11.痛感
あれ以来、杏は夜の屋上に姿を見せなかった。
衛は街灯りを背に、大きくため息をついてしゃがみこんだ。
あの時、強引にでも引き留めていれば。そう思わずにはいられない。
大丈夫。明日は任務で顔を合わせる予定だから。明日になれば会える。大丈夫。大丈夫。
衛はひたすらに、自分にそう言い聞かせた。
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「今日も元気そうだねー。良かった、良かった」
サリオンの声に衛は振り返り、安堵の笑みを漏らす。彼の隣には、杏がちゃんと立っていた。
だが、その態度はだいぶそっけないものになっていた。目を合わせてもらえず、返事もない。
「なんかごめんねー。調子悪いみたいでさ」
と、サリオンが杏を小突く。
「大丈夫。気にしていないよ」
衛がそう取り繕うと、サリオンは「気にしてるくせに」とからかった。
いつも通り、サリオンと段取りを確認する。その間も、衛は傍らの杏が気がかりでならなかった。
「―――じゃあ、こんな感じで。オレは杏とB地点に」
「わかった。みんなに共有してくるよ」
話が纏まり、衛が皆の元へ駆けだした瞬間、腹部に強烈な痛みが走った。
「う”っ、ぐっ、!?」
あまりの痛さに身をかがめると、自分の腹部から、数本の鎖が飛び出していた。
振り返れば、その鎖は少年の右手に集約していて………
「杏………?どうして…?」
衛はその場に膝をついた。
目の前に伸びる鎖の先には、衛の血にまみれた杭があった。
その瞬間、朱音の放った赤い刃が杏を襲った。杏は即座に鎖を解き、後方へ跳んで刃を避けた。
その隙に、何とか衛は仲間の元へ転移した。
衛を守るように、朱音とロイが立ち塞がる。
朱音の左手からは血が流れ、滴った血が鋭い刃となって杏へ向かった。杏は鎖でそれらを弾くが、朱音の手数の多さに、防戦一方となっていた。
阿良汰が衛に駆け寄り、必死に傷を圧迫する。
「待ってよ、ねえ、攻撃しないで!!ねえ、待ってってば!」
「待つってなんで!?あいつは衛さんを襲ったんだよ!?」
急な展開に動揺し叫ぶ燦に、阿良汰は叫び返した。その瞳には、明確に憎しみが込もっている。
「だって、何かの間違いだよ。杏は、そんな」
「間違いって何が!?燦も見ただろ!?あいつの鎖が衛さんの腹を貫いたんだ!!」
「だって、だって、」
燦の思考は一向に纏まらなかった。こうしている間にも、みんなは杏と戦っている。朱音の動きに慣れてきた杏の鎖が、時折こっちまで飛んできていることには気づいていた。ロイが対処していなければ、今頃誰かを貫いていたかもしれない。
自分がすべきことはわかっている。
天が曙苑に連絡している間、その時間と余裕を作らないといけない。
阿良汰と一心が衛さんの手当に集中できるようにしないといけない。
自分も、杏と戦わないといけない。
自分が、杏と。
自分が。
「あっははははははっ」
突如、笑い声が響いた。
杏の後ろで、サリオンが口元と腹を抑えて笑っていたのだ。
「何が可笑しい!?ふざけるな!!このっ、犬畜生が!!」
それに対して阿良汰が涙ながらに叫んだ。
「犬?今お前、オレのこと犬って言ったな?」
気付けばサリオンは阿良汰の目の前に立っていた。阿良汰の前髪を掴んで引き上げる。
朱音とロイは完全に虚を突かれていた。
「あはっ、ごめんね?怖かったよね?」
「い”、い”た”…」
「え?痛い?君の親愛なる衛の方が何倍も痛いと思うよ?まさかこの程度で泣き言言わないよね?ずっっっと前から気にいらなかったんだよねぇ、君。衛にうっとおしく付きまとってさあ。良い機会だから君は連れてっちゃおうか?」
その言葉に、朱音とロイが即座にサリオンへ襲い掛かった。
が、それも虚しく、間に現れた杏にはじき返されてしまう。
サリオンはつまらなさそうに阿良汰から手を離すと、たった一言、言葉を放った。
「やって」
それが何を意味するのか考える間もなく、全員が鎖に囚われていた。地面から伸びた鎖に固く縛られ、身動き一つ取れない。
「っ、逃げられる」
一心がそう呟いたのも束の間、サリオンたちの奥に一つのゲートが開いた。
「どうして!?」
燦が叫ぶ。
「どうして?面白いから」
その叫びに、サリオンは淡々と答えた。
「こうするのが面白そうだなって思ったんだよ。ま、思ったよりは格段につまらなかったけど。帰るよ、杏」
サリオンの呼びかけに、杏は静かに頷き、燦たちへ背を向けた。
「待って!ねえ!待ってよ、杏!!」
その背に、燦は必死に叫んだ。
「何かの間違いだよね?ねえ、そう言ってよ!ねえ!」
その声が届くことはなく。杏の姿はゲートの向こうへと消えていった。
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「う”ぅ”、けほっ、」
杏は首を掴み上げられ、壁に叩きつけられていた。
口の端からは唾液が垂れ、視界は遠のいていく。
「手、抜いたね?」
杏の首を更に絞め、サリオンが問いかけた。
「ごめ、っなさぃ”」
「謝れなんて言ってないんだけど」
「ごめん、なさっ、ぃ…ご、めんな、さ」
杏は薄れゆく意識の中で、必死に言葉を繰り返す。
サリオンはその様子に呆れ、ぱっと手を離した。倒れ込んだ杏の額をつま先で小突くが、反応はない。
「ま、いいや。次はちゃんとやってね」
彼はそう言い捨てると、欠伸をしながらその場を立ち去って行くのだった。




