃったんだもん。確かに僕は誘ったよ?でもさ、こう、順序とか、タイミングとか、あるじゃないか。せめて一日二日くらい考えるとかさ、せめてご両親には置手紙くらい用意するとか…」
あの後、燦は山を下りると、足早に帰宅し迷うことなく一通りの荷物をまとめて衛の元へ合流したのだった。
その時も衛はしつこく「本当にいいの?」「ちゃんと考えた?」と確認してきていた。
「別に、必要ないですし、本当に大丈夫ですよ。ボクのこと心配する人はいませんから」
そう答えつつ、燦の脳裏には夕暮れの教室での出来事がよぎる。
「そ、そう…」
燦のあまりにもあっけらかんとした態度に衛はしばし言葉を失う。
変わった子だとは思っていたが、これは”変わっている”どころではないかもしれない、と認識を改めていると、頭上から声がかかった。
「衛ぃ、表から入る?直接裏に行っちゃう?」
見上げればそこには10歳程にしか見えない少女が操縦席に座っていた。
彼女は渡会燕。ボートの持ち主であり、衛の同僚である。
「僕と燦は表で降りるよ。彼に軽く島の案内したいし。今日は夜市だろう?」
「はぁ?今から?あんたまさか私一人に運ばせる気?」
燦が衛の隣を覗き込む。彼の隣で座席に横になっている緑痣の女性は未だに目を覚ましていなかった。そして、足元には拘束された男二人。意識が戻って暫くはもごもごと何やら騒いでいたが、今はすっかりおとなしくなっている。
「やだなあ。ロイにちゃんと裏で待ってもらっているよ」
衛は不満そうに口を尖らせる。
「燦は彩瘴のことも僕ら痣者のこともよく知らないみたいだから、ちゃんと案内してあげたいんだよ」
燕は「仕方ないわね」と呟くと前に向き直した。すると、ぐんっとボートのスピードが上がる。
「あ、」
ボチャン
勢いで、燦の手から一口も口にしていないハンバーガーが滑り落ち、海に飲み込まれる。あまりに一瞬のことに燦は右手を眺めていることしかできなかった。
楽しみにしていたエッグチーズバーガーに思いを馳せる。海に食わせるつもりで買ったんじゃないのに…。
ショックのあまり、海を覗き込んで呆然とする。左手に持っているポテトが撒き餌のように零れていることには一切気にも留めない。
「衛さん」
「んー?」
「その夜市ってのにはエッグチーズバーガーってありますか?」
「…ん~~~、ない、かなあ」
「はあぁぁぁぁぁ、そうですか」
燦の口からは酷く重いため息があふれた。
「ハンバーガーはあるかもしれないよ?」
「ボクが食べたいのはエッグチーズバーガーなんで」
「あ、そう…」
二人の間を気まずい沈黙が漂う。衛は隣から聞こえるとめどない溜息を聞きながら必死に話題を探す。
「夜市は遅くまでやっているから、今からでも間に合うからね、欲しいのがあれば僕が奢るよ。おいしいのが沢山あるんだ、串焼きとか、りんご飴とか、」
「それはありがとうございます…」
「あ、うん…」
あまりの手ごたえのなさに、衛は返事に困った。まあ、時間が解決してくれるだろう。うん、そう思うことにしよう。そう自分に言い聞かせる。
「早く着かないかなぁ」
衛は天を仰いでそう呟いた。
❖❖❖❖❖
「おおおおおおおおお…!!!」
見渡す限りの屋台、屋台、屋台、屋台。
街道には提灯や飾りが多くぶら下がり、真夜中を過ぎて尚、多くの行き交う人々で賑わっていた。
燦はその光景に心躍らせ、目を輝かせていた。
その様子を見て、衛は安堵し胃をさする。あれから島につくまでの四時間ほど、どれだけ気まずかったことか。
「ほら、案内するからついておいで。はぐれないようにね」
衛がそう声をかけた矢先、燦がふらふらと歩いて行くのを慌てて追いかける。燦はもう屋台のことしか頭にない様子だ。
「衛さん、これ食べたいです」
「わかったから、離れないでっ」
次から次へと、燦はズンズンと進んでは物をねだる。燦のあまりに自由な振る舞いに、衛はひたすらに振り回されるのだった。
暫く経つと、燦の両手にはいっぱいの食べ物があった。焼き鳥に焼うどん、はしまき、クレープ、綿あめ、りんご飴、ベビーカステラ――、とても一人分の量だとは思えない。
一通り買い尽くすと、二人は群衆から離れ、脇道の縁石に腰をかける。
