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29話 果実水

 街の屋根や石畳が茜色に染まっている。

 家々の屋根の煙突から炊事の煙が空へと向かってのぼり、夕食時であることを告げる。

 茜色の陽光は市壁も照らし、ランスディールが許可をもらって一夜を過ごすことになった応接室内にも窓から入り込んでいた。

 灰色の煉瓦の壁と天井にある吊下灯つりさげとうも街並みと同じ色に染まっている。


 むしゃむしゃむしゃむしゃ。


 栗鼠のように頬が膨らむほど林檎をかじって詰め込んで咀嚼しているラミィの口端こうたんから林檎の果汁がたれた。


「ラミィ、たれたよ」


 ランスディールは席を立ち、ラミィの背負い鞄から布巾ハンカチを出して渡そうとしたが、ラミィはランスディールが布巾を出す前に手の甲で拭った。


「ラミィ、手を出して」


 ああもうという顔でランスディールは子供の世話をするように、果汁で濡れたラミィの手の甲を拭く。

 口は自分で拭いて、とランスディールは言いながら布巾を渡す。

 ラミィは渋々口元を拭いた。


「ちびは大丈夫だね」


 ランスディールはカーリージェリーがギルドに行っている間、ラミィと黒うさぎのちびの夕食の面倒を見ていた。

 ランスディールはラミィの隣で静かに食事をしている黒うさぎのちびの口元を見る。

 ランスディールと目が合った黒うさぎのちびは頷いた。


「のど乾いてない? 水ならあるよ」


 ランスディールがテーブルに置いた皮袋は、自分が使っている水袋だ。中の水は橋がない川で入れ替えした。時間が経過しているので新鮮さはないが、十分飲料水として飲める。


『大丈夫』


 黒うさぎのちびは木の実と果実を交互に食べているからと、漆黒の角を光らせてランスディールへ念話を送った。


「果汁を水代わりにしているんだ。ちびは賢いね。いつからそういう食べ方をしているの?」


 ランスディールは黒うさぎのちびの隣に戻る。

 逃げていたときからなのかと聞けば、同胞と別れてしまった寂しさや辛さを抱えているだろうその心を確実に刺激してしまう。ランスディールは言葉を選んで聞く。


『みんなと一緒に食べていた時からそうしてた。お水、大切にしないとすぐなくなっちゃうから』

「近くに川がなかったの?」


 黒うさぎのちびは首を横にふる。


『あるけど、白うさぎの里みたいにお水をためる木で作った入れ物はなかったから』

「じゃあ、入れ物はなにを使っていたの?」


 ランスディールは白うさぎの里よりも原始的な生活を匂わせる黒うさぎのちびの返答に、興味よりも疑問を抱いた。

 道具がない生活はかなり大変なのではないだろうか。


『大きい果物の皮。実を食べ終わったらそこに川の水をすくって入れてた』

「大きさってどれくらい?」

『……ランスの頭くらい?』


 黒うさぎのちびは自信がないようで、疑問符をつけてランスディールに念話を送った。


(私の頭くらい……)


獣人も人間も生きるためには水は欠かせない。

 黒うさぎのちびの里では、その水は生きるための水だ。


(そういう生活が当たり前っていう考えだから、不満とかでてこないんだろうな。白うさぎの里でもそうだけれど)


 ランスディールは白うさぎの里で泊まった日を思い出す。

 カーリージェリーが驚いていたように、人工的な物品は勇者アヴァベルルークスから贈られた絨毯。それと、生の果物と木の実を乗せるために使われた木製の盆。

 あとは近くにある川の水をくむために使われている桶とその汲んできた水を飲むための木杯だ。

 白うさぎの里はリアンド国と友好関係を築いている。

 カーリージェリーが疑問に思っていたように、その気があれば交易もできる関係になれるのだが、女王ヴィヴィの方針なのか、本当に今の暮らしに満足しているからなのか、数百年たった今も積極的な交易はおこなわれていない。

 ランスディールが一人思考にふけっていると、隣からむせた声が聞こえた。


「ちび、大丈夫⁉」

『うん、大丈夫』


 木の実が喉に詰まっただけ、と黒うさぎのちびは漆黒の角を光らせて念話を送る。


「ちび、これをのんで。あと少し待てばカーリーが果実水を買って帰ってくるから」


 ランスディールは水袋の蓋を外し、黒うさぎのちびに飲ませる。

 黒うさぎのちびが水袋を持って飲んでいる姿を見て、ランスディールは胸が切なくなった。


(いまさらだけれど、人の文明とまではいかなくてもなにかを作って生み出す技術が黒うさぎの里にあれば結果は違っていただろう。もしあったら自分たちの里を襲った巨大な狼型の魔獣に何かしらの対抗策が打てたかもしれない。たとえ対抗策がうてなくても時間稼ぎができれば、ちびがこうして同胞たちと別れて一人ぼっちになって、何日も逃げ回る状況にならずにすんだかもしれない)


