三話 花子さんの本性
あの笑顔を私は忘れないだろう。
しかし、その翌日、私は花子さんのいるトイレに行かなかった。休日なのに、わざわざ学校に行きたくない。
月曜日の放課後。
「マツリー! 一緒に帰ろー!」
背中にやわらかな感触があたり、柑橘系のいい匂いが鼻先を霞めた。後ろに重みがのしかかり、バランスを崩しかけた。胸の前に回った、小麦色の腕を剥がす。
「ごめん、ユウハ。ちょっと用事あるから先帰ってて」
「残念……わかったよぉ」
ユウハは肩を落として、階段を降りていった。
ユウハはいつも私にべったりだ。まあ、可愛いからいいんだけどさ。
ユウハが見えなくなり、私の足はトイレへと向いた。ユウハのしらない秘密ごと。もし、ユウハが知ったらどう思うかな。
近くに誰もいないことを確認して、トイレに入った。
緩んだ口元を引き締めて、個室に入った。
「はーなこさん、あそびましょ」
便座に座って、天井を見つめながら呟いた。ため息に混じってでた声が消える。
反応がない。
おしっこしないと出てこないの?
「ねえ、花子さんいないの?」
一応おしっこをしておこう。
一度立ち上がり、ズボンと下着を下ろした。花子さんと会ってからというもの、放課後までトイレを我慢するようになっていた。
膀胱に溜まったおしっこを開放する瞬間の快楽がたまらない、癖になる。
力を抜いて、くすぐったいような気持ちよさが襲う。
「んっ……」
やっとおしっこができるという安心感と、少しの快楽に浸っていた時。
「幸せですーっ」
どこからか花子さんの声が聞こえた。あたりを見回すがどこにも姿はない。窓のすりガラスの向こうにもいない、トイレットペーパーを引き出してみてもいない。天井に張り付いてもない。
足元を見たがいな……。いた。
快楽など忘れ、若干のイラつきを覚えた。
「どこにいんだよ、このマゾっ!」
「幸せですー、おしっこを顔にかけられ、飲み、しかも、やわらかな太ももや薄い茂みを拝め」
「黙れ」
便器の中を覗き込むと、うっとりとして頬を赤く染めている花子さんがいた。便器の中の水に体が浸かり、おしっこが口に入るように開けて、視線は上を向いていた。
私は、ちゃっちゃと拭いて、トイレットペーパーを便器に捨て、蓋を閉めると流した。
ジャーという流れる音と共に「ちょっと、なにするんです! 暗い! 水がっ! あ、トイレットペーパー……うふふ」と苦しいのか嬉しいのかよくわからない声が聞こえた。
このまま排水管に詰まってしまえ。
トイレから出て、清々しい気持ちで洗面台まで歩いた。手を洗おうと蛇口をひねった瞬間、肩を濡れた手が掴まれ、思いっきり後ろに引かれる。ところどころしみの付いた天井が視界に映る。
「どうして来てくれなかったのですか? 待っていたのに。
どうしてわたしを流したのですか?」
悲しみのこもった声。背筋がひやりとした。びっしょりと濡れた髪から覗く瞳には闇があり、吸い込まれそうだ。猫のように細長くなった瞳孔、口裂け女のように、大きな口。いつもの花子さんとは違う。
花子さんを退けようにも、馬乗りをされているため、腕だけじゃ無理。
花子さんを舐めていた。
「わたしだけのあなた、逃さないわ。約束破ってしまったのですもの」
どうしたら正気に戻る?
あ、花子さんは変態だからもしかしたら……。
リボンを解いて、床においた。ボタンを一つ一つ外すが、指が震えて、いつもより外すのが遅れる。
花子さんの目線が、私の顔から胸元へ移動する。
細長かった瞳孔は丸みを帯びて、口の大きさももとに戻った。そして、口元がにやけている。
花子さんは私から飛び退き、恥ずかしそうに口元を両手で押さえる。
「まあ、なんてえっちなことを……! あなた、変態だったのですね!」
「お前にだけは言われたくねえよ!」
急いでボタンをはめて、リボンを結び直す。立ち上がって、スカートのよれを直した。
「約束破ったのは悪かったよ、休日だったから面倒だった」
ぶっきらぼうに謝り、蛇口をひねった。
「では、また明日きてくださいね?」
「へいへい」
汚れを払うように丁寧に洗い、トイレから出る。
窓から西日の光が差し込んで、寂しさが漂い、不気味だった。
鞄を拾い上げ、あるき出そうとした時、誰かとぶつかった。
「ああ、すみませ……ユウハ? 帰ったんじゃ」
「忘れ物しちゃって、取りに帰った後トイレに行こうとしたら、マツリの声がきこえてねー」
笑みを浮かべていたユウハの顔が、蝋人形のような無表情になる。
西日がユウハの顔を照らして、陰をはっきりと浮かび上がらせた。
光のない瞳は私を見つめている。
ユウハは氷のように冷たい声で呟いた。
「ねえ、誰と話してたの?」




