17.前夜
近年、存在感を増している犯罪組織――『蟲蛇教会』。
いつ、どこで、何の目的で発足したのか。誰が率い、どこに集い、何をしているのか。一切不明なその組織は、神出鬼没にそして静かにその名だけを残してきた。
ある時は崩壊したギャングのアジトで。ある時は紛争地帯の権力者の元で。ある時は闇オークションの顧客一覧に。
「『細工師 ブームスラング』。蟲蛇教会の構成員の一人として知られる男よ。そして、恐らくこれが…」
「サリオンってことか」
ミーティング室にて、宵によって映し出された一枚の写真を見て衛はぽつりとつぶやいた。
監視カメラへ向けて不敵な視線を向ける仮面の男。その鎖骨の下から胸元へ広がる黒い月と蛇のタトゥー。それは、先日接敵した際に見えたものと酷似していた。
ゲートに消える間際。あの時、サリオンは自らタトゥーを見せ言葉を残した。「黒月」と。
それは、広く知られた蟲蛇教会のシンボルであった。
あの後すぐ、それを宵に伝えた。答えが出るまで、時間はかからなかった。
答え合わせをするかのように、ここ最近の『細工師 ブームスラング』は様々な場所に姿を現し、タトゥーを見せびらかしていたからだ。
衛は一度だけ、対面したことがあった。それは、とある闇オークションの本拠地へ赴いた時。元締めを追い詰めた時に彼が現れたのだ。
衛が駆けつけた時には既に、元締めは緑の蛇の顔を模した仮面の男の足元に血を流して伏していた。そしてその男は、衛に告げた。
「此度の毒は、あなたを選んでいません。どうか、お引き取りを」
衛は当時のことを思い返す。
あの時、サリオンは既に曙苑の協力者だった。仮面の奥から覗いた纏わりつくような笑みと紳士然とした立ち振る舞い、そして静かに響く声は、未だにサリオンと結びつかない。
軽快な声に柔らかい態度、犬を思わせるような温かくつぶらな瞳。それが、曙苑の知る彼だったからだ。
「そして最近、彼には“犬”がいた」
宵は、一つの動画を流した。
それはほんの数秒の動画で、カメラが画面外から破壊されたことで映像は切れた。映像をコマ送りにし、破壊される寸前で止める。そこに映っているのは、白銀の鎖だった。
「“犬”に関しては、これしか記録されていない。でも、ここ数ヶ月間、『細工師』の傍らに“犬”と呼ばれる一人の少年がいたことは確認できている」
「それが、杏ってことだよね」
燦は拳を握り締めた。
「この少年の存在は確認していたんだけど、まさか杏だとは思っていなくて…。ごめんなさい」
「宵が謝ることじゃないでしょ。その動画だって、ついこの間のもんじゃん。わざとボロ出して遊んでんだって」
そう言って、阿良汰は腕を組んだ。
「それでぇ?衛ちゃんのお陰で居場所はわかったんでしょお?」
「はい。発信機が示す場所は、感知器のデータから推測される場所とも一致しています」
幾本もの釘に紛れ込ませてサリオンの体に入れ込んだ小型発信機は、今もなお居場所を伝え続けている。
旧陸軍第八地下研究所跡。紀伊山地の奥に長らく放置された軍事施設跡である。
「人里から遠いのは助かるな。周囲のことを考えずに済む」
「でも、テレポートポイントがないよ」
ロイの言葉に、一心が被せた。
曙苑には、相手のようなワープゲートはない。しかし、長距離テレポート用のポイントが複数あった。ポイントは天瑞国各地に配置されており、そこに彩力を必要量込められれば誰でも曙苑と行き来することができる。
ただ、そのテレポートには制限が多く常用できない為、主に緊急脱出用として使われていた。
「行き来は空を使うとして、何かあった時はどうするんですか?あの辺りにはセーフハウスも無かったと思うのですが」
天の問いに、来栖が口を開いた。
「あるけど使えない、が正しい。あの施設跡、を押さえている、ということは、バレている可能性、が高い」
「せめてぇ、牧生ちゃんがいればぁあ、良かったんだけれどねぇえ?」
「龍之介さんの異能じゃ駄目なんですか?」
燦はそう問いかけた。彼は描いたものを具現化できる。ある程度賄えないものだろうか?