 人は戦うとき武器を使う。

 身を守るため鎧を身につけ盾を持つ。

 それらはランスディールが生まれる前からあって、過去の職人たちの努力により在るもの。


(文明って偉大なんだな)


 ランスディールは心の中で文明の発展に貢献した偉人達に感謝した。

 ランスディールの手が自然と黒うさぎのちびの頭に触れる。


『?』


 黒うさぎのちびはなにと不思議そうな顔をしてランスディールを見あげる。

 ランスディールはあ、と声をもらした。


「えっと……ちびははじめての場所でも大人しくて偉いね。ラミィは結構顔とか態度にでるから」


 一人で頑張っていたちびは偉いなという気持ちがランスディールの手を動かした。

 しかし、思うだけで撫でようとは思っていなかった。気がついたら自然と手が伸びてちびの頭を撫でていた。

 それを誤魔化すためにラミィを巻き込む。


『む! ラミィも大人しい!』


 ラミィはなぜそういわれなければならない、と言いたげな顔をして金色の角を光らせた。


「今はね。妹たちがはしゃぐと場所かまわず一緒にはしゃぐでしょ?」


 末の双子の姉妹はまだ十歳。気が合うようでよく一緒に遊んでいる。

 自宅なら別にかまわないのだが、ラミィは過去によその家で顔が青ざめるような出来事を起こした。

 ある日、母親と同じ精霊術師をしている邸宅にお邪魔した。双子の姉妹と一緒にはしゃいでいたとき、手が花瓶にあたって落ちて割ってしまい、契約主である母親は何度も謝罪して弁償したことがあった。


『かまわずじゃない! マミーに怒られて反省した!』


 ラミィは金色の角を光らせて反論する。契約主であるランスディールの母親に帰ってから怒られたようだ。

 頬を膨らましているラミィにわかったよ、といったとき、ギルドへの報告を終えて帰ってきたカーリージェリーがいくつもの紙袋を抱えて扉を開けた。


「いや~、時間かかった」


 女王ヴィヴィから預かった古びた鞄をカーリージェリーはギルドへ持っていき、それを見せながら黒うさぎの里で起きたこと、女王ヴィヴィから聞かされた話、そびえ立つ崖で見た光景、巨大な魔獣らしき獣と遭遇しかけたことを話した。

 紙袋は帰り道に買った二人分の夕食。それと果実水が入った陶器の壺四つを長椅子の前にあるテーブルに置いた。


「ありがとう、ご苦労さま。どうだった?」

「話をしたのはライナスが冒険者登録をした時の受付嬢だよ。聞いている途中で話の規模が大きいって感じたみたいで、個室に案内された。受付嬢が先輩を連れきてもう一度話をしたよ。ちびが一人でいたころに許可をもらって『精霊獣が住む森』に入った冒険者を知っているかって聞いたら、こちらではわからないと言われた。あの手続きの管轄は役所だろう。守秘義務とかの問題で事件とか何かしらの事情がないと問い合わせしても役所は答えてくれないそうだよ」

「そうか」

「話したことはすべて記録帳に書いてもらった。あの鞄も預かってもらったよ。そうしたら今、狼型の魔獣狩りが流行のように盛んになっているってさ」


 カーリージェリーは紙袋から茶色がかったパンで挟まれたチーズ入りの塩漬けの豚肉と葉野菜のサンドイッチをランスディールに渡す。

 単品で買ったソーセージと果物はテーブルの真ん中に広げ、果実水が入った壺はそれぞれにくばった。


「流行のように?」


 ランスディールはサンドイッチをテーブルに置いて、カーリージェリーから食事代のお釣りを受け取りながら、それってどういうことと聞き返した。


「狼型の魔獣があちこちで出没しているんだと。魔獣の討伐は依頼の張り紙がなくても報酬がもらえる。脅威だからさ」


 でもおかしいんだよ、とカーリージェリーは話を続ける。


「どの辺りなんだって聞いたら、比較的安全だって言われていた場所でも出没しているって。冒険者たちがよく行く遺跡に向かう途中で分かれ道がある。その分かれ道を進むと薬草が生えていて、新人冒険者が手始めに行く場所で知られてる」