隣でおいしそうに頬張る燦を見て、衛は静かにほほ笑んだ。そして、自分用に買った焼きそばの蓋を開ける。
「楽しそうだね」
「はい、初めてなので」
その言葉に、衛は手を止めた。
「初めて?」
「はい。こういう屋台を巡るのは、初めてです。映像や写真でしか知りませんでした」
燦は口いっぱいに頬張りながら淡々と答える。
「…焼きそばも食べる?」
「!、食べます」
更に口に詰め込もうとする燦を見て衛はけらけらと笑う。
「そんな急がなくても何も逃げないよ」
「ふぁふぁっふぇふぁふふぉ」
「あははははっ。ほら、こっち持っててあげるから、ゆっくり食べるんだよ?」
衛は燦から零れそうな食べ物たちを手に取り、自身のジャケットを地面に敷いて持ちきれない分をその上にまとめた。
隣で頬張り続ける燦に懐かしさを覚える。衛の弟も、祭りの時にこうやって片っ端から口いっぱいに頬張って食べていた。よくのどに詰まらせないものだなと、感心する。
「衛さんは、食べないんですか?」
「いやあ、なんか見ているだけで満足しちゃった」
「ふぉーふぇふふぁ」
少し話している間に、お好み焼きがどんどんと口の中に飲み込まれていく。
「やっと見つけたよ、衛」
二人が顔を上げると、正面に衛と瓜二つな青年が立っていた。
「やあ、護」
「やあ、じゃないよまったく。独歩さん、待ってくれているよ」
燦ははしまきを頬張りながら、二人を交互に見つめる。
「ほえもふぉっふりはんふぇふね」
「「そりゃあ、双子だからね」」
反応までそっくりだ。これは見分けが難しい、と思いきや衛さんじゃない方は髪が鎖骨辺りまであるな、と燦は二人の相違点を探す。
「ごくっ、どっちが兄なんですか?」
「僕が兄だよ。護が弟」
弟の方――護が「一応ね」と付け加える。
護によると、どうやらお偉いさんが自分たちを待っているようだ。その割には、衛に急ぐ素振りがないが。
「いふぉいふぁほーあいーふぇふふぁ?」
「ん?ゆっくり食べていいよ。独歩さんには僕から連絡しておくから」
と、衛が言ったが、実際に連絡してるのは護の方だ。これが双子というものなのだろうかと、燦は考える。
次第に、辺りの明かりが減り始めた。どうやら、夜市は終いのようだ。各屋台が閉め作業に入っていく。
燦はたこやきを口に詰め込むと、手を合わせた。ゴミをまとめようとすると、それらは既に双子によってきれいに回収されていた。
「じゃあ、そろそろ移動しようか」
一通り準備が整ったのを見て、護はそう声をかけた。
❖❖❖❖❖
九州北端のさらに沖合にある島、対馬。別名「曙光の庭」。それが、今燦のいる場所である。
三人は今、夜市が行われていた中心部を抜け、護の運転で島を南下していた。進むほどに木々が生い茂り、軍事施設であったらしき建物や設備が見え、かつて軍事拠点であった名残が色濃くなっていく。
「言い忘れていたけれど、今向かっている曙苑は、庭師の本拠地なんだ」
衛が口を開くと、「まだ説明していなかったのか」と、護がため息をついた。
「曙苑はこの島の管理組織でね、そこに属する僕ら異能者達のことを、『庭師』と呼んでいるんだよ」
「島外で行動することの方が多いけれどね」
護がそう付け加える。
「まあ、庭ですることといえば、治安維持くらいのものだからね。主な仕事は君やさっき助けた女性のような痣者達を保護することなんだ。あとは、裏社会で起きている彩瘴関連の事件を解決したりとかね」
「保護……」
燦は女性が埋められかけていた光景を思い出した。
「じゃあ、あの人も今はここに?」
「ああ。治療も済んで今は休んでいるよ」
明日には元気になっていると、護は告げた。
「漫画の世界みたいですね」
「今までの暮らしに比べたら、非日常の連続ではあるだろうね」
そう言って、衛は眉尻を下げて微笑んだ。
三十分程走った頃、大きな門が顔を見せた。大きな金属音をたて、門がゆっくりと開く。車は正面玄関に――ではなく、脇に入って更に奥へと進んでいく。暫くして、大きなガレージに辿り着いた。
「夜市、どうだった?」
燦が車を降りると、背後から声をかけられた。振り返るとそこには小柄な少女が立っていた。うなじ辺りで綺麗に切りそろえられた緋色髪――ボートを操縦していた少女である。つなぎに長靴を履いて、足元には洗剤やらスポンジやらが入ったバケツが置いてあった。どうやら、引き上げたボートの掃除をしていたようだ。
