第4話:夕方のお買い物と、不意打ちの『男』の顔
学食での騒ぎから数日後。
金曜日の夕方、私と錬は大学近くの大型スーパーにいた。
「今夜のごはん、何がいい? 錬のリクエストに合わせるよ」
「紬の作るカレーがいい。……あ、でもハンバーグも捨てがたい」
ショッピングカートを押しながら、錬は真剣な顔で野菜コーナーを吟味している。
黒のパーカーにジーンズというラフな私服姿だが、背が高くスタイルが良いので、すれ違う買い物客や主婦の人たちが思わず振り返っていた。
「両方は無理だからね。じゃあ今日はカレーにして、ハンバーグは来週にしようか」
「了解。じゃあじゃガイモと玉ねぎ入れるね」
慣れた手つきで野菜をカゴに入れていく錬。
その姿はどこからどう見ても、週末の買い出しに来た新婚夫婦のようで、私は密かに照れくささを覚えていた。
(……いやいや、また余計なこと考えちゃダメ! 幼馴染の買い出し、幼馴染の買い出し……!)
自分に言い聞かせながら、カレールーの並ぶ棚へと向かう。
「あ、あの限定の辛口ルー、一番上の棚にある……」
お気に入りのルーを見つけたものの、棚の最上段に置かれていて手が届かない。
爪先立ちになって必死に手を伸ばしていると――
すっ、と背後から温かい気配が寄り添ってきた。
「どれ? これ?」
「ふぇ……!?」
頭上から降ってきた低い声と同時に、背後から包み込まれるような格好になった。
私の右肩越しに長い腕が伸び、目的のカレールーが軽々と取られる。
視界が錬の胸元で埋まり、背中に彼の体温がはっきりと伝わってくる。
ほんのりと漂う、彼のシャンプーと柔軟剤の清潔な香り。
背の高さも、厚い胸板も、完全に「男の人」のそれだった。
「はい、これだよね?」
「あ、うん……ありがとう……」
ルーを受け取る手が、自分でも分かるくらい震えていた。
顔が火から上がったみたいに熱い。慌てて一歩後退りして距離を取ると、錬は不思議そうに首をかしげた。
「紬? 顔赤いけど、熱でもある?」
「な、なんでもない! ちょっとお店の中が暑いだけだから!」
「? そう?」
錬は全くの無自覚らしく、ひょいとカゴにルーを入れると、次のコーナーへ歩き出してしまう。
(無自覚すぎる……! あんなの、反則でしょ……!)
ドクドクと激しく打つ胸を押さえながら、私は彼の後ろ姿を追いかけた。
◇
「ただいまー」
「お邪魔しまーす」
買い物を終え、私の部屋へ。
二人で並んでキッチンに立ち、夕食の準備を始める。
「錬、玉ねぎの皮むいておいて」
「はいよ」
指示を出すと、錬は素直に玉ねぎと向き合い始めた。
包丁を持たせると危なっかしいけれど、皮むきや下ごしらえの手際はずいぶん良くなっている。
「……ねえ、錬」
「ん?」
「大学で『氷の王子』なんて呼ばれてるのに、こうやってエプロン着て玉ねぎむいてるの、周りの女子に見られたらどうするの?」
少しからかうように尋ねると、錬は手を止め、ゆっくりと私の方を振り返った。
「見せるわけないでしょ。紬以外にこんな顔見せるつもりないし」
「え……」
「俺のこういうところ知ってるのは、紬だけでいい」
冗談めかした雰囲気は一切なく、まっすぐな瞳で見つめられる。
真剣で、どこか甘い熱を帯びたその眼差しに、私は息をのんだ。
(な、なんでそんな真面目な顔で言うの……?)
返事に詰まっていると、錬はふっと満足そうに目を細め、再び玉ねぎに向き直った。
「ほら、玉ねぎむけたよ。次は何すればいい?」
「あ、うん……じゃあ次はじゃがいもを……」
鼓動がうるさくて、包丁を握る手が少し怪しくなる。
朝の寝ぼけた甘え顔。
大学での冷たい『王子様』。
そして時折見せる、男の人としての強い眼差し。
どれが彼の本体なのか分からなくなって、私は自分の胸の高鳴りを胡麻化すように、トントンと野菜を刻む音をキッチンに響かせるのだった。
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