「それだけの大きな紙をどう用意するかだね。彩力はある程度補えるけれど、龍之介の異能は紙の大きさにも影響されるから」
衛の言葉に、燦は項垂れる。
「どのみち、明日決行なんだから腹括るしかないだろ」
「ロイの言う通り。各々、ピックアップポイントを目指すしかない。その為にも、位置取得端末は失くさないように」
衛はそう言うと、宵に次に進めるよう促す。
「わかる限りの施設の構造図よ。改装されている可能性はゼロではないけど、居座ったのが最近であることから可能性は低いとみてる」
「軍事施設だから、隠し構造もあるだろう。過信はしないようにね」
全員に複数の資料が渡される。
燦はそれらを一通り流し見すると、作戦計画書で目を止めた。
「杏救出に、ボクは入れてもらえないんですか」
「ああ。色々鑑みてのことだよ。気持ちはわかるけれど、変更はできない」
燦の手で、計画書が歪む。
そんな燦を置いて、話は進み始める。
だんだんと、燦の耳からは話し声が遠のいていった。
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ミーティング後、衛は独歩の執務室に報告に来ていた。
「――以上が、明日の作戦になります」
「うん。ありがとう、衛。明日に備えて、ゆっくり休むんだよ」
「はい。独歩さん、一つ、聞きたいことが…」
「うん?」
衛の手に汗が滲む。
「なぜ、僕の意見に賛同してくださったのですか?」
衛はずっと気になっていた。杏を引き入れることについて、独歩がなぜ乗り気なのか。なぜ、後押しするようなことをしたのか。
「特に、理由はないよ」
「杏のことは、作戦参加者全員の生死に関わると思っています。彼に手を出すか否か、その違いでどれだけ危険度が増すか、あなたも分かっている筈」
「…そうだね。誰か、死ぬかもしれないね」
「杏を引き入れたいというのは、僕や燦の完全な私情で、我儘です」
「それでも、キミはあの子を救い出したいんだろう?ワタシはその意を汲んだだけだよ。何が不満なんだい?」
「今までのあなたなら、あの場では反対していたと思うんです。客観的に見て、私情以外に杏を引き入れる理由がありませんから。今回の作戦だって、被害者の子達を救うだけならもっと低リスクになったはず。でも、作戦計画書を受け取った時に葉加里に聞きました。あなたに、杏救出を必ず組み込むように指示されたと」
衛の手に力がこもる。
「あなたは言いました。杏救出はついでだと。みんなはその言葉に納得した。今回の作戦を渡した時、彼らは何も言わなかった。けれど、それはまるで」
「騙している」
「っ、」
「キミは、そう言いたいのかな?」
独歩は机に肘をつき、手を組む。
衛は独歩の瞳を直視することができなかった。
「…そうです。杏救出を必須にするなら、せめてそれは僕だけで」
「それはできない」
「理由は、教えてもらえないのですね?」
「今はまだ、ね」
「それは、杏救出を強行させた理由もですか」
「…そうだね。今のキミには、言っても分からないよ」
「そうですか。………わかりました、独歩さん。今は僕の成すべきことを、ただそれのみを考えることにします」
「うん。それがいいよ。…ゆっくり休んでね」
衛は礼をすると静かに部屋を後にした。
独歩は立ち上がり、うっすらと見える月を眺める。
「………兄様。貴方だと良いのですが」
❖❖❖❖❖
燦が寝支度をしていると、ノック音が部屋に響いた。
一心が戸を開け、阿良汰を招き入れる。
「珍しいですね」
二段ベッドの上から、天が声をかけた。
「みんなと、というか正確には燦と話しておきたくて」
「ボク?」
空いたベッドに腰かける阿良汰の言葉に、燦は布団に入るのを止める。
天に促され、燦はしぶしぶと下へ降りて阿良汰の隣へ腰かけた。
「怒らないで聞いてくれよ。…おれは今でも、杏のことは良く思っていない。だから明日の作戦も、杏に関して必要以上のことをする気はない。これは、おれだけじゃなくて、ロイや朱音もそう」
