4.消された台詞
渡された紙の束を見て、誠は驚愕した。
「すげー!卒公の台本じゃん!」
「うわぁ、懐かしいね!」
紙の束の一番上には誠たち演劇サークルcross hearts 24期生の卒業公演である『果てなき宇宙に焦がれて』の演目名が書かれていたのだ。皆が感嘆の声を上げる中、誠は一人息を呑んだ。ラストシーンの最後の台詞を飛ばしてしまった、あの演目だからだ。さらに新菜から驚きの一言が発せられた。
「実はね、皆でもうもう一度やりたいと思って」
えっ?と誠が言う前に、千帆が戸惑ったように言った。
「もう一度?公演を打つってこと?」
「いや、ホールとか借りて大々的にやりたいわけじゃないの。ステージはこのリビング。お客さんはいない。私たちのためだけのステージ」
「俺たちのためだけ?」
「そう。今回皆にもらった時間の中で出来る範囲でやりたいの。だから音響は流してもらうけど、役者陣は台本持って動いてもらって大丈夫」
「良かったぁ、それなら出来そうだわ」
「チホ、何言ってんだ。役者が台本を読みながら本番の舞台に立つなんて恥ずかしいと思わないのか?」
好宗がまるで大御所俳優のような振る舞いで言った。
「一番台詞覚えが悪かったあんたが何言ってんのよ」
「でも一回やってるんだぜ。誠だっていけるだろ?」
「俺も無理」
「マコトぉ…」
味方がいないことが分かり、好宗は音を上げた。
「台詞覚えが早いお前に言われると、もう何も言えないぜ」
「いや時々思うけどさ、あの時よく1時間近くもある演目の台詞を覚えられたよなって不思議に思う」
「ほんとそう!職場の幼稚園でお遊戯会があるんだけど、そこで職員の出し物もあってさ、『演劇やってたんだから』ってメインの役を振られるんだけど全然台詞覚えられなくて…。『桃太郎』とか、たった5分くらいの昔話なのにね」
それを聞いて新菜はニヤッと笑う。
「へぇ、チホは今でも役者なんだね。これは期待しちゃうな」
「やめてよ、ニーナがいる世界とは比べ物にならないんだから」
談笑に参加しながら、誠は手元の台本に目を落とした。
皆でもう一度やりたい―。その言葉は単純に嬉しかったし、誠も同じ気持ちだった。ただ…、あのラストシーンのことを思うと胸が痛む。しかもこの台本は、新菜が書いたものだった。だから、特に新菜には申し訳ない気持ちでいっぱいだったのだ。
ふと新菜を見る。もしかして彼女は、あの不完全だった公演をやり直したくてこの提案をしたのではないだろうか。だとすれば、誠のすべきことはたった一つ。今回は台本を持っていいと言っていたから、もう台詞を飛ばすことはないだろう。今度こそ、成功してみせる。そう思っていると、新菜と目が合った。彼女は一瞬だけ微笑んで、すぐに目線を元に戻すと、パンパンと手を叩き、話を始めた。
「じゃあ早速、本読みやってみようか。配役は前と同じね。ト書きの所はあかりん、音響照明効果の所はキョン、読んでくれる?」
「オッケーだよ」
「了解」
「本読みだって!懐かしいね」
「うひょー!燃えてきたぜ!」
仲間たちが心を躍らせる中、誠は先ほどの新菜の笑みに違和感を持ちながら、台本を開いた。
本読みとは、最初の演劇稽古で行う台本の読み合わせのことである。輪になって座り、それぞれの役割の箇所を、声に出して読んでいく。誠や千帆は本読みでは淡々と読みたい派なのだが、好宗は最初から全力で感情を込めて読むので、二人はどんどんそれに引っ張られていってしまう。その光景に灯里は笑いをこらえ、響也はあきれ顔、演出の新菜は何も言わず、でも温かい目で見守る…。この空気感がとても懐かしい。
今読んでいる『果てなき宇宙に焦がれて』は、新菜が卒業公演のために書き下ろした脚本である。地球によく似たとある惑星の、科学が発展した国とその隣国が物語の舞台。宇宙工学を巡り二つの国で争いが起こり、やがて世界中を巻き込み、そして先進国が保有していた核爆弾が落とされた。物語はその十五年後、荒れ果てた地となった二つの国の境目にて始まる。