「えーーーっと」
「燕よ。渡会燕。さっきぶりね。それから、衛!ロイの奴いなかったわよ!」
「大変だったんだから!」と燕は衛に抗議する。どうやら行き違いがあったようだ。
「どうせ、案内もろくにしてないんでしょ。…食べ物ばっかりね」
燕は燦が抱えている袋を一瞥する。そこには食べられるのを未だに待ち続けている食べ物たちが入っていた。
「あんたの荷物、もう中に運んであるから。あとで受け取りなさいよ。それから、独歩さんが第二客室で待ってるって」
「あ、ありがとうございます」
燕は足元のバケツを抱えると、「お疲れ様」と手を振って建物の中へ入っていった。
――『第二客室』――
ドアの上に設置された簡素なプレートを眺める。
燦は一人で部屋の前まで来ていた。
護が「明日早いから」と別れた後、衛は燦の荷物を取ってくるから先に行くようにと、場所だけ伝えてどこかへ行ってしまったのだ。
そうして、一人で部屋まで来れたはいいものの、燦は扉の前で立ち往生をしていた。というのも、並々ならぬ気配、とでも言うようなものを感じ、気圧されているのだ。
初めてのことに戸惑い、そして衛を恋しく思う。せめて一緒にいてくれれば良かったのに。
いつまでもこうしているわけにもいかないよな、と燦はドアノブに手をかける。そして、一呼吸。ようやく意を決し、ドアノブをひねった。
「こんばんは。そして、初めまして」
ドアの向こう――シングルベッドの隣に備え付けられたティーテーブルで優雅に茶を嗜みながら、その人は挨拶を口にした。
その異様な容姿に、燦はごくり。と唾をのむ。
座っている為わかりにくいが、百九十センチはあるだろうか。ピンヒールを履いている為、立ち上がれば優に二メートルを超えているだろう。現実離れしたすらりと細く長い手足が窮屈そうに折りたたまれている。しかし、一番に目を引くのはそこではなかった。光を全て吸収してしまうのではないかというほどの、漆黒の肌。一つに括られた、腰まで届く黒髪。その中には銀糸のような髪が混じっている。そして銀箔のようなまつ毛に縁取られた、ビー玉のような金色の瞳。その周囲は墨を流したかのように黒く染まり、漆黒の闇の中を黄金が輝いているようだった。
完璧な芸術作品かのような佇まいに、燦は息をのむ。それは、とても生きている人間だとは思えないほどだった。
彼に促されるがままに、燦は向かいに座る。
ティーカップに新たに注がれたハーブティーが、目の前に置かれた。
「ワタシは独歩。この島『曙光の庭』及び、ここ『曙苑』の責任者をやっている。よろしく、西城燦クン」
差し出された手を握ると、ひんやりとした感覚に包まれる。とても大きな手なのに、細く柔らかくて、不思議な感触だった。
「じゃあ、ワタシはこれで失礼するよ。」
「あ、え、?」
あまりに急な展開に、燦は言葉を詰まらせる。
「だって、もうこんな時間だし。キミも早く寝ないと。キミの荷物、ベッド横に置いているからね。突き当りにシャワー室あるから、早くシャワーを浴びて、ちゃんと体冷やさないようにして寝るんだよ?」
よく見てみれば、確かに荷物はすべてベッド横に置いてあった。燦はありもしない荷物を取りに行ってくれた衛に思いを馳せる。
「明日、昼頃に迎えを寄こすから、詳しい話はその時ゆっくりしよう。」
そう言って独歩は席を立つ。彼が立つと、途端に天井が低く感じる。
「おやすみ」と扉が閉まるのを、燦はただひたすらに眺めていた。どうやら本当に、”挨拶だけ”だったようだ。
独歩に言われた通りシャワーを浴び、寝支度を済ませると、冷め切ったハーブティーを一気に飲み干す。
布団に入り、今日一日で起きたことをゆっくりと反芻した。親友に絶縁され、事件に遭遇し、衛と出会い、夜市を満喫して――色々あった。これから出会うであろう非日常に心を躍らせる。
ただ、親友のことがずっと引っ掛かっていた。今まで幾度となく怒らせてきたが、今回のような様子は初めてだった。何か致命的な、取り返しのつかないことをしてしまった気がする。今更ながら、燦は幾何かの不安に掻き立てられる。
「…杏も、ここに来たらいいのにな」
そう呟いて、燦は眠りについた。