阿良汰は腕に抱えた抱き枕を抱きしめ、顔を埋めた。
「でも、衛さんはそうじゃない。ミーティングの後、衛さんに言われた。作戦中は自分のところに来るなって」
「おれらも言われたよ。必要以上に関わるなって」
一心の言葉に、天が頷く。
「ボク言われてない」
「ミーティング中に言われてたじゃん。救出組に入れることはできないって」
「でも勝手に行く分には…」
「絶対やらないでくださいね?」
「………わかってるよ」
天に釘を刺され、燦は口を尖らせた。
「衛さん、絶対無茶する。もし、万が一何かあったら………」
阿良汰は顔を上げると、燦に向き直り瞳を見つめた。
「おれは杏を殺してでも衛さんを助ける」
その言葉に燦は目を見開くと、おもむろに手を阿良汰の首に伸ばした。
とっさに、一心が間に入り燦の両手首を掴んで制止する。
「待てって。燦…!落ち着け」
「落ち着いているよ、一心」
「じゃあ、この手は何だよ」
「今、こいつは杏を殺すって言ったんだ。だったら、そうなる前に…」
「まだそんな状況になるって決まったわけじゃないだろ!」
それを見た天はベッドから飛び降りると、阿良汰を引いて距離を取らせた。
「阿良汰くんもなんでそんなこと言いに来たんですか」
「…おれのスタンスを伝えとこうと。いきなり殺すよりはいいだろ」
「燦くんに対しては愚の骨頂ですがね」
「ああ、もうっ!いい加減にしろって!!」
一心がそう叫んだ瞬間、燦はとてつもない流圧を感じた。何かが勢いよく体内を逆流していく。
視界がぐわんと回り、平衡感覚が失われていった。とっさにベッドに手をつくが、体は思うように支えられない。
そのまま後ろによろけ、二段ベッドの柱に頭をぶつけると、燦は気を失ってベッドに倒れこんだ。
「…何をしたの」
阿良汰の問いに、一心は息を切らせて答える。
「彩力を逆流させた。大丈夫。起きる頃には治ってるから」
疲労に満ちた沈黙が、三人を覆った。
❖❖❖❖❖
「…今、なんて言った?」
護は日誌をつける手を止め、顔を上げた。
「もしもの時は頼むって言ったんだ。杏のこと」
そう言って、衛はチョコレートを一つ口に放り込んだ。
「…衛。お前、その杏って子に健のこと重ねすぎていないか」
護の言葉に、衛は静かに答える。
「そうだね」
「その子と健は違う」
「わかっているよ」
「わかってない。その子を助けることで楽になろうとしているだろう、お前は。健を救えなかったあの時をやり直そうとしているだろう」
「明日、あの子に会えばお前にもわかるよ」
「はっ、わかりたくもないね。健は健だ。そして健を救えなかったのが俺たちだ!命を懸けてあの子を助けようと、その事実は変わらない!目を覚ませ、衛!」
護は立ち上がって声を荒げた。
「無茶をする気なんだろう、お前。あれだけ、無茶は嫌いだと言っておきながら。その子の為に」
「信条なんて、貫き通せないものだよ」
「お前は、自分の為にその子を利用しているだけだ」
「そうかもしれない。あの時、間に合わなかった自分と、僕は決別したい」
「できやしない。そんなことは」
護の脳裏に鮮明に蘇る。目の前で地面に叩きつけられた、弟の体。血にまみれた自分の手。そして、それをベランダから茫然と見下ろしていた衛の姿。
「………今は、それでいいよ。でもきっと、杏に会えば護にも分かる筈だ。これはきっと、神様がくれたチャンスなんだって」
「チャンス?」
「そう。あの時の無念を晴らすチャンスだ」
そう言って護を見上げる衛の顔は、笑みに苦しみが滲んでいた。
護は、その顔を直視できなかった。
「…もういい、勝手にしろ。でも、お前の頼みは聞けないかもしれないぞ」
「わかった。信じている」
「っ、だからっ」
「もう寝るよ。おやすみ、護」
衛は一方的に話を切り上げると、部屋を後にした。
護の両の拳を、激しく机に叩き叩きつけた。
「勝手ばっかりだっ………。衛も、健もっ」
護は椅子に腰かけると、頭を抱え項垂れた。