好宗は宇宙工学を発展させようと注力した国の王子マック、千帆は人類が地を離れることを禁忌としていた隣国の姫ジェニー、そして誠は宇宙工学発展のため先進国から招かれた研究員の息子エディを演じた。シリアスな世界観でも笑い所も時々ある、人間の成長を感じられるヒューマンドラマ。まさに新菜の真骨頂とも言える作品だ。
物語の最後は、ついに完成したロケットにマックとジェニーが乗り、その発射をエディが見送るという場面で締めくくられる。
「メインエンジンが限界。もうダメ。このままじゃ、壊れる」
「ジェニー、何弱気なこと言ってんだ。エディの言葉を忘れたのか?」
「…そうね、マックごめん。私は信じる、自分を、そして仲間を」
「いくぞおおお!」
「SE、ロケット上昇の音。照明チェンジ、サス1」
「立ち尽くすエディ。仲間たちの未来を願い、一人この地で生きていく覚悟を胸に、空高く飛び続けるロケットをいつまでも見上げるのだった」
灯里が読むト書きで、物語が終わった。
「いやーっ!いい話だなあ!」
好宗が天を仰ぎながら言った。
「ねっ、色々思い出したら泣きそうになっちゃった」
「ほんと、ニーナよくこんなの書けるよね」
皆が次々と感想を語り合う中、一人黙っていた誠に、隣に座っていた響也が声をかけた。
「マコト、どうかしたか?」
「いや…」
誠はもう一度最後のページを開いた。無い。エディの最後の台詞、あの時飛ばしてしまったあの台詞が無いのだ。確かあの台詞は、ロケットが飛んだ後、サス(スポット照明)が当たった時に言うはずだった。それがごっそり抜け落ちている。しかしそのことを、誠以外誰も気づいていない様子だった。どういうことだ…?
「みんな問題なさそうだね」
新菜が立ち上がり、話を始めた。
「先に音響と照明の打ち合わせしちゃうから、その間、役者陣は各々稽古しといてね。よろしく」
「よっしゃあ!じゃあマコト、チホ、早速頭からやろうぜ」
「え、お、おう」
問答無用に誠は好宗に引っ張られていく。
「ちょっと、私嚙みそうな台詞、一人で練習したいんだけど」
千帆はブーブー文句を言いながらも好宗に付き合い、役者陣の稽古が始まった。
音響の響也は事前に大まかな企画の内容を聞かされていたらしく、すでにSE(効果音)やME(いわゆるBGMのこと)の素材を集めていた。一時間足らずで新菜との打ち合わせが終わると、その後は編集作業に没頭した。照明の灯里は、今回はスポットなどの照明はもちろん無いので、カーテンの開け閉めやリビングのスイッチで明るさや暗さを表現することになった。打ち合わせの後、振り返りながら台本にたくさん書き込み、本番での動きを確認しつつ、時々響也と切り替えのタイミングなどを話していた。
懐かしいなと、誠は改めて思った。皆で一つの作品を作るために、各々が与えられた役割に全力で取り組む。端から見たら皆違う方向を向いているようだけど、そうではない。一人ではないから、頑張ろうと思える。だから夢中になれたのだ。だからこそ、最後の最後まで頑張りたかった…。
誠は、台本の最後のページに目を落とした。
「なぁ、ヨッシー」
千帆が個人練習をしている間に、誠は好宗にこっそり声をかけた。
「この台本さ、あの時と違うとこ、無いか?」
「え?いや一緒じゃね?」
「最後の所とかさ…なんていうか…」
説明しようとしたが、どう話そうか一瞬だけ口ごもった。すると好宗が、
「最後な、すげーいいシーンだよな!ニーナの演出も最高だったんだけどさ、マコトもあのシーンで泣いてたじゃん?エディの気持ちが溢れててさ、それでより良いラストシーンになったわけだよ。よくあそこで泣けたよなぁ、さすが主役!」
と、マシンガントークに押されてしまった。好宗は全く覚えていないようだ。誠の記憶違い?ラストシーンは元々台詞が無かった…?いやそんなはずは…。心の中で自問自答を繰り返しながら、稽古は続いた。