「珍しいことなんだよね?」


 ランスディールはお釣りを財布の中に入れて背負い鞄へしまう。


「ああ。受付嬢の先輩が、これじゃ新人の冒険者が育たないって嘆いたよ」


 カーリージェリーは言い終えると壺の栓を抜いて果実水を飲み喉を潤す。


「あ、そうだ。あの手紙、配達屋にだしたよ」


 カーリージェリーが思い出したように言う。

 ランスディールは黒うさぎの里の一件を手紙に書いて、王都にある精霊術師団の本部宛てに送った。

 本部には女王ヴィヴィの契約主がいる。読めばきっと何かしらの対応はしてくれるはずだ。


「ありがとう。金額足りた?」

「ああ。それは大丈夫。しかし速達って高いね。びっくりしたよ」

「最短距離で届くように早馬で走らせるから」

『ランス、飲んでいい?』

「いいよ」


 ラミィは先ほどの一件で機嫌が少し悪いものの、飲食への興味には勝てず、果実水の味が気になって仕方がないようだ。

 壺を膝の上に乗せて栓を抜き、両手で持ち上げて飲んだ。


『む! 林檎じゃない』


 一方的に期待をよせて裏切られたラミィは頬をふくらませる。


「悪いね。林檎は人気でもうないって店員に言われて。それしかなかったんだ」


 ランスディールも栓を抜いて一口飲んだ。甘酸っぱさが残る赤いベリーの果実水だ。


「ラミィ、ベリーは好きだろう?」

『実がない』


 ラミィは味の薄いベリーの果実水を飲みながら、背負い鞄からだした実のあるベリーを口の中に入れた。どうやら味を整えて自分で自分の機嫌を直そうとしているようだ。

 その隣にいる黒うさぎのちびは壺をじっと見ている。


「ちび、栓を抜いてあげるよ」


 里を出てきたばかりの黒うさぎのちびにとっては、見るもの全てが珍しく映るのだろう。

 そして、人の国で暮らしていくには扱い方を知らなければならない。

 ランスディールはこうするんだよと、黒うさぎのちびに見せながら栓を抜いた。どうぞと壺を渡す。

 黒うさぎのちびはラミィの真似をして両手で持ち上げて一口飲んだ。


『お水なのに味がする!』


 黒うさぎのちびは驚き、目が瞬いた。


「果実水っていうんだよ。水に果実の汁を混ぜているんだ。今日はベリー味だったけれど、林檎や柑橘類、いろいろな味があるよ」


 ランスディールは人の国ではよく飲まれているものだよと教える。

 説明を聞いた黒うさぎのちびは、栓を抜いた穴の中を見る。興味が湧いて中身が気になるようだ。

 その姿を微笑ましく見ているランスディールとカーリージェリー。

 二人も冷めないうちにとソーセージとサンドイッチに手を伸ばした。

 そして、二人は黒うさぎのちびが大人しいからとそのままにしていた。

 黒うさぎのちびは微かに香るベリーの匂いに誘われるように、果実水の入った壺を持ち上げてごくごくと飲み始めた。

 麻袋からだした木の実や食べかけの果物がまだテーブルにあるが、はじめて飲んだ果実水が気にいったようで喉を鳴らすほどにごくごくと飲んでいる。


「ちび? そんなに飲んで大丈夫?」


 ランスディールは飲み続けている黒うさぎのちびに気が付いて心配そうに見やる。

 カーリージェリーは飲みっぷりがいいねえ、と笑って褒めた。


『ぷはっ』


 満足した黒うさぎのちびはようやく壺から口を離した。


「残りは明日にしよう?」


 ランスディールは言いながら壺を黒うさぎのちびから離した。

 この街には獣人を診察てくれる獣医はいないと男性事務職員は言っていた。なので、お腹を壊したら大変なことになる。

 

(ちびは大人しいからつい目を離しそうになってしまうんだよな。ラミィのほうがしゃべるし、行動的だから)


 面倒をみる対象が二人いると、どうしても行動的なほうに目がいってしまう。


『うん!』


 黒うさぎのちびは頷いた。

 こうして、ランスディールたちの夕食は終わった。





『ちび、大丈夫?』


 ランスディールとカーリージェリーが食事を終わらせてテーブルの上を片づけていると、ラミィが心配そうに黒うさぎのちびを見ていた。


「え?」


 ランスディールが横を向くと、黒うさぎのちびは内股になっていて股間に手をあてて震えていた。

 


『お水美味しいから、飲みすぎちゃった……』


 お腹がたぽたぽするほど果実水を飲んだ黒うさぎのちびは我慢できないと、ランスディールに訴えた。

 漆黒の角が緊急性を知らせるように明るく光る。

 朝日に照られた夜空を連想させる青い瞳は助を求めるように潤んでいる。


「え? ちょ、ちょっと待ってっ!」


 なんで緊急事態になるまで黙っていたんだ。もっと早く言ってくれと、言いたかった言葉を飲み込んで、ランスディールは黒うさぎのちびを抱えて扉を勢いよく開け、部屋を飛び出した。

 ランスディールは見た目も麗しい白金髪の青年騎士だ。

 近衛騎士団に所属していたころはランスディールが王宮の廊下を歩いていると、十代から熟年層まで幅広い年齢層の女性たちから綺麗ね、素敵と言われ、女性陣の目を潤していた。

 しかし、今はそんな見た目麗しい青年騎士は全力疾走して、城門塔内の廊下を走る。

 髪を振り乱し、外見的美しさを犠牲にしたことによって黒うさぎのちびの尊厳は無事、守られた。


読んでくださり、ありがとうございました。

沢山の作品がある中で、自分の作品を読んでくださった方がいると思うと、とても嬉しいです。

とても励みになります!

今後もよろしくお願いします!


高評価、いいね、ブックマークよろしくお願いします!



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